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【逞しく生きる日系人たち】池田維 前駐伯大使、伯国を語る 『海外日系人』機関誌に寄稿文より。
池田 維 前駐伯大使とはブラジリアに於ける官民合同会議の席上等何度かお会いしましたが特にポルトアレグレ総領事館存続問題では、忌憚ない発言を聞いて頂きました。御帰国後もブラジルを忘れず海外日系協会の機関誌『海外日系人』にブラジルに付いての判り易い解説を寄稿しておられます。初心者がブラジルを知る上では又とない絶好のテキストと言えブラジル在勤中の自らの経験を生かした文章は説得力もあります。注目すべき巨大な潜在力、国造りに大きく貢献、貴重な外交的財産、新日伯関係穀zの百周年の4回に分けてニッケイ新聞に転載されていたものを使わせて頂きました。
写真は、ブラジリアのシンボルの一つカテドラールを使用しました。


逞しく生きる日系人たち@・注目すべき巨大な潜在力・池田維前駐伯大使、伯国を語る

池田維前駐ブラジル大使が、海外日系人協会機関誌『海外日系人』に寄稿、ブラジルについて次のように随想している。これを四回に分けて紹介する。

 @【注目すべきブラジル】
 ブラジルが日本にとって特別である理由を二つ挙げよ、と言われれば、私はいくつかの要因のうち、躊躇なく次の二つを挙げるだろう。一つは、ブラジルの有する資源・食糧の安定的供給源としての巨大な潜在力であり、二つ目は、百四叙恊lという海外最大の日系社会の存在である。

 在ブラジル日系人たちは、ほぼ百年に近い移民の歴史を通じ、ブラジル国民の間に日系人と日本について、はっきりとしたプラスのイメージを作り上げることに成功した。このような規模と内容をもつ人的紐帯によって日本と結ばれた国は、他に世界のどこを探しても無い。

 ここでは、はじめにブラジルの現状とその潜在力について一瞥しておこう。

 ブラジル領土の面積は日本の二庶O倍、総人口は一億七千万人、そのNGPは南米全体の約半分を占める。このNGPの大きさは、東南アジアのASEAN純J国の総計にほぼ匹敵するものであり、ブラジルが大国であることを示している。一人あたりのGNPで言えば、その時点での通貨(レアル)の変動にもよるが、約三千五百ドルから四千ドルの間であり、開発途上国のなかの上位に属する。

 ブラジルの強みは、なんと言っても鉄鉱石、石油など豊富な天然資源の埋蔵と、大豆、さとうきび、コーヒーなど農産物の大量生産迫ヘ、それに広大無比と言ってよい耕作可白nが存在することである。近年はアグロ・インダストリーと呼ばれる農産品加工を中心とする軽工業が発達し、航空機産業など一部重工業の先端技術は世界的競争力を有している。もちろん一億七千万人と言う人口は市場としても大きな意味をもつ。

 他方、ブラジルの弱みは、貧富の格差の大きいことであり、教育のレベルが全体としていまだ低いことである。所得最高レベルの一〇パーセントの人たちは所得最低レベル一〇パーセントの人たちに比べ、四藷倍の所得を得ているとの国連機関の調査報告がある。

 現在のルーラ政権が成立してから一年半が過ぎた。ブラジルの歴史上初の左派政権であるため、イデオロギー的な行政運営が行われるのではないかとの懸念が、一時もたれたが、その後のIMF(国際通貨基金)との合意事項の前倒し達成にも見られるように、総じて着実に現実的な行政運営が行われてきたといえる。とくに、ルーラ政権が年金改革、税制改革において具体的な成果をあげたことは、この国の宿癖ともいうべき貧富の格差是正への強力なステップとして評価できる。

 今後のルーラ政権の課題は二〇〇三年にはマイナスに終わった経済成長をいかに増進させて失業率(約一〇パーセント)を低いものに押さえ込む事が出来るか、また、政策決定の過程をどのようにしてより効率的なものにするか、であろう。

