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船、あるぜんちな丸第12次航から40年を経過して【第六部】
あるぜんちな丸第12次航の二等航海士吉川誠治さんの寄稿文第六部です。今回は、商船三井海上従業員の変遷他、*2.船内設備も様変わり ◎ 居住設備 ◎ 自動化設備と続きます。写真は、コンテナー船 【MOL ADVANTAGE】66,559G/T 商船三井の新鋭コンテナーせんです。5900個積みで日本・ヨーロッパ航路に就航しています。


このような趨勢の中、日本の船員法も改正され、昔マル・シップを云われた日本船船籍船にも外国人が一部混乗することが認められました。 今では就航当初、安全上日本人それも中核体船社が直接雇用する日本人乗組員に限っていたLNG船にも、訓練された多くのフィリッピン人乗組員が配乗されるようになりました。日本の旗を掲げた船も日本人のみによって運航されているわけではないのです。

IT 即ち情報通信技術は世界中に携帯電話を短時日のうちに普及させました。 船舶通信も昔のモールス信号による短波通信に代わり20数年前から通信衛星を介したサテライト・通信に代わり、音声やテレックス、更に電子メール通信にとって代わられました。

40年前の「あるぜんちな丸」当時は貨物船でも通信士は3名乗船していました。しかし、当時でも日本船以外の外国船の通信士は1人だったのです。 この違いは日本語のモールス符号を用いた通信を日本向けに使っていたからです。 世界各地を航海中の本船から日本語で交信できる無線基地局は、長崎,銚子にある日本の海岸局だけだったのです。 当然その他の国の海岸局は英語の外は自国語だけで、これらを経由する場合、英語によるか、ローマ字を使うしか方法がなく、それらを使っての通信では充分な意志疎通が確保されないと云う問題がありました。

私は約30年前、商船三井が傭船したイギリス船にスーパーカー・ゴー(貨物監督)という職務で乗船した経験があります。 その船はカリブ海航路に就航し、ブラジルのお隣のスリナムで狭い河を遡航している最中、スクリュウが河底に接触するという一寸した事故が発生し、その処理に関して長文のローマ字による電報を、ニューヨーク支店から受けたことがあります。しかし、イギリス人の通信士が聴取したローマ字による日本文は間違いだらけで、判読して何とか理解できるという程度のものでした。 その通信士は『もうこんな電報は勘弁してくれ』と私に泣きついたほどでした。 送信したアメリカ人も聴取したイギリス人の通信士も英語は母国語でスペルは単語単位で記憶しているので間違いなく受信できるのですが、彼等にとって一つ一つのスペルが無意味に並んだローマ字による日本語を正確にキーを叩き、確実に聴取するのは至難の業であったのです。

このような理由で、日本船は日本と母国語を用いて通信する必要があり、大洋の彼方から直接長崎、銚子無線を呼び出し通信するのですが、短波通信と言っても少し遠くなると直接日本と交信できないところが多く(電離層の関係で地球の裏側であるブラジル南部、アルゼンチンからは直接交信が可能でした)その場合、世界各地に散らばる僚船に中継を依頼して日本語による通信を確保していたのです。 そんな関係で交信が想像以上に複雑になり、自船だけの通信でなく他船の通信も取り扱う必要があり、3名もの通信士が乗船していたのです。

そんな通信士もその定員を決定する法的枠組みである電波法及び船舶職員法の改正により、1967年8月以降法定定員は1名となったのです。 しかし法的に1名となっても通信士をそれに見合って直ちに解雇する訳にはいかず、組合との交渉の結果、3年間の期限を定め、2名の通信士が4時間交代で2当直ずつ合計16時間の当直体制を取る通信士2名時代が一定期間続きました。

それに伴い、自動遭難信号送受信装置や衛星通信装置が逐次各船に行き渡り、電話・テレックスが常用されるに及んで、モールス信号によるトン・ツウ通信は途絶えました。そんな中、最終的に1人に減員された通信士は、事務長が乗船しなくなった後の船内事務処理も行うようになり、事務長兼任のような存在になりました。 そして一昨年からは通信士による特別な技能を要した送受信が必要とされなくなり、通信士の姿は船上から消え去ってしまいました。 現在は殆どの船で無線室が閉鎖され、代わりに操舵室の一画に設置された小型の通信コンソールから、専ら通信費の安い電子メールを用いて、慣れない手つきで船長がキーボードを叩いて通信しているのです。

