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ブラジルに花開く詩吟同好会の剣舞。お孫さんが日本の伝統文化を継承。
ブラジル工業移住者協会のホームページNAKAMAの管理責任者吉田文彦さんより詩吟同好会マリンガ清流会創立30周年記念の詩吟発表会についての詳細と86歳になられる窪田博雄さんとその後継者としての16歳のお孫さんエドワルド君について画像掲示板を通じて知らせて呉ました。
清流会を主宰する1930年に愛媛県松山から家族とともに来伯された窪田さんの初期の苦労話には、胸を打たれます。戦前の1移民としての窪田さんは、1930年着伯、ブラジル在住73年のベテラン、現在パラナ州のマリンガ市で清流会を主宰、日本文化の一つ剣舞と詩吟の普及に勤めておられるとの事、お孫さんに継承される日本文化大きく花開いて欲しいですね。吉田さん有難うございます。


2003年3月16日マリンガの詩吟同好会マリンガ清流会の創立30周年を記念して詩吟の発表会が行われました。清流会を主宰する窪田博雄さん(86歳)の吟に合わせて孫のエドワルド君(16歳)の剣舞が皆の注目を集めていました。エドワルド君は3世ですが詩吟や剣舞が得意で特に剣舞の後は気分がいいといいます。詩吟や剣舞に自分のアイデンティティーを見出しているみたいでした。日本語は話せなくとも、詩吟や剣舞の後で爽快さを感じると言います。2世のなかには自分のアイデンティティーに迷いがある人もいるけど、3世になるともう迷いはなくなるらしい。エドワルド君は3世で自分はブラジル人だと思っている。しかし詩吟や剣舞を素晴らしいと思う気持ちは押さえることが出来ないという。ブラジル人でも詩吟が好きならやってもいいと考えている。
窪田さんは1930年愛媛県の松山市から家族で来たそうです。伯父さんが米の相場に手を出し、失敗し家、田畑を失いブラジルに来ざるを得なかったそうです。ニューヨークの株式の大暴落が1929年だから世界大恐慌の影響を受けたのだろうか。松山市の福音寺町の豪農で屋号も西門と呼ばれていたそうです。長男のやった失敗で次男がブラジルへ来なければならなくなるなんて、やはり家族制度のためなんでしょう。ブラジルに来てからはバウルー、マリリア、ポンペイア、バストスを農奴をやりながら転々とし、綿畑、コーヒー園、養蚕所で働いたそうです。汗が滝のように出て、シャツを脱いで絞るとビチャビチャ水のように落ちたそうです。畑仕事中赤ん坊は畑の脇の木陰に寝せておいたけど、戻ってみると顔にハエがいっぱいたかって、どこに顔があるのかわからなくなったそうです。日本に帰って兵隊に行きたいと父親に頼んだけど許されなかったそうです。よほど仕事がつらかったのだろう。1951年窪田さんの兄はバストスで父親にもう農奴を続けるのは嫌だといって、妻子を連れてマリンガに来たそうです。その2年後兄さんは家族全員をマリンガに呼び寄せたそうです。窪田さんの両親と8人の子供、窪田さんの家族だから膨大な人数になったそうです。でも兄さんは皆の生活が軌道に乗るまで一緒に住まわせ面倒を見たそうです。
窪田さんには8人子供が居ますが、奥さんは窪田さんの両親と8人の子供のため食事を作り洗濯をし、家の掃除のほかに野良仕事もしたそうです。洗濯機も掃除機も、皿洗い機もない時代でした。でも食事の時には、食卓に乗り切れないぐらいの食べ物があったそうです。これを聞いて、終戦直後の食糧難の時代に空き腹を抱えて途方にくれていた自分を思い出して、うらやましいと思った。
ブラジルでは州立の小学校へ通ったそうです。展覧会の作品に兄さんと二人で船の模型を作って展示したところ、あまりの出来のよさに校長先生がほめてくれたそうです。その次の日校長先生は生徒を全員集め、展覧会に出した窪田兄弟の船の模型を褒め、日本人も我々と同じ優秀な民族だから、日本人の生徒が言葉が出来ないからと言ってからかったり、バカにしてはいけないとの訓示をだしたそうです。あの当時は誰も日本人を知らなかったのでしょう。



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