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「おいやんのブラジル便り」真砂 睦さんの【黒潮タイムズ】掲載ブラジル便り(8)
JICAシニアーボランタリーのブラジル派遣の真砂 睦さんは、ブラジル滞在中に郷里の和歌山県の新聞【黒潮タイムズ】に「おいやんのブラジル便り」を送り続けていますが、任期の2年を終えましたが半年特別延期となり今年の12月まで滞在することになったようです。シニアーボランタリーの入れ替え時期にもあたり仕事が忙しい事と題材を見つける難しさもあり回数が落ちて来ているようですが年末まで後何回送って頂けるのでしょうか。ブラジル勤務中の金字塔として貴重な記録を残されている真砂さんの今後の健筆に期待しております。
写真は、サンパウロの中心地プラッサダセー(セー広場)の大伽藍です。


「おいやんのブラジル便り」(その50)     2005年5月29日

ルーラ大統領が訪日した。主目的は経済交流の活発化と日本からの投資の勧誘である。今回の大統領の訪日で、20億ドルを越す融資契約が調印され、所期の目的は達成されたようだ。ところで、リオの有力紙によれば、5月26日大統領が国会で演説したなかで、「日本に住んでいるブラジル人に対しての支援、なかでも教育・健康・社会福祉の分野での支援を頂くよう衷心からお願いしたい」と述べたとある。この演説を受けて、在日本ブラジル人教育関係者の談話として、日本政府によって認められたブラジル人学校が19校しかない為、日本の上級学校への進学が非常に困難なので、更に30校以上のブラジル人学校の成績を、上級学校進学のためのものとして認定してもらうことと、初等・中等教育の段階で日本語ができない生徒の為に、日本の公立校のなかにポルトガル語での授業を設けてもらうことが就学拒否や青少年の犯罪防止にじかに繋がるので、緊急の重要課題であること。更に、昼夜をとわず殆ど休みもなく働いている在日ブラジル人が、健康保険の恩恵が受けられるように、もう少し制度を解放してもらう事も、教育問題とならぶ重要課題であると報じられている。同紙はまた、大統領と小泉首相との会談で、27万人に及ぶ在日ブラジル人移民の健康・教育・福祉問題を、大統領の訪日を機に設置された「日伯21世紀協議会」の作業項目に組み入れることに合意したと述べている。こうして大統領訪日を機に、在日ブラジル人社会が抱える問題が、やっと二国間の重要政治課題として認知を受ける事になったようである。正規の就労査証で入国した外国人が、きちんと税金を納めているかぎり、子弟の教育、家族の健康保険といった社会の基礎制度を解放するのは、就労者受入国として当然の責務なのであろうが、日本の実態はまだ完全ではない。日本への就労者の逆流が始まってかれこれ20年。今や27万人にも及ぶ日系ブラジル人が日本に住んでいる。その子弟の教育と家族の健康保険適用という重要問題を、両国の政治課題として認知しあうまで20年近くかかったことになる。お隣の共産党独裁国家に、ここ何諸Nにもわたって年間一千億円もの開発支援金の献上を続けている一方で、日本人をご先祖にもつ日系ブラジル人の納税者に対してすら、満足な教育や健康面での支援もできていないというのは、日本国の自律神経が充分機狽オているとは言い難い。ブラジル側も、100年にわたる友好国日本で働く27万人にもなる自国民を支援することの重要性を認識し、対日外交に汗を流してきたとは言えず、こちらも努力不足である。しかしともあれ、大統領の訪日で日系人就労者問題が、両国の重要課題として政治の封荘艪ノ乗った。ブラジルには140万人の日系人が居る。日本語に不自由しない逸材が目白押しである。これからが彼等の出番である。日本でのポルトガル語教育や生活指導といった現場を支えられる人材に不足しない。日本は彼らを大いに活用すべきである。ブラジルに渡った25万人の日本人移民の子や孫達が、今27万人も日本で生活している。里帰りした日本人移民の孫達に、日本での健康的で文化的な生活基盤を提供できるよう、これから双方汗を流すことになる。日本とブラジルは、20億ドルの商売より大事な絆で結ばれている親戚どうしなのである。

