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記録映像作家 岡村淳さん/移民の目で見た日系社会 神戸新聞<編集委員いんたびゅー>
生まれ故郷神戸、我々のあるぜんちな丸第12次航が日本最後の町として心に刻んでいる町、神戸には特別の思い入れがある。毎日、神戸新聞のメルマガ日刊「G・ラフ」を楽しみにしていますが、2004年4月15日付け新版709号に岡村淳さんが編集委員の宮沢之祐さんのいんたびゅうーを受けている記事が掲載されていました。岡村さんは、我々同船者にも移住者としての目線で映像を記録してくれており、『40年目のビデオレター』アマゾン編、最近では『移住41年目のビデオレター』グアタパラ編等を通じて同船者の一人小島忠雄さん一家の貴重な映像を残し『私たちの40年!!』の映像編として記録して呉れております。
アマゾン編では岡村さんとベレン、トメアス移住地まで同船者を訪ねての旅、過去との邂逅、同船者に掛ける思いを共有しましたがその後ボリビア、アルゼンチン、パラグアイ、日本と同じ企画での訪問を計画しておりましたが種々事情により実現していないのが残念ですが、2008年のブラジル日本移民100周年に合わせ『私たちの40年!!』HPの映像化が何らかの形で実現すればと願っており岡村さの協力をお願いして行く積りです。
写真は、岡村さんがトメアス移住地で取材・撮影中のものです。


 裸族、ピラニア、逆流現象「ポロロッカ」―。1980年代、視聴率を稼げる“アマゾンもの”のテレビ番組制作を手がけ、岡村淳さんはブラジルに出会った。やがて、ブラジルへ移住。自称「移民ストーカー」は、日本人移民の足跡を小型ビデオカメラで撮り続けている。フリーランスの表現者は何を伝えようとしているのか。「特別の思い入れがある」という、移民出発の地・神戸で聞いた。             (宮沢之祐)

 ―ブラジルとの出会いは
「日本テレビの『すばらしい世界旅行』など番組ディレクターを担当し、ブラジルはじめ中南米を主に取材した。テレビの在り方に行き詰まりを感じ87年、フリーになってサンパウロへ。先住民や自然、文化など、日本語になっていない興味深い情報があり、なんとかなると思った」

 ―移民を取り上げたきっかけは
 「88年、ブラジルで無声映画を携え巡業した活弁、通称シネマ屋のじいさんたちを主人公にした番組を作った。娯楽がなかった移住地では『天皇以上の扱い』だったとか、話がおもしろい。番組の視聴率はだめだったけど。テレビじゃ、移民ものの企画は受けない」

 ―環境や社会問題も取り上げてきた。ユーカリ植林の被害も告発した
 「日本向けパルプを生産するため、製紙会社がブラジルでユーカリの大規模植林をしている。日本政府が後押しする“国策”だ。ユーカリは大量の水を吸い上げ、7、8年で成木となるが、周辺は干上がり、農牧業ができなくなる。日本側は環境に優しいとPRしているが、事実は逆」

 ―94年に衛星放送で放映され、今も反響があるとか
「ほかの追随を許さない、というか、誰もついてこないから(笑)。環境問題に取り組む人から問い合わせがある。誰もやらないことをしたのは勲章だと思っている」

 ―神戸にも撮影に来たことがある
 「旧・神戸移住センターを撮った。僕が出会った移民の多くがここを通ってきた。過酷なアマゾンの入植地で若くして自死した女の子も過ごした場所。そう思うと、壁のほこりまで愛(いとお)しく感じた。“移民の聖地”と評する日系人がいたが、あながち大げさではない」

 ―今、撮影しているのは
 「タイトルは『アマゾンの読経』。戦後の日本政府のずさんな移住政策の結果、無縁仏となった移民を供養しようと、自ら得度した藤川辰雄さんの人生をたどっている。86年、アマゾン川で入水し、無縁仏の側に渡ってしまった。彼は私財を投じて富士山を望む観音堂を伊豆大島に建てたが、それも山林に埋もれそうになっていた」

 ―小型ビデオカメラを使って1人でドキュメンタリーを撮る草分け的存在と
  なった
 「ビデオによって、機材とスタッフの呪縛(じゆばく)から解放された。1人でできるから、ディレクターみたいに、スタッフをよいしょしなくていい。楽です。取材相手と同じ移民の僕が1人で撮影する。それが僕の方法論」

 ―作品の完成後も撮影対象者と交流している
 「つきあっていくことで、お互い刺激になる。作品の制作は、ラブレターを送る行為。『来るな』と言われるまでつきあいたい。フリーでやっているんだから、それぐらいぜいたくさせて」

 ―失礼ながら、経済的に成り立つのか
 「奇跡と言われるけど、作品の上映会や講演もあり、収支のつじつまが合っている。上映会の反応は今後の方向を考える材料にもなる」

 ―なぜ移民の記録を残そうとするのか
 「実は、残るものは残るだろう、ぐらいにしか思っていない。ただ、自分のやれることをしておきたい。人間はいかに生きるか、僕が感動する人を撮りたい。そういう人が、たまたま在ブラジルの日本人の中にいた」

 「上野英信は『出ニッポン記』で、南米へ移住した炭鉱離職者の姿をつづった。どうして炭鉱労働者にこだわったのか。『地の底で命と引き換えに掘る人には夢や希望があったはずで、それを明らかにしないと、日本に未来はない』と書いている。僕も同じ気持ち。ブラジルに日本人一世はまだ7万人いる。その心のひだに入っていきたい」


〈ひとこと〉
 震災の年の3月、寸断された鉄道を乗り継ぐため、岡村さんは神戸市内を歩いたという。地震の爪(つめ)跡がまだ生々しい時期。かばんにビデオカメラが入っていたが、ついに出さなかった。ただ黙々と歩いたという。「撮りたくなかった?」と問うと、「今思えばちょっと惜しいけど、撮らないことが大切なときもある」という答え。自作でも、その姿勢を貫く。一歩ずつ対象に近づき、信頼を得て後に、フィルムに言葉や表情を刻む。取材者の矜持(きょうじ)を見習いたい。

▼おかむら・じゅん
 1958年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。82年、日本映像記録センター入社。「すばらしい世界旅行」の番組ディレクターを務める。87年、ブラジル移住。91年、1人取材を始め、「ブラジルの土に生きて」など作品多数。サンパウロ在住。



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