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沢田 啓明さんのサッカーコラム復活!!(7)
沢田 啓明さんのサッカーコラムは、ブラジル・サイトからの転載の形で何時も沢田さん御自身から送って頂いておりますが、既に復活して7回目、50回近くになります。サッカー王国ブラジルに住み好きなサッカー三昧の生活、それをお仕事しているだけに難しさはあると思いますが、羨ましいお仕事です。
長い長いブラジル全国選手権(24チーム総当り2回、46試合の綜合順位で優勝が決まる)もサントス優勝で幕を締めました。サントスは、サッカーの神様と言われたペレーのチームで今世紀に入って一昨年に続き2度目の優勝(ビカンピオン)を飾りました。日系人のフアンも多く美酒に酔いしれている人も多いのではないかと思います。お母さんが誘拐され多大の釈放金を支払ったとの奄ナすが、ヨーロッパへの移籍金を担保?に釈放金を工面した魔術師ロビーニョの去就が注目されます。
写真は、今回も地元ポルトアレグレのINTER2−1パラナの試合観戦時に撮った幸運の女神日伯交流協会研修生の杉山 茉莉子さんとのものを使用しました。


<サントス優勝と魔術師ロビーニョ> 12月21日掲載分
 12月19日、サンパウロ州内陸部の中都市サン・ジョゼ・ド・リオ・プレットはサンチスタ(サントス・ファン)たちによって占領されていた。サントスはホームスタジアムでの試合中にファンがミネラル・ウォーターが入ったコップをピッチに投げ入れたことからホームスタジアムで試合を行なうことを禁じされ、この地方都市で今年のブラジル全国選手権最終節のバスコダガマ戦を戦った。そして、サントスの優勝を見届けようとサントスから、そしてサンパウロから多くのサンチスタが駆けつけたのである。
 サントスのエース、ロビーニョは11月6日に母親が誘拐され、以来、ずっと試合に出ていなかった。しかし、この試合の2日前、41日ぶりに母親が無事解放されたことからチームに戻り、この試合に先発した。
 ロビーニョは小柄で痩せたまだ20歳の黒人少年だが、完璧なボールコントロールの持ち主で、特にドリブルがめちゃくちゃにうまい。ドリブルだけなら、ロナウジーニョ(バルセロナ)より上ではないだろうか。
 試合開始直後、サントスは右からのクロスにロビーニョが飛び込んでヘディングシュートを放ったが、これは相手GKに止められた。しかし、前半4分、中央やや右寄りのFKをリカルジーニョがゴール右上隅に放り込んで先制。さらに前半29分、右からのクロスをエラノが頭で決めて追加点をあげた。スタンドは大騒ぎ。この時点で、サンチスタたちはもう優勝を確信していた。スタンドでは「ファイシャ・デ・カンペオン」(優勝チームが胸にかける帯)が売られ始め、多くのサンチスタがこれを買って誇らしげに胸にかけていた。
 あと足りないのは、英雄ロビーニョのゴールだけ。そして後半14分、スルーパスを受けたロビーニョがディフェンス・ラインを抜け出し、相手GKをドリブルでかわすと無人のゴールにボールを流し込んだ。しかし、これは無情にもオフサイドの判定(怒ったファンが「絶対にオフサイドじゃないぞ!俺の全財産を賭けてもいい」と叫んでいたが、後でビデオを見たらオフサイドではなかった)。バスコダガマは直後に1点を返したが、抵抗はここまで。試合は2対1のまま終了し、サントスの2年ぶり2回目の優勝が決まった。
 試合終了直後、ロビーニョはピッチの外側に張ってあった金網にすさまじい勢いでよじ登り、喜びを全身で浮オた。母親が誘拐されていた間は夜もろくに眠れなかったそうだが、母親が無事に解放され、加えて優勝を決めたこの試合に出場できたことで胸のつかえが取れたはずだ。
 サンチスタにとっては、ロビーニョが復帰してサントスが優勝したことでこの上ない結果となった。それにしても、ロビーニョは本当にうまい。この日は久々の出場とあって試合勘が不足していたが、それでもマジックのようなボール扱いには見とれてしまう。これぞプロ。こういうとてつもない選手が出てくるから、ブラジルサッカーは楽しいのだ。ロビーニョは、来年はおそらくヨーロッパのクラブでプレーするだろう(ベンフィカかレアル・マドリーに移籍する公算が強い)。