このように日本の主要海運会社は、国際競争に立ち向かい何とか世界に通用する海運会社として今も健在です。 しかし、近年の企業間の競争は熾烈を極め、合理化、リストラは船員費だけでなく、陸上従業員の雇用を含めた店費にまで及んでいます。 管理部門は日本に残さざるを得ないので東京に置かれていますが、営業部門は北米関係についてはサンフランシスコ、極東、欧州関係についてはシンガポールにその拠点を移しています。 日本は今やあらゆる面でハイコストな国になってしまいました。 企業運営コストも日本人の意志決定の遅さ、事務能率の悪さも手伝って、事務諸経費、諸通信費、更に人件費を含めて全てのコストがアメリカより高くなっているのです。

*2.船内設備も様変わり

◎ 居住設備
 船内設備で誰もが先ず最初に関心を持つのは、居住設備でありましょう。 長期間、閉じこめられた船内で過ごす生活は設備の改善で大きく変わりました。 「あるぜんちな丸」当時、二等航海士として乗船していた私には船長室の隣に個室が与えられていましたが、皆さんが約40日の航海を過ごされた三等移民船室は、ステアリッジと称し、帰りの航海には貨物を積載するスペースに転換される上部中甲板デッキに設けられたもので、お世辞にも快適な船旅を楽しんで貰えるような設備ではありませんでした。

それでも、戦前の客船の3等船室、特に移民船のそれとを比較した場合、相当改善されていたと云われています。例えば、船室区画内の照明には蛍光灯を導入され、メカニカル通風装置を強化して大幅な換気の改善を図ることによって船室区画の環境改善がなされていました。 又、ハッチ・カバーの上とはいえ区画中央の食事スペースを広くとったり、上甲板上には固定座席が100席以上設けられた、相当な広さのダイニング・サロンがあり、ステージ、講演台などもあって使い勝手のよい公室がありました。 また、船室入口の階段上のロビーは喫煙・懇談のためのソファーを設け、少しでも3等船客がくつろげるような配慮がなされていました。 このほか直接目に見えない安全面でも、国際法である「海上に於ける人命の安全条約」が強化た結果、日本の「船舶安全法」も改正され、新たに「船舶防火構造規定」が付加されたので、それに応じて構造的にも充分な対策が施されていました。

現在は海を渡る旅客の殆どが航空機を利用します。 旅客が海を移動空間として利用する場合は時間的な余裕が有り余るほどあり、自分たちの常日頃の居住環境では味わえない豪華さと快適さを求めるクルーズ客船によるものでしょう。
一方、専ら貨物を運ぶ船の乗組員居住設備もクルーズ客船のそれとは目的が異なりますが、昔とは様変わりになりました。 それはハード面で船の大型化により乗組員居住区画を大幅に拡大することが可能になったこと、技術の進歩で必要且つ充分な空調、給湯、内装等キャビン内の設備もコストにこだわることなく設置することが出来るようになったのが大きな原因です。 又、ソフト面では単純な労働に明け暮れた後の労働力再生産の場として、雇用確保の面からも、陸上のそれに比べ一段上質の快適な船内生活空間を保証し、労働力の再生産を図るという理由が生じてきたからです。

戦後、労働組合が関与し、戦前とは比較にならないほど改善されていた「あるぜんちな丸」の乗組員居住設備ではありましたが、現在のそれに比べれば、戦後の復興期にあった日本の住宅難を反映し、それはお粗末なものでした。 末端の甲板員、機関員等の居室は勿論、中堅部員の居室も4人部屋で職長即ち、甲板長、操機長、司厨長に昇進してやっと個室が与えられると云った状況でした。 勿論、皆さんの3等船室に比べれば良しとしなければなりませんが、当時の1年以上乗船しなければ、下船休暇が貰えないという長期の乗船期間を考えれば、乗組員の船内居住環境は、我々が日々暮らしている日本のあまり良くない住宅事情を考慮にいれても、我慢と辛抱を強いられるものでした。