「おいやんのブラジル便り」(その51)       2005年7月17日

7月に入って冷えてきた。久しぶりに露天市に行った。マンゴウ・メロン・オレンジ・パパイア・パッションフルーツといった熱帯果物が山積みされている隣の屋台で、白菜・ホウレンャE・大根・春菊・蕪・高菜などの日本伝来の冬野菜が並んでいる。魚屋を覗いたら、みごとな鯛と平目が目についた。マグロの赤身も旨そうだ。シマアジも新鮮そのもの。その横にハタが置かれている。このところこってりしたブラジル食が続いていたので、急に刺身が食べたくなり、鯛と平目とマグロを少々買いこんだ。イタリア系の太い腕をした職人がみごとな包丁さばきで、刺身用に魚を切り分けてくれる。日系人が日本流の切り方を伝授したのであろう。昼は美味い刺身だぞと帰ろうとして、日系人の野菜売場にあった新鮮な白菜と春菊を思い出した。そうだ、寒い夜はハタの水炊きにかぎる。紀州のクエの水炊きにはかなわないが、こちらのハタもめっぽう美味い。誘惑に逆らえず、思い切ってハタも買ってしまった。昼は刺身、夜は水炊きという、贅沢なメニューになった。それでも魚の値段は日本とは比べられない程安い。日本では、天然の鯛や平目やシマアジなぞは、今や高級料亭でもめったにお目にかかれまい。それがこちらでは、新鮮な天然高級魚が露天市の屋台で選りどりみどりなのである。日頃は事務所近くの簡易食堂で肉が主体のブラジル食で済ます事が多いが、気が向けば新鮮な日本流の魚料理も楽しむことができるのが、この国の豊かなところである。いとも簡単にブラジルと日本を組み合わせられる。食に関しては、ブラジルでは完璧なダブル・スタンダードをエンジョイできるのである。いや、ダブルどころではない。イタリア食も、スペインもポルトガルやアラブ・韓国なども、本場の食材が手軽に手にはいる。この国にやって来た移民達の出身地と同じ数の多彩な食生活を楽しめる。食が文化の根っこだとすれば、この国の文化はなんと多彩で豊かなことか。それも食だけではなく、移民たちのご先祖様が持ち込んでくれた色とりどりの文化を居ながらにして楽しめるのである。1970年代も中頃に、移民受入国であったこの国はそれまでの「文化の融合」政策を、「異なる文化をそのまま残す」ことに政策を転換した。つまり、「メルテング・ポット」志向から、まだら模様の「サラダ文化」政策に方向を変えた。それまでは、移民たちはこの国の文化や考え方に溶け込もうと苦労を重ねたが、いつのまにか、お爺ちゃんやお婆ちゃんから教わった流儀が、はるかな故郷の大事な遺産であったことに気がつき、それを大事に保存をして後世に伝えようという考えが定着してきた。「血はまじりあっても、それぞれのご先祖様の文化は大切に残していこう」、そういう考え方がこの国の人々の根幹となった。そうしてこの国では、世界のあちこちからやって来た、野菜サラダのようにいろんな色をした文化がなんの違和感もなく共存している。日本は来年から人口が減り始め、老人だけがどんどん増えていくそうな。国の財政が事実上破綻しているので、一定の規範に沿ってもっと移民を受入れ、若い納税者を増やさないと国が生きていけない筈である。日本にやって来る移民が多くなれば、そう遠くない将来日本でも庶民がもっと手軽に、移民達が持ち寄る「サラダ文化」を楽しめるようになるのかも知れない。

