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ブラジル最東端の夢の島フェルナンド・デ・ノロニア、休暇旅行備忘録(2)
フェルナンド・デ・ノロニアの休暇旅行の第4日目から7日目までの記録です。通常3泊4日で充分過ぎるノロニア島観光に9泊10日も当て時間を持てます感じもしましたが何もしないでボウと過す贅沢さを楽しむ女房孝行に徹した10日間でした。インタネット、メールとも隔離された島の生活はそれなりに楽しく特に仕事との関係がなく、知人、友人もいなく全くの二人だけの世界にけい子が喜び普段の不義理を一気に取り戻し点数を稼げたのは嬉しい限りです。これからも年2回程度大学の休みには休暇を楽しむ事にしたいものです。二人の写真を撮って貰うように頼む年でもなく、二人で撮った写真がないので代浮オてけい子の写真を掲載する事にします。


毎日お付き合い頂いておりますが、関係の写真を画像掲示板に掲載始めましたのでこれも見て下さい。コメントを頂けると嬉しいのですが。。。
2月21日(月) 第4日目
今日は、島一周の8時間コースのILHA TUOR参加嵐閧ナ7時に目覚ましを掛けておいたが6時に目が覚め昨日の備忘録を書き付けて7時に朝食を摂る。今日のジュースは、ピタンガであった。タピオカ芋の粉で作ったココナツかチーズを入れた薄ベッタイパンを食べるのが習慣になる。
時間通り8時半にはカミオネッタ〈バン〉が迎えに来る。運転席の横に席があり色々運転手兼案内人のルイスさんに話を聞く。後ろの席に3人、荷台に6人が座り合計10名の観光客を積んで走る。最初に向かったのが飛行場を越してこれまで行った事のないMAR de FOR A〈外海〉にあるLeao の海浜。この浜に絶滅寸前の緑の甲をした大きな海亀TATARUGA VERDEの繁殖地になっているとの事でこのカメの上陸、卵(1度に90個から120個産み付ける)が浜辺に産み落とされている場所を杭を立てて管理番号を付けて侮ヲしており45日の孵化時期を厳しく観測している。小亀が孵る夜には観測隊に参加させてもらえるとのことですが、毎晩行われるIBAMAのProjeto TAMARの講義を聞き辛抱強くチャンスを待つ必要があるとの事で大きな島の前の海浜で遊ぶことだけで我慢する。水が温かく温泉プールに浸かっている感じだが時折大波が来て足を浚われる。PRAIA do LEAOの名前は、浜の前に大きな海のライオンが横たわっている恰好の島がありライオンの浜と呼ばれている。その隣りにもう一つVIUVINHA(未亡人)という島がある。
次のPraiaは、大陸に向かったMAR de DNTROにある島一番の綺麗な浜に選ばれているBaia do SANCHOとその隣りのBaia dos Porcosを訪ねた。ブラジルの観光誌QUATRO RODASが選んだブラジルで一番綺麗なPRAIAにランクされるのがBaia do SANCHOとの事で既に遊覧船で船の上から眺めていたが70メートルの切り立つ断崖から眺めた砂浜と透明の水、近くの双子山(DOIS IRMOES)の眺めは格別。この浜に下りるのが大変で岩と岩の切れ間に梯子段が2度に分かれて設置されており背中に担ぐリュックサックが岩に擦れる程の小さな孔を注意深く下りて行く苦行は、正にこのアクセスの困難さがPRAIA評価に大いに加味されていると思う。丁度観光船が3隻停泊しておりその回りに30-40人が船の周りを泳いでいるのが見える。PRAIAには船で来るか難所を梯子段で下りるかしないと到達できず自然に1日のアクセス人口が制限される浜で時間的に集中するラッシュアワーには長い間待たされる事になる。Vale a pena(見る価値がある)砂浜で岩場にはトカゲがうようよ、小ネズミが水浴客の手提げの中に食べものが有るのか数匹が飛び込んでいた。長閑な光景、白砂青松とは行かないまでも近くの木の上には白い鳥が幾つも巣を作っており望遠レンズ着きのカメラがあればと思うが遠くから眺めるだけに終る。
