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肉親の安否を求めて  一縷の望みをつなぐ甥  富山の樫木さん一家の消息を(6月6日付けサンパウロ新聞記事より)
樫木健一さんのブラジルにいる従兄弟達の消息を尋ねるサンパウロ新聞の尋ね人記事に付いての反響は、吉田文彦さんがインタネットによる検索で樫木モニカさんという歯科医の修士課程論文から見付け出しブラジルの樫木の家計図まで作成して呉れました。樫木健一さんの従姉妹にあたる遠藤千鶴さんに12月3日にサンパウロでお会いする機会がもてました。下記内容の報告書を樫木健一さんに書いて送ってあげましたがサンパウロ新聞にも御礼も兼ねて後日談として送っておく事にしました。
写真は、遠藤千鶴さんよりお借りした総てブラジル生まれの樫木健一さんの4人の従姉妹です。千鶴さんは、出来ればご主人の遠藤秀雄さん(80歳)とご一緒に訪日を考えたいとの気持を持ち始めており東京での樫木健一さんとの対面を楽しみにしているとの事で是非実現すればと願っています。
写真は、樫木健一さんのブラジルに在住されている従姉妹4人のお写真です。左から幸子さん、弘子さん、敏子さん、千鶴さんです。


日本からブラジルへ移住した日本人は、戦前戦後を通じて二十四万人にのぼる二万キロも離れた地球の反対側に暮らせば、音信も途絶えがちになる。かつてサンパウロ総領事館が邦字新聞に掲載した広告は、肉親の消息探しの尋ね人が目についた。その大半が肉親の気遣うものだった。世代が移り、現在は遺産相続などの金銭が絡んだり、市町村が土地整理をするための事務的なものが大多数になった。それでも、たまには肉親の情のこもった尋ね人も舞い込んでくる。
「私たちの四十年!」のホームページを管理しているポルト・アレグレに在住する和田好司さんのメールに肉親の尋ね人調査が送られてきた。
戦前にブラジルに移住した富山県出身の樫木○次郎(かしのき・まるじろう)さん一族の消息を探す甥の樫木健一さんからのものだった。肉親への想いを綴ったメールの一部を転載する。樫木さん一家の消息について情報を持っている方は和田さん(051・3325・6816)まで。
私は姓を樫木名は健一ともうします。実は第二次戦前に父の兄、所請、私にとって伯父がブラジルに移民として渡り、それなりに成功を収めたと聞いておりました。日本にも里帰りをしたようですが連絡が付かず結局逢う事は叶わなかったのです。父や伯父も亡くなり従兄が家業を継いで居るらしいのですが、ブラジルの詳細を知る人達は皆最近亡くなってしまい、消息不明の有様です。この伯父は富山県出身で、かなり成功したのかカシノキグループと言う企業を持っているらしい事を、新聞報道で日本の丸紅商事とコーヒー豆を入れる麻袋の契約を結んだと言う記事を見た事が有ります。我が家も、一九四〇年に伯父に呼ばれて移住する事に成っておりましたが私の母親の両親の猛反対で取りやめに成ったと言う経緯が有ります。
私も東京に住んでおりまして、富山まで祖先の詳細と言うかルーツを探しに参りましたが、皆目見当も付かず、樫木(カシノキ)と言う姓名の戸籍は発見されませんでした。
伯父は既に生存しているとは思えません。生存しているとすれば百歳をとうに超えている筈です。然し従兄が日本に里帰りしたとか聞きましたので消息を知り是非逢ってみたいのです。
此れだけの話ではもるで雲を掴むような話で、広大な大陸のブラジルで判るはずが無い、とは思いますが、サントスと言う所で大きく成功しているとすれば少しは可能性が有るかと一縷の望みを抱くところであります。
瓢箪から駒!と言う諺があります。万が一を願って書いておりますが、カシノキと言う見苗字は珍しいものの、この様に無に等しい材料で消息は判らないでしょうが、判ればブラジルまで言ってみたい気持ちは充分持っております。
何とかお骨折りを願えれば幸甚です。

MLでお知り合いになり何度か連絡を取り、9月3日東京でのオフ会で直接お会いする事も出来、非常に嬉しく思いましたが、訪日以前に健一さんの従姉妹にあたる遠藤千鶴さんご夫妻へのサンパウロ新聞記者の取材をアレンジしたのですが、千鶴さんの息子さんが『金を目当ての話かも知れないのでインタビュウ等には応じるべきでない』との反対に合い実現しませんでした。その後気になっていたのですが立ち入るべき問題ではないとそのままになっていましたが、年を越すにあたりどうしてもはっきりさせて置きたい【喉に骨が刺さった感じのペンヂング事項だった】事から千鶴さんにお電話したところその後HP等を通じて疑い、不信感もなくなり姪のアリネさんがローマ字で健一さんとメールで直接連絡が付き、送って上げたご両親の写真が健一さんのお父様と瓜二つで兄弟でもこれほど似るものかとの驚嘆の返事が来ていたとのことで安心すると共に嬉しく思いました。
変な誤解で不愉快な思いをさせた事へのお詫びも兼ねて是非サンパウロに来ておられるのであれば直接お会いしてその後の事などご報告したいとの千鶴さんの申し出を受け12月3日にバロンルホテルに遠藤ご夫妻の訪問を受けました。
遠藤秀雄さんは、1923年に北海道で生まれ5歳の時にご両親と共にブラジルに移住された現在80歳、10数年前に心臓病の手術をされたそうですがお元気そうでした。遠藤千鶴さんのお父さん樫木喜一さん(3男)は、樫木健一さんのお父様樫木繁次郎さん(5男)のお兄さんあたります。富山県出身ですがブラジルに移住する時は、北海道から手続きしたとの事で北海道出身となっているそうです。日本から一緒に連れて来られた健一さんの従兄弟達峯子さん、信子さん、茂さん、実さん、猛さんは、既に亡くなっており、着伯した翌年の1928年に生まれた樫木千鶴(日本国籍留保)、1930年生まれの樫木幸子(赤松)、1933年生まれの樫木弘子(遠藤)、1937年生まれの樫木壽志さんの奥様敏江さんの4人が健一さんの従姉妹としてお元気にしておられます。
ブラジル生まれでは長女にあたる遠藤千鶴さんだけが日本国総領事館に出生届けを出して日本国籍を留保しておられるとの事ですが、その後に生まれた3人は、国籍留保をしていないとの事で日本への帰国を諦めた事によるものとの千鶴さんの説明がありました。
遠藤千鶴さんの家族では、お子さんが5人おられ、長女の方が医者、次女の方がブラジル銀行勤務、三女の方が保育園の先生、長男の方がエンジニアー、末娘の方が看護婦をしておられ大阪の病院で3年間研修を兼ねて働いておられた事もあるとの事です。
樫木健一さんの叔父様にあたる樫木喜一さんご夫妻の写真を遠藤千鶴さんに見せて頂きました。又写真をしまっていたファイルに健一さんのお父様繁次郎さんが書かれた63年前の直筆の手紙が残っていたとの事でコピーの提供を受けました。
写真ですので読み辛いと思いますがメールで送って置きます。家族を上げての移住を考えておられたようでもし実現しておれば健一さんは、私達より大先輩の戦前移住者としてブラジルで同じ空気を吸っていた可能性もあり人生の機微、妙を感じます。



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