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母と二人の息子(上)、(中)、(下) 40年前の永井恒雄さんと勝次さんの手記。
9月に訪日時、中日新聞に紹介された共同通信の記事を見られたML仲間の永井恒雄さんが39年も前の弟永井勝次さん(南米産業開発青年隊第10期生後期)を郷里の和歌山県のみなべから東海道を自転車で直走り横浜まで弟さんを見送りに行った時の様子とあふりか丸船上よりとブラジル到着当時の勝次さのお手紙を【みなべがわ公民館報】(和歌山県日高郡南部川村公民館発行)の昭和39年9月10日号、10月10日号、11月10日号の3回に分け掲題の『母と二人息子』と題して書き残しておられます。この貴重な昔のお二人の手記を掲載した公民館報を送って頂きましたので大阪に住む妹、阪口多加代に頼んでタイプアップして貰いました。みなべの梅仙人と名乗っておられる39年後の永井恒雄さんと3年前に他界された若宮勝次(旧姓永井勝次)さんに付いては寄稿集285番にも紹介しております。写真は、あふりか丸の前で撮られた39年前の記念写真です。


母と二人の息子(上)
                     東本庄  永井恒雄
・ ・・東本庄永井ヌイさんの次男勝次君(21)は、こんど建設省産業建設隊に入隊して、南米ブラジルに移住することになった。
・ これは、単身自転車に乗って東海道を走破して弟の船出を横浜埠頭に見送った兄恒雄君の手記である・・・・
・   記念写真
・ 7月25日、弟がとうとう親の反対を押しきって自分の進む道を新開地に求めて永住への一歩をふみだし門出の朝である。祖母と母を中にわたくしたち兄弟はそれを囲むようにしてカメラの前に立った。
・ 弟から決意を聞かされてからの母の一年間、わが子を手ばなすかなしさと、これではならぬと心に言いきかせる理性の谷間にはさまれてもだえ苦しんだ一年間であった。
・ 母が無教育であるだけにまた、経済的に家事に追い回わされてきた人であるだけに、この苦しみから抜け出して母としての自分をとり戻そうとがんばりとおしてきた姿には若いわたくしにも頭のさがる思いであった。
・ これが最後になるかもわからない。いま笑っている弟がいつまたふたたびこの庭に立つ日が来ることだろうか。母の胸にはとりつく島のない一筋の寂しさが走るのを、あの小さい顔にはっきりと読みとれた。どうしょうもない感情をこらえこらえたしかめづらの四つの顔であつた。バツクの八丁たんぼには、けさはめずらしく朝靄が立ちこめていた。
・   南部駅から
・ 八時五十六分発車のベルがなつた。母の引きしまつた顔から無言で最後の視線が別れ行く弟の上に流れた。数多くの別れの言葉よりも、乱れを見せないこの母の目に、弟はどれだけ心強さを感じ何よりも力強い支えとなったことだろう。太平洋を超え、さらに大西洋を隔てても。
・ せめて弟の船出には兄貴として最低の食糧で最小の水で、最高の労力を費して、最高の健康で祝ってやりたかつた。そして、お前もおれと同じ兄弟だ、自信をもて!
・ たとえユダヤ、イタリヤ人の中に混じっても、やればやれるという信念を、身をもって贈り物としたかった。それがわたくしをして遺書を残して自転車の一人旅を思い立たせた動機である。もちろん自分で自分の体を思うぞんぶん痛めつけるのが目的で、危険は覚悟の上である。いろんな人の反対もあつたが、いよいよ故郷が遠ざかるにつれ度胸がわいてきた。
・   力の限り
・ 十九時間近くも踏み続けると尻に豆ができて破れる。倒れてはそのまま横になると夜露が容赦なく体ぬらす。寒くなると又起きて走り、腹が減ると人に乞うてはまた走る。力のかぎり踏むだけだ。居眠りをして自転車とともに倒れると、後からついて来たトラックの運転手君に顔色を変えてどなりつけられた。いや、こちらこそ遺書が役に立つ寸前であつた。
・ ねむたい、水呑みたいを耐え忍ぶと、いつものときより何百倍の味を知ることができる。この味をいつまでも記憶の底に残しておけるわたくしは幸である。
・ 町のお兄さんにいばられたこともたびたびであつた。小田原、横須賀、横浜、大阪と、ことしは町のダニによく引っかかりをつけられた。わざとそんなところを歩いたせいもあるが。しかし、話せばわかる、わからなければどうでも来いだ。なぐられたのは横浜だけ、しかし、あまり腹は立たなかった。
・ 他ではメシをたべて行け、困つたらまた来いと大事にしてくれた。誠意はよく人に通ずるものである。
・ わたくしはこの体験から、ときとして村内に見せるイカレタ姿の青年に対して「王道を選べ!」とわたしは言いたい。
  岸壁の別れ
・ かくの如くにしてわたくしは郷を出てから五日目の7月29日、真黒く焦げた腕とあかだらけのシヤツをみやげに横浜に着いた。無事なわたくしを見た弟は「やせたが兄貴大丈夫だなあ、僕もやるよ」とよろこんで、牛乳を半分づつ分けあって祝杯をあげた。港の風はまことにさわやかであつた。
・ 8月2日午後2時「母親を頼んだよ」と云って十二人の隊員とともにデツキを上る弟に「やれよ」と云つたが、声にはならなかつた。やがて、ドラが鳴って船は岸壁から遠さかって行く。いつまでも手を振る弟、わたくしの目はもとめどもなく涙がながれた。

