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船、あるぜんちな丸第12次航から40年を経過して【第八部】
あるぜんちな丸第12次航の二等航海士吉川誠治さんの寄稿文第八部です。今回は、何故日本船は丸という船名をつけるのか?を説明してくれております。船はまさに海上に浮かぶ城のようなものだから“丸”を付けるようになったそうです。最終章の【神戸港の今】1. 古い港の部分は現在も現役でパイロットとして大阪湾を我が庭のように縦横無為且細心の注意を払って大型船を水先案内しておられる経験に基づく神戸港の紹介文です。写真は、1995年に神戸を襲った大震災の傷跡、震災による港の被害状況でメリケン波止場の小型舟艇の乗り場の惨状。現在も震災記念として現状保存されています。 



* 3.「丸シップ」のことなど

大凡25年ほど前までは、日本の商船は全て末尾に(丸)が付いた船名を持っていました。私たちが外国の港に寄港すると『船名の丸は何を意味するのか、何故日本船は丸という船名をつけるのか』とよく質問を受けたものでした。 それに対し、『昔、日本のお城の建物は各々(丸)が付いた呼び名であった。 船は海上に浮かぶ城のようなものだから(丸)を付けるようになったのだ』と解ったような解らないような返事をしたものです。

確か私の記憶が間違いでなければ、日本の船舶法に、日本商船はその船名の末尾に(丸)を付けることを求める文言があったように思うのですが、その後の法改正によりこの文言がなくなったようです。 30年近く前に日本各地にカー・フェリー航路が続々と開設された頃、就航した多数のフェリーの船名には営業政策上、先ず目立つこと何よりと、横文字の名を片仮名でつけることが流行のようになりました。 折から外航海運会社も経費節減のため、逐次所有船を便宜置籍船としてパナマ船籍、リベリア船籍に変換しており、その際、船名は末尾の
(丸)を取り除くのが最も簡単であったので、(丸)はずしが加速化されるようになったようです。

しかも、現在では前述の船員費の高騰による諸経費の節減のため、日本の海運会社が支配する船隊は現地に設立したダミー会社の所有船として、パナマ国籍或いはリベリア国籍として登録しています。 そんな関係で日本国籍の外航船舶そのものが少なくなっているので、「マルシップ」が希少な存在になるのは当然です。

船名をつけるのは簡単なようですが、船の数が増えてくると会社も面倒になってくるのか、あまり深く考えずに船名をつけた形跡があります。 戦前日本郵船の客船「秩父丸」の英語による発音がセックスに関する隠語と間違えられるというので「鎌倉丸」と改名されたという話を聞いたことがあります。 それでなくても日本語で名前をつけると外国人には区別がつけられず、似たような船名が多いと、代理店等でさえも船名を取り違えるということがしばしばありました。 例えば、我々が「あるぜんちな丸」に乗船していた当時、郵船には「伊賀丸」「滋賀丸」「佐賀丸」「佐渡丸」、また、「有馬丸」「有田丸」「粟田丸」「秋田丸」「熱田丸」等の船が存在しました。 これをローマ字で書いてみてください、外国人が間違うのは当たり前です。

逆に間違いやすい船名を営業に利用した例もあります。 40数年前、合併前の三井船舶は欧州航路同盟に加入を申し入れたところ、「三井船舶は戦前は三井物産船舶部であり、今でも巨大貿易商社三井物産と密接な関係にあるので、純粋な海運会社(Common Carrier)ではない」という理由で加盟が拒否されました。 しかし三井船舶は盟外船として欧州航路に強行配船したのです。 「同盟 に入れろ、入れない」の喧嘩ですから、同盟側と三井船舶との間で当然運賃競争になります。 三井側が「有馬山丸」を配船すると同盟側は「有馬丸」を「赤城山丸」を配船すると「赤城丸」をファイティング・ボートと称して、同じようなスケジュールで配船して混乱を起こさせ、三井側を徹底的に排除しようとしたことがありまました。 これは間違いやすい船名を利用した興味深い例です。

大阪商船では船名に外国の地名を用いるのが習慣になっていましたので、間違うことは少なかったようですが、私はアメリカで代理店の人に「もんてびでお丸」のことを「モネミネ・・・マル」と発音され、何のことが分からず、前後の会話の状況で、やっと理解できたという経験があります。 外国語を使っているつもりでも、こんなことがあるのですね。

