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【南米探検記】 ブラジリアにお住みの河野 賢二さんの南米十八千キロの探検旅行記です。(その二)
河野さんの【南米探検記】使用プログラム・ソフトの関係で1万語を越えるとその二に入る事になっています。昨年12月31日の書き込み以後連絡がなく心配していましたが、通信事情が悪くインタネットを使用する環境になかったとのことでアルゼンチン南部の町から元気な便りが届きました。写真は、随分前に河野さんのサンパウロ事務所を訪問した時に撮ったものです。若かったですよね。


1月9日
和田様、40年のアミーゴの皆様
新年明けましておめでとうございます。
昨年中はメールのうえでお世話になりましたこと改めてお礼申し上げます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
パタゴニア地方はインターネット状況悪く12月31日からつながりませんでした
私は車で(愛車パジェロスポーツで)12月21日にブラジリアを出発し20日ほどプラットドライブするつもりで旅に出ました。南へとにかく南へと車を走らせ、ブラジリアからサンパウロ、イグアスーの滝、パラグアイの首都アスンション、アルゼンチンのサンタフェ、コルドバ、メンドーサからアンデスを越えてチリのサンチアゴへ・・・そして再びアルゼンチンに渡りバリローチェ,カラファテのペリト・モレノ氷河からチリ領のパイネの氷河を通過し、プンタアレーナスからフェリーでフエゴ島へ・・・
最南端ウシュアイアへ着いたらなんとメーターがすでに一万キロでした。途中風邪でしんどい思いをしましたが、プンタアレーナの町でブラジル海軍の船が入港しており、レアンドロ船長以下海軍の水兵さんたちに助けられ薬もメシもたらふく食わせていただき南極はこんなもんじゃあないぞと、とんでもない苦労話を聞かされ、小生も頑張らなくてはと必死の思いでボロの重たいそして汚いパジェロを引きずりながらやっとの思いでさらに南へ1千キロ、ウシュアイアの町で国道3号線がビーグル海峡の海の前で切れているところを見たときは涙が止まりませんでした。本当に来てよかったと心から思いました。
十分なる満足感を蓄え今度は北へ向け北上中です。今日土曜日の朝、帰路の途中アルゼンチンのPuertoMadrynと言う町でやっとメールがつながったのでホテルからこのメールを発信していますが、ブラジリアに着くのはおそらく17日前後になると思います。途中ポルトアレグレに立ち寄り和田さんとうまいにぎりめしでも食べたいなあと今からよだれが出るくらい楽しみにしています。ポルトアレグレは1月12日に着く予定です、ホテルはまだ未定ですが多分BlueTreeになると思います。
ではよろしくお願いいたします。
ペンギンの仲間の河野より

1月9日
河野 さま
年末から便りが途絶えていたので心配していました。無事南米大陸最南端のウシュアイアの町から南極大陸を望む所まで到達したのですね。大冒険です。一緒に行けなかったのが残念ですが、来年にでも飛行機でブエノスから一飛び?是非行って見たくなりました。ブラジル海軍の船上で歓待を受けたとか良かったですね。
ブラジル帰還、最初の町は矢張り南伯のポルトアレグレです。1月12日にポルトアレグレ着の予定とか。御待ちします。10日(月)は、カシアスに1泊予定で出かけますが必ず11日(火)にはポルトアレグレに戻って置きます。
明日から連邦大学の試験が始まり4万3千人の受験生が4千の学籍を競います。平均合格率が10数倍になり授業料がいらないだけに激戦です。
ポルトアレグレのホテルですが、12日は問題ありませんが、26日から31日まで二年振りに世界社会フォーラムがポルトアレグレで開催される事になっており27日にはルーラ大統領も遣って来てその後同期間に開催されているダーボスの世界経済フォーラムに出向き演説をする事になっています。従いこの期間は、世界170ヶ国から12万人の社会フォーラム参加者でゴッタ返す見込みで(多くはテントを張っての野宿?する若者が中心ですが)その期間に日本からの出張者が来る予定でホテルの確保が出来ず頭を悩ましています。最悪ポルトアレグレをGIVE UPして近郊都市のホテルを押さえて置く必要がありそうです。ポルトアレグレのBLUE TREEは、閑静な住宅地にあります。我家の近くにもSHERATON、公園の中にSOL MELIA、パルテノンがありますので心配はありません。
桜食堂での東山の日本酒で無事帰還を祝いましょう。
アルゼンチン側のウルグアイアーナかウルグアイ側のシュイからRS州に入ると思いますが、ブラジルに入ってからで結構ですので051-9965-1937の携帯に連絡して下さい。

