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第13回バーチャル座談会 【ハルとナツ 届かなかった手紙】 に付いて語る。(第3編)
バーチャル座談会、最終の第3編です。選んだ話題が視聴率を誇るNHKの放送80周年記念スペシアル・ドラマ【ハルとナツ 届かなかった手紙】だった事から、殆どの方が「涙無くして見られなかった」、「知らなかったブラジルを知ることができた」、「日本では見られなくなった昔の日本の良さがブラジルに温存されている」といったコメントを寄せて呉れています。ブラジルに長年住む我々としても現実を曝け出す恥ずかしさ?とそれを知って貰う嬉しさが交差して複雑な気持ちを抱かされるが橋田作品は、見る者に感動を与える秀作であったと云える。ブラジルに直接取材する事もなく斯くもブラジルを描き切る橋田さんの作家としての非凡さに感嘆する。
写真は、若きハル(昭和編)です。


桐井:昨夜、第4回を鑑賞しました。
ブラジル移民の皆さんの中では、素直に日本の敗戦を認める人たち(負け組)と、日本は勝ったのだと、あくまでも負けを認めぬ人たち(勝ち組)があったのですね。勝ち組の人たちの、祖国愛には胸を打たれる思いがします。ハルの生き方にも共感を覚えます。
ブラジルに移民なさった方々の人生から学ぶべきものがたくさんあります。
いよいよ今夜のドラマが最終回となりました。楽しみにしています。

和田:毎日、ご感想を寄せて頂いており有難う御座います。
もう明日で最終回ですね。あっと云う間に終わりです。これほどブラジルに付いて紹介された番組はかってなかったと思います。2008年までこのブラジルブーム?が継続し日本の皆さんにも祝って貰ええればと願っております。今後は『私たちの40年!!』MLのメンバーの皆さんにはブラジル通が増えてブラジルに関心を持って頂ける大きな機会を作って呉れたNHKの『ハルとナツ』には素直に感謝したいと思います。多くの皆さんの感想をお聞かせ下さい。

桐井:ただいま観終わりました。感動覚めやらぬうちに書きます。
この5日間、ドラマ【ハルとナツ 届かなかった手紙】を観て、総じて言えることは、ブラジルに移民された人々の中に、かつて日本人の持っていた人間の絆、家族愛、夫婦愛、兄弟愛などを見ることができました。
とても残念なことですが、今の日本では人間の絆、家族愛、夫婦愛、兄弟愛などがとても薄れてきています。ブラジルに移民された皆さんに真の日本人の姿を見ました。
このドラマを見ることによって、日本の国民がかつての日本人の良さを取り戻せたら幸いです。
経済的に繁栄することは、逆に心を貧しくするという気がしてなりません。
このドラマを観て、心洗われる思いがしました。
ブラジルに移民された皆さまのますますのご健勝とご活躍を心から祈念垂オ上げます。

山口:「ハルとナツ」思った以上に考えさせられるドラマです。
報道が指導権を握って、民の情報を操作し、教育がそれを相乗効果で煽動する。
戦後の日本しか知らない私がいうことではありませんが、当時、どんな思いをしていたか想像を絶するものがあります。
報道といえば、新聞、テレビで得られる、今ではインターネットでさらに情報量が増えましたが情報に踊らされてはいけないと、感じることが多々あります。政治、然り。海外の災害情報然り。
ウモフ報道ではないにしろ、一面をクローズアップすることによって、受け取る側は先入観を植え付けられるような気がします。
ちょっと話がそれました。
最近、近親者のお葬式を通じて、「死」と「生」を考える機会があり、
ちょっと、ナーバスなのだと思います。
毎日の生活、気がつくと怒涛のごとく流れていることが多々あります。
「強烈に感じていた時のみ生」自分の意識改革も必要だな、と感じる今日この頃です。意識して時を過ごすことが「生」につながるのでは、とも思います。
今日の「ハルとナツ」の最終回、楽しみです。