日本の主要海運会社は合併吸収され「商船三井」「日本郵船」「川崎汽船」の3社にほぼ集約されました。 その支配下にある船の数はおそらく40年前の2倍、運行する船隊の合計総トン数は10倍近くなっていることでしょう。 昔、各社共、年間数隻の新造船を生み出すのがやっとの状態でしたが、最近では4隻ないし10隻もの同型大型コンテナー船を一度に纏めて発注する傾向にあり、各種の船を合計すると商船三井でも年間10以上の船が新たに支配下船として船隊に加わり、新しい名前の船が誕生します。

そんな 関係で一船一船凝った名前をつけるのが面倒になったのか、コンテナー船に限って云えば、「箱根丸」「箱崎丸」「白馬丸」とコンテナーの『箱』に因んで『H』が付いた船名を採用した日本郵船でしたが、それも直ぐに尽き果て、その他の頭文字が付く船名に変わりました。 便宜置席船が増えてくると、一時期北米太平洋岸向けの船が多かったので[CALIFORNIA VENUS]、[CALIFORNIA ZEUS]等[CALIFORNIA]の後にギリシャ神話の神様の名がつく船名が日本船籍の船を含めて付けられていました。 又、最近ではNYKを冠する星の名前、例えば、[NYK ALTAIR],[NYK SIRIUS],[NYK PROCYON]等、恒星になりましたが、ごく最近では著名な星も付け尽くし、[NYK ROADSTAR]と名付けられた新造船が就航しました。

コンテナー船の場合、所有船、傭船を問わず運行会社を明確に表示するために、外国船社では会社の名前を前後に付けるのが有効だと考えられていたようです。 例えば、デンマークのMAERSK LINE は自社船には [REGINA MAERSK]、傭船には [MAERSK TACOMA]、台湾の EVER GREEN LINE (長栄海運)は [EVER] を冠する U型船は [EVER UNION], R型船には [EVER ROYAL]、韓国の現代商船 (Hyundai Merchant Marine) は [HYUNDAI AMBASSADOR]、イギリスとオランダの代表的海運会社が国際結婚したP&O NEDLLOYD 社は [P&O NEDLLOYD KOBE]と言う風にです。 それに習って日本郵船もNYK を冠する船名にしたのです。

商船三井の場合、合併後、船名は原則的に定期船には大阪商船の伝統により外国の地名、不定期の専用船には荷主の要請がなければ、三井船舶のしきたりに従い「−−山丸」と言うことになっていました。 そんなわけで43年に始まった北米カリフォルニア向けコンテナー第1船は「あめりか丸」、豪州は「おーすとらりあ丸」、北米東岸は「にゅーよーく丸」、欧州は「らいん丸」と名付けられました。 コンテナー航路が開設されて間もなく、商船三井はサントリーの漫画で有名で、船大好き、特に大阪商船フアンである柳原良平さんに依頼してPR用にロゴを作成してもらいました。 出来上がったのは鰐がノソノソとコンテナーを担いで運ぶと言うユーモラスなものでした。 そこでそれ以後新たに船隊に加わった北米向けのコンテナー船にはアリゲーターを頭に付けることになりました。 鰐は日本では英語でクロコダイルと一般に記憶されていますが、南北アメリカ大陸の鰐はアリゲーターですね。

それから数年後、マル・シップが消滅し、パナマ、リベリア国籍の船が増えつつある時期でもありましたので、北米向けのコンテナー船に限って[ALLIGATOR]を冠するコンテナー船が続々と誕生しました。 いわく[ALLIGATOR PRIDE],[ALLIGATOR INNDEPENDENCE]等々です。 [ALLIGATOR]を下手な日本人が発音すると、ありがとうに通じるから採用されたのかもしれません。 しかし、折角出来たユーモラスなトレードマークを徹底的に活用して全てのコンテナー船をアリゲーターにしてALLIGATOR CONTENER を売り込むと言うのも一つの方法でしたが、他の航路には地名を用いた船名が残されました。 理由の一つは柳原先生のアリゲーターのロゴは非常に良く出来ていて、このロゴがコンテナーの側面に描かれたコンテナーがトレーラー・トラックの上に乗せられて、道路を走るのを子供見て『鰐コンテナーが走っている』と喜ばれています。 しかし、この宣伝効果抜群のコンテナーも側面にロゴを描くのに、手間とお金がかかり過ぎ、商船三井が所有する数万個に及ぶコンテナー全部にこれを表示するとなると、大変なお金がかかると言う理由から小さなステッカーを貼るのみになり、アリゲーターの名は船名と共に箱の上からも消えていっています。

