リオにお住まいの出羽孝史さんの寄稿 【牛肉】です。
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老化?を防ぐ一つの方策として月に一つは物を書く事を習慣付けておられる今年84歳になられる出羽さんは、リオの老舗旅行社TUNIBRAで現役として毎日多くのお客様のお世話をしておられます。週末には9ホールのゴルフを楽しまれ健康に注意しながら平穏な日々を生涯現役で過ごして行くのだと意気軒昂てす。長い間の人生経験は豊富でまだまだ頭の中には書きたい事、書き残して置くべき事が詰まっているようでこれからの寄稿が楽しみです。1月の【イデンチダーデ】、2月の【イパネマの娘】も一緒に収録させて頂きました。
写真は、リオでお会いした時に撮らせて頂いたものです。
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牛肉
出羽孝史
ロシヤのプーチン大統領がブラジルに来ていました。
中国の胡主席の来伯もあり、その前、小泉首相もブラジルを訪問。カナダのマーチン首相も来ました。ブラジルはそろそろ注目される国になって来たかの感じです。
プーチン大統領の来伯で両国間の経済交流の上向きが卵zされましたが、報道によれば、牛肉のロシヤ向け輸出、約5億ドルの商談は不振。ブラジルの牛肉にはアフタ菌の存在(?)が問題とかで、ロシヤは9月からは輸入を禁止しているとのこと。
ブラジルはロシヤ製の戦闘機「SUKOI」を12機=約7億ドル=購入の嵐閧ナしたが、取り止めになりました。
「牛肉を買ってくれなければ、飛行機は買えない」と言うことでしょうか。
商売の話は前あまりに進みませんでしたが、プーチン大統領は11月22日、駆け足でしたがリオを見物。
ブラジリアでルーラ大統領と会見のあと、リオに飛び、ガレオン空港からコルコバードとパン・デ・アスーカル。マラカナン球場ではロジーニャ・マテウス、リオの美人州知事が出迎えと場内の案内でした。
「天気男なのだろう。あの日のリオは暑くなく、快晴だった。ロシヤの大統領はさばけた感じの男で、マラカナンではボール足さばきをやってみせた。世界一と言われる球場で一度ボールを蹴ってみたかったのだそうだ。普段はあまり笑顔を見せないらしいが、リオの休日は一日中ご機嫌だったそうだ」
「小泉さんがリオに来ていたら、もしマラカナンに行っていたら、ボールを蹴っただろうか」
「どうだろう。野球の始球式だったら格好よく投げるが、大きいボールを蹴るのは不得手かも知れない」
「それにしてもロシヤの大統領は余裕たっぷり、全く公の用がないリオに来て、目的は観光だけだったのだから」
「一泊したリオの夜、プーチン大統領はコパカバナの海岸のシュラスカリヤでバンドをゆるめるほど食べた。ロシヤはブラジルの牛肉を買わない。しかし、自分はシュラスカリアでブラジルの肉を腹いっぱいだった」
ブラジルを訪問する日本人を含む外国人は誰でも、例外なくシュラスカリヤの肉に舌鼓です。食べ放題。ガルャ唐ニ呼ぶサービス員が大型の串にさした肉の丸焼きを客の前で薄切りにして皿に落としてくれます。
この国では肉食が多く、外国からの来訪者もよく食べ、生焼けもありますが、ブラジルの中部、以南は「アフタ菌病」とやらのケースはないようです。
牛肉は日本人の好物ですが、日本ではあまり安くありません。大量ではありませんが、ブラジル産の牛肉も日本は輸入しています。しかし、生の冷凍肉ではなく、熱処理で殺菌をしたもの。加工食品とかライスカレー・パックなどに混合用であり、日本でブラジル肉のビフテキを口にすることはありません。
「日本でビフテキなら日本の牛肉。神戸ビーフなら最高だ」
ブラジルの牛の数は人口より多く、肉の輸出量は重要な座をしめていますが、北部産は敬遠する国ありのようです。
