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半世紀ぶりに手にした卒業証書 − 鈴木 武さんよりのお便り
鈴木 武さんとは、住んでおられるカリフォルニア州の南パサデナと言う町にもジャカランダの花が咲き乱れるとの事でジャカランダをこよなく愛し育てておられる皆さんのMLでお近づきになりブラジルに住む古いお友達の消息を調べるのを御手伝いしたり交信を続けておりますがこの度、鈴木さんが参加しておられるメルマガ「遥かなり台湾」第92号2004年4月30日発行の【半世紀ぶりに手にした卒業証書】をDMで送って下さいました。是非寄稿集にご紹介したいとお願いした所、その了解と共に少し若すぎるかも知れないとのコメント付きで奥様と撮られた写真を送って下さいました。
鈴木さんご結婚記念日おめでとう御座います。今後とも健やかにボランタリー活動に精を出して下さい。


先輩各位、お世話になった人、同好仲間、Internetでの知己などに贈る私の台湾物語
です。通読いただければ幸いです。
内容は青少年時代の台湾在住時にミスした国民学校卒業式を49年遅れて台湾の母校
でやりたい気持ちを実現したものがたりです。その時既に63歳でした。それでも”
仰げば尊し、我が師の恩ーーー”を後輩と歌った時は全員涙がとまりませんでした。
台湾引き揚げ、終戦直後の食料不足、犯罪、すべてがやみの世界でした。その中で引
き揚げ者として内地の仲間には馬鹿にされてはならぬと必死でがんばりました。この
苦心が同時に思い出し、感概に咽びながら歌った為に涙したと思います。楽しい、陽
気な暑い台湾青春物語です。読後感想もいただければ幸いです。
4月29日(結婚記念日に)。
鈴木 武 Takeshi T. Suzuki
e-mail:suzuteri@usinter.net
tel: 626 576-8140
fax: 626 576-4045

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         メルマガ「遥かなり台湾」
                  第92号 2004/04/29発行
       本日のテーマ →半世紀ぶりに手にした卒業証書

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「台湾について書いた本があるのでよかったらお互いに交換しませんか?」
こんなメールがアメリカ在住の鈴木博士から入ってきたのは、半年前のことです。それで吉田先生の画文集を送ったところ早速博士からも本が届いたのです。その本とは、終戦直後の混乱の中、卒業式もないまま台湾の小学校を巣立った博士がクラスメートに呼びかけて故郷台湾の母校で49年目にして卒業証書を手にしたという感動を綴った本だったのです。     書 名「遅刻してきた国民学校卒業証書」
著 者 鈴木武テリー
出版社 株式会社たま出版
発行日 1995年12月12日

