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(社)日本ブラジル交流協会の第26期生研修留学事業の一時中止について
(社)日本ブラジル交流協会の第26期生研修留学事業の一時中止についてと言う2005年6月28日付けのブラジル日本文化協会、山内 淳会長のお手紙を頂きました。これは協会関係者、特に現在第25期研修生48名を引き受けて下さっている研修先の受け入れ企業、団体にも当然送られたものと思いますが、25年間日伯交流の掛け橋的人材養成事業を支えて来て下さった協力者への通知としては余りにも失礼で薄ぺらいものになっているのではないかと感じたのは、私だけでしょうか。
『私たちの40年!!』でも日本ブラジル協会関係の欄を設けており受け入れ側の南伯地方理事としてもお手伝いして来ているだけにメーリングリストでも取り上げた書き込みを収録しながらもう少しこの問題を掘り下げて考えて見たい。
写真は、2003年8月新宿で研修生OBとの集いの際に撮らせて貰った藤村理事長との一コマです。


『日本ブラジル交流協会=青年派遣を一時凍結=制度見直しへ=関係者に動揺』これは、ニッケイ新聞6月16日の見出し文です。この記事を『私たちの40年!!』MLの6月16日の第1501番目に掲載するに当り日本ブラジル交流協会の直面する問題を4月訪日時に玉井義臣会長と交わした電話での会話を基に説明しております。
『私たちの40年!!』でもリンク集に日本ブラジル交流協会のHPをリンクしておりますが、そのHPの主要ページ【働きながら学ぶ!(研修留学制度)】をクリックすると下記が現れます。
第26期ブラジル留学研修生募集中止決定についてのお知らせ
 本協会総会、理事会において、平成17年度「第26期ブラジル留学研修生の募集、選考、国内研修」事業の中止が決定いたしました。
 本協会では、3月の“落Z総会”において決定された第26期生の募集、選考、国内研修事業については、4月中旬より募集広報を開始し、大阪、京都、名古屋、東京で説明会を開催するなど例年通りの取り組みを行ってまいりました。5月下旬、ブラジル側窓口の「ブラジル日本交流協会」から、来年度の第26期生受け入れ態勢についての種々の提案があり、日伯間での連絡調整を行いました。ブラジル法人からの提案は、日本における事前の教育体制の問題、派遣人数の問題などなど、本制度の根幹に関わる重要事項について前向きなものでありました。そこで、本協会としては、本年4月に派伯した第25期生事業が四半世紀の一つの区切りの時期でもあることから、一度立ち止まって制度の根幹について抜本的見直しを行うことにするべきとの考えに至りました。そこで、一旦第26期生募集事業を中断し、総会、理事会にお諮りしたところ、日伯双方の了解の下で、来年度の第26期生の派遣については一旦中止して、これら根幹に関わる重要事項については今後必要な時間をかけて議論して解決するべきとの結論に達したところでございます。
なお、現在派遣しております第25期生(48人)事業については、計画通りに来年3月の帰国までの間、本協会及びブラジル日本交流協会が中心となって、当初の目的を完遂できますよう全力で取り組むことを垂オ添えます。
関係各位におかれましては、事情ご賢察賜り、今後とも本協会運営につきまして変わりませずご指導ご協力のほどお願い垂オあげます。
以上