鶏肉は問題なく、日本向けにも大量輸出されています。日本向けは冷凍鶏肉ですが、日本は衛生管理が厳しい国であり、輸入業者が指定する特定の輸出業社の製品のみに限られていて、検査員を派遣、品質のチェック。ある友人がその検査員のひとりであり、結国ス忙のようです。
今日、大阪に住むある友人からのメール。「昨晩はブラジル産の鶏をたくさん食べた。うまかった」
ブラジル産の鶏。どのように見分けたかの説明はありませんでした。
メニューにそう書かれていたのでしょうか。
(2004年12月)
イデンチダーデ 出羽孝史
子供が生まれますと、ブラジルではカルトリオ(登記役場)で出生届を行います。その時から生まれた子供の人間としての権利が発生する訳で、ブラジルは米国と同じ、出生地主義国家ですから、両親が外国人であってもその子供の国籍はブラジル。この国で生まれた外国人の子供はブラジル人です。
ブラジルやアメリカと異なり、日本は血統主義国家。日本生まれの外国人の子供は日本人ではありません。
ブラジル生まれの子供。義務ではありませんが、両親のいずれかが日本国籍であれば、在外公館に出生届で、その子供は日本とブラジルの二重国籍になります。ただし、届出は3カ月以内であること。
生まれた子供の血統は3カ月経っても、なん年経っても、死ぬまで変りませんから、3カ月以内でなければ国籍留保の権利を失う日本の法規、血統主義国家である日本と言う国に矛盾を感じます。
友人にヨーロッパ系ブラジル人がいます。
父親はドイツ人、母親はイタリヤ人で彼はブラジル生まれ。その友人は勿論ブラジル人ですが、ドイツとイタリヤの国籍をもつ三重国籍です。日本のように3カ月以内ではなく、それぞれの国の在ブラジル総領事館に登録はずうっと後であったとのこと。
国外旅行が多い仕事をしており、3カ国の旅券のお陰で、ほとんどの国に査証なしで入国が可煤B大変便利だそうです。
アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ等、多くの南米の国々と日本は査証免除協定がありますので、この国々の国民は査証なしで日本に入国がOKです。
何故はかは存じませんが、ブラジルと日本にはその協定がありません。ですから日系ブラジル人は二重国籍でなければ、訪日の際、査証瑞ソの手続きにいろいろの書類を要し、大変な時間と手間です。なにかの理由で査証瑞ソに必要の書類が揃わず、訪日をあきらめる気の毒な日系人もいます。
身分の証明。
ブラジルではセルチドン・デ・ナシメントと呼ぶ出生証明書。日本でしたら戸籍謄本、又は抄本です。
ブラジルではある年齢に達しますと写真入りの身分証明書=指紋の登録、セヅラ・デ・イデンチダーデ=の保持、所持が義務。ですから、本人の判別が可煤B
ところが、日本には身分証明書(イデンチダーデ)、指紋登録がなく、あるのは戸籍謄本だけですから本人なのか偽者なのか判別困難があります。戸籍謄本、又は抄本が唯一の身分を証明の書類である日本では、不正行為がまかり通ることがあり得ます。入れ替わりが可狽ネ国ですニッポンは。
数年まえ日本で聞いた話。ホントウの話です。
あるところに二人の兄弟以上親しい友人、太郎と次郎がいました。
太郎はある用件で香港まで行くことになりましたが、些細ながら未解決の刑事問題のひっかかりがありましたので、旅券の瑞ソは問題があるかも。そこで、次郎の承諾の得て、次郎になり代わることにしました。
次郎の戸籍謄本、住民登録とかその他もろもろの書類を手配、次郎の名前で旅券を瑞ソ。
太郎本人は顔写真だけ。次郎名の旅券で太郎は疑われることなく出国、なに一つ問題なく香港に行き、無事に帰国でした。
本人の識別可狽フイデンチダーデがない国。不正行為がまかり通る国。お上からお叱りを頂戴するかも知れませんが、デタラメを感じる国ですニッポンは。
最近のニュース。テロ対策の一環、日本では外国人入国者の指紋採取制度が検討されているそうです。
