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第3回バーチャル座談会 新春放談!! 地球の裏と表。日本とブラジルの違いを語る!!(前編)
これまでの神戸じいじさんMASAYOさんの3人によるバーチャル座談会は、今回よりフリートーキング形式を取り入れ参加者の範囲を広げ当HPの日本への紹介者として初期の段階から協力頂いている桐井さんとそのHP訪問者の皆さんにも参加頂きました。1回の掲載が使用ソフトの関係で1万語との制約があり1回で纏まらず前編と後編の2回に分けて掲載することになりました。前編は、新春放談と銘打ってますが少し早い年内公開となりました。後編は文字通り新年第1回の寄稿集としてUPする予定です。まだまだチャンスはありますのでこの一足早い前編をご覧になって頂き飛び入りが出てくることを期待する意味もありますので宜しくお願いします。
写真は、今回は私が撮りお気に入りでPCの壁紙にも使用しているブラジルのグランドキャニオンといわれているイタインベジンニオ(ポルトアレグレから200km)の写真を使わせて頂きます。


和田:現在日本では拉致問題が大きな話題ですが、日朝国交正常化交渉で日本代表として堅物振りを見せている鈴木勝也大使は、数年前にブラジルの日本大使として活躍され歴代の大使の中で一番ブラジルを見て歩かれたと高く評価されポルトアレグレにも来て頂きましたし平成11年度のリオにおける官民合同会議の席でも御一緒させて頂いた懐かしい大使ですが、その鈴木大使がブラジルの事を地球の裏側と定義したことに日系の新聞が大いにむくれ?物議を醸しました。どちらが表か裏かの論議は別にして日本とブラジルは、地球の反対側として遠くて近い昼と夜、夏と冬、時差12時間で東京を真直ぐ掘り進んでいくとベーノス・アイレス沖に出るとの事ですがブラジルの南部ポルトアレグレは、直線距離では日本に一番近い都市なのでしょうか?この遠くて近い日本とブラジルに住む多くの皆さんと新春放談として日本とブラジルを大いに語って頂ければと思います。先ず、最初にこの日本に住む日本人と40年前にブラジルに移住した我々日本人との間に価値観、生き方、感じ方に大きな差があるのではないかと感じておられ今回のテーマを出された香西さんにその辺の経緯を語って頂きたいのですが。

香西:40年の歳月は、日本に限らず何れの国であっても経済的に大きく変化したと思います。
しかし、国民性と言われる精神的な価値観は代々受け継がれ、容易に変化しないものと思っていました。
例えば、「情けは他人の為ならず」「衣食足りて礼節を知る」「亀の甲より歳の功」などの格言は、40年前の日本では通じる言葉でした。
しかし、日本の経済発展の過程で何時の間にか失われ、「ジコチュウ(自己中心主義)」がはびこり、他人に対する思いやり・責任感・敬老心が失われています。
むしろ、40年前に日本を離れられた方々に、日本人の良き「価値観」が残っているのではないかと思い、その辺りのことをお話し願いたいと考えました。
年寄りの「たわごと」ですかね〜(笑)

和田:MASAYOさんも神戸と大いに関係があるブラジル移住という命題を抱えブラジルに移住した我々、また途中でU-ターンされた方、現在も出稼ぎとして日本で生活しておられる方等に関心を寄せておられ色々知りたいとの希望を表明しておられますが如何ですか。

MASAYO:そうなんです。今までまったくサンバとコーヒー、サッカーの強い国としか知らなかったブラジルという国のことを、和田様とお知りあいになれたこと、また神戸移住センターという存在から大いに興味を持ちました。そしてブラジルという国はいかなる国か、またそこに住んでいる人たちはどのような人たちでどのような考えをもっている人たちかということを調べようと図書館や本屋さんに行きました。ところがイギリス、フランスなどのヨーロッパ紀行、香港・タイなど、アメリカ、メキシコなどの国のことを記述した本、紀行文はあふれるほど多いのに、ブラジル、パラグアイなどに関する本は驚くほど少なかったのです。
日本にとって日系人150万にもなろうかというブラジルは、例えば親戚といってもいいくらいの国です。もっともっとブラジルのことを知りたいと思いました。初めての移民が笠戸丸でブラジルに向かってからの移民の方のご苦労は大変なものだったとか本には書いてあります。和田様が実際、ブラジルに渡られて目にされた先輩移民の方はどのようなものだったのか、またブラジルで長く生活された移民の方は日本で暮らす日本人とは違う価値観をもたれるようになったかとか、お聞きしたいことは山ほどあります。