「おいやんのブラジル便り」(その52)    2005年7月26日

ブラジル石油公団が、「今年12月にブラジルは原油の自給率100%を達成する」と公浮オた。経済界に静かな衝撃が走った。20世紀は石油の世紀と言われる。石油をめぐって戦争が繰り返された。いや、新しい世紀を迎えても、今尚世界の戦いの後ろには、石油がある。大戦前の日本の南進政策も、今日のイラク戦争も、その狙いが石油であることは変わっていない。有り余る鉱物資源に恵まれているブラジルも、石油には縁遠かった。石油はブラジルのアキレスの腱であった。しかしブラジルも眠っていたわけではない。陸軍は早くから、石油の自給が国家安全保障の要であることを認識し、1938年に国家石油委員会を設置、石油自給率の向上が独立国家存続のための絶対条件と位置付け、国内での石油探査を開始した。戦後になると、欧米石油メジャーの桁外れの力に対抗して、「石油は我々のものだ!」というスローガンの下に、陸軍の後ろ盾で、時のヴァルガス大統領はブラジル石油公団(ペトロブラス)を設立、国内原油の探査・採掘権を独占的に付与した。下流の石油化学はメジャーの技術と資本力を活用するが、上流の原油の採掘と精製は国が押えるという戦略である。1953年のことであった。ペトロブラスは懸命の探査活動を続けた。1973年に石油ショックが勃発、原油の値段が俣ォし、ブラジルは手痛いダメージを被った。しかし石油価格俣ォのさなか、1974年リオ州沖の大陸棚で待望の大規模な石油層が発見された。本格的な採掘が始まった。20世紀も幕切れ近くになって、ゆっくりと巨象が動きだした。1980年代初頭には、自給率を35%程度まで押し上げたが、おりからの超インフレにともなう経済混乱のあおりを受けて、生産量の増大は難航した。しかし、石油生産増大への戦いは執拗に続けられ、ジリジリと自給率を押し上げていった。ペトロブラスに集まったこの国最強の技術者軍団はやがて、世界最深の海底油田からの採掘技術を確立し、大陸棚の可採原油埋蔵量を飛躍的に伸ばすことに成功した。1990年代を迎えて間もなくの頃である。その後、経済開放の流れに押されて1997年、議会が原油の探査・採掘権の一部を外資や国内私企業に解放することを決めた。そっと議会の動向をうかがっていた軍部は、その時なぜかこの解放政策を黙認した。この時既にペトロブラスは海底油田の探査・海上プラットフォームでの採掘・パイプライン敷設・原油精製・石油化学製品の生産等の技術と、超大型タンカーによる輸送システムを確立し、石油の一貫生産から流通に至るまでをこなす、準メジャーともいえる巨大企業に成長していた。外資を呼び込んでも四つ相撲がとれる、軍はそう判断したのであろう。そして今、「石油は我々のものだ!」と宣言して70年、2006年を待たずに自給率100%を達成する。石油の輸入減で年間30億ドルの節約になるという。巨象ブラジルの泣き所が克服された。そうして軍部は、もう既にじっと次の戦略物資に目を注いでいるようだ。淡水資源である。20世紀は石油であったが、今世紀は淡水資源の重要性が石油に代わる。その淡水資源では、この国は文句なく世界一である。汚職まみれの愚衆政治の混乱をよそに、物言わぬ軍部は、ひそかに今世紀の最重要戦略物資、淡水資源の開発戦略を練っているに違いない。

「おいやんのブラジル便り」(その53) 2005年8月26日
リオ州の北、サンパウロ州の東に接して、ミナスジェライスという大きな州がある。18世紀に世界の産金量の85%を押えた有数の歴史を誇る州である。この州で生まれた人々はミネイロと呼ばれる。人々がミネイロと聞くと、幾つかの共通のイメージを抱くようだ。恐ろしくケチだという。用心深くめったなことで他人を信用しない。派手な事が嫌いで人の後ろでひっそりと仕事をする。そして、大変我慢強く大抵のいやなこともだまって呑み込んでしまう、のだそうである。ミネイロは垢抜けた都会人ではないが、しかしただの田舎者ではない。目立たないでひっそりと、しかしきちんとした仕事をするし、用心深いことを裏返せば、一度信用すると強い絆で結ばれるということになる。嫌な上司にも我慢強い。日本人の性格に似ているところがある。だからミネイロは日本人と相性が良い。戦後の日伯経済関係を切り開いたウジミナス製鉄所建設の成功は、ミネイロと日本人という組み合わせに負うところが大きい。このプロジェクトで日本人技術者と一緒に汗を流したミネイロの多くが、その後各地に散り、新たな製鉄所の建設や操業技術の要になっているのは、故なしとしないのである。しかしミネイロが強いのは技術だけではない。政界にも隠然たる勢力をもっている。前世紀半ばからのコーヒー経済で力をつけたサンパウロ州と、このミナス州が四つに組み、交互に大統領を出しあっていたという歴史がある。戦後になっても、「50年を5年で」という旗印のもとに、この国の工業化の動きに一気に火をつけ、ウジミナス製鉄所建設を推進した大統領がミネイロだし、1980年代半ばの軍政から民政移管の後、初めての大統領となったのもミネイロである。ただ、この民政移管後の初代大統領は、就任直前に急病で亡くなったが、民主化のシンボルとして国民の信頼を集めていた。ミネイロは政治指導者としての素質も抜きんでているのである。そのミネイロの一人が、ブラジルの政界を根底からひっくり返しかねない程の巨大な組織的公金横領・贈収賄犯罪の要の人物として、突然政治の封荘艪ノ引きずり出された。ヴァレリオという事業家である。与党「労働者党」の最高実権者であった官房長官とつるんで、党の裏金操作の胴元をしていた。男は党を後ろ盾にして郵便公社や電力公社などから巨額の裏金を引っ張り出し、男が操る銀行口座で金の素性を洗ったうえで、選挙工作資金として党の裏金口座や政治家に流し込んでいたらしい。2002年の大統領選挙の時も、この男から巨額の裏金がばらまかれたという。現ルーラ大統領もこの資金操作を知っていた筈だと、マスコミに追われている。官房長官は既に役職を辞任しており、今は議員権を剥奪されるかどうかが焦点となり、国会の調査委員会や司法の追及を受けている。大統領以下、与党議員や公社公団、裏金処理の為の海外の銀行まで巻き込んだ大規模な組織犯罪になる様相を呈している。その全貌を語るのはまだ早いが、来年の選挙での現大統領の再選は難しくなったようだし、それどころか労働者党の崩壊まで発展するかも知れない。汚職に寛大なこの国の人々も、今度は本気で怒っているようだ。これまでひっそりと金庫番をしていたミネイロが、事件の全貌を握る男として、いきなり封荘艪ナフラッシュの砲火を浴び、目をしばたいている。


