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「あぁ、コンプレックス」 ノンフィクション作家 神山 典士さんよりのお便りです。
ノンフィクション作家の神山 典士さんには、浅草ロック座のブラジル親善慈善公演に同行された際にポルトアレグレ公演をお手伝いさせて頂いた関係で懇意にして頂いておりますが、折に触れオリジナルの公開前の原稿を送って呉れております。これまでに寄稿集70番目の【浅草ロック座ブラジル親善公演】、82番目【タイゾー タイゾー タイゾー】、131番目【生きること、演じることの後書き「決着の夏」】、170番目【いつか いつか 皆さんの秋は如何ですか】等を掲載させて頂いております。今回は、【あぁ、コンプレックス】100万冊販売を達成した『「超」整理法』等のベストセラーで知られる野口悠紀雄さんのコンプレックス?に付いてです。
写真は、神山さんの著書のひとつ前回訪日時に頂いた【北朝鮮にスマッシュ ピンポン・ミステリー・ツアー】の表紙を使わせて頂きました。


14:48 03/01/23
TheBAZAARExpress#25「あぁ、コンプレックス」
(この通信は、神山典士が書かなければ前に進めないものを読んで頂きたい人だけに送らせて頂くものです。長いので、お時間ある時にでもご笑覧ください)

新春如何お過ごしですか。今年も宜しくお願いいたします。
年末年始、物凄いコンプレックスと立ち向かうことになりました。
あぁ、コンプレックス。
人の輪郭は、何ができる何をしているというよりも、何がコンプレックスかで決まるのだと再認識させられる、私にとっては「事件」でした。
「それは私の−−−一種のコンプレックスと言っていいと思います」約一時間のインタビューの中で、その人は思いがけず「コンプレックス」という言葉を使いました。それは普通に考えれば、表現の間違いなのではないかとも思える部分でした。けれど彼は、間違いなくコンプレックスと言ったのです。「高校時代、何でもできてしまうこと。できてしまうけれど天才ではなかった事。それは私のコンプレックスでした。そのことを肯定的に考えられるようになるまでには、少し時間がかかりましたね」語ったのは、『「超」整理法』等のベストセラーで知られる野口悠紀雄さんでした。
折しもインタビューの日は、約10年かけて同書が一〇〇万部を達成したばかりでもありました。けれどその感想を求めても、この人はあまり嬉しそうではありませんでした。
東大の物理学部出身なのに何故経済学者に? などと問うてみても、「皆同じ事を聞きますねぇ」とシニカルに冷笑されてしまうばかりです。ところが話題を高校時代に振った時、初めて「体温」が感じられる言葉が出てきたのです。整理法が出版される前、ある新聞のコラムに彼はこう書いています。
「私が入学した高校は、異様な早熟少年(および少数の同女)の見本市みたいなところで、ある種の狂気が蔓延していた」
さぁ、この言葉を頼りに、彼のコンプレックス探しが始まりました。彼が進んだ高校とは、都立日比谷高校。しかも昭和42年に始まる学校群制度前の生徒です。はたしてどんな「狂気」があり、そこでどんな「コンプレックス」があったのか。年末年始の頭の中はそのことで一杯でした。
資料を見つけてみると、昭和31年入学の彼らの世代は四〇〇人中女子が一〇〇人。卒業時にはその中から一七〇人が東大に進んでいます。越境入学率は約8割。およそ世間の受験校とはレベルが違う存在だったようです。その中で−−−
「僕の印象では高校時代はさして明るいものではないんです。受験戦争の真っ只中で自殺する生徒がいたりしました。級友でも敵のような雰囲気もあって。でも野口君は別でした。受験勉強なんてできて当たり前、異星人のような存在でしたから」
「野口君は授業中も目を半眼にして、ノートもとらないんです。それでも授業なんかスラスラ頭に入ってしまう。文系も理系も素晴らしくできて、その上運動会でも駆け足が速いんだから、凄い人だなと思っていました」
同級生たちは口々にそんな思い出を語ってくれました。そしてインタビューの最後に私が彼のコンプレックスを問うと、二人は苦笑しながらこう言うのです。「それは僕ら落ちこぼれ組にはわからないものです。そんなコンプレックスがあったんですか。初めて知りました」
「それは徒党を組んでいた一部の優秀な男子だけが持っていたものではないですか。私にはわかりません」
とはいえ、この二人とて東大へ進み、一人は出版社の編集長に、一人は新聞社の論説委員を経て今は国立大学の教授をつとめています。他の同級生を見渡しても、内閣法制局長官、イタリア大使、国連大使、証券会社会長、新聞社論説員委員と、きら星のような存在が並びます。
そんな才能が群れる中で密かに持たれていたコンプレックス。何とも人はやっかいな荷物を持つものだと言う意外ありません。
けれどこれ以降の彼の歩みを振り返れば、様々な時点で「何でもできてしまう事への恍惚と不安」がその行動の基底にあったことが伺えます。
大学院時代、物理学から経済学に独学で転身したきっかけは、大手電機メーカーの中央研究所を見学した時にあると言いました。「研究者は皆狭い領域をコツコツと研究していました。一生あんなことはできないと思ったんです」。以降彼は経済学を学び始め、三カ月後には国家公務員上級試験に二番で通って大蔵省に入ります。ところがここでも彼は逡巡します。
「大蔵省は嫌いではありませんでした。ただ時間の制約がなければ。午後五時に帰れれば今も大蔵省にいたと思います。でも朝の五時はきつかった。他にやりたいことがあるんですから」
上司の「あと一年主計局に留まれば」という助言を振り切って、彼は文部省から埼玉大学に進みます。かの三島由紀夫ですら大蔵省中の大蔵省といわれる主計局の経験はありません。そのことも充分に意識しながらも、野口悠紀雄という存在は目の前の知の領域を三六〇度確保する時間と自由がないと気が済まないのです。
そうやってみると、52歳の頃に書かれた『「超」整理法』もまた、その恍惚と不安から産み出されたと言っても過言ではありません。学者が一般向けのノウハウ書を書く事。それはアカデミズムの中では禁じ手とも言われます。一度その領域に踏み込んでしまうと、学者村の中からはみ出すことにもなりかねません。けれど彼はそこでも踏み出してしまう。それこそが、コンプレックスの成せる技だったとも言えそうです。
振り返れば私の仕事は、人の業績を辿るのと同時に、その裏底にはりつくコンプレックス探しでもあります。ジャイアンツの清原がスランプのどん底ですするカップラーメンの味。漫画家の倉田真由美(だめんずうぉ〜か〜)が結婚出産離婚後に腹を括った自身の惨めな過去。全盛時の小室哲哉が最後の最後までこだわったヒット曲よりもスタンダード曲への思い。
傍から見ると理解不能とも思えるそんなコンプレックスこそが、その人の鉱脈なのだと光を当てること。そんなアコギな仕事なのです。
何でもできる恍惚と不安。そんなことをコンプレックスとしてしまう人間という名の生き物。面白い。面白すぎる。
野口先生には恐縮ですが、また一つ人間という存在に勇気をいただいた気分です。
このルポは二月上旬発売の「月刊潮」に掲載される予定です。
機会があったら見てやって下さい。
さて、僕自身のコンプレックスとは。
それを探しに、また街に出てきます。
神山典士
・ザ・バザール
・173-0001板橋区本町36-1-703
・03-5248-0811ファックス03-5248-0810
e-mail;MHD03414@nifty.ne.jp



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