1月12日
和田様
11日の夜10時にやっとポルトアレグレに安着しました、メーターは1万5千5百キロをマークしています。ホテルはシェラトンにしました。明日電話しますが、できればお昼をご一緒していただければ有難いです。昼過ぎにブラジリア向け出発予定ですがサンパウロへ行くかまたはカシアス経由トランスブラジリアーナ道路を北上するか相談に乗っていただけますか?
ブラジル入国は貴ご想像通りブエノスからフェリーでウルグアイのコロニア・デ・サクラメントに渡り、モンテビデオを経由してプンタ・デル・エステに一泊。プンタはアルゼンチン人に乗っ取られたウルグアイのリゾート地というような印象を受けました、とにかくお金持ちの多い町ですね。結論から言うとウルグアイという国は面積も人口もGNPもRioGrande do Sul州よりも小さく、プンタをのぞいたら破産国ですね、いい政治家に恵まれないのが原因でしょうがもったいない国です。
今回の南米旅行で一番:景色がきれいなところ・・・・・・・・・・・・ すばらしい景色が多すぎますね、とくにオソルノからバリローチェのアンデス越えとチリのパイ公園へ行く道
危険なところ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Ushuaiaの50キロ手前のくねくね山道(目が回りますよ)
美味しいレストラン・・・・・・・・・・・・・・・ バリロチェのレストランLinguine、EsquelのレストランCumble Blanca
感動したところ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ メンドーサからサンチアゴに抜けるアンデス越え(アコンカグアが望める峠)
寒かったところ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ El Calafateのペリト・モレノ氷河、パイネの氷河
暑かったところ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ プエルト・マドリン(アルゼンチン)
感激したところ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ マゼラン海峡に沈む夜11時の夕日
嬉しかった時・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ビーグル海峡に国道3号線が消える場面を見た一瞬
驚いた事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ アルゼンチンとチリの道路の立派な事
気味が悪かった事・・・・・・・・・・・・・・・ ウシュアイアの刑務所ミュージアム
予定外の出来事・・・・・・・・・・・・・・・ バッテリーが切れた事、ブラジル海軍に会った事。
ビジネスの成果・・・・・・・・・・・・・・・・・ 気象レーダーをぜひ一台南極観測用に購入したいと見積もり依頼あり
高かったホテル・・・・・・・・・・・・・・・・・・ メンドーサのハイヤット及びサンチアゴのマリオット150ドル
安かったホテル・・・・・・・・・・・・・・・・・・ アルゼンチン、カレッタ・オリビアのロバートホテル100ペソ(35ドル)
いいホテル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ コルドバのWindsorホテル
可愛いホテル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ プエルト・モントのホテルLianuras de Diana
トータル予算・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1万ドルを予定していましたが半分で収まりそうです。

1月12日
河野 さま
無事、ブラジル帰還おめでとう御座います。帰心矢の如く、帰路は早かったですね。まだこれからブラジリアまで結構遠いです。SHERATONに泊まっておられるとのこと近くのMOINHOS de VENTOの公園は、何時も女房と歩く散歩道です。我家からも直ぐ近くです。お昼をご一緒頂けるとの事、午後にはブラジリアに向けて出発との事で市内見学も時間がなそうですね。電話連絡を頂いたらホテルに出向きます。
昼は、旅の話を肴にビールで乾杯(1杯だけ)しましょう。
ではまた。

1月12日
ブラジリアの河野賢二さんが無事ブラジルに帰還され本日昼食をご一緒させて頂き日本食レストラン『津波』で麒麟ビールで乾杯しました。
河野ご夫妻と3歳とは思えないお茶目で写真まで撮って見せて呉れるガブリエラちゃんと楽しい一時を過しました。これからまだブラジリアまで3000km近く北上する必要がありポルトアレグレには1泊17時間の滞在で紫陽花の町グラマードに発って行かれました。写真を画像掲示板に掲載しましたのでご覧下さい。URLは下記です。
www1.ezbbs.net/11/yoshijiwada/">http://www1.ezbbs.net/11/yoshijiwada/