「おいやんのブラジル便り」(その54)2005年9月4日

今年の正月休みにスペインへ行ったときの事。セビリアの食堂で赤ちゃんを抱いた若い日本人夫婦と隣り合った。夏のブラジルから冬のスペインンに飛び込んだので、「寒いですねえ」と声をかけたら、「とんでもない。ここは天国ですよ」と返してきた。
「私達の住んでいるベルリンは昼でも太陽が殆ど顔を出しません。この子は生後1年ほどですが、毎日ビタミンDを呑ませています。太陽を浴びられないので、Dを呑ませないとクル病になってしまうんです」。
見ると、赤ん坊は毛細血管まで見えるほど透きとおるように色が白い。ドイツ駐在が2年になるが、疲れましたと言う。とりわけ冬は昼なお薄暗い毎日がこたえるので、「こうして休暇を取り、南欧に太陽を浴びにやって来ました。アンダルーシアは天国ですよ。食べ物も美味しいし」。生後間もない赤ん坊に毎日ビタミン剤を呑ませないと命がもたないような世界に住んだことのない私は、返答に窮した。
それに、「本場の筈だがここのパエーリャはうまくないな。ブラジルなら半額以下の値段で、伊勢海老やムール貝がたっぷり入った、はるかに美味いのが食べられるのにな」と家内とぼやきあったばかりであったので、「ここの食べ物も美味しい」と言われると、これも困った。
北の国が住みにくいのは、どうやら太陽だけが原因なのではなさそうだ。「もう少し南に下がって、赤道の向こうの南アメリカはなかなか良い所ですよ。なかでも東側の海岸沿いは、これが天国と言うのでしょうか。ブラジルという国なんですがね。アマゾン河口から海岸伝いにリオデジャネイロまで、楽に6千キロは越すでしょうが、椰子の林と真っ白な砂浜、透き通った真っ青な海と空が延々と続いています。少々気温は高いけど年中海から微風がふいてくるので、日本の夏なぞよりはるかにしのぎやすい。浜辺をちょっと散歩するだけで、一年間に必要なビタミンDなど軽く吸収できます。
それに食べ物。ピンピンはねる魚や海老や貝類、それにマングローブの根に群生する牡蠣やカニ、そうした土地の食材を土鍋に入れて、トマトとココナッツミルクで味をととのえ、ぐつぐつ煮込むやつ、こいつの味を覚えるともう病みつきになります。パエーリャも美味いが、それ以上ですな。
果物。何でもあります。パパイア、マンゴウ、パッションフルーツ、オレンジ、色とりどりのメロン、大きなスイカ、パイナップル、バナナ、グアバ、アセローラ、レモン。年中食べられます。冬になると、柿、みかん、ポンカン、ビワ、桃、ブドウ、梨、リンゴなどの日本人が持ち込んだ温帯果物が加わる。どれもこれも甘くて美味い。値段も安い。
それに貴方、ブラジル人が居ますから。陽気で親切で温かくて話好きで気さくな連中ですよ。少々いいかげんで騒々しいのですがね。日本人だとみると、「ありがとう」とおじぎをしながらにっこりします。憎めない連中です。快適なリゾートホテルがあちこちにあります。北のお国で稼いだユーロを懐にいらっしゃれば、あそこは、それはもう天国そのものです。それにしても南欧は寒くて食費が高いですねえ」。若い夫婦は無言で聞き入っていた。北の国は経済が強い。しかし経済が強い国はゆとりがなくて住みにくい。南国ブラジルは、政治家が派手に公金略奪を繰り返しているというのに、なぜかゆったりと住みやすい。人々は明るくて、心も熱い。