大いに結高ナすが、その前に、あるいは平行して、日本でもイデンチダーデ制度は如何でしょうか。
(2005年1月)
イパネマの娘 出羽孝史
三人の水着姿の中年女性をイパネマの海岸で撮影、「ブラジル人は肥満型」と題し、NEW YORK TIMES が写真入りで掲載。
ところが、その三人はブラジル人ではなく、リオによく来る裕福なヨーロッパのおばさまたちでした。写真のひとり、MILENA SUCHOPARKOVAさんが反発。それをリオの新聞 O GLOBO が取材しました。
「私はたしかに肥満型。58歳で90キロもありますから。でも、ブラジル人ではありません。私が最も好きな国、ブラジルの誤報は許しません。イパネマの娘たちはスマートで美人揃い。その娘たちではなく、外国人で太りすぎの私たちを写して「ブラジル人は肥満型」と報じたアメリカの新聞。もともとアメリカ嫌いの私、今度は大嫌いになりました」
ものごとを正しく観察、それを記事にするのが報道員の義務です。問題の「ブラジル人は肥満型」はNYTのチョンボでした。
「私がまだ若かった頃、ボサノーバ調のブラジルの歌「イパネマの娘」がイタリヤでも流行り、私はポルトガル語で歌ったものです。昔はただのあこがれでしたが、ブラジルに友達ができて、その友達はイパネマに住んでいます。お陰で毎年遊びに。幸せな私です」
NYTに掲載された「ブラジル人は肥満型」はMILENAさんの国の新聞に転載され、彼女は一躍有名になりましたが。
「中年を過ぎると太るのが普通ですが、私の90キロはちょっと多すぎるかも。何故か知りませんが、アメリカの記者は私たちをブラジル人と思ったようです。そう思っただけで確認なしで記事にする。こんな記者は失格です」
問題の記事を掲載したのは LARRY ROHTER と言うNYTの特派員。ひと言多いことがよくあり、昨年の5月、「ルーラ大統領の飲みすぎは国民が憂慮」と報道して問題になったことがあります。
大統領は酒がお好きのようですが、国民が憂慮する飲酒家ではありません。
新聞とかラジオ・ニュースには間違った報道がよくあります。
ある友人についての事実と異なる記事が「サンパウロ新聞」に載り、訂正を求めましたが、「サンパウロ新聞」は知らぬ顔でした。
MILENAさんはチェコスロバキヤ生まれで帰化したイタリヤ人。リオが大好き、最初来たのは6年まえの夏、それからは毎年訪れるそうです。
天下の美港リオデジャネイロ。
地球上に美しいところが多々あり、その一つは神戸、神戸の夜景です。リオは雄大で恵まれた地形、昼も夜も、どことも比較なしの美しい都です。
神戸とリオは1969年の5月から姉妹都市。それからはさまざまな交流の積み重ね、笹山前神戸市長のリオ訪問があり、CESAR MAIA リオ市長の訪神もあります。
阪神淡路大震災の直後、リオ市はサッカーチームを派遣、チャリテイ 試合を開催。神戸市民は深い感動と感謝でした。
その神戸に住む友人がリオに参りまして、私が案内役。
日曜日でした。真昼のイパネマ。空も海も真っ青。静かな波。砂浜は砂地が見えなくなる程の人の群。近くの店で喉が痛くなるほど冷たい生ビール。一息したところで友人は「ちょっと失礼」と言って立ち上がり、道路を渡り、向こう側の歩道から砂浜にいっぱいのイパネマ美人を双眼鏡で観察。
待てども、待てども戻ってきません。リオの真夏の直射光線。帽子なしです。寒い冬の日本から来たばかりの髪の毛が薄い友人、日射病にかかるのでは、と心配しながら、私は生ビールをもう一杯。
やっと戻ってきました。顔は赤く焼け、汗びっしょり。
「いや、驚いた。こんなにベッピンだらけのビーチは見たことがない」
友人はゴキゲンです。
私たちは泡があふれ流れる生ビールのコップをカッチンして、
「イパネマの娘たちに乾杯!」
(2005年2月)
飲料水 出羽孝史
