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ドトールコーヒー 鳥羽社長特別インタビュー 『やっぱり大きかったブラジル体験』 (取材・文/野口みどり)
ドトールコーヒー
鳥羽社長特別インタビュー
『やっぱり大きかったブラジル体験』

あるぜんちな丸の乗船客の中で実業家として
大成功された方といえば、ドトールコーヒー
社長、鳥羽博道(とりばひろみち)氏を忘れ
ることはできないでしょう。

鳥羽氏は第3次航(1959年2月横浜港)で
渡伯され、2年後に帰国しました。
社長は当時の思い出をドトール・コーヒーの
ホームページに書かれていますが、今回、
たってのお願いで電話インタビューに応じて
いただきました。
和田さんの来日に調整しようとしましたが、
時間が合わず、その点はちょっと残念でした。
鳥羽社長にはお忙しいお時間をさいて
いただいて、心から感謝いたします。

なおインタビューアーをつとめた野口も
小学生のころ、あるぜんちな丸で渡航した
第7次渡航組。現在は東京在住です               



1)あるぜんちな丸の思い出
N:鳥羽社長といえば、あるぜんちな丸の乗船者の中でも大成功者でいらっしゃいますが、あるぜんちな丸で思い出すことは?
鳥羽:申し訳ないんですが、あまり印象がないんですよ。太平洋の真中に来ると前後左右に大変に揺れたこと、みんな顔面蒼白で寝たきりの人が大半だったこと・・・。僕は幸いなるかな、船酔いっていうのはしないんですけど。
N:赤道祭りなど、船内のイベントの思い出は?
鳥羽:ああ、それは記憶にありますね。赤道を通過したという証明書をいただきました。そういえば船出のとき、え〜っとなんて言いましたか、そう拓大(拓殖大学)だ、その見送りの人たちが岸壁で拓大踊りをしていましたねえ。奇妙な踊りだなあ〜という印象があります。その拓大の空手の有段者から、甲板で空手を習ったこともあります。一度、「竹刀をもってかかってこい」と言われて、かかっていったら竹刀を下ろす前に蹴られました。相撲をとったこともあったし、ハワイアンも教えていただいたこともあります。「夏が来ると思い出す」♪という歌をハワイアンで歌いました。
陸地に近づいていくと、夜になれば陸地の明かりが見えるのも思い出深いです。どんなところだろうとドキドキしてそこに着くまで眠れなかったですね。初めての外国でしたから。
そうしてパナマ運河に向かって。機関車に引かれながらね、水路を行って・・・。船が河を上って下りるなんて想像ができないようなことですよね。いやあ、人間ってすごいこと考えるんだな〜という印象がありますねえ。
あるぜんちな丸のことは忘れたと思っていましたが、聞かれるといろいろと思い出すものですなあ。

2)地球サイズを体感した
N:ブラジルに着いてはいかがでしたか?
鳥羽:最初にリオに着くわけですけれども、海の中にコルコバードが見えた、うん、キリスト像が。あれが最初に見えてきた、それが心に焼き付いていますね。今もって、その光景が自分の錯覚なのか、現実なのかわかりませんが。それで地球が丸いということを、強く感じたんですよ。
N:たしかにコルコバードは海上からそのように見えるようですね。
鳥羽:あるぜんちな丸は42日かけ太平洋を渡っていくんですよね。帰りはオランダ汽船のルイス号で60日ほどかけて、ケープタウンからインド洋を横切ってシンガポール、香港、文字、神戸、横浜へと。合計すると100日間ですね。それで地球のサイズがわかったと思うんです。それが一番大きなことなんじゃないかな〜と。地球ってこんなもんなんだって。
実際、あるぜんちな丸は時速17ノットでしたね。車の時速なら40キロ。それで横浜からロサンジェルスまで10日かかったわけです。ところがその距離を今の車で時速120キロで飛ばすと、3日3晩で着いちゃうんです。地球ってそんなもんなんだなって。地球は大きいことは大きいんだけど、反面、小さいんだと思ったんです。
その地球のサイズを肌で感じたことが、のちの自分に大きな影響を与えているんじゃないかな〜と思うことがありますね。

3)人種の壁を超えて
N:ブラジルではカーニバルなど楽しみましたか?
鳥羽:ええ、サントスで、屋内のサンバだったか。あの熱気というのはすごかったですね。会場にカンヅメになるほど人がいて。人間の体から発する熱から蒸気があがって、モウモウとしていましたよ。今でも中南米の音楽が好きで中南米音楽を聞くと、体が自然と動いてしまいますよ。
N:いろいろ印象深いことも多かったのでしょうね。
鳥羽:なにぶんにも初めての外国ですから、見るもの、聞くものすべてが、全部、興味津々でした。とくに人間関係が印象に残っています。わたしは20歳ぐらいのころ、サンパウロで一時、大工さんとか左官屋さんを使ってお店を作っていた。相手は黒人でしたけれど、信頼関係ができあがると、僕のいうことをなんでも聞いてくれた。「バイ・トラヴァリャンド(働きなさい)」と言えば、「タ・ボン(はいよ)、トリハサン」と。黒人であろうと、白人であろうと、みんな人間であることに変りはないということを強く感じた。お互いに心が通いあえば、何人でも同じ、みな同じ人間なんだ。人間の本性はそんな変るもんじゃないんだって。
やはり、いろんな民族に会うことによって、そういう感覚が自然に備わったということですね。当たり前のことですがね。
N:人間を洞察する力もついた?
鳥羽:そうですね、そういえば、先日、ある人に言われましたね。「鳥羽さんって、自然に相手を伺い知ろうという姿勢が身についていますね」と。それが僕の性格なのか、それが海外で生活をしたことの影響かわかりませんが。行ったのと、行かないのと、比較できないからね。でも、言葉もできないところでは自然と人間への観察力が鋭くなることもあるのかな〜と、そういう気はしますね。
N:それは現在も、ビジネスでも役にたっている?
鳥羽:それはもう多いに役にたっていますね。
N:ブラジル体験はやはりなにかと大きかったようですね。
鳥羽:それと45年前の日本は、まだ数寄屋橋に西銀座デパートがようやくできたころでした。一方、ブラジルは上層部となれば、はるかに欧米文化に近かった。とくにリオデジャネイロのマンションなんか、とてもキレイでした。ブラジルで早くから欧米文化に触れたということがですね、今、僕のやっている仕事には大きな影響を与えたんじゃないでしょうかね。

