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【企業誘致と日系人就労への試み】 元JETROサンパウロ所長湯沢三郎さんよりの寄稿。
JETROのサンパウロ所長をしておられた湯沢三郎さんから任期中に手掛けられた【香港テクノセンター】(石井次郎代表幹事=当時)のブラジル版育成事業を推進されブラジル各地で石井さんの講演とブラジル版テクノセンター設置支援を頂き現在でもその構想は、モジダス・クルゼス市、サンジョゼドスカンポス市、ポルトアレグレ市、ゴイヤニア市等の地元の有志に引き継がれております。
今回、当時の事情を湯沢三郎さんから寄稿頂きましたが、奇しくも湯沢さんとは早稲田の政経入学が同じ年だとの事でブラジル在任中には大変ご懇意にして頂き、同じ夢を共有させて頂き、その後中米のエルサルバドールの大使として在勤して居られる時に香港テクノセンターの石井次郎さんと私と女房も同伴でメキシコ経由エルサルバドールまで陣中見舞いに出かけ旧交を温めましたが、それ以来お会いする機会が有りませんが、現在はJETROを離れもっぱら海外体験を青少年に語り継ぐNPOに携わっておられ、日々の生活を楽しんで居られるとの事ですので次回訪日時には、是非また一献傾けたいと念願しております。有難う御座いました。


 企業誘致と日系人就労への試み

「日本の対伯投資ランキングが三位から五位に落ちた」
「本社が新規投資には全く後ろ向きだ」
「過去の損失が清算されてないので、とても新規は難しいと言っ
           てる」
「不安定、リスクが大きいからと尻込みしてて話にならない」
 
     今からほぼ10年前、商工会議所や駐在員の会合では、こんな会話がしきりに交わされていました。
10年後の今日ではいかがでしょうか。ブラジルにおける日本のプレゼンスは、元気な欧米に比べて低落傾向にあり、現地の日系社会には切歯扼腕の思いが募っていました。
中南米にとって、80年代の金融危機は致命的な停滞でした。民間直接投資を梃子に躍進したアジアと比べ、
中南米の大国ブラジルでも、エレクトロニクスを主にした裾野産業の立ち遅れは決定的でした。
「日本の素材・部品メーカーが進出してくれれば」との思いは、既に根を下ろしている日系企業ならずとも、切なるものがありました。しかし、大企業が進出をためらっているなかで、情報・人材・資本などで不十分な中小企業が先を越して出てくることは、通常では困難でした。
 今から10年前といえば、バブルがはじけ始めたころです。在日日系人労働者、いわゆるブラジルからの「でかせぎ」問題も現地では話題になっていました。日本で稼いだお金を持って帰郷した若者が、新車を乗り回し、派手な暮らしに耽ってはたちまち尾羽打ち枯らし、無一文で日本に舞い戻る。数年後また同じスタイルを繰り返し、日伯を往復する破目になるという実例が目立ち、日系社会だけではなく、伯政府からも心配する声が強く上がっていました。
「日伯関係のために憂慮する事態だ」
「なんとか、かれらを生産的な方向に仕向けられないだろうか」
当時のジェトロにもそうした相談がありました。95年の秋頃、偶々、現地の日系紙から寄稿を求められた折、閃いたのが着任の半年前に見学したシンセンのテクノセンターでした。石井次郎氏ほかの有志が日系中小企業が失敗しないよう、十分配慮されたその工場団地システムは画期的なものでした。進出する企業は機械設備だけを持ってくればよい、法務・経理手続き、据付、原材料調達、労働者の採用、輸出手続きなど面倒なことは一切センターが代行する仕組みは、中小企業から頭痛の種を取り去って余りあるものでした。電力、水などインフラもセンターが独自に供給する設備を備えており、安心できる環境が整っていました。今ではシンセンの同センターには、毎年二千人を越える日本人が見学に訪れるほど、中小企業の駆け込み寺として有名になっています。センターで働きながら研修する日本の大学生も、今年は50名を超えるそうです。
 ブラジルはとにかく難しいところだ、というのは日系企業の間でも定説になっていました。中小企業が失敗しないため、リスクを最小限に抑えるためには、何らかの策が必要でしたが、テクノセンターはそれに打ってつけではないかと思われました。
 さらにブラジルの「でかせぎ者」の帰国後ブラジル定着のためにも、この構想はある可能性を秘めていました。日系人が帰国後、小規模でも起業できる受け皿があれば、日本で働く場合の技術習得やお金の使い方も変わってくるに違いありません。日本で貯めたお金で小型の製造設備・機械を買うことは、夢ではなくなっています。勤務先の企業も応援してくれるに違いありません。ブラジルで起業家として一人立ちするために、面倒をみてくれるところがあれば、成功の確率は高くなります。
 こんな考えを紙面で提案しましたら、思いがけない好意的な反響がありました。そこでジェトロの本部に石井さんの派遣を打診したわけです。石井さんの訪伯が実現したのは、離任を数ヵ月後に控えた97年1月でした。ぜひ懇談したいと事前に熱心な要望が寄せられたサンパウロ、リオデジャネイロ、クリチバ、ロンドリーナ、ポルトアレグレの各地を訪問し、日系実業界の方々と熱っぽい議論を重ねました。
「これを金儲けの事業として始めたら成功しないでしょう。進出企業に奉仕する精神で、有志が情熱を抱いて立ち上げなければうまくゆかないでしょう。これは政府が補助してくれる仕事ではありません。皆さんがやる気になって力を尽くされる限り、シンセンのテクノセンターは無償でできる限り応援します。」
 石井さんはシンセンのセンターの仕組みを説明しながら、熱弁を奮いました。石井さんはそれからもジェトロの派遣により各地を訪れ、地元の熱意に応えて設立へのアドバイスを重ねました。間もなく私は任期を終えて帰国しましたが、ジェトロが側面支援の形で、各地の動きを応援し続けたと聞いています。各地のセンター設立の動きは、その後紆余曲折を経ていると思います。
 それから4年後、外務省のある会議の席上で配布された資料をみて驚きました。
「居住国に帰国した日系人就労者の雇用や起業を支援することも重要である。日本貿易振興会(ジェトロ)が、我が国の中小企業の海外進出を支援するものとして関係者に検討を勧めているテクノセンター構想は、日系人就労者が居住国帰国後に起業する際にも有効と考えられ、我が国政府支援により南米等で推進することも検討されるべきである。また、内外の金融機関、並びに各種国際基金を活用し、主として中小規模の日系人の事業の設立、発展を資金面で支援することについても、政府としてはより多くの方途を拓き、実現していく努力を進めるべきである。」(海外移住審議会意見 『海外日系人社会との協力に関する今後の政策』11頁、平成12年12月11日)
 誰方が提起され、盛り込まれたかは全く分かりませんが、日系人の就労にテクノセンター構想がよいと、推奨されていたのでした。残念ながら、その後、この貴重な意見が実現へと動き始めたという話は伝わってきていません。
 しかし、「援助より貿易を、投資を」の声が益々強まるなかで、日本のみならず先進国政府がそれに答えるべき手だてを持たない今日、「意見」にもあった通り、新たな構想によりODAがテクノセンター設立へ向けて主導力を発揮する好機だろうと思っています。
           (湯沢三郎・元ジェトロ・サンパウロ勤務)



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