和田:やはり日伯の違いは其々の立場の多くの方に語って頂くのが一番手っ取り早いと思います。結論を出す必要はないと思いますのでこれまでの我々3人の枠を広げフリートーキングの形で日伯の皆さんに発言頂きたいと思いまが、やはりトップバターは、日本の皆さんに『私たちの40年!!』のHPを紹介、導入の窓口としてお手伝い頂いた桐井さんにお願いしたいと思います。

桐井:和田 好司さんとの繋がりは和田さんのホームページを拝見した時からです。
移民の皆さんの幾多の苦難にもめげることなく真摯に生きて来られたお姿に先ず感動しました。次に皆さん移民後40年を経ているにも拘わらず日本語のお上手なことにも驚きました。
また、1998年4月に行なわれた「NHKのど自慢イン・ブラジル」をテレビで拝見しました。
今、私たち日本人が失ってしまった日本人の心を持っていらっしゃることに、とても感動したことを覚えています。望郷の念があっても日本に帰れなかったお年よりの方々など、涙なくしては見ることができませんでした。かつて我々が持っていた日本人の良さ、精神を海外に見る思いがしました。
現在、日本には沢山の日系ブラジル人の方が住んでいらっしゃいます。ここ大分県にある企業でも多くブラジルの方が働いています。夏の甲子園高校野球大会でも、日系ブラジルの高校生が出場してわかせました。皆さん各方面でよく活躍されています。私もかつて高校で日系ブラジルの高校生を教えたことがありますが、とても真面目な生徒でした。
大分県もブラジルとは縁が深いようで大変親しみを感じています。
繰り返しますが、かつて我々が持っていた日本人の良さ、精神を日系ブラジル人の方々に見たというのは紛れもない事実です。

和田:有難うございます。桐井さんは1998年の「NHKのど自慢イン・ブラジル」を見ておられたり、高校で日系ブラジルの生徒さんに接する機会があったりブラジルに対する素地があったのが『私たちの40年!!』へのご支援に繋がったのですね。

桐井:おっしゃるとおりです。最近、テレビや新聞等マスコミで、日本で働いていらっしゃる日系ブラジルの方やサッカーなどの話題がよく報道されています。また、地球の反対側ということで季節や太陽光線照射方向等の違いなどに興味関心を持っています。ブラジルの珍しい花を見るのも楽しみです。
和田さんの「掲示板」にもっと多くの日系ブラジルの方の書き込みがあると更に楽しくなると思います。

和田:次に桐井さんのHPにおいて声を掛けて頂いたところ続々とご意見を頂いておりご紹介したいと思います。まず最初に元外交官だったとお聞きしておりますが『かず』さんにお願いします。

かず:日朝交渉焦点の人、鈴木勝也大使は、ブラジルをくまなく歩かれ、好評だったのですね。とても人柄がいい外交官だそうで、大使の料理人という本を読みましたが、ベトナム大使時代に仕えたコックさんが、高慢な外交官の中で、例外的に威張らずによい人だったと書いておりました。
鈴木さんの地球の裏側発言ですが、現に南米に居住しているコロニアはいい気持ちはしませんね。私は新潟県出身ですが、裏日本といわれると、なにか、うらぶれた感じで、少し反発したくなります。愛国心の原点である愛郷心を逆なでされるのです。
かの田中角栄も、猛反発して、三国峠をとっぱらって、雪雲を関東に吹き払って、東京に大雪を降らしてやるといきまいたそうです。でも意外なことには、徳川時代までは、日本海地方が表日本だったのです。米が貨幣の当時、米の産出が多い、加賀百万や,米どころ越後は,経済の中心だったのです。
明治の人口3千万のとき、新潟は200万あって、いまでも200万なのですから。ふるさとは誰にも大事なところです。私も外国へ行くたびに、にわか愛国者になります。血は水より濃い、理屈を超越した想いです。在ブラジルの日系人が祖国日本に熱い思いを抱くのはけだし当然でしょう。

和田:時の人鈴木大使に付いては話の誘導部分としてとして挿入したのですが地球の裏と表、日本における裏と表の歴史的考察にまで話が及び鈴木大使もくっしゃみをしておられるのではないかと思いますが、かずさんがおっしゃるように理屈を越した愛郷心といった気持ちは日本を長く離れた我々には殊更強いのでしょうか?私自身は、置かれた場所により裏でも表でもよいのではないかと余り気にしておりませんが、日本国大使としての発言はやはり大きなインパクトを地元に人に与えたのでしょう。外交官の発言には些細な事でも気を付けて頂く必要があるということでしょうね。かずさん有難うございました。
次に浜松で日系ブラジル人を常時30名から多いときには100名近くお世話頂いている日系ブラジル人だけの社員寮VILA VERDE(緑の村)の管理をご主人と一緒に<底辺の国際協力>をモットーに10年近く続けておられるSATOU乙女さんにお話を伺いたいと思います。

