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工業移住者協会のホームページを立ち上げました。
9月12日付けで工業移住者協会のホームページ管理者の吉田文彦さんから次のようなお便りを頂いております。(掲示板参照)
『和田 様
このほど工業移住者協会のホームページを立ち上げました。これからすこしづつ良いものにして行きたいと思いますのでよろしくご指導のほどお願い申し上げます。
管理者 吉田文彦(1966 4月 あるぜんちな丸)
ブラジル工業移住者協会
Associaçao dos Imigrantes Tecno-Industriais no Brasil  
1961年に始まった工業移住も今年で41年となり、まだ現役で活躍しておられる方、悠々自適の生活を送っておられる方、また国外に住んでおられる方、と様々ですが、ふたたびみんなとお会いして、お話したいという想いに駆られます。インターネットのお陰で世界中どこでも距離に関係なく、通信できるようになりました。
ブラジル工業移住者協会』
今回、写真3枚と共に下記のお便りを頂いておりますので寄稿集に紹介しておきます。これから工業移住者協会のメンバーの紹介等もして行きたいと思います。写真は文中に出てくる吉田さん左側とブラジル移住のきっかけになった大事な一週間分のみかんを一度に平らげた山村さんです。


和田様
暑くなってきましたが、ご健勝のことと思います。写真が遅くなって申し訳ありません。やっとスキャナーを購入しいま使用方法を勉強しています。あるぜんちな丸の写真を3枚送信します。写真はいずれも1966年3月2日に横浜港出港の際に撮られたものです。一枚目の写真は私がマストの少し前で黒いスーツでテープを岸壁の方へ投げている所です。2枚目の写真は船が岸壁から離れているところです。3枚目の写真はブラジル日系人の山村ヨシオとデッキで撮りました。彼は私を見送りに来てくれました。1965年私は名古屋のリコー時計KKに新入社員で入りました。新入社員は全員会社のすべての部署で研修を受けるのですが、私のグループに山村がブラジルの研修生として入ってきました。彼は日本語がかなりできましたが工場の中の言葉が理解できず困っていました。私が通訳してなんとか研修を終えました。あの当時日本は輸出輸出で戦々兢々としていました。その研修期間中にブラジルの話を聞き、こんな人間的でおおらかな国民の間で暮らしてみたいと思い移住しました。彼はいまカンピーナスの上下水道会社にいます。いまでも彼とは家族ぐるみの付き合いをしています。毎年どんなに忙しくてもクリスマスにはカラガタツーバの海岸の別荘で合うことにしています。
彼については忘れられない思い出があります。私が新入社員の頃給料日にみかんを6個買い1週間で食べるようにしていましたが、ある晩社員寮に帰ると誰か部屋に寝ているようなので電灯を点けると、山村がパンツ一丁で畳の上に横になっていました。次の瞬間彼は私が買ってきたみかんを見つけ一人で全部食べてしまってけろっとしていました。私は驚きましたが、安月給の中からせっかく買ってきたみかんを平ら上げてけろっとしている国民とはいったい」どんな国民なのだろうと好奇心に駆られたことも事実でした。今でも彼に会うとこの話をして彼の家族と大笑いします。
吉田文彦



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