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報徳思想並びにその仕法について その3(最終回)浅海 護也
報徳思想並びにその仕法について その3(最終回)浅海 護也を掲載させて頂きます。最終回は、9−報徳に於ける道徳と経済から始り、現代に於ける報徳生活と纏めとしてのあとがきに続いています。50年!!メーリングリストに20回に分け報徳精神に付き分かり易く投稿頂きそれを3回に分けて40年!!寄稿集に残して置けることを幸せに思います。事に当たり時々これを紐解き実践して行けたら実生活でも役立つと思います。浅海さん有難う。


9−報徳に於ける道徳と経済
金次郎は天保五年(1834年)に書いた三才報徳金毛録という著作の中で徳は本なり、財は末なり、と書いています。又大円鏡と言う著作の中で財徳一円、財と徳とは元は一つと表現しています。そして明治以後、金次郎の思想の特徴の一つとして道徳経済一元と呼ばれている。天地の徳に報ずる勤と言うのは内には天から授かった自分の良心を養育して、より立派な人格を磨き、外には天地の化育に賛成し之に協力することの二つである。之を一口に言えば道徳と経済の二つである。つまり、天の意を体して人が人としての道を全うしようとするところに、その道徳生活と経済生活とは一つの相となって見出される。金次郎は道徳生活のないところには真の経済生活はないのだ。道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。と教え、常に心田の開発、即ち心を第一としながら、その経済生活の安定を計る事を強調しました。金次郎の思想体系の構築には経済、政治そして道徳の三つが渾然一体となって包含されており、之が三位一粒丸で神道、儒教そして仏教がその中身である。人間が人間らしくするもの、之が人倫の道であり、人道なのです。之に対して動物的な所業の事を金次郎は鳥獣道とか、畜道と呼んで人道と区別しています。つまり、前者は勤倹譲であり、後者は怠奢奪である。
現代に於ける報徳生活
宇宙間の一切の万象は単一な事象それ自身のみでは寸秒の差異もなし得ないが、相互の関連に於いて形成する環境の関係でもって相融合する時、そこには生生発展の差異を生じそこから新たな事象を生じる。一切の万象は一円融合してつまりこの世の中のものは自分の半円と他人達の半円が合わさり一体一円となって成果が出るというもので、これによって生生発展して行き或る極限に達すると同じ形式の事象を繰り返し輪廻する事になる。この自然現象は万象一律であるから人間の行為を以って文化を開闢するには一円融合を生活の法則にしようとする決意こそが人道の開闢として意義深いものである、という考えを中心にする生活が報徳生活である。報徳生活によって生きる時万象はすべて夫々徳であるので、つまり万象夫々が相異なる天分の徳で又この異なる事から万象夫々の徳に尊さがあるのである。この相異なる徳を持ち寄り他の徳と相融合して、つまり天分の徳の融合によって新しい文化を生生発展するのである。 この行為天分の徳を推譲する助け合い譲り合うことによって新しい文化を創造する事が出来れば、徳によって民主主義的にかつ自由主義的に生産され社会主義的に平等に分度によって分配配達される。経済生産の融合原理はこの様に徳によって生産と分配による一元的原理でなければならない。金次郎は仁を人道の原理として空に相応せしめ、つまり何らかの他に依存して存在する相対的なものとし絶対的存在ではないものとし他を方法として仁義、仁礼、仁智、仁信と配属し人道の原理と方法との関係に総合して仁に帰一し、徳行はこれをもって開闢、つまり限りなく発展し増殖していく事が出来ることを明らかにした。即ち真理はこの様に一元的である。徳に報ゆる生活とは自己の徳を環境の徳に一円融合することであると自覚して生活する事で、その報徳行為は人人の言う勤労の形で現れる。従って人人の言う勤労が報徳の行為の一つとなる。換言すれば勤労によらなければ一円融合することが出来ず勤労によって始めて徳に報ゆる事が出来ると言うことだ。人生は勤労と推譲とを日々実践しつつ夫々の持つ天分の徳に基ずく分度を持って生活する、之ですべてである。この様に日常生活を報徳化することは一円融合によって生生発展の天道を相互扶助の人道に置き換えることに外ならない。報徳生活は毎日の生活を欲得闘争から報徳融合の生活へと変化する事であるから人道を自覚した自律自浄の生活に生きる事であり、報徳推譲の生活を実践し生きる事である。人生を環境に奉仕する様に生きる、つまり自他を振り替える思い、即ち之には強い意志への努力が必要となるのである。又農業が既述の如く自作農である様に商工業も自己資本を原則とすべきである。之を達成するには分外の推譲を積み立てる事を青年の時から生活の必須条件その一端とすべきである。そして現代における一般社会人が永久の安泰を図るために報徳生活による理想社会の建設へと進展するには勤労、分度、推譲の実践から始まる報徳仕法、永安法が適応される。本法は分度を中心とするが同時に報徳推譲の信念を失いはしないか相互指導し相互扶助しあうことが特に必要であり、其れには組織、報徳社が必要である。之は分度の確立とその維持者の組織である。そしてその組織の会合、これを寄り合いと言うが常に芋コジ会を行なう。つまり芋を洗うに芋同志の摩擦によって脱皮せしめすべてが相互に欲の皮を脱いで清い生活をする。之によって分外の推譲積み立てを行い報徳善種金と名付ける。そして精勤し徳行の者を投票法によって選出しこの資金を表彰貸付けを行なうのである。この人は之によって借財を償還し新しい経営を始める。この様に報徳仕法雛形を実行し永安法を実践するにはその報徳社の維持者、保持者が大切である。一に報徳推譲の信念の有無確認し反省し修養し保持する事が求められる。この報徳社又は報徳組合は郷土を美化し新たな家族的なものに建設するのである。報徳生活の実践を希望する者は同志を糾合し結合して報徳社を作り一円融合によって同志の結束を計り、その同志の間では推譲本意の生活を遂行するのである。
