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『ブラジル移民』 戦後40年の記録 旧トップページの保存(6)。
5月11日で私たちあるぜんちな丸第12次航の681名がサントスに到着して42年を迎えます。一昨年(2002年)の5月12日サンパウロに置いて静岡県人会館大講堂で着伯40周年をお祝いして早2年が過ぎようとしております。着伯40年で初めて一同に会した仲間はその後も時に触れ、寄り合ったり、手紙、メール、電話等で連絡を取り合っています。その後亡くなられた方もあり名簿の整理等も必要になって来ておりますが、同船者の仲間の動向を集めるという初期の目的は思うように進んでおりません。
同船者仲間の定着の道程を書き残す目的で開設した『私たちの40年!!』HPは、その目的、目指す方向は、今も変わっていませんが、少し範囲を広げ移住者だけのサイトを脱却しブラジルと関係のある総ての人達によるブラジル総合サイトの性格と役割も担うHPに発展して来ております。この方向転換が正しいかどうかは別にして2年間で55千件のアクセスを誇るサイトに育って来ており大袈裟に云えば社会的な責任を要求される立場に立たされております。
3年目に突入、来年5月には、10万回アクセス達成も視野に入って来る『私たちの40年!!』HPの編集者としての責任を感じています。
今回TOP PEGEの書換えに当り旧TOPE PAGEをここに保存します。
写真は、サンパウロのイビラプエラ公園の日本庭園内にある記念碑です。


『ブラジル移民』 戦後40年の記録
私たちあるぜんちな丸第12次航(1962年5月11日サントス港下船)の同船者681名は、平成14年5月11日で40年を迎えました。当時のあるぜんちな丸第12次航の船内新聞「さくら」の編集責任者をしていた私と船内ニュース班の仲間として手伝って呉れた編集員が中心になり船内新聞の40年後の特別号、号外の形で戦後40年の移住史の一部を皆で書き残そうとの企画が持ち上がり、出来れば印刷、出版もと考えていましたが、時間的な問題、資金面の問題もありせめて寄稿して頂いた貴重な記録、原稿を大事にし、書き物にして後世に残して置きたいとの切なる願いから、当時のガリ版刷りの船内新聞の一部、黄色くなった名簿、懐かしい写真等を文明の利器パソ\コンを使い資料のDIGITAL化による保存を考えついた次第です。これらの無形に近い数多くの資料、写真等を我々同船者全員の資産として共有し、後世に残して行く事、民族の移動、移民、移住問題、個人の人生の選択等に関心を寄せる人達、特に海外に夢を馳せる若い人達に読んで頂ければとの気持ちでこのホーム・ページを開設しました。

HP正式公開後21ヶ月を経過、同船者仲間、ブラジルの領域を大きく超えて現在では日本を始め世界40ケ国に上る多くの皆さんにアクセス頂いており今回のトップ・ページ書換えの2月25日には41000件に達しております。従いその管理運営にも大袈裟に云えば社会的な責任も伴うのではないかと身が引締まる思いがしております。

しかしながらアクセス数がどんなに増えようが基本的には同船者681名の戦後移住者としての生き様を書き残して行くという大要は変わりませんが今後はあるぜんちな丸で着伯した多くの仲間(合計11,102人)、ひいては戦後移住者全員、移住と直接関係の無い日本企業短期派遣社員、留学生、研修生、旅行者と幾らかでもブラジルと繋がりの出来た多くの方にブラジルを語って頂き日本の皆さんで少しでもブラジルに関心を持ちブラジルを知りたいとのお気持ちを持たれた時には『私たちの40年!!』にアクセスすればその目的が果たせると云った総合『ブラジル学?』のサイトとして育って行けばと念願しております。更に私達の同船者が入ったボリビア、パラグアイ、アルゼンチンの仲間の様子、それらの国以外の移民の歴史(明治初期のメキシコ榎本移民、ハワイ移民、ペルー移民等)についても記録を集めて行きたいと思います。


