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『ブラジル移民』 戦後40年の旧トップページの保存(3)。
『私たちの40年!!』HPは、これまでに3000回達成の9月16日と12345回達成の2月22日にトップページを書換え更新しております。今回5月11日の着伯41年記念、『私たちの40年!!』HP公開1周年記念に当たり書き換え更新する事にしました。一つの記録としてこのTOP PAGEを寄稿集に残して置きたいと思います。
ペーパークラフトモデルシップ展示会が大阪の交通科学博物館で6月22日から2ヶ月間開催されるとの事、移民船27隻の勢揃いとの事で考えるだけでもわくわくします。写真は、この展示会に展示されるペーパークラフトモデルシップのあるぜんちな丸です。


『ブラジル移民』 戦後40年の記録

私たちあるぜんちな丸第12次航(1962年5月11日サントス港下船)の同船者681名は、平成14年5月11日で40年を迎えました。当時のあるぜんちな丸第12次航の船内新聞「さくら」の編集責任者をしていた私と船内ニュース班の仲間として手伝って呉れた編集員が中心になり船内新聞の40年後の特別号、号外の形で戦後40年の移住史の一部を皆で書き残そうとの企画が持ち上がり、出来れば印刷、出版もと考えていましたが、時間的な問題、資金面の問題もありせめて寄稿して頂いた貴重な記録、原稿を大事にし、書き物にして後世に残して置きたいとの切なる願いから、当時のガリ版刷りの船内新聞の一部、黄色くなった名簿、懐かしい写真等を文明の利器パソコンを使い資料のDIGITAL化による保存を考えついた次第です。これらの無形に近い数多くの資料、写真等を我々同船者全員の資産として共有し、後世に残して行く事、民族の移動、移民、移住問題、個人の人生の選択等に関心を寄せる人達、特に海外に夢を馳せる若い人達に読んで頂ければとの気持ちでホーム・ページを開設しました。HP正式公開後8ヶ月経った今年の1月11日には10000回のアクセスを記録し、2月22日にはキリバン12345番がヒットしており、ホーム・ページのトップページの一部書き換えを実施することにしました。基本的には同船者681名の戦後移住者としての生き様を書き残して行くという大要は変わりませんが今後はあるぜんちな丸で着伯した多くの仲間、ひいては戦後移住者全員、移住と直接関係の無い日本企業短期派遣社員、留学生、研修生、旅行者と幾らかでもブラジルと繋がりの出来た多くの方にブラジルを語って頂き日本の皆さんで少しでもブラジルに関心を持ちブラジルを知りたいとのお気持ちを持たれた時には『私たちの40年!!』にアクセスすればその目的が果たせると云った総合『ブラジル学?』のサイトとして育って行けばと念願しております。

『私たちの40年!!』は、近い将来同船者の現地移住国で教育を受けた準2世の仲間、私たちの子供達が引き継ぎポルトガル語、スペイン語で私たちの歴史を書き継いで行ってほしいと念願しておりますが、現段階では、日本語を中心としたホーム・ページとして纏めて行く積りです。私たちの書き残す記録が何時の日か我々の子孫がそのルーツとしておじいちゃんたちが残してくれた財産として引き継いで呉れる事を期待しています。あるぜんちな丸第12次航の681名の同船者がブラジル、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチンの4ヶ国に入植しました。志し半ばで亡くなられた方、家庭の事情で帰国せざるを得なかった方、移住国に拠点を置きながらも現在は、日本に働きに出かけている方、40年間、最初の入植地に居座り営農に従事している方、国内移動、国外への転住者、それぞれの皆さんの40年の歴史があります。各個人、各家庭、各移住地の歴史を一人一人が書き残す事により戦後40年の歴史が浮き彫りになって来るのではないでしょうか。 同船者皆が語り、書き残していく『私たちの40年!!』も多くの同じあるぜんちな丸で移住して来られた人達、戦後色々な形態で移住して来られた人達、移住とは直接関係のない短期駐在員、留学生、研修生、旅行者、果てはまだブラジルの土を踏んだ事のない多くの人達からの寄稿、暖かい書込み、励ましを受けており、我々同船者だけでなく多くの日本の皆さんにブラジルと日本を繋ぐ絆としてまた祖国日本を遠く離れた地球の反対側に住む私達の戦後41年の歴史を通じての赤裸々な生き様を知って頂く手段としての『私達の40年!!』HPは、貴重な存在となって来ております。