あとがき
皆さん、今回は我々の幼馴染二宮金次郎(尊徳)について拙文を呈し簡単に説明させてもらいました。ご存じの如く先世紀末に襲ったブラシル国家の財政破綻そしてブラジル農業の大不況は之によって大きな被害を受けたブラジル日系社会まさに未曾有の大惨事となり、その原因が理解できなかった私は得心を得るべく長い間調べておりましたが三項からなる結論を得ることが出来、既述の如く発表いたしました。即ち1)日系農協は商品経済下、組合員に農業融資を最大限に利用し資金を出来るだけ多く借り出させ農作物の生産量、組合への出荷量を競争させた。あの政治経済の混乱不況、金利の高騰時、この様な経済行為は己が墓穴を掘るに等しかった。2)日系農協には又日系社会にはこの様な事態に対処して適正な助言、施策を適時実施する賢明な気魄のある指導者は不在であった。日系農協のこの様な考え方は第二次大戦後すべての農産物が一様に不足し値上がりし高い利息を支払っても利益が出た時の考えが慢性化したものであった。 この様な非常時の経済下、大きな借金を抱えた結果不幸にも日本への回帰就労に至ったものであった。それが証拠にブラジル人農業者の多くは自給自足に近い生活を営みこの不況を乗り切り、私の専門であった養鶏業に於いても従来の借金政策を長く続けたか、早めに本施策を打ち切り自己資本経営に変更したかによってその進路は大きく分かれた。3)多くの日系農協、企業又個人経営農場と倒産は続きその失業者家族は1990年代を中心に大挙して日本へ出稼ぎ就労の途についたのであった。この時期知人の息子でサンタカタリ−ナ州ブルメナウ市の市役所に働いていた日系二世の農学士は仲間達との話の話題に日系人の出稼ぎの件が出、彼等は出稼ぎの人達をエゴイスタと批判したとか、肩身の狭い思いをしたと話していた。この時期ブラジル国民としては日系人の雄雄しい国内での諸活動を望んでいたのかも知れない。一方この時期ガウショ達は既に南マットグロッソ州南部にアメリカ式の大農様式農業を営みトウモロコシ栽培を始めていたもので私も当地に仕事の途中、彼等を目撃したものでした。
私はこの様に日系農業の惨敗に遭遇した直後、之が対策は如何にあるべきか、二宮金次郎(尊徳)の提唱実践された報徳思想並びにその仕法についての古い記憶をもとに若き日の古本を探し再読し、その教えに驚きその崇高な二宮金次郎自身(尊徳)を改めて知る事になりました。私は現今のブラジル日系社会そして農業再興のまさに指南書、聖書ではないか又彼の教えを充分に叩き込まれてブラシルへ日本移民が渡っていたならば、二十世紀末日系社会が蒙った被害はもっと軽減されたものではなかったか、惜しまれました。我々は第二次大戦敗戦によりGHQ史観に大きく洗脳され所謂我利我利亡者化して居りますが報徳を知り、勤倹譲を実践していたならばあのような極端な事は起きなっかたのではないか。皆さん、二宮金次郎(尊徳)は又、人夫々の天分の差、その特性によって貧富の差は必ず生じ其れは男女が一体であると同様であり、貧富の総和が財貨を生むという。富者は余財を譲って貧者を推し貧者は早く起きて夜遅く寝て勤労しその余力を推して富者の徳に報いる。この様に貧富夫々がその分に分によってその業を楽しみその生を全うする事が出来るといいます。 そして報徳訓にある如く現在の繁栄は過去の勤労、積善という恩徳の成果であり、その恩徳に感謝して自己の勤労によって報いる事が報徳であると教え、倹約によって生まれた余財を将来そして社会一般のために使用することを推譲といい、之の繰り返しが繁栄の持続を約束するのだと説きました。皆さん、一世紀余の間我々はブラジルの国に生存してきました。我々はこの国の天地人三才の恩徳並びに我先駆者の恩徳に報いなければ失われたブラジル人の信用を回復し、子孫達にその繁栄は引き継ぐことは出来ないのではないか。今我々は何をなすべきか愚直にそして率直に二宮金次郎(尊徳)の教えを学び実践する時ではないでしょうか。皆さん、私達は報徳社又は報徳組合をサンパウロ市に設立、一堂に会し我々の上記の思いを実践、報徳運動を展開しようではありませんか。自助、互助によって我々は共存共栄の大道を共に進もうではありませんか。皆さんの賛同、奮起、決起を祈念してやみません。長い間御静聴有難う御座いました、和田さんには貴重な時間をいただいた事特に感謝いたします。 
追伸、二宮金次郎(尊徳)は道徳経済一元論を唱え道徳力と経済改善を一円融合させた考えを唱えましたが、二宮金次郎が生まれる少し前イギリスに経済学の父と呼ばれるアダムスミス(1723−1790)が市場原理は道徳をベースに成立していると記した道徳感情論を出版し、今日も世界的名著と言われているが二宮金次郎(尊徳)の報徳思想は更に踏み込んだ高い徳性がベースになった考え方であった。又、二宮金次郎(尊徳)はその生涯に六百余村を復興し多くの藩や農村の財政を豊かにしましたがその一生を終える時私有財産は一銭も残っていなかった。  了

