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船、あるぜんちな丸第12次航から40年を経過して【第九部】
あるぜんちな丸第12次航の二等航海士の吉川誠治さんの寄稿文第九部です。今回は、2. 神戸空港 3. 明石海峡大橋 4.新しい港の部分 が紹介されています。建設賛否両論の神戸空港、夢の架け橋と呼ばれた明石海峡大橋の完成(1998年)神戸の新しい港の部分等興味深い神戸港にまつわる話題が紹介されております。写真は明石海峡大橋:1998年4月5日に開通した明石海峡大橋、中央橋脚間のスパンは、1990.8メートルで、世界最大の吊り橋です。阪神大震災が発生した時には工事中で、海峡中央海底を走る野島断層がずれたため、スパンが0.8メートル伸びて上記の長さになりました。写真は、その雄大な夢の架け橋そのものです。


2. 神戸空港

「あるぜんちな丸」が通過した大関門、現在の第二航路入口を出ると、前方に多数の作業船が集まり建設中の新しい島の輪郭部が見えてきます。 空港が出来るのです。 もう既に周辺の護岸が海面上に現れ、その護岸の中に土砂を満載した大型バージが神戸の裏山から掘り出された土を運び込み、決められた海面に投棄して新しい島を造成しています。 この神戸空港の建設問題が現在市政を揺るがす大問題になっているのです。

この空港は神戸市が設置・管理する第3種国内空港として一昨年(99年)6月着工されたもので、東西に2,500メートルの滑走路1本を持ち、日本国内の9空港と結ぶ計画です。空港島は272ヘクタールの広さを持ち、2005年の完成が予定されています。 建設費の総額は3,140億円と神戸市は発表されています。 しかし、これはあまり巨額な費用がかかることが一般に知られ、建設反対の声が盛り上がることを恐れて最小限の範囲の建設費を発表しているに過ぎず、最終的に空港を完成させるためにはこれより遙かに多額のお金が必要になります。 この費用に含まれるのは空港島と滑走路、それにポート・アイランドと空港島を結ぶ連絡橋等の建設費用だけで、空港への重要なアクセス手段となるポート・ライナーの延長工事費や空港建設による環境改善対策費等の関連費用、更に空港には不可欠のターミナルビル建設費さえも含まれていません。 4年後に完成したときにどんな説明がなされるのでしょうか。

かつて日本経済が毎年数%の成長をしていた頃、開発行政に際だった手腕を見せた神戸市は、全国の自治体の中でも神戸市株式会社ともてはやされましたが、バブル崩壊後も同じ手法を続けた結果、今や市の財政は極めて深刻な状態に陥っています。 そのため、この空港問題は地元神戸だけでなく、全国的に注目を集めております。 テレビでもNHK,民放各局ともに、この空港問題だけを取り上げた番組を放映したために、神戸空港建設問題はは全国的に知られています。 いずれも苦しい台所事情をかかえる日本各地の自治体が今後の神戸の成り行きに大きな関心を持っているのです。 そのような中、一昨年着工を前に一般市民30万人の反対署名がなされたにもかかわらず、市当局及び市議会の合意により強行着工されたのです。

そもそも神戸空港問題の根元は、今から約30年前、現在兵庫県伊丹市と大阪府豊中市の間にある大阪国際空港(通称伊丹空港)が内陸部にあり騒音問題をかかえ、その上拡張の余地がないので、それに代わる新空港の建設が検討され、その時第一に建設候補地に上がったのが阪神地区沖を埋め立てる案でした。 しかし当時の神戸市長は選挙対策上、反対する住民の票を恐れ、市当局自身が阪神・神戸地区への空港誘致に反対したことに起因しています。 神戸市はこれを最大の不覚と認識しており、関西国際空港が完成し,二本目の滑走路が建設されつつある今になって、遅蒔きながら国内線専用と思わざるを得ない、僅か2,500メートル滑走路1本の空港の建設を思い立ったのです。