『私たちの40年!!』は、そのコンセプト、表現手段を日本語を基本としたホーム・ページとして公開しましたが、私達の同船者681名の内、3分の1に当たる200数拾名が41年前にサントス港に着いた当時15歳未満でした。これらの仲間は、当然ポルトガル語又はスペイン語の方が日本語より使い易く、更に当地で生まれた二世、三世の我々の後継者は、当然現地の言葉が中心となります。従いこれらの仲間、私達の子供、孫達を対象にしたポルトガル語のHPの必要性を感じ『私たちの40年!!』HP公開1周年を記念してポルトガル語のHPを開設しました。日本語のHPから直接ポルトガル語ページに移れるしその反対にポルトガル語のページからも日本語ページに飛べるようにしております。ポルトガル語のHPは、日本語版の翻訳版ではなく同じ目的、主旨による兄弟HPではありますが、表現手段が変わる事により同じ寄稿文でも幾分そのニュアンスも違ってくるし、考え方、物の捉え方、解釈も変わってくる事から同じ文を取り上げても逐語訳等の方法を取らず意訳、説明的な文と成る事から日本語の資料を基にしたポルトガル語の文章となります。その編集、更新作業は当然こちら生まれの二世、三世の皆さんにお願いする事になりますが、先ず始めるに当たり身近な存在ととして私の長女、和田弥生エリーゼ(リオグランデドスール州連邦大学新聞学部新聞学科卒業後2年間日本のポルトガル語新聞社でポルトガル語新聞と雑誌の編集、記者として勤務昨年3月に帰国)に手伝って貰う事にしました。多くの協力者が出現する事を切に望みます。

本来の『私たちの40年!!』HPは、戦後移住者としての我々の移住先の国々での定着の過程、生き様を我々の子孫に語り伝え自分達の祖先、ルーツを辿る資料として残して置きたいとの気持ちで始めたものでありそれを近い将来同船者の現地移住国で教育を受けた準2世の仲間、私たちの子供達が引き継ぎポルトガル語、スペイン語で私たちの歴史を書き継いで行ってほしいと念願しており、今回のポルトガル語版は、その気持のあらわれです。従い私たちが日本語で書き残す記録が何時の日か我々の子孫がそのルーツとしておじいちゃんたちが残してくれた財産として引き継いで呉れる事を期待しています。

あるぜんちな丸第12次航の681名の同船者がブラジル、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチンの4ヶ国に入植しました。志し半ばで亡くなられた方、家庭の事情で帰国せざるを得なかった方、移住国に拠点を置きながらも現在は、日本に働きに出かけている方、41年間、最初の入植地に居座り営農に従事している方、国内移動、国外への転住者、それぞれの皆さんの41年の歴史があります。各個人、各家庭、各移住地の歴史を一人一人が書き残す事により戦後41年の歴史が浮き彫りになって来るのではないでしょうか。 同船者皆が語り、書き残していく『私たちの40年!!』も多くの同じあるぜんちな丸で移住して来られた人達、戦後色々な形態で移住して来られた人達、移住とは直接関係のない短期駐在員、留学生、研修生、旅行者、果てはまだブラジルの土を踏んだ事のない多くの人達からの寄稿、暖かい書込み、励ましを受けており、我々同船者だけでなく多くの日本の皆さんにブラジルと日本を繋ぐ絆としてまた祖国日本を遠く離れた地球の反対側に住む私達の戦後41年の歴史を通じての赤裸々な生き様を知って頂く手段としての『私達の40年!!』HPは、貴重な存在となって来ております。