翻って現在、船の乗組員の居室は小さな内航船においても全て個室化が図られています。 最近建造された新鋭船では、末端の部員クラスの個室も可成りの広さが確保され、その上シャワーや便所が各室毎に設けられています。 一般に日本船を建造する場合、日本の造船所は外国に輸出する船より少しグレードを落とした仕様で居住区を造り、建造船価を少しでも安くするようにしていました。 しかし、最近は建造後短期間で外国に転売することも多く、又売却しないまでも、前述の通り突然乗組員を外国人に配乗替えするケースがあり、国際的に通用する仕様で居住区が造られるようになりました。 その代わり、娯楽室として日本人乗組員のために設けられていた畳敷きの和室などは廃止されてしまいました。

居住設備の改善で最も評価されるのは船内空調がほぼ完全になったことです。 外気に解放されることが多い操舵室にまで充分な空調がなされているのが現在の船です。 翻って「あるぜんちな丸」当時は1等船客区画だけに冷房設備があり、船長室といえども扇風機でした。 メカニカル・ベンチレーターと称していた機械通風装置をフルに動かしても、ロスアンゼルスを出港し、メキシコ沿岸からパナマ運河を通過し、リオデジャネイロに到着するまで20日間あまりの熱帯海域の航海は、3等船室内では相当蒸し暑く、さぞ寝苦しかったことと思います。 2等航海士であった私は深夜当直の終わった朝の4時に、船内を一回りして異常がないかどうか、見て回るのが日課でしたが、その時刻になっても寝付かれずにデッキに上がって居られる方が少なからず居られたことが思い出されます。

もう一つ生活環境で大いに改善されたものに清水の供給があります。 船内においては清水の消費と供給は帆船時代の昔から、航海には欠かすことの出来ない重要問題でありました。 クリストバル港で清水タンク一杯に補水するのに時間がかかり、出港時間を数時間遅らせたこともありましたし、航海中清水の消費が増え、節水をお願いしたことも度々でした。

それが現在では全く問題にする必要がなくなったのです。 簡単に海水から清水を作る装置が開発されたのです。 日本がサウジ・アラビア等の産油国に盛んに輸出した海水からの造水プラントのノウハウが生かされ、圧力を真空状態まで下げた状態で海水を蒸発させ、そこから清水を造るのですが、熱源はエンジンの冷却装置から得られるので、ポンプを駆動する以外のエネルギーが不必要なのです。 通常一日に数十トンの清水が得られるので、乗組員が少なくなった貨物船では、便所の排水等にまで清水を使っています。 そうすることにより、これまで海水を流していた為、腐食して修理に追われていたパイプも長期間の使用に耐えるようになりました。

船内の居住環境は往事と比べものにならないぐらい改善されました。しかし、大洋を航海する船は時化の海、凪の海を24時間止まることなく走ります。 そこに働く船乗りはやはり過酷な労働者なのであります。

◎ 自動化設備
 先に「日本人離れが進んでいる外航船」と題する項で、自動化船と乗り組み減員問題に触れましたが、それと重複するところがありますが。具体的にもう少し書いてみることにします。

 世界最初の自動化船は旧三井船舶の「金華山丸」でありましたが、本船に装備された自動化設備の主なものは、@エンジン・コントロール・ルームが機関室内の一角に設けられたこと、Aメイン・エンジンの操縦をブリッジから遠隔操作できるようにしたこと、B係船装置を改良し係船ロープを巻き取りドラムに巻きこんでそのまま固定して係留するようにしたこと等でした。 その他にこの船では従来の乗組員の就労体制を見直し、ソフト的に人員の削減を図ったことです。 例えば操舵手はそれまで4名乗船し、3交代の航海当直に従事し、余った一人は日常の作業を行うことになっていましたが、日常作業に従事する人員を削減し、操舵手を3名にしたことです。 余談ですが、操舵手のことをコーター・マスター(Quarter Master)と言います、これは帆船時代からキャプテンの4分の1の給与が支払われるという意味で、操舵手は伝統的に4名と決まっていたのです。