母と二人の息子(中)
                     東本庄  永井恒雄
弟の勝次は、去る8月2日横浜を船出して元気一ぱいブラジルへの旅を続けているとつぎのようなたよりを送ってきました。
   第一信
見わたすかぎりの果てしない大うなばらです。横浜を出てから無事で五日が過ぎました。うねりは大きいがこの程度を平穏な航海というそうです。退屈すると剣道や空手、または童心にかえって大いにたわむれ笑ってエネルギーの発散をします。船首にくだける浪しぶきを見ていると、今までにも幾千幾万の人たちが各自の運命をかけてこの海を渡ったことでしょうが、わたくしも年二十才でこれらの偉人たちと同じ航路を行けることを幸に思います。波間に飛ぶトビウオの群はとてもきれいです。
8月8日の朝、デツキに出てみると、アホウ鳥の一種らしい美しい鳥がグツタリとなって落ちていた。病気か、つかれたのだろうか。ビスケツトと清水を与えて船医に預けた。明日は日づけ変更線を通ります。
8月12日、イルカが海面におどるのを見ました。ハワイの日本語放送が聞こえます。ハワイの北方を通っているのでしょう。夕焼けの星はとてもきれいです。夜デツキに寝ころんで見上げると大きくゆれるマストの数本、大平洋の雄大さに比べると、まるで木の葉のようなわたくしたちの存在です。
8月13日、日本ではいまお盆です。うちの庭のカキも大きくなつたことでしょう。アメリカに留学する女学生がユカタ姿でデツキに上ってきました。かの女らもやはり日本のお盆がなつかしいのでしょう。
昨夕はラジオで海南高校の勝利を聞きました。やはりうれしいです。
出航のとき、遠ざかる兄の姿を見て、東海道を走りとおした根性を、ぼくの世界をかける事業に移して励みとして行きたいと考えます。お母さんの教訓を生かしてがんばります。
   第二信
いま、中南米コスタリカ沖を通過しています。はぎれのよいスペイン語の放送が聞こえます。
ロスアンデルスに入港したのは17日の午後三時でしたが、四時ごろユタカさんやハナエ
さんが来てくれました。ぼくはアメリカに入国許可を取っていないため上陸することができないのでユタカさんらは船に乗りこんできてくれました。久しぶりの対面に時のたつのを忘れました。
始めて見るアメリカ大陸、それも船の上から見るロスアンデルスの港風景だけですが、その大きさ、すばらしさ、島国日本とこうも違うものか、こんな底力のある国と戦った無謀がおそろしくなりました。
ロスアンデルスを出てからメキシコ沖は海また海ですが、あす28日(日本では29日)はまた陸地を見ることができそうです。パナマ運河にさしかかるからです。これで大平洋とはしばしの別れです。ちょうど、大平洋27日間旅したことになります。
さすがに熱帯を思わせる熱さです。塩水の風呂に入って大平洋の果てしない海原を見ながら涼風にうたれる気持はまた格別です。これからは、日本とは正反対の気候の国にはいります。日本が秋になるとサンパウロでは春めいてきます。
   第三信
昨日パナマ運河を通過して大西洋のクリストバルの港にはいりました。始めて踏む異国の土です。この町は黒人が大部分で目ぬきの通りにもゴミがちらばって鼻をつまみたくなるような悪臭がただよっていました。しかし街路にはヤシの木が茂り熱帯の花も咲いていて、とうとう来たかという感慨を深くしました。きょうは大西洋上を航海しています。

母と二人の息子(下)
                     東本庄  永井恒雄
わたくしごとながら、ながながと書き綴りましたにもかかわらず、およみ下さいましてありがとう存じます。おかげさまで、弟は無事目的地につきました。おわりにブラジルの首都サンパウロからのたよりを添えさせていただきます。
街路には美しい花が咲きみだれています。こんなけしきのブラジルから遠くはなれた日本の秋を想像するにはいささか努力を要します。日本の秋はこれから紅葉に色どられ、庭の柿も食べごろになり日々に忙しくなることでしょう。その後お変わりがございませんか。ぼくは毎日元気で仂いていますからご安心下さい毎日、朝六時に起きて電気会社に行っております。住家はイタリー系のブラジル人のペンソン(下宿)に入っております。言葉には苦労しますがどうにか日常生活には事足りていますからご安心下さい。
ブラジル人にもいろいろありますが、たいていは非常に大らかで朗らかな人が多いようです。ラジオやテレビなどから流れる音楽をきいても、明るいものが多いことに気がつきます。 しかし、毎日このような生活の中にありながら日曜日のカソリツク教会でのミサは、日頃の生活とは打つて変わつて静かな空気の中で、多くの市民が参列して行われています。サンパウロ(聖市)には日系人が非常に多いので、日本語でことたりるので便利ではあるが、その反面語学の勉強をするのには悪いような気がします。来月からはブラジル語の学校に通おうと思つています。
ブラジル食は量が多くて、腹のすくことはありませんが、朝食がパンとコーヒーだけですので昼まではちよつと空腹です。また、みかんやバナナ、パイナツプル等の果実は非常に安くておいしく、種類もたくさんあります。食べることに関してはブラジルがいちばんよいだろうという話です。
街は東京以上に交通の便が悪く、都市計画がなされていないのではないかとさえ思える程度ですまことに能率の悪い都市構成になっています。
毎日の生活の中で常に感ずることは、少しでも早く言葉を覚えてブラジル人社会の中にはいりこんで行かねばならないということです。だからこの二〜三年間には、なにをおいてもまず、語学の道に専念するつもりです。手紙が遅くなつたことをお許し下さい。日本もこれから寒くなりますがカゼなど引かぬよう御身ご大切にして下さい。




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