SATOU乙女:いつもは暖かいここ静岡県もさすがに寒い日が続いています。さてバーチャル座談会へのお誘いに乗って出て参りました。私が何時も日系ブラジル人の事で感じるのは桐井様もおっしゃっていますが一般的に真面目で頑張りやの人が多いという事です。最近は伴侶達も来日しているので、中にはまるっきりブラジル人という感じの人もいますが、私の所では採用の際になるべく「ツテ(コネ)」を利用しているせいか、真面目で優秀な人材が揃うようです。私達が赴任して来て10年目を迎えようとしていますが、大きな不祥事も無くここまで来られた事はとても幸だったと思います。彼らと生活してみて思うのは今の日本人が忘れている大切な事を、とても誇りを持って持続しているという事です。日本人である事それを、日本に暮らしている我々よりも数段誇りを持っている。と言う一言に尽きません。戦後の荒れ野原から世界に誇れる経済大国に発展させた日本人の努力と勤勉さ、これはもっと誇りを持つべきだと気づかせてくれました。ただ、今の日本ではそれが虚しく空回りしている様な所があります。しかし、私は彼らのその様な真面目さを信じて友達のように、母親のように又ある時は兄弟の様な態度で接しているつもりです。むこうも会社側の人間だという遠慮もあるかもしれませんが、結構プライベートな事も話してくれます。多数の寮生の中には全く日本語の出来ない子もいます。そのような時、心が通じ合える寮生がとても頼りになります。私のHPのトップページの見出しにも入れてありますが、私は大袈裟ではなく、ここでの暮らしを底辺の国際交流と位置づけています。ブラジルの文化についても出来るだけ勉強しています。そして時には目をつぶり、手綱をゆるめています。ただ緩めっぱなしだと後が困る事もありますのでその辺はちょっと見極めが難しい所です。

和田:お話を伺っていると本当に日系ブラジル人がここ10年大過なく勤めさせて頂いているのは乙女さんご夫妻の暖かい指導と理解があっての事と感謝しております。日本における眞の日系ブラジル人の良さを理解して頂いているのは<底辺の国際協力>を実践しておられその内容をHPで公開しておられう乙女さんご夫妻ではないかと思います。本当に有難うございます。
ここらでブラジル側からの参加ということで日本に研修に来ていた日系ブラジル人の人柄に魅せられてブラジルに移住して来た工業移民の一人で工業移住者協会のHPを管理運営しておられる吉田文彦さんにお願いします。

吉田:ブラジルに来てサラリーマンばかりやっていた。クビになったこともある。忘れもしない1984年1月勤めていたヴィラレス製鋼所を首になった。家に帰り妻に首になったことを告げるとただ”そう”と言っただけで黙っていた。その晩ブラジル人の友達全員に電話をかけクビになったことを知らせた。日本人の友人には知らせなかった。ブラジルでは首になった場合出来るだけ多くの友人に知らせるのが定石だ。しかし、日本人はどのような反応を示すかわからなかった。クビになるなんてバカな奴と思われるのだろうか?
友達にばかり頼るのでなく、自分でも新聞の求人広告を見て履歴書を送ったりした。しかしどこからも面接に来いと言う連絡はなかった。もう40才を超えていたから難しいことは確かだった。一ヶ月ぐらい経過したとき、エムブラエル(航空機製造)に勤務しているウリシスという友達から電話があり、空きがあるから面接に来いと電話があった。ウリシスとは空軍省の技術研究所で1974年までいっしょに働いた。1974年彼はフォードに移り、1975年私はジェネラル・モータースに移った。そのとき以来彼には会っていなかった。
会社に行き面接、知能テストを受け家に戻った。3日で結果を連絡すると言われたが、10日経っても、何の連絡もなかった。そしてウリシスから電話があった。私はうれしくなり合格の知らせだと思った。ところがそうでなかった。私は不合格になったというのだ。その理由は知能テストに通らなかったというのだ。ウリシスは自分の課の社員の配置転換までやって空を作り私を入れようとしたのに知能テストに通らないとは何事かといって怒った。彼はこれからどうすればいいか考えるから時間をくれと言って電話を切った。しかしなにぶん大きな組織の会社であり、人事課の決定を覆すのはほとんど奇跡に近いことだともいった。私も知能テストに通らないなんてなんということだと思い悲しくなった。
そして一週間たった。ウリシスが電話をかけてきた。彼は笑いながら奇跡が起きたといった。かれは人事課に行き私の選考書類を全部見せてもらったという。その書類を分析すると、人事部長も技術部長も面接結果で私を絶賛していたという。そこでウリシスは両方の部長のところへ行き、2人とも面接で吉田を絶賛しておきながら、知能テストが通らないというだけの理由で不採用にするのは不条理で、新卒じゃあるまいし、少なくとも吉田のように実務経験の長い技術者には現在の知能テストは免除すべきだと進言した。両部長ともウリシスの見解に同意したのである。かくて私はエムブラエルに勤務することになった。
ここで私が思うに、こんな親切な友達が世界中のどこにいるのだいうのだ?
おそらくブラジルにだけだと思う。
でも彼は2001年の5月肺ガンのため逝った。私はブラジルいや世界で一番の友達をなくした。運命というものがあるのだと思った。