竹中:橋田氏の脚本は見事です。<届かな かった手紙>を舞台回しに使うアイデアはさすが。今日で終わりですが、今までの放映を見て。
多くの方々に知ってもらった功績は大、しかし万人向きと言えます。
・50年前に記念切手を購入したときに調べた印象は、<棄民>でした。
・老齢になって、帰るに帰られず身寄りもない方の生活も知りました。
・うまく行った方が帰国された報道もありますが、その何万倍もの悲惨な話が。
・移民といっても,実状は農業奴隷です。
働いても借金が増える仕組みは、つい最近まで有った遊郭と同じ?
・コーヒー・綿花などの作物は天候・病気の被害を受けやすい
豊作でも価格が下落-単一商品作物の宿命-
しかも国際価格は下落、そのしわ寄せは地主ではなく移民がかぶる仕組み!!
遠く離れた未開の地で、どんなに絶望されたか。
では。

ローラン:第13回バーチャル座談会拝読しました。活発な貴重なご意見の場に感動しています。
今日の最終回の濫知識としてご参考まで。
【なお、下記記事は、現在 在日外国人の方々の入国管理局手続などの仕事をしておられる方の手記から転載しております。】
ブラジル日系移民の歴史について考えるとき、今の日本と在日外国人(特に、日本へ沢山来ている国の人たち)との関係を、考えずにはいられません。
ブラジルへの移民は、1908年(明治41年)の笠戸丸に始まります。800名弱の移住者の内、自由移民は10名のみ。残りは皆、『契約移民』といわれる人たちで、沖縄県出身者が半数を占めていました(今もブラジル日系人の中では沖縄県がルーツの人たちが多く、アルゼンチンになると日系移民の80%が沖縄県ルーツの人たちだそうです)。
そもそも日本人の海外への移民は、1868年(明治元年)には始まっていました。
ハワイや、その後はアメリカ、メキシコ、明治後期には南米(ペルーなど)や東南アジアへの移民も始まりました。
しかし、その内アメリカ合衆国への移民は、黄禍主義の影響もあって移民送り出しを制限せざるを得なくなります。
1888年に奴隷制を廃止したブラジルでは、その後のコーヒー農園での労働力不足を補うためヨーロッパからの移民(コロノ移民と呼ばれる契約移民)を誘致し、受け入れていました。
しかし、劣悪な条件下での労働は移民の不満を呼び、ドイツやイタリアといった移民送り出し国の政府は、「奴隷同然の移民送り出しには協力出来ない」と、出国を停止したりしました。
こうして、労働力不足に悩んでいたコーヒー農園主とブラジル政府に、当時アメリカ合衆国から日本人移民を締め出され困っていた、『皇国殖民会社』が、日本人移民の受け入れを売り込んでいきました。
やがて『皇国殖民会社』はサンパウロ州政府と契約調印し、毎年1,000人の農業移民をブラジルへ送り出すことで一致し、日本国内での移民希望者募集を開始しました。
移民の条件の中に、「移民は夫婦を中心に、12歳以上の子どもか夫婦の兄弟姉妹を含む『3人以上の家族』であること」というものがありました。
『皇国殖民会社』は、この「家族」の条件を満たすため、移民希望者の中の独身者たちを名目上の夫婦・親子・兄弟にしたりしました。
また、外務省へ供託するはずだった保証金(10万円)を調達出来なかったため、移民たちからの「預り金」を流用してこれに充てたりしました。
私は、現在 在日外国人の方々の入国管理局手続などを仕事上しておりますが、現在の日本に来る外国人たち(特に、賃金格差のある途上国の人たち)を見ていると、「当時の日本人ブラジル移民と同じような状況下にある人たちもいるなぁ」と考えずにはいられません。
例えば、制度が悪用されることも多い『研修生』などです。
中国やヴェトナムなど、現地には『研修生送り出し機関』と呼ばれる会社が沢山ありますが、中には「研修生として日本に来るための条件」を改ざんしてつくったり、研修生から「預り金」を取って、しかもそれを自社用に流用してしまったり と、明治日本の『皇国殖民会社』と変わらないようなところも、沢山あります。
まさに、時代や国が変わっても…ですね。
現在、日本はまだ賃金水準も高く、海外から出稼ぎ目的で人が集まって来ている国の一つです。
しかし、時代が変われば、ちょうど、かつて多くの外国人労働者・移民を受け入れていたブラジルやフィリピンの人たちが、現在仕事を求めて日本へ働きに来ているように、日本人もまた、海外へ出稼ぎに行く時代が来ると考えています。