 いずれにせよ、現在、ブラジルは経済発展への軌道を着実に歩みつつあるものと見ることが出来る。

 日本とブラジルの関係は今日、全体として良好であると言える。戦後を振り返って見れば、一九七〇年代に両国関係は、とくに貿易、投資の両面で急進展した。すなわち、この時期に、鉄鉱山阻発、製鉄・アルミ工業、パルプ製造、造船など多くの面での協力が進

んだ。その後、八〇年代に入り、ブラジルの経済危機のため、かなりの数の日本企業が撤退を余儀なくされた。九〇年代にはいり、ブラジル経済は回復基調にはいったが、日本経済の停滞のため、その後両国の経済関係は本来あるべき姿に比し、やや低いものに留まっている。(つづく)

逞しく生きる日系人たちA池田維前駐伯大使、伯国を語る・国造りに大きく貢献

なお、ここで、日本が戦後、ブラジルに対し協力したいくつかの案件のうち、とくに特筆しておきたいのは、内陸部の数州に跨るセラード地域 (乾燥したサバンナ地域)開発のための、資本・技術両面にわたる協力である。二署粕Nに及ぶ日本の協力の結果、この不毛の大地は、大豆生産の一大穀倉地帯に変貌したのである。(二〇〇三年には、ブラジルの大豆生産量は世界で、アメリカに次ぎ第二位となった)。

 しかし、残念ながら、この事実は日本人にもブラジル人にもあまりよく知られていない。

 《日系人はブラジルの国造りに貢献》

 次に、このようなブラジルをその生活の舞台として、日系社会の人々は今日のブラジルにおいてどのような位置を占め、いかなる状況下にあるか、について考えてみることにしたい。

 二〇〇二年六月、ブラジル赴任直後に私は、当時の大統領カルドーゾー氏に信任状を奉呈し、引き続き、同大統領とサシで話し合いをした。社会学の学者としても世界的に認められているカルドーゾー氏は日系人の歴史について良く承知してい、た。その時、大統領が語った次の言葉は忘れられない。

「日本人はブラジルの各地に移住しました。とくに、ヨーロッパの移民が避けていたアマゾン流域まで入っていって移住したのは日本人だけでした。このように日本人は初期の段階からブラジルの国造りに貢献してきたのです」

 一九〇八年の笠戸丸による最初の移住から第二次世界大戦の勃発するまでの期間にブラジルに渡った日本人移住者は暑纐恊lと見られている。その後、戦争で一時中断した移住は一九五三年に再開されたが、一九八九年、JICA(国際協力事業団、現国際協力機高フ移住者送出業務が停止されるまでの期間にブラジルに移住した人たちの数は約七万人である。つまり、戦前・戦後を通じ、わが国からブラジルへ移住した者の総数は二序Z万人にのぼる。これら一世移住者から今日もっとも若い五世までを含む日系社会の現在の総人口は約百四叙恊lへと拡大したと推定されている。

 初期の日本人移住者の主要部分は農業移民であった。これら移住者はサンパウロ州、パラナ州、アマゾン地域等へと入植し、コーヒー園で働いたり、マラリアなどの病魔と闘いながら原生林を伐採して農地を切り開いたり、品種改良により適正作物を栽培することに努力した。

 サンパウロ州は日本人移民が最も多く入った州であるが、この州の開発のために日系人が果たした責献は一般ブラジル人の間でよく知られている。また、「緑の地獄」と呼ばれたトメアスを含むアマゾン流域への移住者は、開墾の途中、マラリアに襲われ、多くの犠牲者を出しながらも、その地に踏みとどまった。これら移住者の開拓魂にはすさまじいものがあった。

 私は在勤中、トメアスを含め、いくつかの代蕪Iな移住地を訪問することが出来たが、今日その子孫たちが比較的安定した生活を送り、また、JICAなど日本政府機関との協力も概して順調にすすんでいるのを、この目で確認することが出来た。