島の観光は、午前中の部を終え町のレストランで全員で昼食を摂り午後の部に入る。午後は、港の近くのBURACO da RAQUELを訪問する。大きな岩の下側に浸蝕された大きな穴が空いておりつい最近までは近くまで下りていけたとのことですが、IBAMAが環境保全の為に近づくのを禁止したとのことで高い場所から孔を覗く事になる。その後MAR de FORA(アフリカ側に面している外海)に戻りPRAIA de SUESTEで海水浴を楽しむ。サンタカタリーナの海浜BOMBAS、BONBINHASの娘達が幼い頃毎年連れて行っていた海浜を思い出させる波穏やかな湾内の水が透明で砂が柔らかく15センチ近くものめり込む(水が引いている時の水際の砂)感触、自分の足が見え、近くを魚が泳いでいる。何所の海浜もその特徴と成る小さな岩山の島が見え振り返ると島の象徴ピコが眺められ大きくない大西洋上の21の島からなるノロニア群島には名前が付いた海浜が16あるとかでその内の15は見て回った事になる。因みに島の面積は、11270haとの事ですがこれは瀬戸内海の小豆島程度の大きさではないのかと思いますが、確かではない。
SUESTEの海浜を後にして今度は再度MAR de DENTROのPRAIA CACHIMBA do PADREの海浜に下り歩いてPRAIA da BAIA dos PORCOSに行くが潮の関係で岩伝いでのアクセスが途中で切れており小さな砂浜までは到達できず。直ぐ目の前に島の象徴の一つILHA dos DOIS IRMOESが聳えている。この双子岩の島は、俗にファファ・デ・ベレンと呼ばれているそうで、人気歌手でブラジル一の大きなオツパイを誇るファファ・デ・ベレンの裸の胸だとの説明に皆笑いと共に納得顔になる。潮が満ちて来て岩場に居る時に大波が来て靴ごとびっしょりに濡れるが何とか戻って来る事ができた。5時過ぎに最後の訪問地FORTE SAO PEDRO do BOLDROに着く。馬による島観光の終着地もここで多くの観光客がその日の日没時の日の入りを眺めその日を感謝、写真に収めるのが習慣とかで6時3分とかの日の入りまで岡の上で過す。広いハッピーアワーと言う名のテラスがあり少し早いがビールを飲みながら魚フライと大きな生チーズの塊をこんがり焼いたものを注文し夕食に替える事にする。けい子はアセロラのジュース(連日の日焼けでビタミンCの大量供給が必要との判断から)を頼む。日の入りが近づくに従い人の群れが増え、凄い人出となる。生憎天気が悪く双子岩の間を日が沈むのが拝めたが写真としてはそれ程良いものが撮れずまた島にいる間にTRYして見ようかと話す。6時過ぎの日の入り後は、潮が引くように全員ポウザーダに戻る。10時間以上のILHA TUORは、ノロニア島に来た者がどうしても選ぶ観光コースでこれで粗、島全体の観光コースが網羅されている。含まれていないのは、COCHORRO、CONCEICAOのPRAIASとATALAIAの自然プール海浜程度で主要観光コースが含まれている。大満足をしてポウザーダに戻り早めに就寝。健康そのもので休暇を楽しんでいると言う満足感を味わう。
歩行距離は、13889歩。写真撮影枚数は、165枚。

やっと折り返し点に辿り着きました。5日目の日誌を送ります。何時まで続くのかとうんざりし始めておられる方がいるようですが、まだ半分です。最後までお付合い頂けるかどうか心配ですが、最後まで続けます。
2月22日(火) 第5日目
