HOME  HOME ExpoBrazil - Agaricus, herbs, propolis for health and beauty.  Nikkeybrasil  編集委員会  寄稿集目次  寄稿集目次  通信欄  通信欄  写真集  リンク集  準会員申込  em portugues




アルゼンチンの同船者の皆さんとお会いしました。(7月10日)
2年前の5月12日にサンパウロであるぜんちな丸第12次航の着伯40周年記念の会合を開いた時点では、アルゼンチンに入植された40名の同船者の皆さんの消息が全く掴めない状況でしたが、その後、グアルアッペスの移住地に現在も残っておられる多田さん、高松さん等の消息を永江久利さんより知らせて頂きました。ブエノスに住んでおられる三浦兄弟の消息も判り今回、仕事の関係でアルゼンチンに出かける機会に恵まれブエノスとその近郊にお住みの同船者の皆さんにお会いする事が出来ました。サンパウロで45周年記念が開催されるのであれば是非アルゼンチンからも参加したいとの希望表明もあり大変嬉しく感じております。ミッショネス州のグアルアッペスの移住地を近い内に是非40数年振りに再訪して見たいと願っておりますが、先ず、7月10日(土)に訪問した大西さんのお宅での会合の様子と写真をお届けします。これからもパラグアイ、ボリビアの同船者の皆さんをお元気な内にお訪ねしたいと思っております。


今回機会があり今年2度目のアルゼンチンを訪問しました。前回の5月訪問時には三浦祐子さんと三浦大祐さんのご兄弟にお会いする事が出来ましたが、今回は、土曜日もあり三浦大祐さんにお願いしてブエノス近郊のラプラタ市のCITY BELL地区にお住みの同船者大西末廣さん、大西アサエさん、大西猛則さんと水野吉男さん、福留千恵子さんにお会いして来ました。
案内してくれた三浦大祐さんは、現在ブエノスの日本大使館に勤めておられ、中学時代から始めたという剣道を教えておられます。三浦家5人の同船者は、ご両親の三浦清作さん、三浦ハマさんにお姉さんの光香さんは、亡くなられており直ぐ上の祐子さんとお二人になってしまったようですが、移住を嫌って一緒に来られなかったお兄さんお二人が今も熊本にお住みとの事でした。
今回、訪ねた大西さんのお宅は、東部ラプラタ日本人会25家族が住んでおられるCITY BELLと呼ばれる部落で花栽培のビーニルハウスが並ぶ豊かな農業地帯で直ぐ近くまで住宅地が開けて来ており、ゴルフ場が近くにあり数年もすれば宅地になってしまう農場でした。この部落の85%の家族がグアルアッペス移住地出身とかでブエノス近郊のグアルアッペス村だと笑っていました。大西さんのご家族は、家長の末廣さん、アサエさん、長男の猛則さん(水野房子さんのご主人)が同じ農場に住んでおられ、のり子さん、悦子さん、美佐子さんの妹さんたちも近くに住んでおられるとの事でした。一家6人が全員お元気にしておられる幸せなケースで末廣さん82歳、アサエさん79歳のお二人は週末の午後は、ゲートボールを欠かさないとの事で近くの日本人会館のゲートボール場にご一緒する機会がありましたが15人以上の皆さんが仲良くゲートボールを楽しんでおられました。
このゲートボールの会合を纏めておられるのがドミニカ移民からグアルアッペスの移住地に入られ更にブエノス近郊のこの地に移って来られた部落の長(オサ)的な存在の今年80歳になられた上野瀬さんでゆっくりお話を聞く機会がなかったのが残念ですが、現在日本政府を相手取って訴訟を起している元ドミニカ移民の仲間達に対しある種の同感、同意の気持ちを示すと共に少なくともドミニカにもアルゼンチンにも自分の意思と選択で移住したことからそれを悪宣伝に騙されたとか責任を政府為政者に持って行く事には自分は潔しとしないし、よしんば元ドミニカ移民への何らかの保証が出る事になっても自分は便乗する積りはない。こうしてこの地で何の不自由もなく生かせて貰っているのに満足をしているし、「我が人生に悔いはない」ときっぱり言い切って元気にゲートボール場に向われた移住者としての年輪と開拓者らしい男気に感激しました。
同船者の水野家は、家長の吉男さん82歳が大西さんのお宅のお隣りに一人で住んでおられ(2家族で5町歩の土地を購入された)日本を離れてこの方一度も訪日していないとの事で奥さんの幸子さんは死亡、長女の房子さんは大西猛則さんと結婚され大西さん一家として三世代同居しており曾孫に当る目の青い日本語を上手にしゃべり、納豆が大好きな人懐こい子供さんがお隣りにおり、ゲートボールはやらないが色々やる事があり退屈しないとの事で色々話を聞かせて呉れました。長女の房子さんは、現在長男で弟に当る悦郎さんが住んでおられる千葉県に出向いておられ2年間の不在期間が過ぎても一度はアルゼンチン大使館に出頭して手続きすれば更に2年間の不在期間を貰えるとの事でもう3年以上日本に住み着いているが来年には戻って来るだろうとの事でした。アルゼンチンの経済危機の時期に殆ど総ての日本人が日本に出稼ぎに出向き村が空っぽになったがその日本で稼いだお金がビニールハウスや立派な新築の家になって残っている。親戚でお隣りの大西家では家族全員が訪日(出稼ぎ)経験があるとの事ですが、水野さんは頑なに日本への帰国、訪日を拒んでおられる。お子さんお二人が千葉におられ帰って来るようにと送金して来たが日本には、戻らないと拒みとおしておられるようですが、その理由が何で有るのか残念ながらお聞き出来ませんでした。
ゲートボール場で福留 千恵子さん78歳にお会いしまあした。ご主人の典さん84歳もお元気にしておられるとの事でした足を弱らせて車椅子を使っておられるとの事でゲートボールには参加できないで家で留守番をしているとの事でした。既に家業は、長男の利広さんが総て切り回し部落でも最大手の花弁栽培をしておられるとの事でした。時間の都合で立ち寄る事が出来ず残念でした。
もう一人単身呼寄せ移住者としてブエノスに入られた田上 英昭さんは、呼寄せ人(パトロン)のお嬢さんと結婚され現在、ブエノスの町の中で花屋さんを遣っておられるとのことで次回是非お会いしたいと思います。
ブラジルに入られた同船者の皆さんの様子も知りたがっておりましたので『私たちの40年!!』HPを紹介しましたがPCは触れないとの事で駄目でしたが、2007年の移住45周年祭をまたサンパウロで開催するのであれば生きている限り是非出席したいとのご希望を表明され次回会合にはアルゼンチンからの参加も確実になりました。嬉しい限りです。
写真は、大西さんのお宅の庭に咲いていた沖縄桜(寒緋桜)の前で撮った記念写真です。左から和田、水野吉男、大西末廣、三浦大祐、大西猛則、大西アサエの皆さんです。大西さんのお宅で熟成させた自家製の葡萄、【巨峰】で作った葡萄酒を御馳走になりながら42年の歳月を経た681人の6人が集まり語り合えた幸せを噛締めました。
【平成16年7月24日記す】



アクセス数 4511061 Copyright 2002-2004 私たちの40年!! All rights reserved
Desenvolvido e mantido por AbraOn.
pagina gerada em 0.3834 segundos.