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〔所感〕 20年前に書かれた和田 けい子さんの手記
『私たちの40年!!』HPを開設当時、編集方針等に付き助言頂いていたサンパウロ人文科学研究所の森 幸一博士(現サンパウロ大学教授)からこの種の書き物は男性社会の男性のみが発言する味気ないものに成りがちで女性不在に陥りやすい、女性の発言を重視したコロニアを下支えして来た女性の発言を取り上げるようにとご助言頂きましたが、考えてみれば事実のようでありこれからは、女性に登場して貰うよう努力して行きたいと思います。まず櫂より始めと言われるように身近なベターハーフに頼んで見ましたが「そんな時間的余裕がない」と断られてしまいました。長女が7才の時に書いたというもう20年近く前の原稿が見つかったので大阪の阪口多加代さんにタイプアップしてもらった地元ポルトアレグレの南伯日本商工会議所の前身といえる三水会の10周年記念誌【10年のあゆみ】(1984年9月三水会発行)に掲載されている手記を紹介させて頂きます。
写真は、当時に近いものを探しましたが適当なものが見つかりません。年代が少しずれているかも知れませんね。


所  感         
丸紅 和田氏夫人
和 田 け い 子
三水会十周年記念誌発行にあたり何か書くようにとの編集部依頼を主人が持ち帰った時「ポルトガル語でいいのなら引き受ける」と軽く返事をしたが「やはり日本語でないとカッコウがつかないよ」との主人の発言に私の最初で最後になりかねない日本語での書き物をものにしたいと辞書を片手に鉛筆なめなめ書きだしました。
 私は十三歳の時に父母に連れられてブラジルに移住して来ました。ポルトガル語が全く分からなかったので一年目は小さな子供達と一緒に小学校一年生、田舎では日本人の数も少なくて好奇心も交えてこちらの人びとはとても親切に何でも教えてくれました。でも算数が出来たので(当然のこと)二年目には一年の間に次々と進んで五年生を終えて翌年には中学入試にパスする事が出来ました。そのころはブラジルの歴史が一番の苦労の種でした。ポルトガル語は文法さえ覚えれば何とかなっても(大抵の場合は意味が分からなくても正確に書ける)歴史は本に書いて有る事を覚えなければなりません。何回繰返して読んで見てもやっぱり「何が書いてあるのかな」といった調子です。最初のころは辞書を引き引き勉強してみましたが、あまりにも分からない言葉の数が多くて能率が上らず、何時間もかけて訳してもそれを頭に詰込むのに又一苦労。そのうちには、歌でも覚えるようにリズムを付けて始めから終りまで丸暗記。試験には満点で通るのですが端から又きれいに忘れて行くので恥ずかしい話しですが、今の私のブラジルの歴史についての知識は皆無と言ってもいいほどです。そうしている間にポルトガル語も分かるようになっていく一方、日本語を使う機会を失なって行きました。小さな時から意地っぱりで負けず嫌いな私はブラジル人に又新しい環境に挑戦しながら中学、高校、大学と進んで行く間に自分が日本人であるという事を意識しなくなる程すっかりブラジルに馴れ、又それだけ日本人らしくなくなって来たと言えると思います。幸に読書が好きなので読むのに不自由する所までは行かなくても会話は殆どがポルトガル語ばかりになっていました。
結婚後一番困ったのは主人の仕事の関係から家に見えるお客様の多くが日本人である事でした。話しは分かっても使い慣れない為に適当な返答がすぐには思い浮かばず「ハイ」か「いいえ」としか答えることが出来ないのでまったくお話しになりません。
お客様がいらっしゃるたびに今度はもう少し上手に接待出来ますようにと心の中で祈りながら準備するのですが、意識すればする程いっそう堅くなるので上手く行かないので困ってしまいました。今では長女も七才、やっと少しはましになったのかこのごろは皆様に「二世(?)にしては日本語が上手だ」と誉めていただけるようになりました。日本人らしくなるように気をつけなければと思ってみても、一日中ブラジル人を相手に喋っているのですから仲々思うようには行きません。
大学では工学化学(Engcnharia Quimica)を勉強し、その後大学院で石炭のガス化を専攻、今ではこちらの連邦大学とカトリック大学で応用化学を教えています。何といっても日々進歩の激しい分野なので研究や勉強に追われるような毎日を過ごしています。その上に教壇に立つということはコミュニケーション巧拙が仕事の効率を大きく左右するので人間的なふれ合いが大切です。その為には色々な面で生徒の話し相手になるアドバイスする事も日課の一つです。授業前には内容の要点をうまく整理して生徒が耳を傾けやすいように理解しやすい説明の仕方を工夫したり、長時間(三、四時間)の授業中に生徒が疲れてしまわないようなバランスを考慮したり、目に見えない仕事が割合に多いものです。生徒は教授の人柄、心構えや能力を相当はっきりと感知するので曖昧態度はすぐに不信感を呼び起こすものだ、といっても言過ぎではないでしょう。
知識だけではなく聡明な人間性を身に付ける為の努力を怠る事の許されない仕事です。緊密な人間関係を築くことが円滑に仕事を進める基盤になるので和やかな、楽しい雰囲気を作る気配りも大切です。忙しい毎日ですが充実していてとても楽しく、一生懸命な私の姿勢は皆にも通じるようです。
私自身の選択により移住して来たわけでは有りませんが、ブラジルで再教育を受けて現在教職についている事から、ブラジルに住む日本人として日本とブラジルを比較してブラジルの良い所をただ利用するのではなく、ブラジルを理解し、その環境の中で日本人としての心、ものの感じ方、見方、考え方を大いに活かして私の住んでいるブラジルの社会に少しでも役に立つ事が出来る人間になりたいと、研究に、勉学に意欲を燃やしています。





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