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【かずさんを偲ぶ!!】
いつもお世話になっている大分県の桐井さんより『先程、弟さんから「兄 一也は病気入院しておりましたが、この四月三日容態が急変し帰らぬ人となりました。」との訃報が入りました。』との通知を受け驚愕と強い衝撃を受けております。かずさんこと中山一也さんとは、直接お会いしたことはありませんが、いつも私たちの40年!!に書込みをして呉れていました。HPを通じてのお付き合いでしたがかずさんの発言、励ましの言葉等のかず語録を掲載してかずさんを偲びたいとおもいます。ご本人のお写真があればと思いましたが、今年1月10日に公開されたHPのなかからご自宅で丹精されているクレマチスの花をお借りしました。【クレマチスは春から初夏そして秋まで咲き誇る四季咲きの清楚な花
です。私は数年前から栽培していますが.楚々とした美しさと剪定の手法で興味が尽きません。】中山一也


こんにちは、いつもお世話になります。PC初心者で、操作がよくわからないので,詳細見る事出来なかったのですが,外務省による経費節約のための領事館閉鎖は、米デンバーのような新設、不急不要な領事館を閉鎖し,南米のように在留邦人が多く、出稼ぎ、ビザの発給などのため、ぜひ必要な領事館は閉鎖すべきではないと思います。 近年・ストを殖やすため,多くの在外公館を新設したそうで、過剰になっているはずです。不祥事から目をそらすための便法でしょう。
投稿者: 日付: 13-09-2002 05:07


和田 好司 様
貴乃花の復活見事です。今日の朝青竜との力相撲の投げ飛ばしは実力ですね。 ところで、・ルトアレグレ総領事館が閉鎖の候補に上がっているとのことですが,恐らく外務省機密費問題のとばっちりをお受けたのでしょう。 しかし,常識的に言っても、南米のブラジル、ペルーは移民の歴史が古く、日系人および在留邦人が多く、また、近年の母国への出稼ぎで,旅券、査証など実務上の必要度が非常に高いフで閉鎖の対象としては不適当と考えられます。 どういうわけか、近年、在外公館の数は急増しているそうです。この中には不急不要な公館が含まれていると言わており、減らすなら、これらの中には淘汰すべき対象があるはずです。 最近、機密費を私用に流用して懲戒免職になった,水谷総領事がいた、在米デンバー総領事館もサンフランシスコ総領事館から分離新設されたそうで、ブラジル南部二洲と比べて、とても緊急度が高いとは思われません。今まで,国民にあまり知られる事がなかった外務省や在外公館が,不祥事を契機に,一般の関心事になりました。この問題が日本の新聞紙上に取り上げられれば、キャンぺインとしても非常に有効と思われます。
投稿者: 日付: 19-09-2002 09:04