スマトラ沖の地震で一躍名を上げた日本語『津波』の名前を使った日本食店があります。SHERATONホテルの前にありポルトアレグレのMOINHOS de VENTO(水車小屋)地区の食堂街にあり結構早やっています。
本日、ブラジリアから車で南米大陸の端まで走って来た河野さんご夫妻と3歳の愛嬢ガブリエラさんがポルトアレグレに来られ昼食をご一緒させて頂きました。津波の店と記念撮影の3コマを貼り付けて置きます。

1月20日
和田様 
河野です

連絡が途絶えて申し訳ありません。

小生1月16日、日曜日の夜明けにブラジリアに安着しました。メーターは1万8
千52キロでした。
くたくたでしたが、月曜日から出社し出張で昨日までゴイアニアでした。

この度は出発から到着まで始終応援して頂き、また途中ポルトアレグレにて久々の
日本食をご馳走になるなど本当にありがとうございました。また今回の旅は和田様他
大勢の皆様に見守られているんだと言う安心感がスタミナとして手伝い毎日平均1千
キロを走破するというすばらしい旅行ができました。皆様のおかげであった事は言う
までもありません。

現在弊社における小生の仕事は京都議定書に基づくCDM関連プロジェクトのプロ
ファイ、PIN及びPDD作成などがメインですが、Co2排出権にまつわる全ての計算を特
殊なソフトを使ってシュミレーションを行う業務を行っています。
机の上でこの仕事を行うわけですが、今回の旅行でブラジル海軍の南極観測隊から
聞いた地球温暖化の実状、オゾン層の破壊、自分の目で確認できた恐ろしいスピード
で溶けつつある氷河、などなどを体験する事ができ改めて環境問題の重要さが身にし
みるほど理解できました。

南極大陸からわずか1千キロの地の果てに住む人たちの肌がボロボロに見えるのは
いまや破壊されつつあるオゾン層から大量に降り注ぐ紫外線のせいだろうかと一人で
想像しながら来月の16日しか発行しない京都議定書に「遅すぎなければよいが」と
ちょっと心配さえ感じました。
日本政府は3月までに100件のプロジェクトを集めその中から50件のプロジェ
クトに資金をつけ、初のCDMカーボン・クレジットビジネスに取り組もうとしていま
すが、政府だけでなく各個人が環境問題を口だけでなく真剣に考える時代になってき
たんだと痛感しました。

もちろん小生は仕事ではなくドライブに行ったわけですからとことん見て聞いて食
べてそして走ったわけです。その結果、地球は本当にすばらしくて大きく、また地球
も我々のように生き物なんだと感じました、だから時には眠り、笑い、そして怒る訳
です、その地球を我々はいつまで守ってあげられるのか・・・疑問ですね。

アンデスの雪、カラファテの崩れ行く氷河、プンタトンボの何万羽ものペンギンの
群れ、ダーウィンが通ったビーグル海峡そして果てしなく続くパタゴニアの地平線・
・・。マゼランが発見した海峡の袂にできたプンタアレーナの町では17世紀から1
9世紀まで東洋と西洋のミーティング・ポイントであったと言われ、中国デザインの
建築が多く見られます。もちろん当時はアルゼンチン国はまだありませんからスペイ
ン領だったわけで、おそらく当時はアジアから海賊船で連れてこられた多くの東洋の
女性がプンタに住み着き現在のハーフらしきUshuaia人が生まれ育ったのではと思う
ほど東洋人的美貌を持った人が多くまた港町らしく落ち着けるアンティーク・パブが
多くあります。

朝4時の夜明けと夜の11時の日没に惑わされながらこれだけの文明を作り上げた
人間は何のために生まれてきたんだろうと考えざるを得ない旅行になってしましまし
た。

写真を貼り付けようと思いましたがノートパソコンの容量が一杯になってしまい、
追ってご紹介いたします。



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