『5月下旬、ブラジル側窓口の「ブラジル日本交流協会」から、来年度の第26期生受け入れ態勢についての種々の提案があり、日伯間での連絡調整を行いました。ブラジル法人からの提案は、日本における事前の教育体制の問題、派遣人数の問題などなど、本制度の根幹に関わる重要事項について前向きなものでありました。』とのまるで他人事のような説明をしていますが、これは、現在研修中の48名がブラジル入国査証入手困難によりあわや派遣中止となる寸前の政治解決による派遣実現と『働きながら学ぶ!』との研修留学制度そのものがブラジルの法律に抵触するもので協会の募集要項に謳われている留学研修生は、1年間滞在できる「文化交流ビザ」を取得しますとの説明と真っ向からあい反するものでこのまま募集を継続しても来年度は査証が下りず大問題に遭遇するとの苦渋の判断からの研修留学事業の一時中止であり曖昧模糊とした説明にならない説明で誤魔かすべきでないしそれは多くの協力者への冒涜とも言える態度で協会としては、もっと真正面からこの問題と取り組み事情を明らかにして受け入れ側のブラジルに置ける研修生を引き受ける受け皿穀zを検討すべきではないかと思います。日本側の募集要項から『働きながら学ぶ!』を引っ込め年間90万円での募集を続け「文化交流ビザ」でやってくる研修生の研修先斡旋と世話は、ブラジル法人の「ブラジル日本交流協会」で引き受け研修生のブラジルでの研修経費はすべてブラジル日本交流協会が直接研修生に将来の日伯交流の掛け橋的人材養成事業として無償支給する。ブラジル日本交流協会の研修生への支払い原資は、従来通り研修生引き受け団体、企業からの公益団体としての協会に会社経費の一部として正式に寄付する形をとれば金銭的な原資の問題は、解決する。従来の日本側の「日本ブラジル交流協会」のブラジル支部的な組織でなくブラジル国内の文化交流を実施する公益団体としてのステータスを穀z、研修生受け入れ基金を作りその受け入れ可粕ヘ囲内で日本ブラジル交流協会が選考、事前研修を受けさせた研修生を送り出すといった両国内での法律に抵触しない形での組織を穀zしブラジルに夢を掛ける掛け橋的人材養成事業を実現させる組織作りを提唱し協力を求めるといった積極的な呼びかけをすると共に誰もが理解でき現状認識を深める事の出来る説明をするべきだと思います。
省みると日本ブラジル交流協会の研修制度は、1976年に「日本ブラジル青少年交流協会」として発足、1981年に第1期生13名が派遣され1989年に外務省主管の社団法人「日本ブラジル交流協会」に改組現在に至っており1991年にブラジル支部が組織化され「ブラジル日本交流協会」としてブラジルにおける法人組織を告ャしています。
私個人としては、交通遺児育英会の専務理事として「日本ブラジル交流協会」の活動開始以前に交通遺児の「研修大学」実施の頃から玉井義臣会長(現災害遺児あしなが育英会会長)とは懇意にさせて頂いており、藤村 修理事長(現民主党選出衆議院議員)とも藤村さんが玉井さんに同行して初めてブラジルに来られた時からの30年以上前からのお付き合いをさせて頂いております。また「ブラジル日本交流協会」のブラジル法人の地方理事としても協力させて頂いております。それだけに今回の「日本ブラジル交流協会」のHPの記載、ブラジル日本交流協会の山内会長の1枚の回章に近い他人事のような説明書には、違和感を感じます。
根本的な問題点の開示とその解決策を探るといった積極的な動きが取れないものでしょうか。これまでの研修生の数は現在研修中の48名の皆さんを加えて748名になりその1割に近い数のOBがブラジルに住み着いており、戦後若者の集団移住グループとしてのコチア青年の2508名、産業開発青年隊の326名、花嫁移民、工業移住者、呼び寄せ移住者等の形で日本政府の渡航費10万2千円を借りて(その後取り立て放棄)南米にやって来た多くの若者、現在の「日本ブラジル交流協会」が使用している入国査証のモデルとなった「日本学生海外移住連盟」の研修生等とは違い自費による1年間のブラジル研修に挑んだ748人の研修生の存在は、その生みの親とも言うべき故斎藤 広志先生の遺志を継いだ青少年交流事業でありなんとしても継続して行きたい事業です。
25年、4半世紀継続して来た交流事業がブラジル移民100周年を前にしてこのような形で頓挫してしまってよいのでしょうか。
元研修生で「ブラジル日本交流協会」の理事として活躍されている戸国さんの「悔しいですね。出身母体の事業が終わってしまうのは。」に代浮ウれる多くのブラジルに住むOBの皆さんの力を糾合する時が来ているのではないでしょうか。
一つだけ気になるのは、「日本ブラジル交流協会」の玉井会長が、災害遺児『あしなが育英会』の会長として神戸と東京にレインボーハウスを建設、ウガンダのAIDE遺児への支援、インド洋津波遺児の支援とブラジル以外の国々にも活動範囲を広げ多忙を極めておられ椎間板ヘルニアで長い飛行機の旅は無理との医師の診断もあり来たくてもブラジルに来られる体力が無くなっている事、藤村理事長は、民主党の中堅代議士として国会で12年の実績と影の内閣で文部大臣を自認しておられる政治家として油が乗って来ている大事な時期でもあり若い頃から関係のあるブラジルへの思いは変わらないでしょが、具体的な「日本ブラジル交流協会」への関与にどこまで時間を割くことが出来るかです。
もう10年も前に藤村理事長が代議士として初めてブラジルに来られた時にニッケイパレスの地下の割烹「つばき」の座敷の間で行われた歓迎会の席上、「ブラジル日本交流協会」の理事のお一人高野書店の高野さんが開口一番「次回の選挙には是非落選して下さい。国会議員として国政に携わるのも結高ナすが、個人的には2期目は落選してまた日本ブラジル交流協会の仕事に専念して欲しいと思います」との発言に同席していた我々の度肝を抜く発言がありましたが今から思うと正論だったのではないかと思えるから不思議です。
元研修生でニチレイに勤務しておられた山口 達朗さんが輝かしい企業での業績を捨てて後輩の面倒を見ると「日本ブラジル交流協会」の事務局長に就任、頑張っておられるしこの4月から「ブラジル日本交流協会」の事務局長としてブラジルに着任48人の研修生の面倒を見ておられる藤本 明司さん他の去就も研修制度の頓挫でどうなるのかも気になります。
上記諸事情から早急に対策を講じない限り日本ブラジル交流協会の派遣制度は、立ち消えとなり748人のOBを残しブラジル移民史の中に埋もれて行く運命にあるのではないかと危惧する次第です。
私の知りえる限りの実情を書き残して置く以外に手の打ち様がない悔しい思いが込み上げて来ますがこれが現実なのでしょう。



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