 今は世界中のサッカーファンがロナウジーニョのスーパープレーについて話しているが、一年後には誰もがロビーニョのマジックとしか言いようがないドリブルについて話しているかもしれない。
(「ブラジル・サイト」 www.brazil.ne.jp/ より)">http://www.brazil.ne.jp/ より)

<銀河系軍団の監督にルシェンブルゴ!> 1月7日分
 サントスを率いてブラジル全国選手権で優勝したばかりのルシェンブルゴが、突然、銀河系軍団レアル・マドリーの監督に指名された。ブラジルでは誰でも知っている有名監督だが世界的にはほとんど無名で、スペインのメディア、レアル・マドリーのファンの多くは彼の迫ヘに疑問を抱いているようだ。
 ルシェンブルゴは52歳。現役時代はフラメンゴなどで左サイドバックとしてプレーしたが、平凡な選手だった。31歳で引退してコーチとなり、中小のチームの監督を務めたのち、90年にブラガンチーノを率いてサンパウロ州選手権で優勝して注目を集めた。93年に名門パルメイラスの監督に就任すると、93年と94年にブラジル全国選手権で連覇して一流監督の仲間入りを果たす。98年にはコリンチャンスを率いてブラジル全国選手権で優勝し、ブラジル代浮フ監督に招聘されて99年のコッパ・アメリカ(南米選手権)で優勝。五輪代浮フ監督も兼任して五輪卵Iを突破したが、シドニー五輪で惨敗。私的なスキャンダルもあって非難の集中放火を浴び、代賦ト督を更迭された。この頃が、彼にとって人生で最悪の時期だったはずだ。
 しかし、ここからのカムバックがすごい。03年にクルゼイロの監督として州選手権、コッパ・ド・ブラジル、ブラジル全国選手権の3冠を達成し(これはブラジルサッカー史上初の快挙)、昨年はサントスを率いて自身通算5回目のブラジル全国選手権制覇を成し遂げたのである(監督として通算5回の優勝は、ブラジルサッカーの歴代最多記録)。
 クラブ監督としての実績ではブラジル代浮フ前監督ルイス・フェリッペ・スコラーリ(現ポルトガル代賦ト督)、現監督カルロス・アルベルト・パレイラをはるかに上回っており、この10年余り、ブラジルでは「勝つのはルシェンブルゴのチームばかり」という状態だった。
 これまで、世界のサッカー界ではブラジル選手の技術の高さは評価されても、その選手たちを指導し、育て、試合に起用してきたブラジルの監督、コーチはほとんど評価されてこなかった。ブラジル人監督が極東や中東から監督に招かれることはあっても、ヨーロッパのビッグクラブを率いるチャンスを与えられることはなかった。ヨーロッパ人たちは、ブラジルサッカーの強さは選手個々の迫ヘの高さによるもので、ブラジル人コーチの指導・育成やチームマネージメントによるものではないと考えていたからだろう。
しかし、選手が優秀であれば、それは同時に指導者の迫ヘの高さも証明しているはずではないか。僕は、ブラジルのトップクラスの監督は世界中のどこでも通用する迫ヘを持っており、ある程度の時間さえ与えられればヨーロッパのトップリーグでも結果を出せるはずだと思っている。
ルシェンブルゴは監督就任直後にハードなミニキャンプを行ない、銀河系軍団のフィジカルと精神の両面を鍛え直した。そして、1月5日、爆破絡垂フため後半42分の時点で中断されていたスペインリーグのレアル・ャVエダー戦(中断された時点で1対1の同点だった)で初采配をふるい、わずか6分間に1点をもぎ取って2対1で勝って幸先の良いスタートを切った。
ルシェンブルゴがレアル・マドリーで成功すれば、ブラジル人監督に対する評価が一変するだろう。今後のレアル・マドリーとルシェンブルゴに注目したい。
(「ブラジル・サイト」 www.brazil.ne.jp/ より)">http://www.brazil.ne.jp/ より)

<大久保、スゴイぞ!でも、少し騒ぎすぎでは?>  1月14日分
 セレッヱ蜊繧ゥらスペインのマジョルカに貸し出されている大久保義人が「鮮烈デビュー」を飾った。1月9日にホームで行なわれたデポルティーボ・デ・ラ・コルーニャとの試合に先発フル出場し、1ゴール1アシストとチームの全得点にからむ活躍をみせたのだ(試合の結果は2対2の引き分け)。