これらの中で画期的なことは、機関室当直に関してです。 従来、機関室内では主機関はじめ各種補機器はその機械の側で操作し、運転状況をその機器に取り付けられたゲージから読みとり,異常なく各機器が運転されているかどうかを確認し, 機関の運転を維持し航海を続けるのが機関当直員の仕事であったのです。 従って機関当直員である機関士、操機手は毎日4時間を2回、高温多湿、騒音の激しい環境の中、時に荒天で動揺が激しい場合は機械通風装置の排出口の下で吊革につかまって、一日延べ8時間の労働を強いられていたのです。 そんなわけで機関室当直員は熱帯海域を航行中は時間の余裕があった場合、交代でデッキに上がって冷をとり鋭気を養い、又機関室に降りていったものでした。 これは労働災害と言えるかもしれませんが、我々がつき合うエンジニヤー仲間は総じて耳が遠いようです。 機関室内では耳栓を付けチョークと黒板で会話していたにもかかわらずです。

それが「金華山丸」以降、機関室内の一画に設けられたコントロール・ルームで大半の時間を過ごし、必要な場合だけ直接機器の側に行って自分の目で確かめるれば、ことが足りるようになったのです。 当時、最初に自動化船に乗船した機関長は『特に高温多湿の機関室から隔絶されたコントロール・ルームでの当直は、在来のそれに比し、就業環境において今昔の感を覚える』と 報告しています。 この機関自動化の目的は前述のことからも明らかなように、乗り組み定員の削減による船費の低下で、船内の職務を合理化し、特に機関室当直要員の肉体的、精神的労働量を減少させることにありました。 つまり経済性と労働環境の改善を含む安全性の確保と言う二つの目的を追求したものでした。 これはこの時代特筆されるべきことで、この目的はほぼ達成されたといってもよいでしょう。

具体的には機関室内の多くの機器の発停・操縦・監視はコントロール・ルーム内から可能になったからです。 この成功により機関の自動化は更に拡大され、省力化、装置の合理化は船内各部に及びました。 これにより夜間の機関当直が廃止される方向に向かいました。機関室内で最も気を付けなければならない事故、それは火災ですが、機関室内の自動火災警報装置、及び消火装置を強化し、更に機関各部の運転状況の監視・計測・記録といった各種多様な運転に必要な業務をコンピューターで自動的に行う装置「データ・ロガー」が設けられた自動化船には、日本海事協会からM0(Machinery Space Zero) 資格が与えられ夜間の無人運転が認められたのです。これで外洋航海中は夜間は機関士、操機手は自室でゆっくり眠れるようになりました。 その分、昼間に各種機器の整備作業を充分に行い、夜間の無人運転を開始する前に、翌朝までの燃料、潤滑油等の供給体制を整備し、最後の点検を済ませて全員機関室から退くことが出来るようになったのです。

これらの延長線上で、先に述べた近代化船プロジェクトが始まり、乗組員を極限まで減員することになり、航海士が機関当直を兼ね、機関士が航海当直をすることが出来るようにエンジン・コントロール・ルームと操舵室を一体化した船橋を持った近代化船が出現しました。 しかし、この試みは日本船に限って試験的に実施されたもので、減員のための投資がそれによる人件費の節減を上廻るような結果になり、最終的にはエンジン・コントロール・ルームはやはり各種機関に隣接した機関室内、又は至近の上甲板上に配置され、主機関の発停、回転数制御に要する機器、指示器だけを操舵室に配置するという常識的なものに落ち着きました。

乗り組み員数の削減は船舶運航の自動化装置の技術的進歩と歩調を合わせて進んできました。 各種自動化機器の開発と同時にそれらの機器の信頼性が往時と比べものにならないほど向上したことも要員削減を加速しました。 機関部の各種原動機の解放時間は昔に比べ数倍に延びましたし、航海計器等は殆ど故障知らずです。 その上重要な計器は航空機に習い二重装備されているものもあります。 それにつけ「あるぜんちな丸」乗船中、自動操舵機に故障が発生し操舵手と共にブエノスアイレス停泊中数日を要して、やっとの思いで修理を完了させたことが思い出されます。





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