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ハワイ丸コレラ事件 山田廸生『船にみる日本移民史』より。
1998年10月に上梓された山田廸生さんの『船にみる日本移民史』(中公新書1441)は、今では移民史の必読の古典?的な名著と見なされるに至っているが、この本を『私たちの40年!!』HP公開準備をしていた2年前に関 計比児さんに送って頂きました。
山田さんが書かれている第三章 移民船の旅客設備の中に【はわい丸コレラ事件】が詳細に語られていますが、この【はわい丸】に当時1歳で乗船しておられた坂本三郎さんにサンパウロ州奥地のパラナ州との州境に近いオウリンニョスの町でお会いしました。尋ね人の親戚の方で地元日本人会の会合にも御一緒させて頂いた懐かしい方です。寄稿集137番目に『コレラ発生のはわい丸で1歳のとき着伯された坂本三郎さん。』として紹介しております。
1927年大分県生れの坂本三郎さんのブラジルでの風雪の年月を刻み込んだお顔が印象に残っており、【はわい丸事件】の詳細とともに残して置きたいと思いこの山田さんの文章を大阪の妹に頼みタイプアップして貰いました。


ハワイ丸コレラ事件
近代化された移民船「さんとす丸」級の登場によって、若狭丸事件のような悲惨なケースはなくなった。ところが大阪商船の南米航路が軌道に乗った一九二八(昭和三)年に、在来型移民船の「はわい丸」でコレラ事件が発生。今では、移民船の伝染病流行といえば、これが典型例となっている。事件は各紙で報道された。これは四月五日付け『東京日日新聞』夕刊の関連記事のリード文である。
(シンガポール三日発)大阪商船会社南米航路汽船ハワイ丸は南米行移民船780余名を乗せ、4月1日当地出帆南阿経由南米に向かったが、船中にコレラ発生した為、本日当地に引き返し検疫所に繋船した。コレラ患者中既に死亡してもの七名、目下手当中のもの十一名あり、外に一等船客中にも一名の患者発生したが、重体ではない。右ハワイ丸は三月一七日神戸を出帆したもので、三等船客中には日本人南米移民五八〇名であり、中男三二一名、女二五九名ある。
「ハワイ丸」のこのときの船客数は一等が一〇人、特三を含む三等が七七二人。乗組員数は一一八人。三等船客のうち五八〇人は契約移民で、そのほとんどは、この年の2月に完成した神戸の国立移民収容所が送り出して第一回の移民であった。
 三月一七日に神戸を出港した「ハワイ丸」は、長崎、香港、サイゴンに寄港。三月三一日にシンガポ−ルに着いているが、問題のコレラは、サイゴンで持ち込まれた。当地ではこの年の二月にコレラが発生し、三月に入って勢いが増しつつあった。そのためシンガポールの国際連盟支局は、各国の衛生当局にこれを通報し、日本政府も航海中の船舶に情報を流していた。
「ハワイ丸」のサイゴン入港は三月二七日、出港は翌二八日。コレラ流行の最盛期であった。コレラは経口感染するから、ここで搭載した食料品と水がまず怪しいが、悪いことに同船は、当地で船客も一人乗せている。しかも、この船客は乗船後発病しているので、この人物が感染源だった可能性もある。いずれにせよ「ハワイ丸」は、当地のコレラ流行を知っていながら寄港したわけで、事情が許せば抜港すべきであった。それができなかったのは、積荷の関係があったのだろう。これについて大阪商船は後日、関係方面から追及されている。
シンガポールに一ヶ月も停船
問題のコレラは、シンガポールを出港してわずか四時間後に発生した。四月一日同港を発った船ハコロンボに向かっていたが、船長はシンガポールに引き返すことを決め、同三日に再入港、検疫錨地に停泊した。集団発生であったこと、船医が過労で病床に伏したことから、船長の決断は妥当であった。
 再度入港した「ハワイ丸」は、ただちに英国人防疫担当官の指導により厳重な消毒を受け、船客と乗組員全員にはワクチン注射と検便が施された。罹病者は、港外のセント・ジョーンズ島の隔離病棟に移されて治療を受けた。患者数は諸説あるが、五三人というのが有力である。その間に一七人が不帰の客となった。が、シンガポール当局の必死の防疫と治療が功を奏し、四月中旬にコレラはほぼ終息した。そして「ハワイ丸」は、三〇日間の長い停泊の後、五月二日、保菌者八人とその家族七人を当地に残して、南米へ向けて再び出帆したのである。
 このときの死者数一七人は若狭丸の五三人、博多丸の三六人に比べればはるかに少ない。ところが一般にこの事件は、南米移民船の伝染病による大量死亡事故の代表例とされている。この点は、新造船「さんとす丸」級を投入してハードとソフトの両面のわたって移民輸送の向上につとめてきた大阪商船には、気の毒な事件であった。
 ブラジル移民最盛期のであったこと、事件が隠覈されず新聞にしっかり報道されたこと。
これが、移民船の伝染病死亡事故の代表例となった理由であろう。しかし私は『蒼氓』の影響力もあるのではないかとみている。
 一九二八年頃に移民船ハワイ丸がホンコン寄港後移民の中にコレラ患者続出し、死亡者が出る度に移民の家族構成は続々として崩れ始め、シンガポールでは入港を禁止され、遂に日本に戻って来た大事件もあった。
石川は、事件をこのように書いてあるが、内容は事実と異なっている。わが国の南米移民史上、第一次大戦時の紀洋丸のように、開戦の影響でホノルに七二日間も停泊した末、日本に舞い戻った実例はあるが、伝染病が発生したため引き返した船は一隻もない。



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