 デポルティーボは昨年のスペイン・リーグ3位の強豪で、今季はやや不振とはいえ、マジョルカにとっては格上の相手だ。地元の新聞は「オオクボのおかげでマジョルカは敗戦を免れた」と書き、大久保に「ウルティモ・サムライ」(最後の侍)というニックネームを送った。
 大久保のゴールは、右からのハイクロスに鋭く反応し、2人のDFとGKに挟まれながら3人のちょうど真ん中に走り込んでしぶとく頭に当てて決めたもの。相手守備陣のマーキングのミスではあったが、大久保のスピードと執念が実った得点だった。この活躍は日本のサッカーファンを大喜びさせ、日本のスポーツ・メディアは「大久保、鮮烈デビュー!」の大合唱となった。
 大久保嘉人は、僕も大好きな選手だ。去年の9月20日付けのコラム「大久保義人はロマリオ、テベスになれるのか」の中で、「大久保には早く日本最高のストライカーになって、できるだけ早い時期に海外のクラブに移籍して活躍してほしい」と書いている。
 とはいえ、日本のスポーツ・メディアの騒ぎぶりを見ると、少し騒ぎすぎではないかと思う。大久保は、シーズンの途中にマジョルカに入団して、まだ1試合出場したにすぎない。最初の試合でフル出場して活躍したことは非常に重要だが、スペインではまだデビューしたての新人なのだ。
 マジョルカは、18節を終えた時点で20チーム中19位と降格エリアにどっぷりつかっているチームだ(スペイン・リーグでは下から3チームが自動降格する)。そんなチームに大久保が呼ばれたのは、点を取ってチームの1部残留に貢献するためである。スペイン・リーグは、残り20試合ある。大久保は、今後、コンスタントに試合に出て着実にゴールを決めなければならない。それができればマジョルカへの完全移籍が実現するだろうし、いずれはもっと大きなクラブに移籍する可柏ォも生まれてくる。
 いつも思うのだが、日本のスポーツ・メディアは海外でプレーする日本人選手に対して本当に甘い。「営業上の思惑」があるのだろうが、極端なまでに持ち上げる。
 翻って、ヨーロッパでプレーしているブラジル人選手は200人近くにのぼるのだが、ブラジル人選手が大活躍した場合でもブラジルのメディアの扱いは大きくない。ブラジル人選手がヨーロッパで活躍するようになったのは昨日、今日のことではないし、あまりにも大勢いるから、いちいち取り上げるスペースがない。そして、ブラジルのサッカーファンも外国でプレーしている選手のことなどほとんど話題にしない。ブラジル人にとっては、ロナウドやロナウジーニョやアドリアーノがすごいのはわかりきったこと。彼らがヨーロッパのトップリーグで活躍するのは当たり前
と思っているからだ。
 大久保のデビュー戦は、素晴らしかった。でも、まだまだ先は長い。愛情を持って、しかし冷静に見守ってゆこうではないか。
(「ブラジル・サイト」 www.brazil.ne.jp/ より)">http://www.brazil.ne.jp/ より)

<Jリーグ参戦が決まったブラジル選手はここがスゴイ!> 1月21日分
 今年も、大勢のブラジル選手が日本に渡る。例年以上にハイレベルの選手がいるので、今回はJリーグ入りが決まった主なブラジル選手について簡単に紹介してみよう。
 まず、昨年のブラジル選手権で38試合に出場して34得点をあげ、2位に12得点の大差をつけて得点王となったワシントン(29、アトレチコ・パラナエンセ→東京ヴェルディ)。190センチの長身でヘディングが抜群に強い(横浜FMの中澤でも抑えるのに苦労するのでは…)。ゴール前に陣取るタイプのスト
ライカー(こういう選手をブラジルではマタドール=闘牛士=と呼ぶ)だが、足元もうまくてパスも出せる。2年ほど前に心臓に疾患があることがわかって3度の心臓手術を受け、一時は選手生命が危ぶまれたが、1年余りの闘病生活を経て奇跡的にカムバックした。心臓病の再発が心配だが、実力さえ発揮すれば日本でも得点王を狙える。浦和レッズのエメルャ唐煦タ閑としていられないのではないだろうか。
 サンカエターノからは、DFジニーニョ(29、サンフレッチェ広島)と右サイドバックのアンデルャ刀Eリマ(31、アルビレックス新潟)が日本に渡る。
