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第5回バーチャル座談会 ブラジルのサッカーを語る!!(前編)
第4回バーチャル座談会はブラジルの政治経済を語るといった馴染みの薄い取り付き難いテーマでしたので今回は誰でも参加できるブラジルのお家芸サッカーを取り上げました。いつものメンバーに加え今回はブラジル在住のサッカー評論家として活躍しておられる沢田啓明さんにコメンテターとして協力頂くことにしております。沢田さんご自身から頂いた自己紹介をご披露して置きます。『山口県防府市生まれの広島育ちで、中学、高校とサッカー部でヘタながら右のウイングをやっていました。70年ワールドカップ・メキシコ大会の試合をテレビで見てブラジルサッカーの虜になり、86年にサンパウロに渡りました。以来、ブラジルサッカーを見続けており、数年前からブラジルサッカーについての記事を日本のスポーツ新聞や雑誌に送っています。』
写真は、日本のプロスポーツ写真家の北川外志廣さんからブラジルサッカ取材中に撮られたオリジナルの写真から選ばせて頂いており前編は矢張りブラジルを代表するこの人ロナルドの律動感あふれる写真を掲載させて頂きました。有難う御座います。


和田:今月はブラジルのお家芸サッカーをテーマに皆さんのサッカーに付いての感想、コメント等を頂きながらブラジルに住むブラジルサッカージャーナリストとして活躍されている今売り出し中の沢田啓明さんの適切な解説等を頂きながら楽しい座談会を進めて行きたいと思います。まずは、総論と云うかサッカーそのものに付いて常連のみなさんにサッカー観、サッカーに纏わる思い出等を語って頂きたいと思います。

桐井:私には野球よりもサッカーの方が面白いと思います。手を使わずに足と頭だけというハンディがあるのもこの競技を面白くさせいてるようです。如何にしてポールをうまく扱い少しでも長くキープしているかを見るのも興味関心がありますね。前半、後半と決して目が離せないのでトイレにもなかなか行けない状態の観戦となります。ひいきのチームがゴールした時の感動はすごく大きく年甲斐もなく歓声をあげます。
サッカーの醍醐味は何と言ってもワールドカップサッカーで、競技はもとより、多くのファンの応援合戦、とりわけ派手な騒がしいブラジルの応援団には驚かされます。現在の日本選抜軍のジーコ監督初め有名選手が日本でプレイしており、ブラジルと日本はサッカーの取り持つ縁も大きなものがあるようですね。

香西:皆さんのお話をお聞きして、ブラジルのサッカーに対する関心の強さ、生活に密着していることが良く分かりました。
サッカーのルーツをNetで調べたら、18世紀にイギリスで発祥し、やがて世界中に広まったようですね。
日本には1873年に英国海軍から持ち込まれ、その後日本全国に広まり、1899年、神戸の御影師範に初の日本人チームが誕生し(またまた神戸・・・^.^)、1921年に「大日本蹴球協会創立」とのことです。
ブラジルにおけるサッカーの始まりは何時頃か分かりませんが、色々の国の人達が移住したときから大衆スポーツとして定着し、親しまれて来たのでしょうね。
相撲は日本の国技ですが、大衆スポーツではありません。
私が子供の頃、全国の小学校に相撲の土俵がありましたが戦後間も無く撤去され、学校に用意されたのは野球道具でした。
相撲は日本の国策、野球はアメリカの指導だったのでは無いかと思っています。
今の日本人は、各種のスポーツを楽しんでいます。
特にサッカーは大衆スポーツとして親しめる要素が多いので、やがて野球を凌ぐと思います。
学校の体育授業で、サッカーはやっていますが、野球はやっていません。
ブラジル人のジーコ監督が誕生し、日本のサッカーが飛躍的に発展することと、日伯の友好がより深まることを願っています。

和田:桐井さん、香西さんのお話の中には日本の選抜軍の監督に就任したジーコ監督への期待感が伺われますが、最近『ジーコ 新たなる挑戦』を出された沢田さんにその辺のところと香西さんが知りたがっておられるブラジルのサッカーの歴史を簡単にご説明頂けますか。

