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ここにも「ジャポネース・ガランチード」 ア国のガルアペー移住地【ニッケイ新聞より転載】
あるぜんちな丸第12次航でアルゼンチンに移住した同船者は、合計40名で単身で最初からブエノス・アイレスに入られた田上英明さん以外の9家族39名がガルアペー移住地に入植されました。現在も多田さんと高松さんのご家族が頑張っておられるとの連絡を受けており、是非近い将来訪問して見たいと念願しております。やはり1500キロ離れた首都ブエノス・アイレスに移られた方が多く一部は日本に帰国または一時帰国中とのこと。アルゼンチンに入られた方達の消息を訪ねるには、ブエノス・アイレスとガルアペー移住地を訪問する必要がありそうです。ナランハ(オレンジ)、ツング(油桐)、タバコ等を作ると言っておられた同船者は、古庄省吾さんと同じように植林をしておられるのでしょうか。学生の頃訪ねたガルアペー移住地への道は雨でバスがストップ(舗装のない道路を保全するため)27kmをトクトクと歩いて辿り着いた忘れ難い移住地。ケネデイ大統領の暗殺を知ったのもこの時であった。
写真はアルゼンチンのミシオネス州ハルデイン・アメリカ市のアルトパラナ日本語学園のHPよりお借りしたアルト・パラナ河の写真です。


「父に教えられるままに16歳のときに木を植え始めました。今では、日本人の用材は品質が良い、と地元製材業者の間で定評となっていますよ。いわゆる、ジャポネース・ガランチードですかね」と、過去の苦労を述懐しながら、熊本県出身の古庄省吾さんは、自分が育てて樹齢40年、直径70センチのパラナ松を抱えながら力強く語った。去る10月26日のことである。
古庄さんは、両親や兄弟と一緒に1959年4月にオランダ船籍のチサダネ号でアルゼンチンのミシオネス州プエルト・リコ村ガルアぺーに移住した。首都ブエノス・アイレスより北北東1500キロにあり、有名なイグアスー滝まで150キロと近い。
父親は戦前、18歳でフィリピンに移住して麻の栽培に従事したという。
「兄と私はフィリピン生まれです」と省吾さん。戦争が終わって、父は家族を連れて帰国し、郷里の熊本県で開拓に入った。そして今度はアルゼンチンへ。「父の生涯は開拓の生涯だった」ともいう。
13年前に80歳で亜国の土となったが、この父がフィリピンと郷里で培ってきた開拓の経験がガルアペーで存分に生かされたという。家族で自給体制を取り、買ったのは塩と砂糖ぐらいで、最初の10年間を自給で乗り切った。
入植当時、ミシオネス地域は木が良く育つ、と誰かから聞いて、父親が植林を決心した。おカネがなかったので「苗木も自分たちで育てました。ここでも、父の開拓経験がモノをいったのです」と省吾さん。移住者が植林の先駆者となったのである。
その結果が、冒頭の”ジャポネース・ガランチード”につながる。今、ガルアペー移住地で林業にかかわっている日本人は古庄さんだけではないが、植林の先駆者が日本人だったため、アルゼンチン人製材業者たちも日本人に一目を置くようになっている。移住者たちが自ら築いた信用である。幸運なのは、ガルアペーでの年間平均雨量は2000-2400ミリで、土地が肥えているため、樹木だけでなく、他の作物の生育に適していることである。
夫人は旧姓、蒲田知恵さん(北海道出身)。フィリピン当時から家族の支えとなってきた母親は88歳で健在。「母は長男のいるブエノス・アイレスに住んでいます。今年は兄弟姉妹と孫たちで母の米寿の祝いをやりました」と、1500キロ南を見つめる古庄省吾さんはガルアペーの農業協同組合の役員でもある。



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