渡辺:NHKドラマ「ハルとナツ届かなかった手紙」を今見ています。
国策として企画しながらそのまま見捨ててしまった日本の政府自民党の前身ですが、今もその体質はあまり変わりませんね
本当にご苦労様であったブラジル移民の方々へエールを送りたいですね

和田:話題の『ハルとナツ』御覧になりながらの書き込み、ブラジル移住者へのエール有難うございます。
毎日新聞の視聴室では、・・・「おしん」を思わせる苦しい生活の中で、親は
「ブラジルに行けば楽になる」と移民に賭けた。その現実は、国による棄民
政策でもあった。日本の移民史を知る上でも見る価値あり。(萩)
上記に安易に使用されている「棄民」という言葉に引っ掛かりを感じます。
ご存知のように第1回芥川賞を取った石川達三の作品「蒼茫」で描かれ今回の「ハルとナツ」でも描かれている映像、描写は、その通りなんですが、「蒼茫」の功罪として一人歩きしている「移民=棄民」の一般的なイメージ、それを国策として推進した当時の為政者を責める告}だけで済ませてよいのでしょうか。移民は、矢張りその理由、当時の状況は、どうあれ一つの人生の選択だったと思いたいです。
私たちあるぜんちな丸第12次航の同船者681名は、戦後移住者の色々な形を代浮キる計画移住地への入植、コチア青年、産業開発青年隊、南伯単身雇用、花嫁移民、野球移民、天理教伝道師、私のように現役の大学生のもぐり移住者等がブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアに移住して行きまして。農業移住者の方も日本政府の海外協会連合会、移住振興会社の造成経営する土地を購入しての働く場所を新天地に求めての積極的な人生の選択だったと思います。
『私たちの40年!!』HPでこれらの同船者仲間の移住先国での定着の過程を書き残す仕事をしておりますが、一人でも多く仲間がこの43年前の選択が自分の意思でない場合も含めて(3分の1の200人以上が当時15歳以下でした)間違っていなかったと言える人生を過ごして来てくれた事を願っています。
従い「ハルとナツ」も日本の実在したであろう歴史、移民史の中でそれぞれの置かれた環境で力一杯生きてきた人生の選択を肯定できればそれを為政者の棄民政策と言った責任転化的な「蒼茫」により醸し出された【移民=棄民】に結べつけて欲しくありません。【移民=人生の選択】として積極的に捉えて頂きたいと願っています。

山野:『ハルとナツ』のドラマを私もかなり熱心に視聴しました。大いに感ずるところが有りました。
第5夜(最終回)では、姉(ハル)の回顧談として
1. 長男が親の希望に反して、ヨーロッパ系の娘を嫁にしてしまった。
2. これに懲り、次男には故国日本から嫁を迎えた。
3. しかし次男の嫁の態度は、期待を大きく裏切るものであった。
4. 逆に長男の嫁が、年一年とハルにとっての望ましい姿に成長して行
  った。
 といったシーンが展開されていました。森光子の演ずるハルは誠に印
象深いものでした。この橋田寿賀子ドラマ「ハルとナツ」につき私は、
第2夜の時点で、下記の書きこみをしています(拙文ですが)。↓
                   http://teiwait.exblog.jp/

桐井:山野さんのサイトを拝読しました。拙文などと謙遜されていますが、
すごくお上手です。下記はその内容の一部ですが、
「日清戦争まえに北海道へ、開拓農民として移住してきた淡路島
出身の祖父母をもつ私の場合、幼年期から開拓の苦労話を繰り
返し聞かせられて育った。」 とあり
以前に、映画「北の大地」を観ていましたので、あなたのお気持ちが
よく分かりました。