和田:浅海さん 力作終了しましたね。報徳思想並びにその仕法について その3(最終回)は、現在4400字になっています。皆さんの読後感、報徳社又は報徳組合をサンパウロに設立したいとのご希望に賛同される皆さんのご意見を字数の許す限り集めて見るつもりです。近ければ私も参列したいのですが、毎回は無理だと思います。二宮金次郎(尊徳)の教えを分かり易く丁度20回に分けて解説して頂き大変参考になりました。実生活に生かして行きたいと思いますが、難しいですね。せめて40年!!寄稿集には残して置きたいと思います。出来れば2回、3回に使用する写真を2枚提供頂けませんか?その1の写真を続けて使うのは避けたいと思っています。宜しくお願いします。

浅海:和田さん、久々に写真を撮りました。宜しく頼みます。今後も時々、報徳思想並びにその仕法について送ります。

池田:浅海さん 尊徳思想と実戦に関する浅海さんの力作拝読しました。
あの時代に品質管理を実業化し生産性向上の成果を市民に見せた、二宮金次郎の発想インテリゼンシアはノーベル賞に値します。現代はそれらの思想に基づき品質管理の技術分野が随分発展しております。
通信分野、農業、工業はCQ, TQC, GQそして 「ものづくり」 までの世の中になりました。ですので尊徳思想 (報徳思想)は小学生の道徳教育世代の脳に染み込ませることが大切では、それが世の中の発展と平和に繋がるのではと思ういます。