薬九層倍、坊主丸儲けと言いますが、ミネラルウオーター(ブラジルではアグアミネラール)、瓶入りの水もその仲間です。原料はタダ、かかる費用は容器と手間賃だけ。丸儲けではなくとも、大変な利益と思われます。
飲み水。昔は水道の水でしたが、瓶詰め業者の宣伝の影響でしょうか、何時からか瓶入りが主流になってしまいました。
自然保護基金と言う名の国際組織がありまして、そこの発浮ノよりますと。世界の清涼飲料産業のなかで、最も成長しているのがミネラルウオーターであり、2003年の売上は470億ドルであったとのこと。タダの水がこんな莫大な金額になるのです。
自然保護基金は完璧な水道水の品質管理、蛇口から出る水の消費を奨励しています。
日本の水は良質とされ、喫茶店や食堂では、座ればすぐコップに入った水のサービスがあります。それは蛇口からの水道の水で、誰でもその水を飲み、一般の家庭でも水道の水に抵抗はありませんでしたが、消費者が贅沢になり、お金を出して買うミネラルウオーターの時代。ブラジルでも然りです。
その日本は妙な国、水まで輸入しています。
昨年、神戸の夏、「喉が渇いたでしょう」と出された瓶入りの水の銘柄を見て驚きました。「エビアン」と言うフランスからの輸入もの。全くバカなニッポンジン、水はフランスより日本がはるかに良質であることの認識がない大和民族です。
ついでに、ミネラルウオーターの日本語訳はありません。無理に訳せば「鉱水」になりますが、「コースイ」では通じません。通じないからニッポンジンが得意の外来語、ミネラルウオーターが居座ってしまった次第。
ブラジルの水。リオの場合、水道局によれば、品質管理は非常に厳しく、衛生上の問題は皆無であるとのこと。
しかし、蛇口をひねりますと、最初は赤がかった色であることがしばしばで不愉快。水道管網には昔の鉄管がまだ多く、赤がかった色は鉄管のサビ、それが蛇口にたまるからで、水の質そのものは問題なし、と水道局は説明していますが。
アグアミネラール生産業協会に言わせますと、「水道の水に対する信頼度が低いので瓶入りの消費量が増えるのはあたりまえ」だそうで、タダの水を瓶につめて売る業者は笑いが止まりません。
時に、瓶入りなら安心か。
水道の水と同じですから安心です。
プラステイックの小瓶でしたら使い捨てですが、大瓶とかガラス瓶は回収され、何回でも、同じ瓶が市場に現れ、容器の役目を果たします。瓶の洗浄処理が不充分もあり得ます。
私が勤務する会社には20リットル入りのプラステイックの大瓶がそなえてありまして、その大瓶は逆さまにして台の上、下側には蛇口がふたつ。ひとつは自然の温度、もうひとつは冷水が出る仕掛け。ある日、社員のひとりが瓶の中のゴミを発見して大騒ぎでした。
市販の飲み水はコップ入りから始まって、瓶入りは300ミリリットル入りの小瓶からいろいろなサイズがあり、各業者は特定のフォンテと呼ばれる水源地でタダの水を瓶に詰めます。
そのフォンテは、この近くでは、カンポス・ド・ジョルドン、ペトロポリス、ノーヴァ・フリブルゴ、サン・ロウレンメAリンドイヤ、カシャンブー、その他いろいろ。容器にはアグアミネラール・ナツラール、自然のミネラル水と印刷されています。
読めないほど小さな文字で分析データ。鉱物もふくむらしい署博ヴの含有成分が記載されていますが、もし蛇口からでる水道の水を分析したら、同じ結果であるそうです。
時に、瓶入りなら何故ミネラールなのか。中味はタダの水で、世界中に根を張った流行語なのです。
原料はタダ、コストは容器と手間賃だけ。
「儲かりそうだからやって見るか!」
(2005年3月)
化けた小切手 出羽孝史
Mさんはリオに住む中年の日系二世で、ペトロポリスの郊外に別荘を持っています。別荘にはカゼイロたる番人、年配の夫婦をはなれに住ませ、裏庭には果樹や野菜、週末は細君と野良仕事のまねごとを楽しむことがあります。