和田 好司 様
参考文献(在外公館削減) 外務省の権力国「 歳川隆男著 上智大英文科卒(フリージャーナリスト)講談社発行 販売部 Tel  03ー 5395ー 3624 (抜粋) 組織改革と言う点では,大使館,総領事館など在外公館の大幅な整理統合,つまり在外公館のリストラがその改革課題である。外務省はこの大きな課題に目を向けたがらないが,在外公館のスリム化は今や世界的な流れであり、外交活動における無駄を省き、外交の効率を上げると言う意味からも、外務省はこの課題に早急に取り組まなければならない。 日本の在外公館の数は,現在大使館115,総領事館66,政府代封狽Vの計188にのぼり、そこに約3090人の外務省職員が勤務する。そして毎年ニ、三箇所のペースで在外公館が新設され,豪華版の大使館や大使公館の新改築も続いているのだ。 こうした在外公館の現状について,まず指摘できるのは,世界の体制に逆行する拡大指向だと言うことである。冷戦終結語の世界では,緊張緩和と経済のグローバル化が進む中で、民間主体の経済外交のウエートが高まり,政府間外交の比重は相対的に低下している。そのような状況下で、多くの国が外交落Zの削減と在外公館の縮小に努力を傾けており,日本の外務省とは正反対に,今や小さな外務省が世界の主流になりつつある。 たとえば米国では、連邦落Zに占める外交落Zの比率が,60年代の40%から,90年代末の1%へと大きく低下。また,英国は90年代の10年間に外交落Zを15%削減し、ロシヤも過去10年間で外交落Zを40%も縮小したと言う。中国は98年から,在外公館の人員を半減させるリストラ計画を推進。韓国も97年の金融危機以来在外公館を縮小している。 縮小傾向の世界各国と拡大傾向の日本外務省。この対比は日米の総領事館についてみると一層はっきりする。米国国務省は,99年に横浜と神戸の総領事館を閉鎖し,現在日本にある米国の総領事館は札幌,名古屋,大阪,福岡,那覇の5箇所に過ぎない。 これに対して,外務省が米国に置く総領事館はニューヨーク、シカゴ、ロスアンゼルス、ヒューストンなどの主要都市から、アンカレッジ、グアムなど僻地まで17ヶ所に及ぶ。いくら米国が広大でも,日本人があまり居ないアンカレッジやカンザスシテイまで総領事館を置く必要が果たしてあるのか。 しかも邦人保護や,現地進出企業へのバックアップなどでは,在外公館の面・見の悪さが批判の的になっているばかりではなく,駐デンバー総領事の公金横領事件にみられるように、在外公館が不祥事の温床になってきた。在外公館の領事部門や要人への便宜供与などではかなりの部分で民営移管が可狽ニする指摘もあり,在外公館のスリム化は時代の要請といえる。外務省は在外公館の思い切った整理,統合に取り組み、国民世論に答えるべきでだろう。 (目次) 機密費スキャンダルの衝撃  裏金機密費  田中真紀子と争乱 外務官僚の生態  日本外交の・リシー  日米の転換点  情報不在の日本外交多発テロ後の戦略  外務省改革はいかにあるべきか
投稿者: 日付: 22-09-2002 23:19

2008年にはブラジル移民100周年を祝うにあたり、現地総領事館の存在は、大きな支えとなることから、閉鎖するにしても、2005年でなく、この100周年を見据えてその祭典の後にするとか、在留邦人の感情を逆なでし、祖国から見捨てられたとの気持ちを移民100周年を迎えるのあたり持ちたくないとの心情もあります. 以上、ブラジルの和田好司さんのコメントです。世界4月号特集によりますと、長野県松本市にブラジル政府公認のニッ・ラチナ学園があります。田中康夫知事とカナブラーブ駐日ブラジル大使が視察に訪れました。田中康夫知事は、ブラジル人の学校支援については,地方自治体が直接支援することは困難だが、フアウンドを作ったり,NPO支援と言う形で手伝う事が可狽ニ説明ました。 ブラジル移民の歴史を振り返りますと、1908年第一回ブラジル契約移民781人が かさと丸 でサントス港に上陸しました。戦前約19万,戦後約6万人の日本人が移民としてブラジルに渡りました。現在ブラジル日系人は世界最多で約150万人を数えています。また、移民国家であるブラジル人は多くの民族文化をもつ人々とともに育ち,多文化社会の素晴らしさを身につけています。 ブラジル人子女が日本に来て抱える問題は多い。・ルトガル語学習,帰国後のブラジル学校教育への適応問題。言語と文化の違いによる日本の学校への適応の問題。日本の高等学校,大学への進学システムなど山積みである。 元ブラジル副領事フォンテネレ氏著「在日ブラジル人 二国関係の人的絆」の中で、日本の大学への受験戦争が幼稚園から始まる環境では、ブラジルと同様に教育を通じて将来の目標が達成される事は難しいと述べている。 サン・ウロ大学法学部二宮教授は、かって日本移住者の子弟は、ブラジルの学校に問題なく受け入れられ,多くは最高学府を出ることが出来ましたが,同様の現象が日本で起こりうるか疑問です。 日本は今後も外国人労働者の導入が不可避です。教育には想像以上の多様性がもとめられます。民族系学校,夜間学校など存在意義を前提にした教育制度が考えられなければならない。ニッ・ラチナ学園は日本の教育へのありかたについて一つの提言であります。 南米各国は日系人に分け隔てない教育のチャンスを与え、多くが,最高学府を出て,社会で頭角を現し、フジモリ大統領のように一国の宰相まで輩出しました。日本政府は今こそ、各国の日系に対する厚遇に報いるべき時ではないでしょうか。
投稿者: 日付: 26-09-2002 14:11