富田(眞):「ハルとナツ」を5日連続見ました。傑作だと思います。感想を書きかけましたが、ちょうど格好な記事を見つけました。 私の言いたいことを全て書いてくれています。ご参考までに。
富田さんから送って頂いた産経抄の全文を下記紹介して置きます。
きのうまでの五日間、「ちょっと風邪気味で…」と夜の街も早々に退散し、一目散に帰宅した。家人が録画したNHKドラマ「ハルとナツ」を一刻も早く見るためだ。
 ▼戦前、家族とともにブラジルに渡った姉と一人だけ日本に残らざるを得なかった妹の人生を描いたドラマで、「おしん」の橋田壽賀子さんが脚本を書いた。「なぜ七諸Nも音信不通だったの」と最後まで不思議だったが、姉役の森光子さんから子役まで芸達者がそろい、「橋田ワールド」にすっかりはまってしまった。特に姉妹の父・忠次役の村田雄浩さんの好演が光る。
 ▼日本の敗戦を信じない「勝ち組」だった忠次が元海軍士官から、日本に戻った息子の戦死を知らされる場面はハンカチなしには見られない。凡百の脚本家なら安易に反戦的セリフを吐かせる場面で、今年八渚ホの橋田さんは二人に「海ゆかば」を歌わせた。軍歌嫌いのNHKにしては珍しい。
 ▼橋田さんはインタビューで、最も描きたかったのはブラジルの過酷な環境下で一生懸命生きた忠次だったと言い、こう語る。「日本人から捨てられているのにもかかわらず、日本を愛して愛して愛して死んでしまう人。そういう人は、今いないんですよ。日本を愛している男が」
 ▼残念ながらそうかもしれない。「もうかれば何をしてもいい」とカネもうけに狂奔し、なんでもかんでも「経済効果」に置き換えたがる輩(やから)のなんと多いことか。
 ▼神戸・北野の異人館街近くに「ハルとナツ」の生き別れの舞台となった国立移民収容所(今は一部が資料室になっている)が昔と変わらぬ姿でたっている。明日からの連休、異人館を訪ねる人はぜひ、足をのばしてみてほしい。先人たちの汗と涙の跡から何かを感じるはずだ。
渡辺:本日NHKの「ハルとナツ届かなかった手紙」完結編を大変な感動をもって見ました、神さんと二人で沢山(T_T)泣きました。
私の発言に対し和田さんがか云っておられた「移民=棄民」という言葉に対しての反論・・・・見終わった今やっとその言わんとするところが少し理解できたような気がします。和田さんの心意気を感じます。
戦後60年経過した祖国日本の今はどうでしょうか (故里でも母国でも無くなってしまったような気がします) 経済の発展は世界に冠たるものであったでしょうが、日本人の持っていた美しい心優しい気持ち・・・・今もどのくらい残っているでしょうか?
お父さんもお母さんも大学卒業が当たり前の高い知識や見識を持った人たちが
育てた理想の子供達が友達の作り方が解らない。Prioritysheetの譲り方がわからない(make upするところらしい)。「長幼の序」なんぞは全く理解不煤A外国語は解りません。でも日本語はもっと解りません。
そして親は子供の父兄参観日に後輩の先生を君付けで呼びつけます(子供の前で)子供の前で亭主の(父親の)悪口をたくさん聞かせます(御伽噺を聞かせることなく)自分が遊びたいから車の中に赤子を放置してもパチンコ、麻雀、カラオケが大切そして自分は電車の乗ってタバコを吸っている高校生に注意する事もできない(寂しいね)。
今の日本は9月の衆議院選挙で大量の小泉チルドレンを排出して国民の負託を受けて(ブッシュのポチと尊称される)小泉首相の率いる自民党を頂いて憲法改正、弱者への増税を推し進め、ブッシュの顔を立てるために益々多額の海外援助を国債を発行して賄う事になるのでしょうね。
向う3軒両隣りと歌われた心の故里は移民の人たちと一緒にブラジルに移っているのかも知れませんね。
ブラジルの日本人会へエールを送り、不甲斐ない自分への愚痴を述べました。