沢田:まずジーコ新監督に付いてですが、ジーコは、心底、サッカーが好きな人です。父親がポルトガル人で、一般のブラジル人と比べて真面目で落ち着きがある反面、やや明るさに欠ける(つまり、クライ)と言えるかもしれません。
監督としての経験はほとんどありませんが、鹿島アントラーズを一から作り上げており、いかにして強いチームを作るか、いかにして良い選手を育てるか、に関しては名人だと思います。ただ、サッカーには相手があり、ジーコだから絶対に成功する、と言い切ることはできません。ジーコが日本代表の監督として成功するかどうか、すべてはこれからであり、ジーコのチーム作りと選手起用、試合での采配などをじっくり見守ってゆきたいと思っています。
次に香西さんのコメントの中にあるブラジルサッカーの歴史ですが、少し長くなりますが簡潔に日本との繋がり等も見ながら話して見たいと思います。
近代サッカーのルールは、1863年にイングランドで定められています。そして、大英帝国の軍人、船員、教師、ビジネスマンたちがサッカーボールを携えて海を渡り、世界各国の港町などでボールを蹴ってサッカーを普及させたというわけです。
南米においては、まずアルゼンチン、続いてウルグアイにサッカーが伝わりました。ブラジルの場合は、チャールズ・ミラーという英国系ブラジル人が英国に留学した際にサッカーを知り、1894年にブラジルに帰国した際にサッカーの用具一式を持ち帰って当時サンパウロにあった英国人用のスポーツクラブの中にサッカークラブを作ったのが始まりとされています。その後、サンパウロ、リオなどにサッカークラブが続々と創設されたのですが、ブラジル人はすぐにこの新しいスポーツに夢中になり、1920年にはブラジル全土の15の州でリーグ戦が行なわれています。そして、ヨーロッパ系の選手だけでなく黒人との混血の選手や黒人選手が出現するようになり、また1930年代前半にはプロ選手が誕生して飛躍的にレベルが向上しました。
ご存知の通り、ワールドカップには1930年の第1回ウルグアイ大会から参加しており、1938年のフランス大会で3位となって世界のサッカー強国の仲間入りをしました。そして、第二次世界大戦をはさんで1950年に地元でワールドカップを開催したのですが、最終戦でウルグアイにまさかの逆転負けを喫して準優勝。しかし、1958年のスウェーデン大会でペレ、ガリンシャらを擁して悲願の初優勝を成し遂げ、その後、1962年、1970年、1994年、2002年と計5回優勝しているというわけです。
ブラジルサッカーと日本サッカーが最初に接触したのは、1967年にサンパウロの名門パルメイラスが来日して日本代表と3試合を行なったときだろうと思います。技術では大きな差があったようですが、日本代表は第2戦に1対0で勝って1勝2敗の戦績を残しています。また、1960年代後半にネルソン吉村というブラジルの日系二世が日本リーグのヤンマーでプレーし、その後、大勢の日系やブラジル人の選手が日本でプレーするようになります。その延長線上に、ジーコら大物ブラジル人選手のJリーグ入りがあったと言ってよいでしょう。

和田:判り易い解説有難う御座います。私のブラジル生活より少し先輩にあたる山下さんのブラジルサッカーとの繋がりを聞かせて頂きたいですね。

山下:ブラジルのサッカーで非常に興味深いのは、ワールドカップの準決勝や決勝に残ると国中の商工業が休んで、車通りも途絶えてしまう。この熱中度は何でしょう。この様な光景はアメフトの米国、野球や相撲の日本にも見られませんね。こと日伯の文化交流に関して言えば、今までのどの試みよりも、ブラジルからのサッカーを通じての交流は影響度が高いですね。これでやっとブラジルの印象はアマゾンとコーヒーから抜け出して、サッカーが加わったように思えますし、日本人にサッカー競技のかけひきと応援のやり方を一から教えたように思います。
先日シュラスカリアに行ったら「ロマリオが居る」とコソコソ話している人がいるので、「どこに」と聞いたら、背中合わせの後ろにいました。ブラジルは有名選手も気さくで良いですね。
まだロナルジーニョがそれほど有名ではなかったとき、バルセローナに仕事で行くと言ったら、息子にロナルジーニョのユニホームを買って来てくれとたのまれ、良くわからないからクラブにスペイン人の輸送業者と一緒に行って、本人がいたのでユニフォームにサインしてもらったこともありましたが・・・