戦後のブラジルで,日系人が勝ち組,負け組に分かれて、対立したということはよく知られています。ペルーでは戦時中、日系人が、米国に強制連行され,隔離されたり, 米国本土では、日系人の強制収容など、第二次大戦は海外日系移民に深い傷跡を残しました。10月1日付の朝日新聞神奈川版は次のように報道しています。 海外邦字紙と日系社会展覧会が横浜市中区の日本新聞博物館で始まった。1868年に海外移民が始まって以来,北米、ハワイ,中南米、アジア,ヨーロッパで発行された約50の邦字紙を展示。海外移民の生活ぶりや,現地で新聞が果たした役割を伝えている。 アメリカ、ャ泣gレークシテーで,14年から91年まで発行されたユタ日報は,戦時中も発行が許された数少ない邦字紙で,強制収容所にいた日系人にも読まれたと言う。ブラジルの日系社会は、戦後,日本の敗戦を信じない,勝ち組みと,現実を見ようとする負け組みに分れて争った。 負け組みの立場で報道したサン・ウロのパウリスタ新聞は現在もニッケイ新聞として存続、その一方で,勝ち組み新聞は消えていった経過が説明されている。情報が乏しかった移民のための手書き新聞から,この10年ほどに登場したカラー紙面までを見れば、海外での日本人の生活の移り変わりがよく分る。11月3日には海外邦字新聞の発行者を招きシンボジュームを開く嵐閧ナある。
投稿者: 日付: 03-10-2002 15:52

九暑纓「浜沖で、アメリカ艦隊を包囲し60隻撃沈、300隻は白旗を掲ぐ。豆満江付近で・A軍16万を包囲し、6万を全滅させ、ウラジオストックは火の海。英国は既に降伏した、 米国は降伏遅延の模様。日本が降伏、敗戦と言うニュースは、アメリカのでっちあげデマで、真相は日本の大勝利である。 噴飯ものですが、ブラジルのカチ組新聞の敗戦時のニュース報道です。 カチ組、マケ組の抗争は、激烈を極め、カチ組の暗殺団により拳銃で射殺されたマケ組指導者は23人に上り、抗争は終息まで諸Nも続きました。カチ組の機関紙「旭号」が・折れ矢尽きて廃刊したのは1956年、実に戦後11年目のことでした。 そのうちに、カチ組は、大東亜戦争はアジアの解放と言う目的を果たしたのだから、戦争には勝ったのだと主張して、歴史認識に切りかえた。「日本は侵略戦争をしようとして戦ったのではない。むしろアジアはそのお陰でヨーロッパの植民地支配からほどんどの国が独立した。」 これはブラジルの勝組み指導者の発言ではない。細川内閣の永野法務大臣と、羽田内閣の桜井環境庁長官の発言である。この発言で二人は大臣の椅子を失ったが、歴史認識で、両大臣とブラジルの勝ち組みがほどんど同じだと言うことに驚かされる。(ブラジル日系社会を揺るがせた諸N抗争)大田恒夫著 (10月29日付け桐井さんの掲示板から)
投稿者: 日付: 31-10-2002 11:48

充実したHPで、維持管理も手間がかかるでしょうね。kirii先生のページにも長文のコメントを寄せられるし、相当のお時間を割いていらっしゃるわけで、忙しいお仕事の合間によくと、感心しています。また、長く日本を離れられているのに、達意の日本語の文章にも敬服しております。では また
投稿者: 日付: 21-12-2002 02:30

上記の通り昨年の9月18日に始まり最後の書き込みが12月21日となっており今年の1月10日にHPを公開されたとの知らせを受け早速訪問し下記書き込みをしました。

桐井さんに教えて頂き早速アクセスさせて頂きました。
中々の力作で準備に大変だったと思います。これからも時間を掛けて皆さんに喜ばれるHPに育てて行って下さい。
ちょくちょく訪問させて頂きます。またひとつ『私たちの40年!!』の日本での業務提携先が出来たような気持ちになり嬉しく思います。今後とも宜しくお願いします。

新しいIT時代のさり気無い邂逅とその後の友情から厚情、キイボードを通じての心の触れ合いとその別れ、これからも起こり得るこのような辛い出来事にどのように対応していけばよいのか大きな戸惑いと悲しさを噛締めております。かずさん安らかにお休みください。合掌。



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