『私たちの40年!!』の映像化も、同船者の篤志家の寄贈を受け、コロニアの著名な記録映像作家の岡村 淳さんの協力を得て『40年目のビデオレター』という映像による同船者の皆さんの現況を記録に残す企画もあり、既に昨年1月に北伯編としてベレンで下船された31名の同船者の皆さんを訪ねる旅を実施、第一部アマゾン編として完成しており、昨年5月12日の『40年の集い』に披露され多くの同船者に感動を与えました。出来るものであれば今後もボリビア、パラグアイ、アルゼンチンに入植された同船者、日本に帰国または働きに行っておられる同船者の皆さん、トメアスー移住地だけでなく、リオのフンシャル移住地、グアタパラ移住地等現在も最初の入植地で頑張っておられる同船者、炭鉱離職者、花嫁移民、野球移民、産業開発青年隊、コチア移民と話題性に富む同船者のその後の様子等、映像記録等も残して置きたいと思っています。
昨年、5月12日には物故者の霊を弔う慰霊祭と生きている我々の喜びを分かち合う同船者の集いをサンパウロの静岡県人会館において同船者とその家族、関係者120名近くを集めて実施しました。今年は少し早いですが同船者の園田昭憲さんの姫マッタケ栽培の為の堆肥原料工場の落成式に参加する形で2月15日、16日の両日、同船者30数名がサンパウロに集いました。今後も色々な同船者が関係する行事に併せ集い合えればと念願しております。

今後ともあるぜんちな丸第12次航の681名を中心に可能\\\な限りこの『私達の40年!!』HPを更新し続けて行く事により、41年前にあるぜんちな丸の船内新聞の編集長として若き日の情熱をぶつけた日々とその後の41年をトレースして行けるのではないかと思います。『私達の40年!!』HP編集責任者としての私の人生観、趣味、好み、居住地等による個人的な偏り等も随所に見られると思いますが、同船者の一人を通じての戦後移住者の記録を、一人一人にこの41年間がどうであったのか聞き出し記録していく作業を地道に続けて行きたいと思います。このHPの根底に流れる私の気持ちは同じ船で移住してきた仲間が一人でも多く『移住という選択』が間違っていなかったとこの41年を肯定できる人生を過ごしてこられた事を願いその過程を知りたいというものであることは間違いなく、その基本的な考え方は頑なに守って行きたいと思います。

現在展開している『バーチャル座談会』の企画は、IT時代の現在でないと不可能な世界を一瞬にして繋ぐインターネットの武器を最大に利用、香西さん、MASAYOさん、桐井さんを日本側の発言者としてお願いしブラジルからはリオ在住の山下さん、サンパウロの沢田さん等毎回専門家のコメンテーターに協力頂き実施しておりますが、現在実施中のブラジルサッカーを語るでは多くの新しい発言者が協力して呉れております。私の日頃感じている事等を一方的な書き物としてでなくブラジルに関心を持って下さっている多くの方との対話座談会形式で書き残して行ければとの願いが根底にあります。話題が尽きるまで皆さんの協力を得ながら続けて行きたいと思います。

今後とも『私達の40年!!』HPへの暖かいご支援をお願いする次第です。
膨大な寄稿集、新しく設けた画像掲示板、写真、掲示板、リンク集ですがお時間の許す時に少しずつでも読み流して頂ければ幸いです。近い将来にはサイト内検索、項目別目次等を付け読み易くして行く積りです。

平成15年2月22日 12345回アクセス記録の日に書換え更新                      
『私たちの40年!!』HP編集管理責任者
     和田 好司



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