香西:吉田様の発言を聞いていて、ブラジルの方の友情の厚さに驚きました。
日本では、就職のお世話をするにしても、親戚か極く親しい友達に限られると思います。
二十数年前の職場の仲間が、自分の会社の人事課まで掛け合いに行くとは・・・。
そのような人情は、日本には残っていません。
人の世話をするにも、自分に何らかの利得を考えるのが日本の現状だと思います。
ウリシスさんは、昔の日本における「義理と人情」の世界、「一宿一飯」の恩義の世界を思い起こします。
そのような社会であればこそ、異国で頑張って来られたのだろうな〜と、思います。
また、ブラジル社会における友情・人情・義理について、お話し下さい。

MASAYO:義理人情の厚さ、本当にそう思いますが日本では義理人情がなくなったというより、そこまで個人の事情に入るのを遠慮するという面があるのではないでしょうか。ところがブラジルの方はその人のためにとことん見方になってあげるという理屈じゃない率直な親愛の情の示し方をされるようです。
ここにこそ日本とブラジルの違いがある気がします。

香西:MASAYOさんの云われる通りかも知れませね。
吉田さんが、失業のことを日本の友達に知らせず、ブラジルの友達に知らせたと仰っている点は、「やはり日本人だな」と感じました。
日本人は、自分を曝け出さない。
日本人が持つ「義理人情」は、どこかに無理がある。
その点、ブラジルの人の友情は自然な感情のようですね。
日本の無理のある「義理人情」が無くなるのは、当然なのかも分かりません。
現在の日本の若い人たちは、無理をしない。
したがって、古い日本人から見ると「人情がない」ように見えるのでしょうね。

吉田:ご意見有難うございます。義理人情という言葉でウリシスの行動を解明しようとされたことを感じ、驚きました。確かにあの当時ウリシスの善意の根源を解明しようと考え込みました。日本では洋画ばかり見て日本映画は観ず、日本にいるうちに義理人情などというものを体験しないうちにブラジルに来てしまい、ブラジルでもこれが義理人情だと教えてくれる人もいないまま今まできました。
私はその時までウリシスに特別に親切なことをした訳でもなく、普通の友達として付き合い、何も貸しを作ったわけではありません。ですから義理などなかったわけです。
ウリシスの行動を私は次のように解釈しました。ご承知のようにブラジルの人口の80%はカトリック教徒です。カトリックの教えに拠れば、人間は皆神の子で兄弟である。だから隣人を愛しなさい。と教えられます。(この場合の神とは宇宙の創造主としての全智全能の神で、あなたがたが信じている神とはちがいます)ブラジル人の思考の根底にはこのバックボーンがあります。隣人を愛すなどと言う言葉は理屈ではわかっても、なかなか理解できないでしょう。(日本のような温帯の国で熱帯が原産の米を主食とし何度も米が出来なくて飢饉のため大勢の人々が死んだ国では、隣人を愛せよなどと言う思想は育たないでしょう)ブラジルは食料があったのでそのような思想が定着したのでしょう。
次に考えなければならないのはブラジルは階級社会だということです。上流階級、中流階級、下層階級とはっきり分かれています。この3つの階級の間には対話がありません。各々の階級のなかでグループを作り助け合います。ウリシスの行動はこの2つの思想上また社会的な要因から出たと思われます。日本では80%が中流階級と言われ、キリスト教徒が5%以下だと言われていますが、そのような国の人にいくら説明してもわからないとおもいます。
ただはっきりしていることは、日本人は失業したこともなければ、新しい仕事をどのようにして探せばよいか知らない人が多いのではないでしょうか。その点ブラジル人はクビになることが多いので、どうやって仕事を探せばよいか心得ています。どこにどのような仕事があるか情報も豊富に持っています。

和田:カトリック的な友情論と日本的な義理人情で解明しようと試みた吉田さんの親友であり恩人のウリシースさんの行動が日伯のものの見方の違いを浮き彫りにしましたがこれまでで優に1万語を超えてしまった可能性がありますので新春座談会前半は、この辺で一旦終わらせて頂きます。皆さんご協力ありがとう御座いました。



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