伊丹にある大阪国際空港(国際線の飛行機が飛ばないのに今も国際空港と呼ばれている?)は関西国際空港が完成すれば、廃止されることになっていました。 しかし、こちらも公害問題で空港反対を唱えていたにもかかわらず、今度は空港がなくなることによる経済的損失に気付き、こんな便利な空港を廃止して良いものかと、存続を主張するようになりました。 これで大阪湾周辺に3つの本格的な空港が出来ることになり、航空機の離発着時の空域が狭く安全問題が持ち上がっています。 日本は海の上に出ても狭いのです。

私たち船乗りは、航空機の空港と船の港は同じくポートと呼ばれ一体であることを知っています。 ニューヨークにはマンハッタンやブルックリンの埠頭、お隣のニュージャーシー州ニュー・アークの港、それにケネディ、ラガーディア、及びニュー・アーク空港に加え、ダウンタウンにあるバス・ターミナルまでニューヨーク・ニュージャーシー・ポート・オーソリティーと言う行政範囲を超えた管理組織により一括運営されています。 日本ではお隣の政令指定都市である大阪市が管理する港、主に堺・泉北地区の大阪府が管理する港、それに形だけ民営化された関西国際空港株式会社、国直轄の伊丹大阪国際空港、それに加えてこの神戸空港とそれぞれ思惑の違った組織で運営され重複投資が目立ちます。 これらはお互いに先を競って新しい施設を建設します。 お金は将来の税金、国からの補助、起債、銀行からの借り入れと、次代の国民・市民に巨額の借金を残せば調達自由なのです。
ほんの1ヶ月前、オリンピック誘致に失敗した大阪市はオリンピックのメイン会場として予定されていた人工島のそのまた沖に、もう一つの島を造り始めはした。

3. 明石海峡大橋

大関門を出て空港建設中の会場で目を西に転じてみると、遙か西の方に巨大な吊り橋明石海峡大橋が見えます。 この橋は明石海峡に架かっているのですが、実際には神戸市垂水区舞子から淡路島に架けられているのです。 この橋の歴史をたどれば、丁度「あるぜんちな丸」が三菱神戸造船所の船台で着工された1957年に、当時の神戸市長原口忠治氏が市議会に明石架橋調査費を要求したことに始まります。 当時、「夢の架け橋」と呼ばれましたが、技術屋さんであった原口市長の下、神戸市独自の架橋計画案が作成され、夢から現実への動きが始まりました。

この神戸から淡路島を通り鳴門海峡を渡って四国への道を開く神戸淡路鳴門架橋計画は直ちに、瀬戸内海沿岸の他県の追従するところとなり、岡山県倉敷市児島と香川県坂出市を結ぶルート、広島県尾道市と愛媛県今治市の間の因島、大三島等大小9島の上に7つの橋を架けるルートと合計3つのルートの架橋計画が浮上し、関係自治体が政治家を巻きこんで架橋合戦が始まりました。 結局当時の政界の実力者であった田中角栄元首相の『四国開発のためには3本ぐらい橋があった方がよい』と云う、大英断と云うのか大風呂敷と云うのか、そんな政治判断で3つとも造られることになり、72年その建設・管理・運営の母体「本州四国連絡橋公団(以下;本四公団)」が発足しました。

3架橋全部造るという決着も、今度はどのルートを優先して着工するのかという順位合戦が始まり、これも紆余曲折の結果、政治決着が図られ、73年4月に3架橋同時着工という決定がなされました。 3ルート同時着工と言っても実際は、神戸鳴門ルートの大鳴門橋、児島坂出ルートの南・北備讃瀬戸大橋、尾道今治ルートは因島大橋と大三島大橋の5橋から始めることになり尾道坂出ルートが優先されていたのです。 大三島大橋に至っては大三島と伯方島間の橋でどちらの島も本州にも四国にも橋が通じていない尻切れトンボの橋で車の通行が期待できず、完成後数年は精々自転車だけが通行すると云った奇妙な着工順位だったのです。
最終的には田中元首相と僚友関係にあった大平元首相の地元香川県に渡るルートが全ルートが引き続き優先着工され、1988年海峡部9.4キロ・メートルの南・北備讃瀬戸大橋を含む鉄道併用橋6橋、通称瀬戸大橋が完成し、児島坂出ルートは瀬戸中央自動車道とJR瀬戸大橋線と共に同年4月供用が開始されました。