 ジニーニョは身長183センチ、体重76キロ。サンカエターノでは主に3バックの中央を受け持ち、守備ラインを統率していたが、対人迫ヘも高いからストッパーも務まる。
 アンデルャ刀Eリマは、運動量が豊富で、堅実な守備と積極的な攻撃参加が売り物の選手だ。サンカエターノではFK、CK、PKを一人で全部蹴っていたが、特にFKは圧巻。持ち球は鋭く曲がり落ちる強いボールで、これをニアサイドとファーサイドの上下に蹴り分ける。FKならジーコや中村俊輔に匹敵する選手で、ミドルシュートも得意だ。
 サンパウロ名門コリンチャンスからは、ファビーニョ(25)とゼ・カルロス(24)がセレッヱ蜊繧ノ移籍した。
 ファビーニョは、セカンド・ボランチ(攻撃的な方のボランチ)には珍しく186センチの長身。高い身体迫ヘと技術の持ち主で、堅実に守り、攻撃の起点となり、ミドルシュートを放つ。彼などは、Jリーグで一番欠けているタイプの選手ではないだろうか。
 ゼ・カルロスは左サイドバックだが、コリンチャンスではリザーブだった。
 アトレチコ・ミネイロから鹿島アントラーズに移籍したFWアレックス・ミネイロ(29)は、スピードがあって勝負強い。2001年にアトレチコ・パラナエンセで大活躍してブラジル選手権初優勝に大きく貢献した選手で、昨年のブラジル選手権でチーム最多の15得点をあげた。
 この他、J2のベガルタ仙台にFWシュウェンク(25、前ボタフォゴ)、京都サンガにMFパウリーニョ(22、元アトレチコ・ミネイロ)とFWアレモン(20、元コリチーバ)が移籍する。
 これらの選手たちの多くはヨーロッパのクラブでも助ェ通用する実力の持ち主であり、日本の生活とプレースタイルに慣れればチームにとって大きな戦力となるはずだ。特に、ワシントンの決定力、ジニーニョのクレバーな守備、アンデルャ刀Eリマの迫力ある攻撃参加と絶妙のFK、ファビーニョの攻守における質の高い動きに注目してほしい。
(「ブラジル・サイト」 www.brazil.ne.jp/ より)">http://www.brazil.ne.jp/ より)

<2005年のブラジルサッカーとテベス>  1月31日分
 2005年のブラジルのサッカーシーズンが1月下旬に始まった。
 ブラジルでは日程が毎年微妙に変わるのだが、今年は(今のところ)1月下旬から4月中旬まで各州で州選手権が行なわれ、4月下旬から12月上旬までブラジル全国選手権が行なわれる。これが基本線なのだが、平行して昨年のブラジル選手権の上位4チーム(サントス、アトレチコ・パラナエンセ、サンパウロ、パルメイラス)と昨年のコッパ・ド・ブラジル(ブラジル杯)の覇者サントアンドレが2月上旬から7月中旬まで南米クラブ王者を決めるリベルタドーレス杯を戦い、この5チームを除くブラジル各地の強豪64チームが2月上旬から6月下旬までコッパ・ド・
ブラジルを戦う。つまり、強豪クラブであれば年間を通じて3つの異なる大会を戦うわけであり、大会の重要度は、国際的な見地からするとリベルタドーレス杯のタイトルが最も価値があり、国内ではブラジル全国選手権、コッパ・ド・ブラジル、州選手権の順となる。
 州選手権は、中小のクラブにとってはビッグクラブと対戦できる機会として貴重なのだが、ビッグクラブにとっては前哨戦とは言わないまでもシーズン序盤の調整を兼ねた大会ということになる(とはいえ、ブラジルでは全国選手権が始まったのが1971年と遅く、それまでは州選手権が主要な大会であったという経緯があるため、現在でも州選手権のダービーマッチは非常に盛り上がる)。
 州選手権でレベルが高いのは、サンパウロ州、パラナ州、ミナス・ジェライス州、リオ・グランデ・ド・スル州、リオ州といったところ。サンパウロ州選手権では、ボカ・ジュニアーズからFWテベス、ポルトからMFカルロス・アルベルトを入団させるなど大型補強を行なったコリンチャンスに話題が集まっている。
 1月29日、そのテベスとカルロス・アルベルトが初めて出場したコリンチャンス対アメリカの試合を見てきた。
 テベスは、ボカ・ジュニアーズで活躍して2003年にリベルタドーレス杯で優勝し、去年のアテネ五輪で得点王になった。小柄だが非常に体が強く、スピードがあり、ドリブルがうまくて決定力が抜群という恐るべき20歳だ。コリンチャンスのホームゲームは通常、収容人員約4万人のパカエンブー・スタジアムで行なわれるのだが、この試合はテベス人気を当て込んで収容人員約8万人のモルンビー・スタジアムで行なわれ、5万人近い観衆が集まった。