ある日、近くの食堂で簡単な食事。チップ込みで38レアルでした。
最近は支払いと言えばほとんどクレジト・カード(カルトン・デ・クレジト)の時代。サインひとつでツケにして月に一回まとめて支払い。簡単で便利です。
この便利なシステムは一体いつ、どこで、誰が“発明”したのでしょうか。
1949年、ニューヨークで当時有名な弁護士、ブルーミンデイル、マックナマラとシュナイダーの三人がある高級食堂で晩餐を共にしました。久し振りでしたので大いに飲み、食い、語り、大散財。勘定を見ますと、かなりの額で、三人の財布の中身を合わせても足りません。
幸い、店のマネジャーをよく知っていましたのでツケにしてもらいましたが、その時、ツケの組織化、ツケのクラブ制度に思いつき、後日、三人で設立したのが会員制のクレジト・カードの運営会社、晩餐がヒントでしたので「ダイナース・クラブ」と命名。
会員からはなにがしの会費、加盟組織からはわずかな手数料、「ダイナース・クラブ」の使用範囲は当初食堂のみでしたが、便利ですからホテル、ガゾリン・スタンド、デパート、商店、アメリカ国内だけではなく国外にもネットワーク。1951年には「アメリカン・エクスプレッス」や「カルテ・ブランシェ」と言った競争相手が現れます。
「ダイナース」のブラジル進出は1956年。当時の財閥、クラビン一家のオラシオ・クラビン氏が代理人であったことがあり、同氏から無理やりに持たされたのが私の最初の「ダイナース」のカードでした。
「ダイナース」に続き、ブラジルではその頃大手銀行であった「バンコ・ナシオナル」が独自の「カルトン・ナシオナル」で“ツケ市場”に参入しますが、成功に至らず、やがて姿を消し、「ヴィザ」や「アメックス」が進出してきます。
しかし、ブラジルでのカード・ビジネスは延びを記録しません。その原因はインフレ。通貨の下落は受ける業者にとって結果がマイナス。ずい分長い間不振でした。ブラジルでの“ツケ市場”の延び、支払いと言え猫も杓子もカルトン時代は通貨を安定させたカルドーゾ大統領のレアル・プランからです。
以上は便利なカルトン・デ・クレジトについてのお話で、今日の話題、「化けた小切手」に戻ります。
食事をすませたMさんはカルトンを出しましたが、その店はカルトンならどれでもではありませんでしたので、仕方なく食費の38レアルの支払いは小切手を切りました。
ところが、後で銀行からの受け取った預金勘定を見てビックリ。ペトロポリスの食堂で振り出した小切手は38レアルでしたが、808レアル落とされてとされています。
銀行に行って調べますと、幸い小切手はまだ保管されていて、自分が記入した38の3が8に書き換えられ、間にゼロを入れられて808レアルになっているのです。
「これは明らかな詐汲セ。ポル・エステンメiスペル)も違うではないか。銀行は小切手のチェックをしないのか?」
「銀行が処理する小切手はコンピュータで行われ、担当行員がチェックする枚数は大変な数です。垂オ訳ありませんが、たまには見落としがあるのです」
納得できない説明でしたが、銀行は非を認め、差額のクレジト処理をしてくれました。しかし迷惑千万です。
銀行業務の管理当局である中央銀行によりますと、このような場合、小切手のチェックは銀行の責任であるとのこと。
ブラジルでは小切手に税金がかかりますので、受け取った小切手を支払いに回すことがよくあります。ペトロポリスの食堂もしかり、その小切手は数人の手を経たあと振出人、Mさんの銀行に。回りに回る途中、誰かが化かしてしまったのです。
では、小切手危険か。
たとえ小額でも受取人名を記入、更に二本のななめ線を入れる。これで小切手が「回る」ことはなく、安全であるそうです。
(2005年 4月)
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