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ブラジル人の言い訳の言い訳(BATEPAPOより) 伊豆山 康夫さんの寄稿
伊豆山さんはBATEPAPOの健啖家のお一人ですが、お忙しいなか週末に『私たちの40年!!』のために原稿を書いて下さいました。『実は、我が家では、ブラジル人が自分のミスを認めたがらない根源を、奴隷に帰すべきなのか、或るいは、ポルトガルから持ち込まれたものなのか、議論がありまして、結局、ポルトガルの歴史をもっと知る必要がある、との結論になりました。 と申しますのは、女房の近しい友人(USPの化学の先生)に、パウリリスタで、由緒あるファミリー(無論、ポルトガル人の子孫)の人が居ます。彼女が少し前に、ポルトガルに行き、帰って来てから、「まあ、ブラジル人の習性は、何もかも、ポルトガル人そっくり。 気味が悪い位い似ている。」と女房に語ったそうです。 我が家では、もっと、ポルトガルの歴史を勉強しなければ、結論は出せないね、と云うことになりました。 ブラジルの文化が、奴隷文化の強い影響を受けていることは、衆知に事実ですが、何が、ポルトガルから持ち込まれたものなのか、アフリカの奴隷、或いは、その後からの、世界各国からの移民が持ち込んだものなのか、根源を見極めないと、早急に結論付ける訳にはいかない、と思われます。 念の為、一言付記いたしました。 又、ドイツ、イタリーからの移民の影響の強い、和田さんのいらっしゃる南部では、事情が又、異なるかも知れませんね。』
適当な写真がないので今咲いているミモザ=黒アカシアの花を使用しました。このアカシアネグラの皮からタンニンを搾り原木は、チップにして住友商事と三菱商事が満船にして日本に運んでいます。


<Batepapo>への私の書込みには、ブラジル批判が多いので、時には、ブラジル人の擁護もいたしたいと思いまして、 今回はブラジル人に代わり、「ブラジル人は言い訳が多い」への、「言い訳」をさせて頂きます。 

時々耳にすることですが、日本人はブラジル人は自分のMistakeを認めない、と嘆きます。 例えば、女中が皿をわった時に、 . 即ち、お皿が<われた>と云う。 お皿が独りでにわれる訳ないのに、と、時折、日本人は嘆きます。 
何故、自分がわったと、正直に云わないのだろうか、と云うのが、日本人にとっては、大きな疑問です。  
これには多分、言葉の解釈、communication上の問題があるのではないか、と私は考えます。  
女中さんが、<se quebrou> を 「お皿が独りでにわれた。」と訳すのは、翻訳の上では間違っていないのでしょうが、<se quebrou>の意味の受け止め方は、我々とブラジル人の間には微妙な違いがあるように思えます。 この言葉を、女中さんが自分のミスを認めたくないからの言い逃れ、と短絡的に考えるのは、女中さんにとって、少々酷であると云えるかも知れません。 勿論、「言い逃れ」もあるでしょう。 但し、今日の私はブラジルの弁護人の立場ですから、彼らに有利な発想をいたします。 

<se quebrou> と云ってはいけないなら、女中さんは何と云ったらいいのでしょう?単に、<Quebrei>でしょうか? <Eu que quebrei> でしょうか?
<Eu acabei quebrando.>が正しい言い方、と私の長男は申しますが、こんな高尚な言い回しを女中さんに求めるのは無理と云うものです。 
何れにしても、<Quebrei>には、多少なりとも能動的要素が含まれるのでは無いでしょうか。 
  
女中さんがQuebreiと云った場合の会話の一例です。 

奥さん
「お前がわったでしょう?」
女中さん
はい、私がわりました。 (Sim fui eu.  Eu que quebrei.)
奥さん
「何故? どうして? 一体、お前は私に、なんの怨みがあって? 給料もちゃんと払っているでしょう?」
女中さん
「いえ、わざとじゃありません。 (Eu nao quebrei, nao) 新しい洗剤が手に馴染めないで、お皿がすべちゃったんです。 だから、お皿が手からスルッと「独りでに、、、」。
となって、あらぬ疑いを掛けられてから、弁明に Nao quebrei. Sim, se quebrou.
と言い直す事態にもなりかねない。 .
従って、女中さんは、「自分の意思に反して」を強調する為に <Se quebrou>と云って、状況(わる意思は無かったこと)を正確に伝えたい、と思うのは当然なことと考えられます。
<Se quebrou>言われても、カッカするものではない、と云うのが、女中さんに代わっての、私の本日の「言い訳」です。

もう一つ、 ブラジル人が、仕事上で犯したミスを認めたがらない事情を考えました。 

この説には、皆様から、「ウソ」とお叱りを受るかも知れません。 お叱り覚悟の上で敢えて申します。 何しろ、今日、私はブラジルの弁護人ですから、、。  
ブラジル社会の方が、日本社会より、ミステイクに対する、罰は厳しい。 一般的に、特に法律上の罪に対しては、ブラジルの方が刑罰が甘いかも知れませんが、ここでは、仕事上のミスと限定しての話です。 
ブラジルでは、些細なミスで、どんどん従業員を首にします。 この現実が、ブラジル人の言い訳を多くする、一つの原因なのではないか、と私には思えます。
例えば、従業員を正当な理由で辞めさせるのに、ブラジルでは三度、警告を文書で発することで済みます。 この事(ミスに対する罰が厳しい事)が、ブラジル人が自分のミスを執拗に正当化する、ひとつの大きな原因となっているのではないかと思われます。 
赤嶺さんのご意見、奴隷時代からの習性から考えても、もし、奴隷なら、お皿わっただけでも、「鞭打ち」は当然。 処刑されても奴隷には抗議する権利も無かったでしょう。

日本人、管理者は、些細なミスでも、仕事の向上を図る為に、ミスを問質します。 これは、経済活動の上では有効なことですが、ブラジル人の協力を得るためには、Communication上の行き違いを避ける配慮が必要か、と思います。
ブラジル人に、ミスを問い質すときには、先ず、こちらの意図 (何の為に問い質すのか)を明確に示すことが必要ではないでしょうか。
首にするのか、減点するのか、再発防止の検討材料にするのか、とにかく、こちらの意図を明確にした上で、ミス問題を話し合えば、より建設的な結果が得られるように思えます。
もし、再発防止の為の ミスの問い質しであれば、文化の違うブラジル人に頭を下げさせても、あまり建設的な効果は期待出来ないように思えます。
お前がやっただろう? と問い詰めるより、問題を客観的に捉えて、再発防止策を話合う方が、従業員の協力を獲る為にも、彼らから建設的意見を引っ張り出すにも、より効果があると思えます。

彼らには、我々の「おじぎ文化」は理解が難しいでしょう。 
頭を下げることで、事態を好転させようとの考えは、見方を変えれば、「甘え」の文化で、日本独自のものと云えるかも知れません。 不祥事態に、会社の幹部がそろって、頭を下げる、日本独特の光景からも、このことが類推出来る、と云ったら皆さんからお叱りを受けそうですね。
伊豆山



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