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田宮虎彦著 【ブラジルの日本人】 朝日選書33 1975年3月初版より
神戸一中の大先輩でコロニアでも覚えておられる方も多いと思いますが故鈴木悌一さんと神戸で机を並べておられた作家の田宮虎彦さんが1969年の4月初めから7月初めにかけての3ヶ月間、旧友の鈴木悌一の誘いでブラジルに来ておられます。そのときの心覚えのために書かれた紀行が1975年3月20日1刷発行で朝日新聞社の朝日選書33として出版されその1冊が私の手元にある。若い頃に田宮先輩が書かれた【愛のかたみ】を読み感動したことを覚えていますが、35年前にブラジルを訪問され日本人のブラジル移民60周年を迎えた当時のコロニア事情を記述しておられ興味深い。その中の『どう変貌するか日系社会』を来伯中の妹の時間を取上げてタイプアップしてもらった。是非紹介したい書籍の1冊であり、神戸一中の大先輩田宮虎彦さんと鈴木悌一さんを偲ぶ縁として残して置きたい。
写真は、同書の表紙です。


どう変貌するか日系社会
日系の二世たちは、その成長期において、自分は日本人であるかブラジル人であるかを深刻になやむ。しかし、その悩みは人種差別のないブラジルでは内攻するよりも、かえってブラジル社会に同化していくきっかけになる。日系二世たちをつつむ大きな外側の社会。つまり彼等を支配する社会がブラジル社会であるかぎり、そこに生きていく小さな個人はブラジル人にならざるを得ないのである。日系の二世三世には、すでに日本語が消え去り、ポルトガル語が自国語となった。一世たちがブラジルに生きていくための最大の障害となった言葉の問題は、二世三世にはなくなっているのである。日本的な風習も消え去っていった。ジェスチュアもブラジル人のジェスチュアになり、食べものもブラジル人の好むものを好む。ブラジル日系人の家庭には、一世の家庭もふくめて、茶碗というものがない。こういう変化の中で、感じ方や考え方だけが日本人で残るということは、当然なくなっていく。顔と身体だけに日本人が残っているだけだ。こうして、拳闘試合や蹴球試合で、日本人とブラジル人とが争う時、ブラジル側を声のかぎり応援する日系ブラジル人が生れて来るのである。ブラジルの日系社会はすでにそういう社会、つまりブラジル社会である。
※ フェジョアーダという料理は、アフリカから連れて来られた黒人がブラジルにもたらした料理で、豚の脂でフェジョンという豆と豚の内臓などを長い時間をかけて煮こんだ料理である。このフェショアーダはブラジルの料理では最高の美味といわれているが、日本からの旅行者は、豚の脂がぎらぎらしているようなこの料理を、ほとんど食べることが出来ない。しかし、日系の人たちはブラジル人と同じようにフェショアーダを最高の美味としている。
人間の好みのうち、もっとも消えがたいのは食べものに対する嗜好であるといわれているが、そのもっとも消えがたいものさえが、すでにこのように変化しつつあることは、日系社会から日本語が消え去っていこうとしていることよりも、いっそう確実に日系社会のブラジル社会への同化を示しているということにもなるかもしれない。
ブラジルの日本人移民六十年の歴史は、人間についていろいろのことを教えてくれる。単に一人の人間についてではなく、民族とか国民とかという単位において、人間がどうかわり得るものであるかをブラジル移民は、日本政府によって、まことに無責任に行われた棄民であった。それは、無責任に行われたために、かえって数十万人という集団を材料として実験した貴重な実験結果を生み出した。六十万人という単位の人間が異民族に融けこんで消えていく経過は、今、それが失われない時期において書きとめておく必要がある。サンパウロの日系社会が行って日本人移民の実態調査はその一つの貴重な資料だが、それを記録し得なかった意志や感情を持つものとしての一人一人の人間や人間の集団の記録も、今、書きとめておく必要がある。それは事実だけを書きとめても、そのままひとつの大きな叙事詩となり得る可能性がある。
六十年前、日本人移民はブラジルに渡っていった。六十年後、日本とは縁もゆかりもない二世や三世がおり、一方では日本にいる日本人よりも日本的な日本人がいる。ポルトガル語しかわからない二世三世がいるかと思うと、天皇皇后の写真の前にぬかずき、教育 語を奉読する二世やさんせいがいる。しかも、その二つは混交して存在していもいるのである。日本語の学習が必要であるかないかを三、四時間、深夜の淋しい港町の広場で議論しあう日系二世がいる。そのまわりには片言の日本語も話せない二世や三世がとりまいているのである。それらの人々は、それらの人々自身がつくり上げたのである。国家も民族も、その枠を失った時、どういう変貌をとげるものであるかを、それらの人々は私に教えてくれるように思う。
ガイーラからイグアスにむかうと、道はドイツ人の入った土地をとおっていく。乱雑をきわめた南欧系白人の町と違って、ドイツ人地区にはいるやいなや、建物は石造の立派な建物になり、コーヒーをのみにはいったバールは清潔になる。こういうことはドイツ人の性格をある程度つたえているといえよう。ブラジルのドイツ人移民は百年以上の歴史を持ち、今、四世、五世の時代というわけだが、ドイツ人の民族性は、その百年を生きぬいて来たかに見える。しかし、サンパウロ付近にはいったドイツ人移民は、すでに貧乏白人と化し去っているのである。つまり、もとは同じくドイツ人でありながら、ドイツ社会という枠をはなれていったものからは、その民族性は消えてしまっておるのだ。日系社会はどうなるのであろうか。人間はかわり得るものなのだ。人間をつくるのは環境と教育である。あと三、四十年もたって、ブラジルの日本人はどのように変貌しているであろうか。このことはまた戦後の日本に生きる日本人の将来にもあてはまることであるはずである。




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