今日で丁度折り返し点の5日目に入る。今朝も好天に恵まれ雨期が近いとは言え朝から真夏の日差しが強く今日も好天に恵まれそう。今日の観光嵐閧ヘ、午後2時半からの船に引っ張って貰う海中、海底探索で午前中は、何とかINTERNET接続をTRYして見たいと思うが機会がなく、結局朝から歩いて港、REMEDIOSの町の中心地まで歩きにでる。途中VILA do 30の島のなかの唯一のスパーマケットを覗き、コトネッテと髪を止めるゴム輪、水1本を買う。水は冷蔵庫に入ったのがR$0,80でありこれがプライアではR$2,50の3倍以上で売られている。港まで歩きポリシア・ミリタル(州警兵)の詰め所でPACHOCOさんに色々話を聞かせて貰う。州警兵の8人は島出身で島の住民、残り12名はレシーフェーから送られてくる輪番制のお巡りさんで3ヶ月程で交代しているとの事。島にはこれと言った犯罪は起きないが海浜での置き引き、酔っ払いの喧嘩、交通事故等が主で殺人強盗事件等はここ数年起きていない。島の住人は、滞在費を払わなくて住む為に島の住民浮取得し定期的に更新する義務がある。登録人口は3000人程度で残りはそのまま住み着いた者やテンポラリーの労働者等が1000人ほどいるが何時も季節要因が強く充分に掴み切れないとの事。火力発電所と風力発電所があるが電力は不足気味、水は海水の真水化施設と雨水を貯めた貯水池と一部井戸を使用しているがこれも慢性不足気味で島の大きな問題となっている。特に乾燥期(夏と呼ぶ)は大変なよう。通常3月から8月ごろまで雨期になりこれを冬の季節と呼んでいるようです。従い我々が滞在したのは、夏の終りで雨期が始まる寸前と言う事になる。雨期の時期には島でも野菜、その他の植物が植えられ収穫するがそれ以外の夏の乾燥期には何も取れず全て船で大陸から運ばれて来るとの事。
干潮時を利用して火山の黒い石浜の上を伝って対岸まで歩いて行ける場所をTRYしたがテニス靴が濡れる事と帰りが心配で途中で断念する。REMEDIOSの街まで歩いて戻り州知事任命の島の管理者が執務を取る役場の建物を訪問してポウザーダに戻る。役場では、住民登録と車の登録(700台に制限されており新しくは登録は下りない)、島での新しい建築物の登録と言った仕事が主なようであった。
12時前に戻り近くで昼食、少し休息を取る。午前中の歩行数は、12276歩。写真は58枚撮る。
午後2時半にバスが迎えに来て午後からのプログラムMERGULLHO a REBOQUEに出かける。船が命綱?でプランシャ(アクリリコで出来た浮き板)に必死でしがみつき引っ張って貰うもので水中眼鏡と口で噛締める水中呼吸器を着けて顔を水中に沈めて海中、海底を見る趣向で【海中潜水旅行】と謳われているが泳ぎの不得手の我々には命懸けの試みで浮き袋を付け海中に掘り出されても溺れないようにしているとは云え不安が募る。けい子が先に下り気持良さそうに頭を浸けて海中を覗いているのを確認し度胸を決めて水に入る。それ程のスピードではないが身体を伸ばすとすいすいと水中を走る。思い切って顔を水中に沈めると海底が見え魚が泳いでいるのが見える。透明度の高い港から大きな波の音が洞窟の奥に反響して大音声を出す岩場、古い難破船の鉄骨が海底に沈んでいたり白い雲丹が海底に広がり大小の魚が泳いでおり時々息苦しくなって顔を上げて深呼吸をしたり水中眼鏡に入った水を出したり腕が疲れて手を離したくなるが離したら大海原に置いてけぼりの恐怖心から懸命にしがみついての30分。途中で待望の雨が降り出したが水の中でゆっくり味わうことも出来ず水中に当る雨足を傍観するだけとなった。水中旅行を終え、船に上がるのが大変で階段に足が届かなく大変苦労する。変わった経験の一つとは云えこれ一度でCHEGA(充分)と思う。ポウザーダまで送り届けて貰いシャワを浴びて一休み。夕方からこれ迄に歩いていない飛行場への道を散歩する事にして6時過ぎに歩き始める。舗装道路がしつかり据えつけられておりBRのアスファルト沿いとは言え歩き易い環境で35分程でIBAMAのプロジェクトTAMAR(海亀の保存計画)を推進している事務所兼博物館まで歩く。9時から環境保全の講義があるとの事でしが時間が早すぎるので、同じ道を戻る事にした。最初の日は、同じ道を送迎バスに拾って貰って2キロ半の道程を歩かずに済んだが今日は、歩く事にした。