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日本食のフロンティア “食の移民史”【ニッケイ新聞連載】よりの転載。
ニッケイ新聞の5月8日より7月2日迄、13回に渡る連載で日本食のフロンティアの題で面白い共同連載が掲載されている。沖縄のゴーヤー、豆腐、やきそば、漬物(花梅)、和菓子日本酒等日本移民によりブラジルに持ち込まれ定着した日本食に付いての考察は、この地に住む我々だけに大いに頷ける話題である。初回の前書きと最終回の日本酒の項を転載させて頂きました。写真は、東山農産加工発売の日本酒「東麒麟」です。
 
【移民によって持ち込まれた日本食は、時代の流れとともに広がってきた。今や日本食は、フランス料理に次ぐ高級料理としてのステータスを獲得し、豆腐や醤油を買うブラジル人の姿は、珍しいものではなくなった。と同時に、その広がったフロンティアには、さまざまな食をめぐる移民史が隠されている。そんな考えから、記者それぞれが食材・料理を選び、独自の視点で食の移民史≠切り取り、毎週一人分づつ紹介していく。共同連載という同じまな板の上に載った、記者それぞれの持ち味≠燒。わってほしい。】


日本食フロンティア−食の移住史¥I−日本酒−3−日本酒は『日の丸』−待望される吟醸仕込み

7月2日(火)
 日本酒(ニホンシュ)。フランス人はワインを仏蘭西酒としているだろうか。アメリカ人がバーボンを米国酒などと呼ぶことがあろうか。
 日本人にとっての日本酒は単なるお国自慢の『酒』以上の存在である。それはきっと、『日の丸』に似たものだ。 
 「哀愁と誇りが入り混ったような気持ちできました。そして、どこかで日本を背負っているような感じでもありました」
 佐野満さん(六四、岩手県出身)は東京農業大学醸造科を卒業後、六五年にブラジルに移住。秋田県飯田川町の銘酒『太平山』の酒蔵で修行を積んだ経験を生かし、工場長として『東麒麟』を手塩にかけて育ててきた。先の言葉は日本酒に捧げた半生を振り返って、漏らしたもの。 
 従業員は現在三十五人。キリンビールから派遣されている専門家が一人、金沢の酒蔵で修行した一世が一人いる。残りはみんな非日系のブラジル人。「採用ですか?醸造所のあるカンピナス周辺の人を中心に募集しています。日本酒に興味があって、という人なかなかはいません」。『日の丸』を三十七年間担ぎ続けた佐野さんは今年一杯で定年退職を迎える。
 「二十四年前は悪くても高くても、移民のお客さんは日本酒を注文した」
 リベルダデ街の日本食レストラン『ごんべ』の店長、和田弘美さん(五九)は開店当時を振り返る。「ノスタルジーを飲んでいたのでしょう」
 同店ではマス七レアル、ボトル二六レアルで、『東麒麟』を提供している。「やはり割高感があるようです。ワインに比べるとね」。和田さんはその上で、「日本食を含めて今後は単に値段が高いだけでは通用しなくなるでしょう」と分析する。
 リベルダデ街の日本食料品店『丸海』。『東麒麟』辛口の値段は九・五レアルだ。しかし、渡辺英秋副社長によると、「スーパーによっては二十レアルの値段がついている所も」。
 『丸海』のついでに、近くのスーパー『セ』に立ち寄った。この日は特売だったこともあり、チリワインの逸品『カリテラ一九九八』が十九・九〇の赤札を付けていた。カリフォルニア・ワイン界の帝王ロバート・モンダビが協力して実現したもので、この値段。
 渡辺さんはそれでも「ワインはライバル視していない」との姿勢を崩さない。これは文化の戦いでもある。『吟醸仕込み』への再挑戦を後世に託す、佐野所長も同じ気持ちでいるだろう。
 日本への郷愁と誇り。それを『日の丸』と呼ぶならば、かつて、日本酒には真っ赤な丸が詰まっていた。しかし。今やサケー、となんだかアロイスのビンニョ扱いであることも少なくない。もはや、チャオ、チャオ、日の丸なのか。
 答えはノーだ。ブラジル『東麒麟』の陽はまだ高い。地平線には日本酒の大将・吟醸が出番を控えている。ベンカー・ギンジョーである。終わり。
     (小林大祐記者) 



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