和田:ブラジルに長年住んでいたらサッカーとの繋がりがないと言える人の方が少ないのではないかと思います。私も日本から帰国の際にラーモス選手と隣り合わせになったり飛行機の中では選抜軍を含めて遠征中の有名選手と乗り合わせる事が何度かありましたが、自分のマネージャーになり日本のチームへの移籍話を具体化して欲しい。できたら一緒に日本に来てほしい等冗談話の域をでた真剣な依頼をうけ困惑した経験もあります。MASAYOさんはどうですか。

MASAYO:サッカーにはあまり関心がなかったのですが、いつもTeaBreakさんが掲示板でサッカーのことをよく書いておられたのをフォローしたり、なんと言っても昨年のワールドカップで少しはその楽しさがわかった気がいたします。といっても私のサッカーの知識はミーハーの域をでないのですが(たとえばベッカム様ですが、イングランドチームが神戸に近い淡路が宿舎だったのでよく神戸に出没されていたようです。私の住まいのすぐ近くのホテルにもトレーニングに現れたとかなんとかでもう大変な騒ぎでした。)昨年はネットの世界でも現実の話題でも大いに楽しみ期間中は熱狂しました。子供がよく試験前だというのに夜中の試合をTVで見ていたのをよく叱ったりしていたのですが、なるほど熱中しますね。ブラジルチームもやはりさすがの強さでした。最後の折鶴が舞う中でのカフー選手が持つカップにかわるがわる口付けをするのを見てそのうれしさが伝わってきました。やっぱりブラジルが世界一でしたね!ブラジルの子供たちは小さいときは公園で遊ぶといえばサッカーをするのでしょうね。妹がイギリスにいたときに遊びに行ったのですが、広い公園で本当に小さい子供たちまであっちでもこっちでもサッカーに熱中していました。

和田:MASAYOさんのお話にあるTeaBreakさんに一言お願いします。

TeaBreak:MASAYOさんに背中を押されてお邪魔いたしました。神戸のTeaBreakと申します。
そうそう,サッカーといえば,ヨーロッパのクラブで活躍するブラジル人選手たちのプレーをいつも楽しく見ております。日本でもおなじみの「3R」のような前線で派手な見せ場を演じる選手もいいですが,今スペインにいるマウロ・シルバやマルコス・アスンソンのような,ボランチとして堅実な守備から攻撃の起点まで多彩にこなす選手が面白くて好きです。でもこうやって名選手が次々とヨーロッパへ渡り,ブラジル代表がほとんど海外在住の選手になってしまうのを,地元のファンの皆様はどんな気持ちで見つめていらっしゃるのでしょうか。選手にとっては憧れの華やかな舞台であるヨーロッパのクラブも,地元ファンにとっては選手を引き抜く憎い存在だったりするのでしょうか。今シーズン(ヨーロッパ)終了後,つまり7月くらいからJリーガーでしたっけ。横浜Fマリノスに移籍することになってたハズ。久々の超大物です♪
どうしても現在のJリーグの資金力では,元大物か将来の大物が精一杯で,まあそうして通過点とされることも悪くはないのですが,一時期,ドゥンガ,レオナルド,ジョルジーニョ,サンパイオ,等々と勢揃いしていた時と比べると,最近はなんだか寂しくて。これが新たな流れになればJリーグもまた活性化されて楽しみです。