欧州航路のコンテナー船には河の名が用いられており、[THAMES]、[DANUVE]、[MAAS]、[TYNE]等々, MAAS や TYNE などと言う河が在るのを知っている日本人は少ないでしょうね?。 南米航路用の船には数年前から [CHALLENGER] が付き、2年ほど前に建造された6隻シリーズのコンテナー船は [SANTOS CHALLENGER]、[PARANA CHALLENGER]、[SALVADOR CHALLENGER]等々になりました。 それが今年から、NYKに倣って、全てのコンテナー船の船名は一斉に [MOL] を頭に付ける事になったのです。 もう可成り知られるようになった [MOL]を遅ればせながらコンテナー各社に習って船名に付け加えることにし、社名を売り込み船隊の所属を明確にしたのです。 現在殆どのコンテナー船が改名済みで [MOL PRIDE]、[MOL INNDEPENDENCE]、[MOL THAMES]、[MOL SANTOS]、等に改まり、最近竣工した新造船にも [MOL ACTIVITY],[MOL INTEGRITY] という名が与えられました。 一方、LNG船には日本船籍であるにもかかわらず、アラビア語をそのまま使い[AL BIDDA]、インドネシア語の [EKAPUTRAS] 等と何が何やら解らないような名が付けられています。 以前、サウジ・アラビアとの合弁会社向けのVLCCに[BACCA]というタンカーがありました。 モスレムの有り難い神様の名だそうですが、そんなことが解らない日本人には「馬鹿」ではないかと思われても仕方がありません。

船名だけでなく、39年の集約合併以来、長らく「大阪商船三井船舶株式会社」という長ったらしい社名を使ってきましたが、昨年4月から「株式会社商船三井」と社名も改まりました。世間ではとっくの昔に兜町の株屋さんが付けてくれた「商船三井」で通っていたのですから。

川崎汽船ではコンテナー船を各地の港を結ぶ橋になぞらえ、日本船籍、パナマ船籍船を問わず、末尾にBRIDGE を付ける船名をコンテナー第1船から採用しています。 最初の船は誰もがご存じの[GOLDEN GATE BRIDGE]で、最近韓国で建造されたオーバー・パナマックス第1船は欧州航路に就航するはずですが、3代目の[GOLDEN GATE BRIDGE]になりました。もちろん日本の[AKASI BRIDGE]、[SETO BRIDGE]もあり、出来るだけ就航航路に因んだ実在する著名な橋の名が用いています。 以前ニューヨーク・コンテナー航路に就航していた船には、ブルックリンとリッチモンドの間に架かる橋に因んで[VERRAZANO BRIDGE]という船名でしたが、機関室火災を起こすという大事故がありましたので、二世は誕生していないようです。 又、[QUEENS WAY BIDGE]という橋は何処にあるのかな?在りそうな名前だなと思っていたら、往年の大西洋豪華客船[QUEEN MARY]が係留展示されている、ロング・ビーチの人工島にかかる小さな橋でした。 著名ブリッジにも限界があるのでしょう、架空のブリッジもあるようで[SEVEN SEAS BRIDGE]、[TRANS WORLD BRIDGE]などは象徴的に名付けられたブリッジではないかと思います。

『丸』という名の船が消えつつあるのは、何か我々日本人船乗りの近い将来を暗示しているようで、私たち水先人は“丸”の付いた日本船籍(「丸」が付いても旧船名をそのままにして船籍だけパナマやリベリアにした船もある)の船に乗ると、何かしら郷愁とホッとしたものを感じるこのごろです。


4.神戸港の今 

間もなく、神戸の街は大震災後7年目を迎えます。 街並みも150万人いた人口もほぼ元どおりになりました。 今、震災による6,400人余の犠牲者の霊を癒し、復興の灯りとするために始められた、クリスマス前の年末行事「ルミナリエ」で街はにぎわっています。「ルミナリエ」はイタリア語の「電飾」を意味する古語に由来するもので、今年のテーマは「光の願い」と題して、合計23万個の電球が灯され旧居留地一帯の会場に流れる聖歌を中心とした音楽が荘厳な雰囲気をかもしだします。 毎年、観光客を含めた多くの人達が光の祭典を見ようと集まりますが、今年は15日間の開催期間中約500万人もの来場者が見込まれています。

しかし、このように賑わいを取り戻したかに見える神戸の街も、バブル崩壊後立ち直りの兆しさえ見せない日本の不景気にもあり、震災で打撃を受けた神戸の経済に一層深刻な打撃を与えています。
かって東洋一を誇った港湾設備は震災により壊滅的な被害を受けましたが、それは政府の強力な支援により旧来にもました形で復興されました。 しかし経済の落ち込みと共に一旦神戸港から離れた船はなかなか戻って来てはくれません。 日本経済の不況、就中、関西経済は日本でも最悪の状態で神戸港の落ち込みを加速しているかのようです。