本題の明石海峡大橋は、瀬戸大橋完成後10年を経て1988年に、ようやく世界最大の吊り橋として完成し、神戸淡路鳴門自動車道は同年4月5日に全線開通しました。 その主要諸元は、中央スパン1,990.8メートル、サイド・スパン960メートル、全長3,910メートル、タワーの高さ297.2メートルで、車道片側3車線の道路単独橋です。 本来四国4県を纏めて大消費地である京阪神地区に直結するためには、明石海峡ルートが最優先されるべきであったのですが、政治力と前人未踏の架橋計画であった明石海峡大橋の技術的困難性が後回しにされた理由でありましょう。 しかし、アメリカがニューヨーク港口に架かるベラザノ・ナロウ・ブリッジ(中央スパン1,298メートル)を最後に長大橋の建設の実績がなく、明石海峡大橋と同時期に完成した世界第2のグレートベルト・イースト・ブリッジ(デンマーク)の中央スパンが1,624メートルであることを考慮すると、日本の架橋技術が世界の最先端にあることを証明するものです。 現に本四公団はイタリア半島の長靴のつま先とシチリア島の間にあるメッシーナ海峡の架橋計画に協力しています。

架橋工事は1986年4月に始められ、1998年に完成しました。この間、忘れもしない1996年1月17日午前5時46分マグニチュード7.2、震度7 の阪神淡路大震災が橋のほぼ直下を震源地として発生しました。 私の記憶ではその時既に2本の橋脚は高さ約300メートルの最高部まで完成し、巨大な重量を支える2本の鋼製ロープはほぼ張り終えられておりました。 地震を引き起こした野島断層は海峡の中央部を東北東の方向から西南西の方向に走っており、断層を境として北側は東に南側は西にずれました。 その結果中央スパンは計画より0.8メートル伸び、1990.8メートルになったのです。 しかし、橋本体は何らの被害も受けず、予定通り橋は完成しました。 これも日本の耐震土木建築技術の成果を物語るものでありましょう。又、余談になりますが、神戸から大阪湾口へ水先業務中、外国船の船長にこの話をしたことがあります。 その時その船長が『また、お前たち日本人は0.8メートル橋を引き延ばして世界記録を更新したのか!』と冗談を言われたことを覚えています。

最後に残された尾道今治ルートも昨年4月開通し、「しまなみ海道」と呼ばれ観光客でにぎわっています。 この開通をもって本州四国連絡橋は一応の完成を見ました。 しかし、大鳴門橋は徳島県出身の三木元首相の要求で新幹線規格の鉄道併用橋として建設されています。 道路単独橋として建設された明石海峡大橋には鉄道を通すことは出来ません。 そこで鉄道併用橋として計画される紀淡海峡架橋が浮かび上がるのです。 紀淡海峡には由良瀬戸(通称友が島水道)という幅約3.5キロメートルの海峡があり、この海峡の外から我々大阪湾水先人が水先業務を開始するのです。 ここに橋を架けるとすると、水深の関係で中央スパン3,000メートル級の明石海峡大橋をはるかに凌ぐ長大橋が必要になります。 既に海底の地質調査等基礎的な調査が始まっていますが、危機的な日本の財政状態がこんな壮大な建設プロジェクトを許すことは当面あり得ないことでありましょう。

巨額の建設費を費やし完成した3つのルートは、本四公団に借入金を含め要償還総額約4兆5千億円の負担をさせました。 現状の通行車両による料金収入は年間約870億円で年間の金利約1,400億円の支払いにも遠く及びません。 過大な通行車両の需要予測がこんな結果を生んだのでしょうが、これでは償還どころか毎年借金が増え続け、税金で穴埋めするしか方法がなくなります。 このため今、小泉内閣は政府関連特殊法人の構造改革壱番手として日本道路公団、首都高速道路公団、阪神高速道路公団、それに赤字体質から永久に脱出できないであろう本四公団を含め民営化する方針を打ち出し、与党自民党内の「道路族」議員と対立しています。 いずれ国民の圧倒的支持を持つ小泉首相の構造改革が押し進められ、危機的状況にある日本の財政が立ち直ることを国民の大半は期待しているのですから。