『私たちの40年!!』の映像化も、同船者の篤志家の寄贈を受け、コロニアの著名な記録映像作家の岡村 淳さんの協力を得て『40年目のビデオレター』という映像による同船者の皆さんの現況を記録に残す目的から2002年1月に北伯編としてベレンで下船された31名の同船者の皆さんを訪ねる旅を実施、第一部アマゾン編として完成させております。又最近その第二部ともいえる『41年目のビデオレター グアタパラ編』が昨年11月末に完成し日本でその完成記念上映会が実施されました。今年に入ってこの第二部を見せて頂きましたが、私の関係した北伯編と比べて数段の良き出来栄えでグアタパラ移住地に現在も住んでいる小島さん夫妻を軸にした時空を感じさせる力作で短期日の同船者訪問では描き切れないものを移住者の目線で撮っておられる岡村さんの技量に感心しました。経済的な問題がなければ第三部、第四部と岡村さんの自由な企画で続けて頂きたい所ですが、私にはその資力もなくこのHPの管理運営といった形でしか協力出来ないのを残念に思います。今後もボリビア、パラグアイ、アルゼンチンに入植された同船者、日本に帰国または働きに行っておられる同船者の皆さん、トメアスー移住地だけでなく、リオのフンシャル移住地等最初の入植地で頑張っておられる同船者、炭鉱離職者、花嫁移民、野球移民、産業開発青年隊、コチア移民と話題性に富む同船者のその後の様子等、映像記録等も残して置きたいと思っています。

2002年、5月12日には物故者の霊を弔う慰霊祭と生きている我々の喜びを分かち合う同船者の集いをサンパウロの静岡県人会館において同船者とその家族、関係者120名近くを集めて実施しました。昨年も同船者の園田昭憲さんの姫マッタケ栽培の為の堆肥原料工場の落成式に参加する形で2月15日、16日の両日、同船者30数名がサンパウロに集いました。あるぜんちな丸移住者輸送助監督として私達をブラジルに送り出して下さった上園義房さん、同船者で現在東京に住んでニューヨークで事業展開をしている稲見正次郎さん親子、昨年の40年の集いに参加出来なかった同船者等僅かずつ輪が広がって来ております。今年5月11日の着伯42年の記念日前後には、園田さんの新築自社ビルの一部をお借りしてあるぜんちな丸第十二次航の資料展示室を開設することも計画しており昨年9月に神戸在住の佐藤敦彦さんよりあるぜんちな丸の模型(250分の1)の寄贈を受けており、同じく東京在住の野口みどりさんからはあるぜんちな丸乗船記念バッチの寄贈も受けております。追々、写真、住所録、船内新聞等の資料も集めて展示して行きたいと願っております。皆さんのご協力をお願いします。

『私達の40年!!』HP編集責任者としての私の人生観、趣味、好み、居住地等による編集趣向に個人的な偏り等も随所に見られると思いますが、今後も同船者の一人を通じての戦後移住者の記録を、一人一人にこの41年間がどうであったのか聞き出し記録していく作業を地道に続けて行きたいと思います。このHPの根底に流れる私の気持ちは同じ船で移住してきた仲間が一人でも多く『移住という選択』が間違っていなかったとこの41年を肯定できる人生を過ごしてこられた事を願いその過程を知りたいというものであることは間違いなく、その基本的な考え方は頑なに守って行きたいと思います。

最近では、半数以上のアクセスが日本の皆さんとなっており、5000回アクセスを記念して始めた『バーチャル座談会』の企画も大いに寄与していると思います。IT時代の現在でないと不可能な世界を一瞬にして繋ぐインターネットの武器を最大に利用したこの、『バーチャル座談会』は、日伯の多くの発言者を得て第9回まで続いています。第10回目は、ポルトアレグレ総領事館の存続問題に付き語り合いその結果を外務省のHPにも投稿して行く積りにしています。

2002年の11月に設置した画像掲示板も写真の貼り付けも可能な事から皆さんに喜んで使って頂いており既に15千回以上のアクセスを記録しております。寄稿集のPR等にも利用しており古い分もダウンロードして保存して行きたいと思います。通常の掲示板も148テーマ422件の書込みが記録されており、捨て難い魅力があります。膨大な寄稿集、画像掲示板、掲示板、写真集、リンク集ですがお時間の許す時に少しずつでも読み流して頂ければ幸いです。寄稿集は、読みやすくする意味で活字サイズを大きくしたり更に今回は、話題別目次欄を設けました。項目別に好きな話題、読みたい話題を纏めて見て頂けるようにしました。

平成16年2月25日 『私たちの40年!!』HP公開21ヶ月、41000回アクセス記録の灰の水曜日に書換え更新                      
『私たちの40年!!』HP編集管理責任者
     和田 好司




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