4)ドトールコーヒーへの道
N:ブラジルでコーヒー修行を?
鳥羽:コーヒー農園に一時おりましたが、あとはなにをやっていたのか。適当なことをやっておりましたから、ハハハ。
N:その当時から、日本に帰ってきて焙煎工場をやろうとお考えで?
鳥羽:いや、全然、考えておりません。日本に帰ろうと思ってはいませんでしたから。生涯、帰ってくるとは思いませんでしたから。しかし、日本で勤めていたコーヒーの会社が「帰ってこい」と再三再四言ってきたので、結果的にそういうことになったんです。
N:ハワイにコーヒー農園をお持ちですが、ブラジルに作る気はありませんか?
鳥羽:ブラジルは遠すぎるからね。一度、買おうかな〜と思ったことはあったけれど、行くのがやはり大変ですよ。ただ、ブラジルにいたときに、パラナ州でだったか、ブラジル有数の農園主の家と農園を見たんですよ。家は入り口から玄関まで車で10分ぐらいあって、すばらしい建物だったですよね、大きな応接間が3つぐらいありましたね、庭には池があってボートが浮かんでいた。それを見たとき、「あ、将来、自分はこれを作る」と決めましたね。その夢を数十年後にハワイで実現させたんですよ。ハワイに今、20万坪の農園を持っています。ハワイ島では一番大きな農園なんですよ。
N:日本に帰国されてからブラジルには行かれましたか?
鳥羽:ええ〜と、合わせて4回、行っていますね。仕事でというか、どちらかというと、懐かしくて。ずっと行きたいと願いつつ、ようやく帰国して7年目ぐらいに再訪できたんです。そのときは懐かしさのあまりリオデジャネイロの空港に降り立ったときに、髪が総毛立ちましたよ。それほど自分にとっては懐かしい土地だった。でも行く度にだんだん古きよきブラジルがなくなっていくようで・・・治安も悪化して寂しい気持ちになって、もう2度と来るまいと思いつつ、一昨年も行きましたが。知人と足を伸ばしてアルゼンチンへも。

5)アイデアと思い入れが大事
N:最後の質問になりますが、ブラジルで懸命に生きておられる方々になにかエールの言葉はございませんか?
鳥羽:う〜ん、なにを言ったらいいんでしょうか。難しいですね。その人、それぞれの生き方があるから。ただ「頑張ってくれ」というだけではね・・・。ただ、いつも言ってるんですけど、まずはアイデアだってね。「真面目で、熱心で、努力家でなくては駄目だ」けれど、「真面目で、熱心で、努力家だけでも駄目だ」ってね。まずはアイデアがないとね。「働き一両、考え五両」って。できたらブラジルで得たものをなんらかの形で生かすということが、大事なのでは?
僕はブラジルにいた時、いつもアイデアを探していたような気がする。向こうのマンションで滑車を使った洗濯物干しを見たときも、パステラリアっていう揚げ物を食べたときも、日本に持ってきたらどうかと考えた。僕は今もアイデアを考えています。現在、ブラジルで有機農法の砂糖を作っているんです。それを輸入してうちの全チェーン店で使い、同時に売り出すつもりです。商売になるものっていろいろなものがあるだろうし、いろいろな方法もあるだろうし。
なにかそんな「アイデアを抱きつつ、真面目で、熱心で、努力家で、頑張ってほしい」ですね。
N:ブラジルでの生活が随所に実を結んでおられるのですね。
鳥羽:そうだ!最大の収穫は“ドトール”という店名ですよ!これはビラ・マリアーナで住んでいた通りの名前、“ドトール・ピント・フェライス”から取ったんです。“ドトール”、“お医者さん”、重みがあっていいでしょう。サンパウロを再訪したとき、このあたりを夜中じゅう歩いて通りを探したけれど、見つからなかった。でも、そういう思い入れが人を突き動かして、エネルギーにするんですよ。やっぱり思い入れが大事なんです。
N:お忙しいところ、貴重なお話をどうもありがとうございました。
鳥羽:あるぜんちな丸やブラジルのことを思い出して、楽しかったですよ。
N:ドトールコーヒーをこれからも愛用させていただきますね。




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