和田:TeaBreak さんよりサッカーに付いては玄人肌のコメントを頂きましたが余程サッカーがお好きで観戦しておられるのでしょうね。マウロ・シルバやマルコス・アスンソンのようなボランチとしての多彩な選手が面白く好きだとのこと。カフーのJリーグへの参加により日本に再度大型ブラジル選手が戻って来てJリーグが活性化するのではないかとのコメントも時宜を得ているようですね。
ご指摘のように昨年のW-杯でブラジルの代表として活躍した「3R」始め殆どの選手が海外でプレーしておりブラジル国内選手は海外流失の予備軍と云えます。これは経済格差に基づくものでブラジル国内のクラブ経営は非常に困難な局面を向かえておりリオの名門チーム往年のガリンシア、ジャイルジンニオを排出しタボッタホーゴの二部リーグ落ちに象徴される様に優秀選手を育て海外に放出する以外にクラブ経営が成り立たない所まで来ています。地元ポルトアレグレの名門チームインテルナシオナルの昨年の副会長のペレス・フランサさんは読売新聞の記者に「外国から買い手が付かない選手は悪い選手である。買い手が着けばどの選手でも売却する。ドイツに移籍した選抜軍のルーシオ選手一人を手放した移籍金でクラブ経費の半年分の稼ぎ出した。日本への売込みを手伝って欲しい」との発言を取材しておられますがこれがブラジルの現状だと思います。2006年のドイツ大会では優勝チーム枠が無くなりブラジルも南米予選に出場しますが予選では海外組みを自由に召集できない事情もあり2年に跨る長帳場、本大会以上に苦しい戦いになりそうです。現在のW-杯は、国籍でその国の代表を縛っておりブラジルは普段は高給選手を国内に留めて置く資力はありませんがW-杯にはブラジル国籍を保持している限り全選手海外組みでも一銭も払わずに正々堂々と海外組みを召集し昨年のようなドリーム・チームを形成できる。国内の我々は次代を担う優秀選手を育て世界に送り出すのが役割と心得ています。私の贔屓チームであるインテルナシオナルは、現在では仇敵グレミオに押され気味ですが、昨年のルーシオ、日本でも有名になったファルコン選抜軍の監督、ヅンガ、94年のGKタファレル、少し前に戻るとパウロセザール・カルペジアニ(フラメンゴの監督としてトヨタ杯に優勝)、バチスタ、カサパーバ、クラウヂオミーロ、ヴァルドミーロ等懐かしい名前が次々思い浮かびます。1億6千万人と言われるブラジル人は皆このサッカー選手予備軍で運動神経の発達した若者は一度はサッカーのプロ選手を目指す国柄でボール一つで22人が遊べる貧乏人のスポーツ?サッカーは国民性にあっているようでこの経済格差の存在と世界市場が存在する限りブラジルサッカーの世界制覇の構図は変わらないのでは無いかと思います。優秀選手への市場が狭隘になりブラジルが経済的に先進国に入りガッツ精神、ドリーム精神が失われた時にはブラジルサッカーの終焉がくるのではないかと思いますがそのような時代が何時くるのでしょうか?

TeaBreak: ヨーロッパでは巨額な放映権料などのスポンサー収入によって選手の年俸や移籍金が高騰し,しかしそんなバブルを皆が維持できるはずもなく,スポンサーが倒産してしまえばとたんに選手への給料未払いなどが起き,クラブの経営も破綻します。
試合で戦う前に経営危機と戦わねばならないチームが増えるのは,南米だけではなく世界的な問題のようです。
でもそんな巨大放送メディアのおかげで,日本でも世界中のゲームが見られるのではありますが。今朝もレアル・マドリー対ベティスの試合をライブで楽しんでました。アスンソンも随所で巧プレーを見せてはいたものの,結局自力に優るマドリーに圧倒されてしまいました。レアル・マドリーはまさにビジネスとしてのクラブサッカーの勝者みたいな存在ですが,じゃぁそんなスーパースター集団なら全くの無敵かというと,そうでもないのがまたサッカーの面白いところですよね。マドリーの選手一人分の資金で全選手がまかなえてしまうような小さいクラブでも,ホームのサポーターによる熱い声援の力で強豪を倒してしまうのがまたサッカーの醍醐味です。
それにしても,まだ南米や欧州の域には達していないとはいえ,世界の共通語としてのサッカーに日本がこれだけ馴染めるとは,10数年前には考えなられないことでした。まるでインターネットの普及のような大変革ですね。そんなこのサッカー後進国を日本リーグの時代から育ててくれたのは,南米ではブラジルから,欧州ではドイツから来られた選手や指導者達でしょう。
そんな二国が日本の地でW杯初対決を決勝で飾ったのは実に感慨深い巡り合わせでした。もちろんJリーグの大ブームを巻き起こしたのはブラジルにゆかりのカズやラモスであり,それまで韓国以外の東アジア諸国にも苦戦していた日本代表を,ようやく韓国や中東の強豪と互角に戦えるレベルに上げてくれたのも彼らでしょう。
彼らに憧れた子供たちが今日本を世界の舞台に立たせる所まで育ってきました。