普段もポルトアレグレで夏の間は毎日夕刻に歩いており歩くのは苦にならない。途中坂を登りきった所に小奇麗なクレペリアがありそこでクレッピとクプアスとアセロラのジューズで夕食を済まし戻って来る。8時過ぎになっていたので約2時間の散歩となる。今日は、午前、午後、夜と歩いて万歩計の最高の19163歩を記録する。撮った写真は、全部で82枚。同じ景色を見て歩く事が多く感激度も落ち写真も減って来ている。明日は、ATALAIAのTURILHA(トレキング)に挑戦海岸線を5km強歩くことになる。何時ものように9時過ぎには就寝明日に備える事にした。

日本では東京が7年振りの3月に降る春の雪との事、九州、中国地方でも雪が降っているとの事ですがブラジルではまだ暑い日ざしが続きます。それでも季節の変化は感じられブラジル桜と言われるパイネイラ(綿の木)が花を付け、エストレモーゾと呼ばれる百日紅に似た気が赤い花を着けている。昼間は暑いですが夜に成ると20度を割り込んでおり秋の気配を感じます。
週末は、ベレンノーボゴルフクラブの今年初めてのアベルツーラと呼ぶ今年初めてのクラブコンペがあるとの事で呼び出しかかり36ホール歩いて見る事にしています。
ブラジルから滋賀県の琵琶湖マラャ唐ノ招待されて出向いているリマ選手(オリンピックの銅メダリスト)が寒さで走れないのではないかと心配しています。沖縄の女子ゴルフ緒戦での宮里藍の活躍振りは?
相撲もそろそろ始まるし何かと気になる出来事が続きます。
暑いブラジルのノロニア島での6日目を送ります。
2月23日(水) 第6日目
愈々島滞在後半に入る。大きな積乱雲が広がっており雨期の近付きは感じられるが今日も暑くなりそうな夏の天気。昨夜も少し煩い音がするエアコンにお世話になる。今朝のジュースは、グラビオラで味の薄い白いジュース。タピオカのパンが主食になる。けい子は昨夜のクレッピの消化が悪かったのか余り気分が優れず朝食を抜く。その代わりトレッキングの途中で摂ればとの配慮から、林檎、チーズ、クラッカー等を朝食代わりにリュックに入れて行く事にした。水を3本(1500cc)担いで行く事にする。出迎えのバスは嵐闥ハり8時にやって来た。垂オ込み時はイタリア人と私たち3人だけだったがドイツ人女性とサンパウロから二人、リオから一人フォルタレーザから若いカツプルと合計9人に増えていた。定員が10名との事でGUIAを入れて10人で歩く事になる。港の近くまでバスで送って貰いPRAIA de CAIEIRAから歩き始めるが、IBAMAの特別許可(自分の責任で歩くとの責任確認書を記入、署名して渡すだけとは言えGUIAが付いて1組署l以内で歩くと云った物々しさで少し緊張する。走歩距離約5kmでたいしたことはないが海浜の側の石の上を歩くことから潮の満ち干に注意、トレッキング開始時刻等は、毎日IBAMAが干潮時にPRAIAに入るように管理している。ATALAIAの自然プールに辿り着く前にPRAIA da CAEIRAの天然プールとPONTALの天然プールに各30分づつ浸かり魚の観察をする。グループで水中眼鏡と呼吸器を持参していないのは私一人だったが珊瑚礁の上に座り近くを泳ぐ色取り取りの熱帯魚を見ていると飽きなく時間の経過を忘れてしまう。頭に手拭でも乗せると正に温泉に浸かっているような気がして来る。臍の上にある赤い小さな痣をミミズか何かと間違えてしきりに突きに来る。手で掴めそうな近くで縞模様の綺麗な魚が泳いでおり掴もうとするとするりと逃げる。穴子のような長い魚、少なくとも肉眼だけで7-8種類識別できる。甲羅を変える蟹の空の甲羅や蛸も見られた。これまでの観光では矢張り自分で歩くこのトレッキングが最高だとけい子が喜ぶ。朝食を抜いての強行軍で心配していたがグループでも一番先頭にたって歩く元気さで安心する。