「おいやんのブラジル便り」(その55) 2005年9月18日
サンパウロ州の奥地は豊かな穀倉地帯である。つい50年ほど前まで世界のコーヒー生産の半分近くをこの州が押えていた。時々やってくる霜を嫌ってコーヒー栽培がもっと北の地方に移った後は、肉牛・綿花・オレンジ・小麦・大豆、それに砂糖キビ等のプランテーションが、なだらかに起伏した地平線まで続いている。その穀倉地帯で今、静かな異変が起きている。牧場やオレンジ畑が掘り返され、砂糖キビ栽培の為の農地に変えられている。かってのコーヒー農場を思わせる、広大な砂糖キビ畑が地平線の先まで広がっていく。近年ブラジルは年間2000万トンの砂糖を生産し、国内需要を満たした後の1000万トンを輸出している。勿論、世界一の輸出量で、世界の砂糖輸出の40%を占めている。しかしこの国で栽培された砂糖キビが製糖工場に向けられ、砂糖になるのは生産量の半分ほどに過ぎない。半分はアルコール工場に出荷され、自動車用ガャ潟唐フ補完・代替燃料用アルコールとなる。原油の値段が高い。中東に平和がやって来るまでは、原油価格の急な下落は考えにくい。当然ガャ潟悼ソ格も不気味な上昇を始めている。農場主達は、過去何度か繰りかえされた石油危機を忘れていない。ガャ潟唐ェ高くなる。農場主達の決断は早い。採算性の良くない牧場やオレンジ農場が、砂糖キビ栽培に転換されていく。産業資本の対応も早い。広大な砂糖キビ畑にそびえる巨大なアルコール工場が増えてきた。砂糖キビを自動車用燃料アルコールに利用するこの国の技術は、古い歴史を持っている。1970年代の石油危機に揺さぶられた政府は、ガャ潟盗゚約の為に砂糖キビアルコールの生産に補助金を出して奨励し、アルコール燃料100%で走る車も開発された。街は甘ったるいアルコールの匂いで充満した。しかしその後、財政負担に耐えかねた政府は補助金を打切り、砂糖キビとアルコール価格を市場原理に委ねた為、アルコール生産は一時衰退したが、技術は残った。あれから30年、再び原油価格の俣ォがやって来た。砂糖キビ栽培が再び脚光を浴びてきた。しかし30年の間に状況は変わった。1970年代に培った技術で、この国では既に自動車用ガャ潟唐ノ25%のアルコールが混入されているし、ガャ潟唐ナも100%アルコールでも対応できるエンジンを搭載した車も実用化されている。アルコールの需要が着実に増えている。アルコールの生産コストも格段の進歩をした。原料となる砂糖キビ伐採は重労働で、人手がかかったが、今では全て機械化され、人手は殆どいらない。アルコールがガャ潟唐ニ対等の戦いができるところまでこぎつけている。それにブラジルは今年の暮には原油の自給率100%を達成する。高い原油を輸入する必要がなくなる。30年を経た今、ブラジルにとって原油価格の高騰は、アルコール輸出の追い風となりこそすれ、経済が被る衝撃はミニマイズされた。アルコールはバイオ燃料である。土地と水と太陽があれば増産がたやすい。未耕作地を9000万ヘクタールも抱えるブラジルは、直ちにバイオ燃料の増産体制を整えられる。米国、中国、インドや南ヨーロッパまでも淡水資源の枯渇による農業生産力の衰退が現実となりつつある今、ブラジルの底力がひときわ目立つ。南アメリカの巨象がのっそりと、世界のエネルギー市場の主力プレヤーとして姿を現してきた。






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