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【40年目の出合い】 三宅昭子さんのエッセイと俳句。
北伯アマゾンの胡椒の村トメアスーに住んでおられる三宅昭子(旧性佐藤昭子)さんよりお便りを頂きました。三宅さんは船内ニュース班の一員として活躍され文章を書くのが大好きとの事で現在はトメアスーの移住地で日本語を先生をされております。俳句を嗜まれ俳文学127号に上掲の「40年目の出合い」と題するエッセイを寄せておりそのコピーを送ってくれました。寄稿集1ページの第6項にある「小雨のベレンで下船された同船者を訪ねての旅」に出ている写真の日の丸の旗への寄せ書きにその主人?に当たる私が日章旗との40年振りの面会を果たした事実に付いてどうして佐藤家にこの日章旗が保存されておりトメアスー文化会館の移民資料館のメイン展示場に陳列されているのかを考察しており私自身も1962年2月5日の日付けで壮行会を開いて呉れた懐かしい友人の名前と寄せ書きに暫し見入る感激の一瞬でした。「持ち主が表われ持ち帰りたいと云い出す事を恐れていた」とトメアスー文化協会穎川会長の弁ですが、歴史の一部として大事に保管、陳列されている日の丸の旗を見て良かったと感謝こそすれ所有権?を主張する積りは毛頭なく今後とも宜しくとお願いして帰ってきました。アングルが違うもう一枚の写真をここでも掲載して置きます。


40年目の出合い
父母が私と一緒に住む事になり思い出多い荷物と一緒にやって来た。その頃、トメアスー文協では移民70年際に向けて移民資料館設立が具体化され、寄品を募っていた。
父の荷の中に出征時の幟や渡伯時の寄せ書きの日の丸があったので寄贈した。昔の記憶の中に生きる父に聞くのは無理だが母に聞くと「よく覚えていないが県庁の方からでもいただいたのでしょう」と言うのでそのまま寄贈した。
「あるぜんちな丸第12次航の40年目の号外を」と企画が持ち上がり、ニュース班長であった和田 好司氏が北伯の同船者31名の動向をたずねてトメアスーを訪れ、「俺の日の丸」に出合うのである。
当時、学生だった彼はブラジル中の植民地を訪ねて旅行したという。アマゾン河の藻屑と消えていたであろう日の丸をかくもきれいなままで保管していてくれたと喜ばれたがなぜその日の丸が父の荷の中にあったのか、また来るからというので預けたのでしょうといわれる。船内で彼らのあとについて回っていた弟妹たちがねだって取り上げたのが真相ではないかと私は思っている。二人の弟妹はすでに召されているのでその遺品の積りで父は大事にしていたのだと思うが、神はいつも不思議を行われる。すべてを良きにとはこういうことなのか。かくて、四十年目の出合いを果たした日の丸と同船者であった。

特別作品 ブラジルへ
*故里の山河に別れ告ぐる雪
*弥生月郷里(さと)の涙に送られて
*それぞえの夢語りしや鍋料理
*未知の地へ夢はばたかせ春出航
*船内は家族同様草の餅
*さわやかや船内活動ニュース班
*飛び魚やパナマ運河を通過せり
*船内の生活楽し日記帳
*日の神役や四月の赤道祭
*アマゾンはすぐ目の前に風光る
*下船せる三一名星月夜
*常夏の国に移りて雪恋いぬ
*忘郷の念捨てがたし胡椒摘む
*星流れ四十年の軌跡追う



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