平床:皆様とご同様に感動しながら「 ハルとナツ 届かなかった手紙」を見た一人でございます。
和田さんが云われる「移民=棄民」の一般的なイメージ、それを国策として推進した当時の為政者を責める告}だけで済ませてよいのでしょうか。移民は、矢張りその理由、当時の状況は、どうあれ一つの人生の選択だったと思いたいです。
移民の名誉を護られた和田さまの力強いお言葉は、日本人としての、まとも
なお考えと思います。
私の村からも同級生の弟が昭和29年にブラジルのベレンに移民として行きました。馬上に立ったまま乗り、一足で走らせる様な、なかなかの度胸者でありましたが、残念ながら交通事故で亡くなりました。ブラジル移民として行っていますので、心より有り難く思いました。
一部の「自虐史観」の方々のご意見には、私は移民の方々の気持ちになり、腹が立ちます。同級生の弟を含めブラジル移民の方々に大いに、無礼千万 では無いかと心より思います。
「ハルとナツ届かなかった手紙」の番組紹介のテレビの中でブラジルと日本の貿易額と殆ど同じ金額がブラジル移民の家族に、いや家族のみならず、他の人にも送金されているとの事、その自己を制して他に奉仕される大いなる移民の方々には心を打たれます。これは美辞麗句ではなく現実の姿ですから。
和田さんの【移民=人生の選択】として積極的に捉えて頂きたいと願っていますとの発言には、全くその通りと思います。ブラジルの移民の為今後のご活躍を期待致します。

和田:渡辺さん、平床さんの嬉しいコメント有難うございます。
昭和29年にアマゾンに移民された同級生の弟さん、戦後の移民が始まって直ぐの頃の移民です。私たちより8年早く大きな夢を抱いてブラジルに雄飛した同朋として尊敬します。またそれを忘れずに覚えていて下さる平床さんにも感謝しています。
私がブラジルという人生の選択をしたのは、中学2年生の時に社会科の課外授業の一つとしてブラジルに移住される皆さんを神戸の港に見送りに行ったのが遠因ではないかと思っています。時期的には平床さんの同級生の弟さんが神戸を立たれたのと時期が重なります。当時は郷里を出る時に家族との永の別れを済ませ日本最後の町神戸から旅発つ時には別れのテープを拾って呉れる人もおらずに旅発つ移民が多かった事からこのテープ拾いをさせようと神戸の港まで連れて行って呉れた名前も思い出さない社会科の女の先生の行為が後日、ブラジルと言う人生の選択を思い立たせた遠因となっていると思うとそうしたちょっとした出来事が大きくその人の人生に影響を与えるという神の摂理というか運命みたいなものを感じます。ひょっとしてアマゾンに行かれた平床さんの同級生の弟さんが投げ掛けるテープを拾わせて貰っていたかも知れないですね。人生の妙味を感じます。