 なお、戦前移住者の大部分は、金を貯めていずれは祖国に帰るつもりの出稼ぎ者たちであった。しかし、第二次大戦の敗戦により灰燈と化した祖国を見て、彼らはブラジルへの永住とその子弟たちにブラジル人としての教育を施すことを決意する。

 《各分野に進出する日系人》

 今日では、一世移住者の老齢化に伴い、二世、三世への世代交代が進捗している。これら日系人のうち、この国の政治・経済のエスタブリッシュメントの中枢で働いている人の数はまだ決してそれほど多くはない。しかし、二世世代のなかには政・官界、経済界、医者、弁護士、教員、芸術・文化等を含む広範な分野に進出し、ブラジル市民としてたくましく活躍している人たちがいる。現在ブラジルの最高学府と言われるサンパウロ大学の学生のうち、約一五パーセントが日系人の子弟であるが、一パーセントに満たない日系人の人口比からみて、それがいかに高いものかがわかる。子弟の教育を重視すると言うのは、日本民族の大きな特徴の一つなのであろう。

逞しく生きる日系人たちB・池田維前駐伯大使、伯国を語る・貴重な外交的財産

《その大部分は奴隷としてアフリカから連れてこられた人たちの子孫》

 そもそも、ブラジルほど多種多様な民族からなる国家はない。白人、黒人、黄色人種、土着インディオなどの血がこれほどまじりあって成り立っている国民は、地球上には存在しない。あらゆる皮膚の色をもつ人々が混在して生活している。それだけに、異質なものに対する寛大さがこの国にはある。そのようなブラジル国民の間で、日系人は総じて勤勉であり、誠実であり、信頼できる人たちである、との評価を勝ち得ているのを知ったことは、一日本人として真に嬉しい事であった。 このような評価を単なるステレオタイプの評価と自虐的にとる必要はない。多民族国家であるからこそ、国民性の特徴がやや単純化され、突出して評価されるというきらいはあるとしても。

 在勤中に私は多くの州・市を訪問し、州知事をはじめとする関係者と懇談する機会を持ったが、どの地においても日系人の代侮メと会い、話し合いを持つことができた。日本語を話す層が多いか少ないか、日本への特別の愛着を持っているかどうか、などについては、当然ながら地域によっても、人によっても、また年齢によっても同一ではない。それらを差し引いて考えたとしても、圧倒的多数の日系人が日本との絆を大切なものと考えているブラジル社会の中堅には、目立たないながらもあらゆる層に日系人が進出し活動していること、ポルトガル語で日常生括を送りながらも若い世代に第二外国語として日本語教育を受けさせたいと考えている人が多いことが良く理解できた。いくつかの場所ではこれらの人たちから日本語教師の派遣について強い要望を受けたものである。

 《日本語を話す日系人の減少》

 日系人の中で日本語を話す層は一世世代の減少に伴い、今後ますます少なくなっていくであろう。また、時間の経過とともに、日系人と一般ブラジル人との混血はいっそう進み、日系人という系統を辿ることさえ難しくなっていくだろう。そのような現象を「ボーダレス化する日系人」と呼ぶ研究者もいる。なお、これはイタリア、ドイツなどヨーロッパからの移民についても同様に言えることである。

 日本政府として為すべきことは、このようなボーダレス化の勢いを止めようとすることではなく、彼らに日本への関心をもち続けてもらうための必要な種々の援助を惜しまないこと、とくに、日本語の学習が基本的な日本理解への道であることを考える時、日本語の教員を要望のある地域に派遣す藩ナ」とや青年交流を活発化させることを優先的に考えることが肝要であると思われる。(今日のブラジルの発展段階からみて、日本からのODA援助については、いくつかの制約があり、かつて行ったようなハコ物の援助等はもはや出来ない)。近年、一般ブラジル人のなかに日本語を勉強したいという青年たちが増えているので、日本語教育の対象はもちろん日系人のみに閉ざされる必要は全くない。