榎原:浅海さん、今回も貴重な投稿を頂きありがとうございました。
添付の写真は、パラ州MONTE ALEGREの運動会の様子です。週末を利用して何気なく日本人移住地を訪ねた時に偶々開催されていた運動会の様子を写した写真です。(かなり前に、このメール会にも投稿した記憶があります)
写真にある戦没者慰霊碑は、2003年にMONTE ALEGRE入植50周年記念として建てられた慰霊碑です。現地に住む日系人の方の話では、この入植地には100家族ほどの日本人が入植し、こしょう栽培をされていたそうです。しかし、こしょう価格の暴落やマラリアの蔓延等の理由から、次々に、日本人家族がこの植民地を離れていったそうです。(訪問した15年前には、日本人家族は10家族前後)ですから、当日の運動会の参加者も大半はブラジル人でした。私がこの田舎町に滞在中に、早朝滞在したホテル周辺を散歩して驚いたのは、町の中心地の公園がゴミ一つないことでした。入植者が様々な理由から入植地を離れてしまったことは残念ですが、この日本人の公共とか徳の精神や運動会という日本文化が受け継がれているんだと思い嬉しくなってしまったことを良く覚えています。
浅海さんが投稿を始められた頃に、何故マットグロッソ州に日本人の大型農業経営者がいないのかの理由を述べました。ブラジル社会では、日本人の美徳は、その運用を間違うと悪い方向に行ってしまう場合が良くあります。しかし、ブラジル論やブラジル人論をしっかり頭に入れていれば、日本人の美徳は発揮できます。特に、我々1世とは違い、ブラジル生まれの日系人は、既にブラジル論やブラジル人論を身につけています。それに加えて日本人の精神文化を理解し実行すれば、更に、日本人のブラジル農業への貢献度は増すことになります。
サンパウロでの報徳精神の実践や普及には、私は農業経験者ではありませんが、出来る範囲で参加したいと思います。

村松:浅海さん、二宮尊徳の報徳の教え、長期に亘り連続を掲載くださり感謝致しております。
 大日本報徳社は掛川市に本部を置き、歴代市長が退官された後社長を務めて下さっていました、2019年でしたか和田さんご夫妻が掛川市を訪問下さり、報徳社をご案内させて頂き担当者から社内の案内と解説をして頂きました。掛川市には尊徳の組織した信用金庫があり市民の資産を預かり、また貸し出し業務に現在も務めています、低学年教育が大切だとして市内の小中学校に尊徳の幼年時代二宮金次郎の銅像を建造し、報徳の教えの課外授業を持っていました。高等教育も大切だとして現在の掛川西高等学校も作られた、幸運にも私は小中学校そしてこの高校を卒業する事ができました。
 私は浜松市で戦争が始まる3ヶ月前の1941年9月生まれました、1945年の終戦前には北から南までの都市にはB-29による焼夷弾、グラマン戦闘機による射撃で軍関係の工業の浜松市全域が消滅し多くの民間の死者がでました、家族は母親の地元掛川市(当時町)の農家に疎開し、終戦後国有地を払い下げて貰い、農業を始めた次第で学校から帰ると畑や田んぼに出て雑草駆除の手伝いをしたものでした。地元の農家では尊徳の教えを受け継ぎ山で囲まれた地形を利用して、緑茶の生産が盛んとなり全国一を成し遂げています。水田の細く長い畦には大豆や小豆やそら豆を3粒 30cm間隔で穴の中に撒く、不思議に思うと成長した1本は土中の虫に揚げ、1本は空の鳥に与え最後の1本からの収穫を人間様がいただく事で自然界が守られると教えtwもらった、これも尊徳の教えである。
 最初の移民船笠戸丸で外務省のポルトガル語通訳として渡伯した平野雲平(平野植民地建設者)は掛川市出身で尊徳の報徳思想を抱き、幾多の苦難と犠牲者を出し移住地を建設されたと聞く、今掛川市の生涯学習センター(報徳教育)の敷地内に彼の銅像が立ち、ブラジル国家の花「イペー」が春になると黄色の花を咲かせる。村さん–CA

浅海: 拝復、和田さん、榎原さん、丸木さん、池田さん、村松さん、皆さんへ
今回は今世紀に入っての私の課題であったブラジル日系社会再興と日系農業の再生について、その対策として報徳思想並びにその仕法、つまり二宮金次郎(尊徳)の教えを皆さんに紹介する事ができました。上記皆さんの暖かいコメント、反応有難う御座いました。まだまだ勉強中そしてコロナ禍の渦中思う様には行っておりませんが、今後も続けて二宮金次郎(尊徳)の教えを皆さんに紹介、皆さんと一緒に勉強する所存で居ります。そして初期の目的達成の一助になればと思っております。又、和田さんには暖かいご支援有難う御座います。本便、お返事遅くなりました事お許し下さい。浅海護也と書きます、宜しくお願いします。

和田:浅海さん その3 何とか7千字を越しましたのでこれで終了し40年!!寄稿集にUPさせて頂きます。お名前の確認有難う。署名蘭に入れて置きます。近影も態々撮られて送って頂いており助かります。今後も報徳思想を勉強しながら啓蒙活動を続けて行かれるとの事、楽しみにしています。今後とも宜しくお願いします。



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