 テベスはFWもMFもできるが、この日はFWとして先発。久々の試合ということでまだ試合勘が戻っておらず、ふだんならまずやらないようなミスもいくつかあった。それでも、前半24分にゴール前でボールを受けると絶妙のスルーパスを出し、これを受けたカルロス・アルベルトがGKに倒されてPK。このPKをコエーリョが決め、結果的にこれが決勝点となった(ゴールの直後、コエーリョがコーナーフラッグ付近でサンバのステッ
プを踏み、テベスもややぎこちないステップでサンバを踊ったのがおかしかった)。
 後半、テベスは前半よりも広い範囲を動き回り、思い切りのいいシュートを放って実力の片鱗を見せた。まだ調整不助ェではあるが、やはりモノがちがう。
 テベスはいずれはヨーロッパのビッグクラブに移籍するはずで、いつまでコリンチャンスにいるのかはわからない。それでも、今年のブラジルサッカーの目玉の一つがテベスであることはまちがいない。
(「ブラジル・サイト」 www.brazil.ne.jp/ より)">http://www.brazil.ne.jp/ より)

<新潟のブラジルキャンプを取材して考えたこと> 2月18日分
 2月9日から17日までブラジル南部パラナ州のクリチーバに行ってきた。Jリーグ1部のアルビレックス新潟が一昨年、昨年に続いてブラジルでプレシーズン・キャンプを行ない、テレビと雑誌の依頼でその様子を取材してきたのである。
 新潟がキャンプを行なったのは、クリチーバ郊外にあるアトレチコ・パラナエンセのトレーニングセンター。約25万平方メートルという広大な敷地内にピッチが5面あり(現在さらに3面を造成中)、筋肉トレーニングルーム、リハビリ用の諸施設、プール、レストラン、選手が試合前日に泊まるための宿泊施設、若手選手が生活するための寮などが完備している。
 新潟は1月27日に到着し、最初の2週間はフィジカル中心の練習を積んだ。3週目に入ると連日、ブラジルのクラブチームと練習試合を行ない、18日に日本に帰国した。
 練習試合の成績は1勝3分2敗(ただし、試合時間が通常の90分ではなくて45分を3本やることが多かった)。現在はまだ調整段階だから試合の結果はそれほど重要ではないが、内容は大切だ。
 昨シーズンの新潟はFWファビーニョ、MF鈴木慎吾というレフティー・コンビが攻撃の中心で、右サイドからの攻撃は少々見劣りした。しかし、今シーズンは右サイドバック、右MF、ボランチ、攻撃的MFとさまざまなポジションをこなすことができてFKの名手でもあるアンデルャ刀Eリマ(前サンカエターノ)、やはり右サイドのポジションならどこでもOKの海本幸治郎(前名古屋グランパス)、攻撃的MFで右利きの岡山哲也(前名古屋グランパス)らが入団したことで左右どちらからでも攻撃が仕掛けられるようになりつつある。そうなれば、新潟の攻撃は格段に破壊力を増すはずだ。
 また、昨シーズンの失点数がリーグで2番目に多く、守備の強化が大きな課題なのだが、このポジションにも海本慶治(前名古屋グランパスで幸治郎の兄。この海本兄弟は非常によく似ていて、見分けるのに苦労した)ら即戦力の選手を補強し、ブラジルのチーム相手でもボコボコにやられることはなかった。
 2月15日に行なわれたパラナ戦(第3戦)は45分3本勝負だったのだが、レギュラーに近いメンバーで戦った1本目はパラナ守備陣の背後を突いて何度も決定機を作った(結果は1対0だったが、これはFWエジミウャ唐ェ絶好のチャンスを外しまくったせいで、内容的には3対0くらいの試合だった)、チームが着実に成長していることを感じさせた。
 ただ、それでもブラジル選手にはやはり技術面で見劣りするし、何よりゴールを貪欲に狙う姿勢で大きく劣る。