 いずれにせよ、地球の反対側に日本対し特別の思いを持った人たちが住み、その人たちがブラジルにおいて日本と日本人について大変良いイメージを作り上げているという事実は、日本にとっての貴重な外交的財産であると言わねばならない。 ブラジル在勤中、政・官・財界で活躍する日系人や、首都ブラジリアの日系社会の人たち(二世世代がその中心)と親交を結ぶ機会をえた。彼らは正真正銘のブラジル人であったが、いずれの人たちも日本との絆を大事にしょうとする人たちであった。この関連で、ルーラ大統領の最も近い側近の一人、日系二世である大統領府戦略・広報長官のルイス・グシケン氏が私に語った言葉を紹介しておきたい。

 「自分は日本語は出来ない。しかし、日本は自分にとって常に第二の故郷です。ブラジルと日本の関係を発展させることであれば、いかなる協力も惜しむものではありません」。グシケン氏は常に頼もしい援軍であった。

《在日ブラジル人と教育問題》

 最後に触れておかなければならないことは、現在日本で就労しているブラジル人およびその家族のてとである。一九九〇年にわが国が入管法を改正し、日本人移住者の子孫である日系二世、三世に対して特定査証を発給し、日本において合法的に就労できる在留資格
を与えるようになってから、日系ブラジル人の日本への渡航が急増した。いまや、その数は二庶オ万人に達し、戦前・戦後を通じてブラジルに移住した二序Z万人を凌駕するまでになった。(つづく)

逞しく生きる日系人たちC・池田維前駐伯大使、伯国を語る・新日伯関係穀zの百周年

まさに、移住のUターン現象である。日本国内では、在日ブラジル人の数は在日韓国人および在日中国人に次いですでに第三位の座をしめている。

 在日ブラジル人就労者およびその家族が直面する社会保障問題、教育問題は日本・ブラジル双方が真剣に取り組むべき課題である。なかでも、就労者の子弟の教育問題(言葉の壁から落伍していく子供たちは少なくない)や少年犯罪の抑止対策は重要である。この問題への取り組みを怠ると、せっかく長年にわたって築き上げられてきた日伯間の良好な信頼関係が揺るぎかねないこととなる。

 日本政府としては外国人が集住する地方自治体と協力しつつ、言語、習慣、文化の差異を乗り越えた異文化交流の『観点からも本件に積極的に対応することが望まれる。 三年半後の二〇〇八年には移住一〇〇周年を迎える。この大きな節目の時期が、単に過去の関係を祝うのみではなく、新しい日本・ブラジル関係を切り開く契機となることを期待してやまない。ちなみに、今日、日本はブラジルから見て、貿易の分野では第五〜六位のパートナーであるが、ODA(政府開発援助)の分野ではいぜんとして最大の供与国である。今後とも、ODAの分野では環境、人材育成、教育などで、日系人を含むブラジル人にたいし、協力すべき点ぽ多い。

 ブラジルのもつ巨大な潜在力から見て、日伯関係は今後、二国間関係に留まることなく、グローバルな問題での協力者としてもこれまで以上の重要性をもってくるだろう。詳しく述べる紙数はないが、国連安保理常任理事国の有力候補国としてのブラジル、アメリカ、ヨーロッパのそれぞれと自由貿易協定(FTA)交渉を進めるブラジル、中国がその資源・食糧の供給源として重大な関心を払いつつあるブラジル、BRICS(BRASIL、RUSSIA、INDIA、CHINAの頭文字をとった国々)と呼ばれる国の一つとして、今後二諸Nから三諸Nの間には世界の勢力地図を塗り替える可柏ォをもつブラジル。この国の動向には絶えず注意を払い続け、日本としてこの国との関係に積極的に取り組んでいく必要があると考える。




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