私たち大阪湾の水先人は沖に停泊中の船に赴く場合や、入航船での水先業務が終わるとパイロット・ボートでメリケン波止場を基地に往き来します。 その途中、商売柄か港の岸壁に停泊中の船の数が非常に少なくなっているのに見るにつけ何時も心を痛めているのです。これから遊覧船に乗った気分で神戸港を一周してみることにしましょう。


1. 古い港の部分

先ず、メリケン波止場をスタートし、現在の姿を探索しながら沖合へ向かってみることにします。 昔、艀溜まりであったメリケン埠頭の西側は埋め立てられてメリケンパークに生まれ変わり、ホテル・オークラの高層ビルや帆船の帆を見立てたオブジエがそびえる海洋博物館が目に付きます。 中突堤の先端部には波の断面をかたどった屋根を持つオリエンタル・ホテルが建ち、右側に往時艦船建造用の巨大なガントリークレーンがそびえ立って居た川崎重工業神戸造船所があります。 川崎重工は船舶建造の主力を香川県坂出に移しており、震災の被害が大きかったので商船の建造を取りやめていましたが、最近数万トンクラスの船の建造を再開しました。 左側には新港第一から第四までの突堤は昔の姿に近い状態で存在しますが、第一、第二、第三突堤に外航船が着岸する姿は殆ど見かけません。 第四突堤の先端部からは新しくできた人工の島ポート・アイランドへ通じる神戸大橋が架けられ、高架道路の上を車が激しく往来しています。 確か「あるぜんちな丸」第12次航は第三突堤の西側岸壁から出港したのではないかと記憶しているのですが、第四突堤であったかも知れません。 第四突堤から東の部分には二・三の突堤が40年前にも存在しましたが、それを越えるともう神戸港外になり大阪湾の海が続いていました。 第四突堤は今では客船専用岸壁でその東側の岸壁には立派な客船ターミナル・ビルが設けられ、大型客船が屡々着岸しているのを見かけます。

第四突堤の先端部に架かっている神戸大橋を通じてポート・アイランドに行くことが出来ます。 ポート・アイランドは「あるぜんちな丸」が突堤を離れ、昔大関門と言われた第二関門入口に向かう航路の東側に存在した防波堤の外の海面が埋め立てられて出現した巨大な人工の島です。 ポート・アイランドの西の対岸には川崎造船所に続いて兵庫突堤、その南側には「あるぜんちな丸」を生んだ三菱重工業神戸造船所があります。 三菱神戸造船所は1993年以来台湾のエバー・グリーンの大型コンテナー船38隻を連続建造しており、さながらエバー・グリーンのための造船所の様相を呈していますが、韓国の追い上げを受けて採算的に苦しい日本の造船所は、同じような船を連続建造することによってコストを引き下げ対抗しているのです。 この連続建造も来年後半には久しぶりに商船三井が発注した4隻の5、000個積みパナマックス・コンテナー船の建造開始で終止符が打たれます。

この造船所に限らず、日本の大手造船所は外見からは船舶建造に工場の敷地の大半を費やし、名前も造船所と名乗っていますが、中身は各種プラントを製造することにより成り立っています。 三菱神戸造船所も敷地の片隅に原子力発電所の中核部分を製造する二・三棟の工場がありますが、ここからの製品の売り上げにより造船所が維持されていると云われています。 恐らく商船建造による売上額は全体のそれの4分の1にも満たないもので、採算ぎりぎりの状態で造船部門の操業が維持されているのです。

しかし、本来の船舶建造ではエバー・グリーンのコンテナー船だけを建造しているかのように書きましたが、実は先ほどの川崎重工と三菱重工の両神戸造船所は年に1隻づつ交代で防衛庁発注の潜水艦を建造しているのです。 両造船所には大抵1〜2隻の潜水艦が浮ドック、艤装中や入渠中の大型船の陰に人目を避けるように係留されております。 平和目的以外原子力を使うことを自ら禁じた日本では原子力潜水艦こそ建造することはありませんが、ディーゼル推進の通常型ではありますが最新の技術で最高の装備を施された潜水艦が建造され、アメリカ第7艦隊の作戦任務に組み込まれていると云われています。 日本ではこの両造船所以外、戦後潜水艦を造った経験のある造船所はありません。 従って現在日本の海上自衛隊が保有する17隻の潜水艦は全て神戸生まれのイルカなのです。




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