昭和15年から21年まで台湾の高雄と鳳山で過ごした博士は青春の空白を埋める努力の  中で、一つのイベント<疎開と校舎焼失で昭和20年3月に卒業した昭和7〜8年生れの生徒にとって、卒業式と卒業証書がなかったので、母校で卒業式を挙行し、卒業証書を授与することにこだわり続けたのだそうです。
博士の母校は高雄県にある鳳山小学校(現在の曹公国民小学校)で、当時台湾島民5名を含む51名の同級生がいたそうです。小学校は台湾で、中学・高校は日本で、昭和32年からはアメリカに住むようになり、アメリカの大学を出たあと事業で成功すると、年とともに故郷鳳山に対する郷愁が増し、かっての仲間の同級生探し出してみようと情熱を燃やし続けたと、語っていました。
ある月などは、手紙と電話をアメリカから日本と台湾に発信したので、一ヶ月の通信費が月6、700ドルにのぼったそうです。そして母校に補足卒業式を挙行したいと申し入れる一方で、積極的に昔日の同級生を探すことに奔走した結果、何と2年の間に15名を集め94年12月5日に宿願を達成したのでした。
母校の王主任は「鈴木さんの努力が報いられて、ついに同級生一同は48年もの長い夢が実現されました。48年という歳月は人生の長い長い旅途です。個人の事業が成就したあと、未だも母校を懐念し、子供時代の生活を忘れなく、完成しなかった小学の卒業式を遠い日本から母校に帰り、新たに神聖な卒業式を挙行し、私たちも感動しています。」と、この本の中(推薦の言葉)で述べていました。
また、博士は著書の中で次のように述べていました。「戦後50年を経た今日、みんな生きていて健康で、昔の夢とロマンを語れるのは本当に幸福だと思います。英語で高齢者を「ゴールドエイジ」と呼びます。人生の一番輝かしい円熟した価値のあるときということです。第二の人生で飛び立つ年齢を言います。そしてアメリカのシニアーは、人生でそれまでできなかったことに挑戦します。大学に、趣味に、再婚に、そしてスポーツと。私達は今、まさにその第二の人生のスタートラインに立っておるのです。今からがいちばん大切な自分をみつめる価値のある人生なのです。
卒業式の様子は台湾全土の3つのTV局で放送され、また台湾の新聞社8社で翌日報道さ  れたそうです。どのような卒業式であったかは参加した同級生が次のように博士に対して  寄せられた感謝の便りでうかがい知ることが出来ると思います。
元気な住田君は手紙に次のような「詩」を披露していました。六十一歳の仰げば尊し我が師の恩、教えの庭にもはや幾歳(とせ)、思えばいととしこの歳月、大人も子供も大きな声で歌っている。尊厳なる卒業式の美しい絵巻である。潤子が、和美が、孝も、鈴木も、校長先生もみんな、みんなが泣いている。でも大きな声で仰げば尊し歌ってる。
袋井さんは「12月5日感動の卒業式、皆様少年少女時代に戻ることが出来たと信じます。   本当に嬉しくて涙がとめどなく流れました。相澤さんは、(卒業式で歌った『仰げば尊し』のあの歌と感動は一生忘れません。今思い出しても胸が熱くなります)あの感激の涙が日本に引揚げて以来の暗く苦しかったいやな思い出をさっぱりと洗い流してくれたように思います。
引き揚げて来た者はこの半世紀の間皆それぞれに、人に言えないこと、言ってもとてもわかってもらえない苦労を重ねてきていると思いますが、貴方のジクゾーパズルのように、あの卒業式の感動がすっきりとその空白を埋めてくれたように思うのです。」と克明に胸中を述べていました。
最後に、結語の俳句の中のひとつと博士が台湾玉井で迎えた50年前の衝動を思い返して作った詩を、紹介させていただきたいと思います。
「我が夫に 二つの故郷(さと)あり 花の旅」 (鈴木ロジー)

詩 「8月の雄叫び」
夏の晴れた赤道回帰線
大東亜戦争という戦(いくさ)の中で
無数の先輩が蒸し暑いスコールに消えた
戦(いくさ)が終わり前線埠頭
黙々と不安のリバティーに乗って
濃霧の台湾海峡に船酔いした
塩も砂糖もつかわないぜんざい
外食券で食べ物をあさって
栄養失調という言葉を識った
いみじくも五十年後の南パサデナ
ここの晴天は静かでカラッとしていた
空には爆音が無く平和がいっぱいであった
空には爆音が無く平和が一ぱいあった
注:南パサデナ市(米国カルフォルニア州)は博士の住んでいる所です。

(付記)
母校(曹公国小)の国楽団が翌年95年5月末カルフォルニア州モントレーパーク市で海外初演奏をした際は博士は喜んでその橋渡し役を務めたことが最後に記されていました。身でもって台湾、日本、アメリカとの友好の絆を深めていることを知らされました。どうか本日の佳節(結婚記念日)にあたり、ご夫妻の益々のご健康とご多幸を祈ってやみません。

要請いただきましたので早速写真を送ります。少し若すぎる写真です。もう10年前とりましたので。台湾育ちの青少年時代は暗い戦争前後でした。6ヶ月間中国語を習い不安な日々をすごす中で敗戦に直面した日本人の変貌ぶりに驚きました。あの誉れ高き日本人も最後までよき見本を台湾人に見せられませんでした。でも隣近所とかわした多くの善意はみのったのでしょうか港を離れる時は戦勝国の台湾人も手を振ってみおくってくれました。船上でポケットに入れた羊羹が消えていたのに日本では砂糖が無いらしい噂を実証してくれました。内地では引き揚げ者をかくして頑張りましたが水をのんで旧制中学に通いました。町内から4人の高校生が通学しました。今では40人の高校生が通学します。そして世界中に日本人はやってきます。80年代に4回南アメリカを訪問しました。リオジャネイロ、ブラジリア、サンパウロ、特にリオグランデドノルテ州ノナタールではアマゾンの川口に近いと聞かされて行ってみたいと思いました。この辺りのブラジルは地平線まで陸地がつずきあついのか子供は上半身を裸でわれわれ日本からの技術者の持つ品品を欲しがりました。あどけない自然な子供でした。今後もよろしくお願いしますよ。板垣長三郎君は元気でした。お礼まで。



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