 たとえば、敵陣のかなり深い位置で相手ディフェンダーと1対1になって「ここで抜いたら絶対に決定機を作れる」という局面を迎えたとき、ブラジル選手ならほぼ例外なく勝負する。また、そうでなければ「臆病者」と非難される。しかし、新潟の選手はそのような局面で勝負しないで横パスを出すことが多く、結果としてチャンスを逃していた。このあたりはサッカー以前の精神的な問題と言っていいだろう(ただし、中には例外もあった。たとえば、海本幸治郎などはしばしば果敢に勝負を挑み、17日の試合でも1人外してから2人目を股抜きで葬ってチャンスを作った)。
 サッカーでは消極的なプレーはご法度だ。「ダメモト」で積極的にプレーしなければ点は取れないし、勝てない。アグレッシブな姿勢が絶対に必要なスポーツなのである。
(「ブラジル・サイト」 www.brazil.ne.jp/ より)">http://www.brazil.ne.jp/ より)

<久々のブラジルサッカー観戦に新鮮な驚き> 2月23日付け
 クリチーバからサンパウロに戻ってきてアルビレックス新潟のブラジル・キャンプについての原稿を書き終えてから、2月20日、モルンビー・スタジアムでサンパウロ州選手権第8節のパルメイラス対サンパウロのクラシコ(伝統の一戦)を見てきた。サンパウロで試合を見るのは2週間ぶりくらいだ。
 この試合はパルメイラスの主催ゲームなのだが、パルメイラスの本拠地パルケ・アンターチカの収容迫ヘが2万5千人くらいしかないので、収容迫ヘがより大きいモルンビー・スタジアムで行なわれた。
 モルンビー・スタジアムはサンパウロの本拠地だし、この試合前までサンパウロが6勝1分と好調なのに対してパルメイラスは3勝1分3敗で監督が更迭されたばかりとあって、観衆はサンパウリーノ(サンパウロ・ファン)の方がずっと多い。雰囲気的には完全にサンパウロのホームゲームだ。
 試合は、開始直後からサンパウロが猛攻を仕掛け、前半5分にFWグラフィッチがペナルティ・エリア内で倒されてPKを取り、これをFWジエゴ・タルデリが決めて先制。その後もサンパウロが多彩な攻撃で試合を優勢に進めるが、なかなか追加点が取れない。前半はサンパウロの1対0のまま終了。こういう試合は、往々にして、後半になると流れが変わることが多い。
 ところが、この日のパルメイラスは元気がない。後半もサンパウロのペースで進み、後半31分、サンパウロが相手ゴール前正面でFKのチャンスをつかむ。キッカーは、GKながらFKの名手として知られるロジェリオ・セニ。思い切りカーブがかかったボールがファーサイドの上隅に飛び込んで、サンパウロが待望の追加点をあげた(ロジェリオ・セニにとっては、これが自身通算35点目のゴール。彼はGKとしても非常に優秀なのだが、世界で一番キックがうまいGKだろう)。 
 この追加点で勝負は決まった。サンパウロは、後半41分にもFWルイゾンのヘディングシュートで3点目をあげる。サンパウロの圧勝、パルメイラスの完敗だった。
 試合そのものも面白かったが、観戦していて自分で驚いたのは、プレーの一つ一つが非常に新鮮に感じられたこと。僕はクリチーバでアルビレックス新潟の練習試合ばかり見ていた(45分×3本を4試合、45分×2本を2試合見たから、実質的に8試合見たことになる)せいで、まだ調整段階とはいえ、日本のサッカースタイルに目が慣れてしまっていた。だから、久々にブラジル選手どうしの試合を見て、その技術の高さと発想の豊かさに驚きを感じたのである。
 1986年に初めてブラジルにやってきたとき、サンパウロやリオで試合を見て「これがサッカーだとしたら僕が今まで日本で見てきたものは一体何だったんだろう」と感じたものだが、あのときの感慨を思い出した。
 ブラジルのトップクラスの選手の多くはヨーロッパをはじめとする外国に行ってしまっている(たとえばヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグの準々決勝に出場する16チームのうちの12チームに合計20人以上のブラジル選手が在籍している)が、それでもブラジル国内にはうまい選手がゴロゴロいる。サンパウロ州選手権にしても、レベルはJリーグより高いのではないだろうか。
 ブラジルがこれだけ大勢の選手を外国に送り出していながら、なおかつ国内でこれだけのレベルを保っていられるというのは、奇跡に近い、と思わざるをえない。
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