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支倉常長に関する雑学的データ by 富田真三
早稲田大学海外移住研究会の先輩である富田真三さんが同じくYKKに勤務しておられた横内正毅さんの『支倉常長を思う』を読まれて支倉使節団の最初の上陸地メキシコのアカプルコの近くに住んでおられたこともあり今回、支倉常長に関する雑学的データとして一文を纏めておられます。日本から海外に雄飛して行った支倉常長の偉業は、山田長政が建設した日本人村と共に広い意味での日本人移住史の始まりでもありミス・スペインを排出したというJAPON(ハポン)性の使節団の子孫の存在等多くの夢を育ませて呉れます。このデータを基にした各論的な興味ある続編を期待したいと思います。今回のこの一文は、各国の移住の歴史欄に掲載させて頂く事にしました。
写真は、本文にもある仙台市青葉城にある支倉常長の銅像です。


横内氏の「支倉常長を想う」を興味深く読ませてもらった。横内氏と支倉常長との出会いは、最終目的地のローマだったが、私と支倉常長との出会いは、支倉使節団の最初の上陸地のアカプルコだった。この一事によっても、如何に支倉使節団の行動半径が広かったかがわかる。
 
 慶長遣欧使節団、これが使節団の正式名称であり、当時のスペインの公式文書は、支倉にEmbajadorのタイトルを付けている。さて、使節団は、伊達政宗が徳川幕府の承認を得てスペイン、ローマに送ったものだが、家康、正宗の所期の目的を何一つ達せられずに、帰国せざるを得ず、二年後支倉は失意のうちに亡くなった。
 然しながら、二つの大洋を跨ぎメキシコ、キューバを経由してスペインに旅した彼の壮挙は、後世の日本人は勿論、通過したメキシコ、キューバ、スペイン、フランス、イタリア、ヒリッピンの人々の関心を呼び、異文化交流の先駆者として敬意が払われている。
 使節団派遣に関しては、当時の内外の時代背景、カトリック教会内の葛藤、政宗の使節派遣目的等、興味は尽きないが、今回は慶長使節団に関する雑学的データのみを紹介するに留めたい。
 横内氏の言う「海外派遣の先駆者、支倉常長」に少しでも関心をもって頂ければ幸いである。
  1.支倉の立像は、国内に二体ある。一つは、宮城県大郷町の支倉常長メモリアル・パークに、もう一体は、仙台市青葉城にある。(写真 左)
  2.海外は、次の4箇所に、立像がある。
  1)メキシコ・アカプルコ市 パパガイヨ・ビーチ (仙台市寄贈)
  2)キューバ・ハバナ市  デル・プエルト通り (仙台育英学院寄贈)(写真 右)
  3)スペイン・コリア・デル・リオ市  カルロス・メサ公園 (仙台市寄贈)
  4)イタリア・チビタヴェキア市  日本人殉教者教会
3.石巻市には、使節団の乗船サンフアン・バウティスタ号を忠実に再建したレプリカがあり、「慶長使節船ミュージアム」となっている。
4.スペイン・セヴィーヤ市近郊のコリア・デル・リオ市(人口23,000人)には、支倉使節団員の末裔と思われるJapon(ハポン)姓の人々が600余人住んでいる。1996 年のミス・スペインは、Japon姓を持つ女性の孫である。
5.スペイン・ハポン支倉常長協会会長のマヌエル・カルバハル・ハポン氏は、来日して、支倉の子孫、支倉テツオ氏と対面した。
6.「ハセクラ・ツネナガ」と言う1999年に国際天文連合から正式命名された小惑星がある。尚「ダテ・マサムネ」と言う小惑星もある。
7.スペインの映画会社が「愛地球博、スペイン館」と共同制作したアニメ映画「GISAKU」が9月26,27日仙台市内で上映される。Gisakuは、ハセクラ率いる使節団の史実をもとにしたアドヴェンチャー・アニメ映画である。
8.使節団がローマを訪問した際、イタリア、フランスで制作された支倉の銅版画が6点現存している。
9.使節団が持ち帰った支倉の「ローマ市公民権証書」、支倉の肖像画二面、聖画、聖具類等47点が平成13年国宝に指定され、仙台市博物館に展示されている。
10.支倉の生誕地宮城県川崎町は、町行事として「支倉常長祭り」を毎年6月に開催している。
11.宮城県石巻市には、[南三陸石巻 海鮮常長弁当]と言う人気駅弁がある。



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