岡本:私も5晩TV見ました。
結局最後に橋田寿賀子が言いたかったことは、苦難の末に経済的には成功したナツが子供や今の日本に絶望?して逃げ出し、昔の日本が残るブラジルへ幸せ求めて行くと云うことと思いました。
たしかに今の日本人の価値観は世界的に見ても少しおかしくなっているようで
す。やっぱり教育が基本でしょう。
占領軍のGHQの実動部隊は米国のリベラル派(左翼)が多く、僅か1,2週間で作った憲法はフィリッピンの憲法を下敷きにしたそうです。そして日本再建は彼らの理想追求実験にされていたように思います。教育基本法も同じです。
日本からの最初の集団移民は、1868年のハワイ向け141人、グアム向け42人。
以後ハワイへは第一回が1885年944人、以後1924年米国移民法で全面禁止になるまでに合計23万余人。
米本土は1869年留学生が174人渡り、以後1912年までに3,7万人。
ペルーは、1899年から始まり1939年までに2,6万人。ここはブラジルと違い土地を持つことは出来なかったそうです。
ブラジルは1908年の笠戸丸が最初で1941年までに19万人弱、現在の日系人は120万人(人口比0.75%)と言われる。(多少変っているかも)
フィリッピンは1898年から1940年ころまでに、5万人だったが全員終戦時に引き上げ。
ニューカレドニアには1892年から1918年までにニッケル鉱山労働者合計6000人弱。彼らは皆単身移民で現地人と結婚した人が多い。だから今ここで電話帳を見ると Suzuki Tanaka  Satouなどかなり載ってるが皆フランス人で日本語は一言もしゃべれない。
他にオーストラリア(木曜島)がある。
どなたか戦前の日本人の99%は皆極貧だったと言っておられますが、そんなことありません。終戦直後から2,3年の混乱期の貧困はそれに近いですが、終戦まではそれほどではありませんでした。
以上は私個人の認識です。

和田:岡本さん有難う御座います。各国の移住の歴史詳しいですね。参考になります。
何時もこのバーチャル座談会は、佳境に入ると一万語のャtト制限で終わってしまいます。今回も3回に分けて皆さんのご意見を聞かせて頂きましたが、最後の締めは、矢張り第1回からのメンバーのMASAYOさんと香西さんにお願いする事にします。

MASAYO:和田様、こんばんは。ブラジルではおはようございます。
「ハルとナツ」5回全部見ました。ブラジルに渡った日本人たちの大変な様子、よくわかりました。
勤勉な日本の移住者が汗を流してブラジルの国土の耕地を広げましたね。感動しました。
夢見てブラジルに渡った人たちが日本に帰国することさえできなくなって借金地獄に陥る様も悲しかったです。
ブラジルに渡って苦労された方々のことを私たちはあまりにも知らなかったなぁと思っています。
トラホームでブラジルに渡れなかった人の話も旧移住センターで黒田さんに見せていただきました。

香西:5回に亘る『ハルとナツ 届かなかった手紙』を涙ながらに見ました。
『私たちの40年』の皆さんが「アルゼンチナ丸」でブラジルに渡航された頃から、日本経済は急速に発展し人手不足になりました。
現在、日本に出稼ぎに来られる日系ブラジルの方も大勢いらっしゃいます。
こうしたことから、戦後に執られた移民政策は間違っていたのではないかと、和田様にお聞きしたことがあります。和田様はそれを否定され「大きな夢とチャンスを与えて貰い喜んでいる」と仰いました。でも、そう思って居られるのは一部の人ではないかと考えていました。今回のドラマを見て納得がゆきました。時代が違ったのですね。
戦前のブラジルに移民なさった方々のご苦労。ドラマには出てきませんが、狭い日本で地主に収める年貢に苦しんだ農民の苦労に大差は無かったようです。
また、戦争中の苦痛・悲惨は共通の悲しみでしたね。「勝組」「負組」の話は、私達の年代は聞いた事があります。
戦後の日本は、農地解放と経済発展でドラマに出てくるような貧困はなくなりました。しかし、日本の家族関係とブラジルにおける家族関係は随分違って来たようです。やがてブラジルも更なる経済発展に伴い、核家族化が進むのではないか心配です。
『ハルとナツ 届かなかった手紙』を見終わって、未だ貧困に苦しむ国々、未だ戦争が絶えない世界、地球環境問題に思いを馳せています。

和田:今回は、選んだ話題が話題で多くの皆さんの参加を得ることが出来て大変嬉しく思っています。NHKがブラジル移民の70年に渡る移民生活を豪華キャストとスタッフ、それにも増して多大の費用を掛けての放送80周年記念スペシアル・ドラマを制作、盗作疑惑等の問題も解決していないとは言えブラジルとブラジル移民の生活を多くの皆さんに知って頂くには恰好の物語、多くの涙を誘う満足できる作品に素直に感謝したいと思います。
参加頂いた皆さんにもお礼を垂オ上げます。




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