珊瑚礁により外海の波をさえぎりその波の砕けた水が溜まってできる天然のプール(PICINA NATURAL)が何箇所も見られるその一番大きなPRAIAがIBAMAが一日の入浴者?を100名と制限しグループの水浴時間を30分と制限しているPRAIA da ATALAIAでこの浜に入るには車での場合は通常前の組が上がって来るまで2-3時間待たされる可柏ォがあり我々はトレッキングで途中遊びながらとは云え徒歩で3時間半かけて辿り着く海浜でそれだけの甲斐が助ェにあり矢張り世界でも類のない海浜である事は間違いない。ブラジル、日本、イタリア、ドイツの4カ国人が共に歩き話し親睦を深め最後に記念写真を撮った。島の観光コースでは自分の足だけに頼り歩くこのATALAIAトレッキングコースが最高だとの結論が出る。 
帰路も2キロ近くバスの待つ場所まで歩き、1時半にポウザーダに戻る。けい子はまだ少し気分が悪いとの事で昼を抜く事にした。
休息後、4時前にPCを肩に担いで昨夜夕食を摂ったクレペリアまで歩いて行く。衛星通信によるLAN接続が可狽ニの事で出向く。島で3箇所目のインタネット接続ポイントで『私たちの40年!!』HPにアクセスして見るが文字化けで読めず。日本語の読める所は見つからず、持参したPCにLANを接続させて貰いe-mailを441通をPCに落とす。休暇中との通知を出していたので仕事のメールは殆どなく4通だけ繋ぎの返事を出して置く。衛星通信との事で天候によっては接続が旨く行かないとかで2時間接続させてもらったが速度が遅く、『私たちの40年!!』MLにも接続をTRYしたがとうとう待ち草臥れてGIVE UPした。6日振りのインタネット接続であったが一時間R$18,00(1分間R$0,30)でHPは、重いのか直ぐに現れず更新どころかMLへの書き込みもままにならず島にいる間は諦める事にした。
6時過ぎにけい子が迎えに来て呉れたので二人で歩いて戻る途中、何時ものセルフサービスの店で簡単な夕食を摂る。けい子は、用心をして選んだ食事を少し摂っただけで今日は1日食事らしい食事は摂っておらず少し心配に成るが明日は心配ないとの事で安心する。帰路少し雨がぱらつき土を濡らす臭いが立ち上り蒸し暑さと共に季節の微妙な変化が空気の中に感じられる。明日は、GOLFINHO(いるか)が外洋での狩猟を終えて子育てと休息に戻って来るのを見るために5時からGOLFINHOの丘に行く嵐閧ナ早めに休む。万歩計は午後からは、伸びず14611歩止まり。写真は午前中に撮った分のみ。

まだ続くのかと少々うんざりしておられる方が多いのではないかと想像しますが、後4日分と出来たら番編をお届けする嵐閧ナす。何かコメント、感想、質問等を頂けると嬉しいのですが。
2月24日(木) 第7日目
目覚ましを4時45分に合わせて置いたが夜中に何度か目が覚め良く眠れず。日焼けによる体の火照り、連日の歩行、海水に浸かると言った普段し慣れぬ生活に体に疲れが溜まってきているようで島の観光コースも粗、征服これからはリピートとなることからノロニア島は、1週間で充分で通常は、3日から4日で駆け足で回るのが観光コースのようである。フライト変更が可狽ナあれば早期切り上げもTRYして見るがそれも無理?残り3日を楽しむ方法を考える事にした。唇が割れ少し膨れ上がり痛いのでけい子が用意していた日焼け止めの薬をコトネッテで塗る作業を開始する。
5時過ぎにジープに観覧車を着けた車が迎えに来る。既に粗満席、我々が最後の乗客のようでそのまま暗い夜道をGOLFINHOのいる丘を向けて走る。約20人のグループで皆、眠そう。途中で車を止め、簡単な説明と受け、双眼鏡を渡されて1kmちょっとを足元に注意しながら黙々と歩く。いるかの湾に入って来るいるかを年間を通じて観測しているIBAMAの研究員のロベルタさんが案内役で東の空に落ちる月の光りのなか少しずつ明けて来るのを待つ。太陽は反対側から上がるので見られず6時過ぎに日が明け、いるかの湾が明るくなる。