和田:TeaBreakさんがおっしゃる【試合で戦う前に経営危機と戦わねばならないチームが増えるのは,南米だけではなく世界的な問題のようです】は、現在のサッカーの現状を言いえていると思います。それでの巨額の投資と労力を要した日韓共催W杯を黒字収めた日本のサッカー協会の経営は見事ですね。大いに日本の宣伝に役立ったのではないかと思います。

MASAYO:皆様のお話を聞かせていただき、アジアの国々のサッカーに対する姿勢を思い出しました。今までの歴史からいってもこの国には意地でも負けたくないというのがあるのですね。街頭のインタビューでもあまりにその国民のその試合にかける熱意が違うのに驚かされたりしました。また本当に日本のサッカーは”かず”からでしたね。ブラジルをはじめヨーロッパのサッカー先進国から日本のJリーグは育ててもらったのですね。たかがサッカーされどサッカー、お話を伺い胸をつまらせている感激屋の私です。

和田:71歳で現役プレヤーとして活躍されている大分の川辺正行さんのご発言です。

川辺:サッカーの声を聞いて出てきました。71歳の現役プレーヤー、九州は大分の60歳以上のサッカーチームで、ボランチをやっています。
写真は、昨年9月に別府市でやった、韓国ソウル特別市の60歳以上のチームとの定期親善試合の1コマです。毎年1回行ったり来たりでやっています。後方で銀パンツをはいているのが私です。赤パンツは60歳代、銀は70歳代、金は80歳代と、パンツの色で年代の目安としています。黒パンツは韓国チームです。
私は、1974年7月から1975年2月まで半年間、技術指導にSantosに行っていました。ちょうどPeleの引退の前後でした。SantosやSt.Pauloでサッカー観戦を大いに楽しみました。
ブラジルに行って初めて、サッカーというスポーツがどんなにメジャーなスポーツかを知り、驚くとともに、自分もサッカーをやってきたことを誇りに思うようになりました。
半年間滞在していたサントスの浜辺では、子ども達が、砂の上に人数に合わせて大小さまざまな線をひき、ビール瓶をゴールポストにして、裸足でサッカーを楽しんでいました。子ども達は、前の晩Peleが見せたスーパープレーを再現しようと、みんな一生懸命なのですね。上達が早いはずです。
まだオムツの取れない子どもが、お父さんにボールを転がしてもらって、それを蹴っている姿も見ました。

桐井:シルバー・サッカー・ボーイの川辺さん早速、「日・伯バーチャル座談会」のご発言有難うございました。「写真は、昨年9月に別府市でやった、韓国ソウル特別市の60歳以上のチームとの定期親善試合の1コマです。」とのこと。お元気で現役プレーヤー、大変結構に存じます。益々のご活躍を!

小林:いやあ、ビックリしました。71歳のボランチとは。確かに今の世の中では、まだまだ若いはずなのですよね。画像を拝見して、なんとも感動致しました。

川辺:皆さんに歓迎していただいて、ありがとうございます。
金パンツ組は、すでに、我がチームにも2人おります。九州全体で3〜4人おります。85歳以上は最も高貴な色とされる紫パンツなのですが、西日本の60歳以上の大会で、3人お目にかかりました。上には上があるものです。
私たち60歳以上のサッカーは、20分ハーフで、選手交替全く自由です。安全のため、ショルダーチャージ及びスライディングタックルは禁止です。
毎年西日本各地で、多数の大会が催されています。

和田:ブラジルでもヴェテラーノ(ベテラン)のサッカーは、往年の有名選手等が集まり前座試合または正月興行のような形で行われますが川辺さんが参加しておられるような組織だったしっかりした規則に基づく大会等はありません。それにしてもシルバーパワーはすごいですね。川辺さんのチームにも金色のパンツの方が2人もおられるとか。その上の紫パンツ85歳以上の方も大会に参加しているとの事、驚嘆します。川辺さんも是非若い頃ブラジルで鍛えた足で紫パンツになってもボランチとして参加して頂きたいですね。試合そのもの勝ち負けより参加する喜びが大きいでしょうね。頑張って下さい。(後編に続く)



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