4.新しい港の部分

神戸空港建設海面とポートアイランドの間を通って東の方向に向かいましょう。 北側のポート・アイランドの護岸の中は未だ手がつけられない更地のままの広い埋め立て地が残されています。 この部分は神戸市株式会社が華やかりし頃造成された、最初のポート・アイランドの南側に拡張されたポート・アイランド二期工事により造成された部分です。 ポート・アイランドは南側の大阪湾に面した部分を除いて、周辺を港湾用地としてコンテナー・ターミナルや一般雑貨埠頭が設けられています。 最初に造成された部分の中央部にはホテル、国際会議場施設、病院、ファッション関連の企業の建物と、中層・高層の住宅群が立ち並び、整備された街になっています。

新設された南側の拡張部分には医療関連研究施設、及び関連企業を誘致すべく神戸市が努力中ですが、この不況の最中思うように土地の利用が促進されず更地が目立ちます。 反対にコンテナー・ターミナルだけはコンテナー船の大型化に伴い、水深の深い拡張部分の岸壁に移転しつつあります。 今のところ商船三井のコンテナー・ターミナル2バースと中国海運公司(COSCO)の2バースだけですが、近い内にアメリカン・プレシデント・ライン(APL)の1バースが移転する予定です。 これで最初にポート・アイランドに造られた初期のコンテナー・ターミナル12バースは近い内に撤退が予想される2バースを除いて、全て他の用途に転用されたか、借り手がないままになってしまいました。

拡張されたポート・アイランドの南東端にある防波堤の先に来ると、その前方に第2六甲アイランドが造成されつつある海面が見えます。 ここにも大水深コンテナーバースが3つ建設されることになっていましたが、先月従来の神戸市の市政を受け継ぐと公約して当選した矢田新市長も、さすがにこれ以上のコンテナーバースの建設を諦めたのか、新バースの建設凍結を決めました。

造成されつつある第2六甲アイランドと拡張されたポート・アイランドの拡張部分の間に現在の神戸港のメイン・ゲートである第3航路があります。 神戸港に入出港する船の大半はこの第3航路を通過するようになっており、神戸港の主要部分は大部分東の方に移ったことになります。 この第3航路に沿って北の方向に行くと、その左側はCOSCO(中国海運公司)と商船三井のコンテナー・ターミナルになります。 更に北の方向に進むともう一つ防波堤の入口があり、その右前方に第2の巨大人工島六甲アイランドが見えてきます。この島も周辺は港湾用地に使われ、中央部は流通関係の企業が立地し、ホテル、ファッション関連施設や、高層の住宅群が立ち並び整備が完了しています。

六甲アイランドには日本郵船、川崎汽船、デンマークのマースク・ラインがコンテナー・ターミナルとして2バースずつ借り受け、自社船を中心として運営しています。 コンテナー関連ではアメリカのシーランドがマースク・ラインと一緒になったので、その後の1バースが借り手のないままになっている程度で、自動車船や公共コンテナー埠頭に着岸するRO−RO船もあり、内海各港向けのフェリーが毎日朝晩発着するので六甲アイランドの港湾施設が神戸港の中心となっていると云ってよいでしょう。

第3航路の内側の防波堤を通過し、ポート・アイランドと六甲アイランドの間の港内海面を北に進むと古い防波堤の向こうに摩耶埠頭があります。 この埠頭は最初にコンテナー船を受け入れた岸壁で、今も公共コンテナー埠頭として専用のターミナルを持たない船社が運航するコンテナー船に利用されています。
摩耶埠頭の全面で進路を左に転じ、最初のポート・アイランド北側を西進すると新港第4突堤に突き当たります。 この辺りから古い港の部分になりますが、第4突堤には立派なパッセンジャー・ターミナルが設けら専ら客船が着岸します。 ターミナルの3階ロビーには高架道路に直結した車寄せがあり、バス、タクシー、マイカーに直接乗降車することが出来ます。 またポート・ライナーというゴムタイヤ軌道を走る無人運転の電車の駅も併設されていますので神戸の中心地三宮へは5分の距離にあります。

第4突堤先端にはポート・アイランドに架かる神戸大橋があり、この下を通過すると第3突堤の沖を通り元のメリケン波止場に戻り、これで神戸港一周の仮想遊覧船の周遊は終わることになります。



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