50人近く集まった観測客が見守っていたら6時13分に最初のいるかの群れが湾の入口に向って泳いで来たことをIBAMAの観測員が見つけ知らせて呉れる。一斉に双眼鏡を向けて覗き込む。目を殺して湾の入口にある浮きブイの延長線を見ていたが、結局いるかは湾に入らず遠くに泳いで行ったとの事で肉眼では全く観測できず。8時からのILHA TURとか午前中のフライトで島を離れる人も多くいるか観測旅行は、7時に切り上げ結局いるかは、いるかの湾に1匹も入って来ず終い。7時半にはポウザーダに戻って来て朝食を摂る。ジュースはピタンガの橙色のジュース。タピオカのパンを食する。昨日気分が優れないと言って朝食、昼飯を抜いたけい子は、昨夜より良くなり今朝は、無理をしない程度のピタンガのジュース、CAFÉ com LEITEにタピオカパンにジャムを塗ったパンを美味しそうに食べていたので問題ないようだが矢張り日焼けによる疲れは溜まってきているようで午前中は、ベッドで本を読んで過していた。私は、朝食後、久し振りの朝寝をするが10時過ぎに起きると却って疲れが出たようでこれからどうするか決めかねているが一先ずこの備忘録を叩く事にした。頭がぼんやりしている。日焼けした足の色、腕、顔は全く島の住民と変わらなくなり到着早々の新来客とは区別が付くようになった。
昼食は近くでキロ売りのセルフ・サービスで済ます。けい子も体調が普通に成ったとの事で控え目ではあったが普通の食事を摂る。今朝のいるかの岡観察コースで一応全ての観光嵐閧ェ終り今日は、ポウザーダのハンモックに揺られながら読書を楽しむ。普段読めなくて積読だった本10冊程を担いで来ているがこれ迄観光に追われその時間もなかったが島に来て初めてその時間が取れる。先ず一番に神山典士さんから送って頂いていた【勝負あり】を読む。東京オリンピック重量級金メダリスト猪熊巧の壮絶な生涯を記述したもので同世代を駆け抜けた同士としてその生き様には大きな感動を覚える。
夕刻から歩きにでるが、何時ものVILA dos REMEDIOSに行きそこからCachorro、Meio、ConceicaoとPRAIAを歩くコースを取るのだが、今日は反対側の飛行場に向うBR363号線に沿ってPICOを眺めながら遊歩道を歩く。日差しは強く日焼け止めを塗る。途中からコンセイャ唐フ海浜に抜けるトレッキングようの道を歩く。コンセイャ唐フ浜でけい子だけ水に入り、私は浜風に身を任せ冷たいビールを缶のままぐい飲みする。休暇を満喫している気がする。帰路は、潮が満ちて来ており砂浜がなくなり海浜沿いの歩きは出来ず車の通る山道を下に海浜を眺め波の音を聞きながらVILA dos REMEDIOSまで歩き村役場前の広場に1942年にあるアメリカ軍が持ち込んだという大砲の前で記念写真を撮る。この大砲は結局一度も使用した事がなく平和な島の無用の長物になってしまったようである。今日は、朝早く起きているかを見に行ったが全く見られず午前、午後と昼を挟んで島に来て始めて読書で過したので腹が減らずに気分がすぐれず二人とも夕食を抜くことにしてポルトアレグレから持参したおかき、その他の軽食をつつきながらテレビを見る。ポルトアレグレではテレビと言えばNHKと決まっているがノロニア島では、GLOBOしか旨く入らないようでこれにアンテナも合わせているようである。8時前にノロニア島便りというのがありその日の出来事、島の問題点等がコメントされる。3月からの雨を前に島では水不足が問題化しているとの事。既に2度雨らしいものに会い、雨季を感じさせる雨雲があちこちに見られる。島滞在中に雨が来るのだろうか。
万歩計は11290歩を記録、島に来てから最初の日に続き2番目に歩行数が少ない日となる。ポルトアレグレに電話を入れたが留守部隊は、元気に遣っているとの事で安心。



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