オリンピック・リオ開催は何時実現するか?出羽孝史さんの寄稿
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リオにお住みの元日本航空ブラジル支社長を辞した後も旅行社のTUNIBRAリオ支店で現役として活躍しておられる出羽さんから掲題の原稿を送って頂きました。既に出羽さんが書かれた【嘘のような本当の話】は、寄稿集283番目に掲載しておりますが、アテネオリンピックの裏話とも言える「リオ2004年」キャンペンに破れたリオ市民は、北京の次の2012年でも一次予選で敗退が決定しているとのことで2016年あるいは2020年には実現するのでしょうか?サッカーのワールドカップ同様、ヨロッパと南米で交代それにアジア、アフリカを加えて各大陸で開催といった五輪大会にして南米から始めてのリオオリンピック大会を実現させて欲しいですね。サンパウロのJETRO所長、桜井さんからのコメントも寄せられておりこれも一緒に掲載して置きます。
写真は、リオのポンデアスーカール(砂糖のパン)が見えるボッタフォーゴの海浜です。
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「リオ・2004」のスローガンで、オリンピックはリオ、大型の誘致キャンペンが行われたことがありますが、結果は残念、リオは外れてしまいました。1996年のことでした。
2008年は北京。その次、2012年にもリオは再度立候補。
オリンピックは偉大なイベント、開催都市の色、総てを塗り替え、大変貌をもたらします。
こんな時思い出すのが1964年の東京オリンピックです。
私は仕事の関係でよく訪日していましたが、直行便はない時代で、ニューヨークとかロス、サンフランシスコ、二回から三回の乗り継ぎ。ノンストップではなく途中で給油のピストン・エンジンとかターボ・プロップのプロペラ機、客席数は50前後、サンパウロから羽田までの距離は延々50時間以上がよくありました。
その頃の航空運賃は驚くほど高く、私は航空会社の社員で無料でしたが、日本までの往復運賃は約一年分の給料に近い大金であった記憶があります。プロペラ機がジェットに変り、機体が大きくなり、便数が増え、今は大量輸送の時代。ずい分安くなりました。エコノミー・クラスの割引料金なら、今は往復で千7百ドルと少々ですから。
成田空港はまだなかった頃です。羽田が東京の玄関であり、都心の八重洲口まで、バスで日航の旅客輸送サービスがありました。
バスの窓から見る東京は今とは全く違う別の東京。ゴミゴミした狭い道路。汚い家屋、蒲田あたりの貧民街はブラジルのファベーラを連想したものです。
一般の家庭には水洗ではない臭う便所。その便所は不清潔な汲み取り式。汲み取った汚物は畑の肥やしになったとか。
ご年配の方はご記憶と思います。
1ドルが360円。タクシーのほとんどが古く、大型はなく、始発料金は超小型が60円、小型が70円、中型が80円、狭い道を危険なスピードでぶっ飛ばす。外国人が驚いて「カミカゼ」と命名。戦闘機ではない地上の「カミカゼ」が有名だった時代でした。
ところが、オリンピックの年から東京は別の東京に変貌。
「世界に示そう交通のマナー」こんなスローガンが現れ、タクシーは新しく、大きくなり、運転はゆっくりで安全。道路は広くなり、舗装され、デコボコはなくなり、高速道路の数々が新設され、先進国並になります。
汲み取り式の便所は水洗になり、名前はトイレに変わります。
オリンピックを機に東京は新しい別の東京に生まれ変るのです。
東京と大阪をつなぐ世界に前例のない超スピードの鉄道列車、新幹線の開通はオリンピックの年、1964年の10月1日でした。
ある友人、運輸省の役人の招待で開通まえの試運転に9月19日、東京から大阪まで開通まえの新幹線を体験。ブラジル在住で新幹線に搭乗は恐らく私が最初、第一号ではなかったかと思います。
快適でした超スピードの新幹線は。
しかし大阪に着いてからはひと苦労。
新大阪は未完成の駅。外に出ますと、人家まばらの淋しいところ。開通まえの駅ですから、タクシーはいません。
さて、どうするか。タクシーが来るかも。待っていましたが、タクシーが通るところではありません。やがて日は暮れてしまいます。どこかまで歩こうか。しかし歩く方角が分かりません。往生しているところに荷物配達のオート三輪車が通りかかりましたので、若い運転手に事情を話し、荷台に乗せてもらったことがあります。
「どうせ路ですから、ホテルまでお連れしましょう」オート三輪車でホテルへ。始めての体験でした。
1968年はメキシコ・オリンピック。日本航空メキシコ支店の応援に出張。メキシコは最もラテンを感じる街です。それまでのメキシコ、それからのメキシコ、テキラの味は変わりませんが、オリンピックを機に生まれ変る中米の大都市でした。
まだ南米のどこにもオリンピック開催都市はありません。ですからリオは誘致運動にがんばらなければ。
2012年の候補は9都市。オリンピックがリオに決まれば天下の美港が大変貌。
しかし、また残念。去る5月18日、国際オリンピック委員会の第一次選考で落選。南米での初開催をねらったリオでしたが。
9都市候補の中、リオの総合評価点数は7番目。治安、交通、財政、その他もろもろのマイナス条件が影響したとのこと。
(2012年の候補都市には今パリー、マドリード、ロンドン、ニューヨークとモスコウが残っています)
統計が示すリオの観光客数は南米のトップ。女性に例えれば超美人のリオですが、ベッピンであるだけではダメと言うことのようです。
ブラジル・オリンピック委員会は、2016年に再度立候補の予定だそうですが、さてどうでしょう。
1国の国力を測る1つの目安は、オリンピックが開催できるかどうかにかかっています。さらにもう一段上の国力を測る目安は、万博(国際博覧会)が開催できるかということです。
オリンピックを開催することは、難しいことですが、万博を開催することは、もっともっと難しいことです。
堺屋太一さんなどは、万博の開催は、オリンピックの10倍のエネルギーが必要と言っています。 私もそのとおりだと思います。
日本は、64年に東京オリンピック、70年に大阪万博、韓国もソウル・オリンピックの後、93年の大田国際博覧会、スペインは、92年にバルセロナ・オリンピックとセビリャ万博を同時に開催しました。
中国は、2008年に北京オリンピック、2010年には、上海万博と続きます。
メキシコは、中南米で初めてのオリンピックを開催しましたが、万博はまだですが、小規模の国際博覧会にエントリーしています。
ブラジルは、まずオリンピックを開けるような国になっていただき、その後、万博を開催するような立派な国になってもらいたいものです。
オリンピックや万博を開催しますと、国や都市が見違えるほど変わります。私は、セビリャでそれを目の当たりにしました。
ジェトロ 桜井
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