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第13回バーチャル座談会 【ハルとナツ 届かなかった手紙】 に付いて語る。(第4編)
バーチャル座談会【ハルとナツ 届かなかった手紙】 に付いて語るは、第3編で終了する積りでしたが、お寄せ頂いたお便り(発言)が使用されていなかったり、その後に寄せて頂いた感想等もあり番外編と言うか第4編として邦字新聞の関係記事等と共に収録して置きたいと思います。
2008年のブラジル100周年には、どのようなドラマが作成され公開されるのか楽しみですが、100周年には、岡村 淳さんの渾身の大作を期待したいところです。NHKあるいは民間放送局に岡村起用をお願いしたいですね。
写真は、荒木さんが乗船して来られたという戦後の移住船サントス丸2世(パナマ経由)でなく戦前の移民船さんとす丸?として使用されたハルとナツの神戸港での別れのシーンに使用された船をスチールからお借りしました。


和田:今回のバーチャル座談会【ハルとナツ 届かなかった手紙】 に付いて語るは、第3編で終了する積りでしたが、折角ご発言頂いておきながら当方の手違いで掲載されていなかったご発言、その後に寄せて頂いたご発言等もあり第4編として収録して置く事にしました。先ず山本さんからお願いします。

山本:みなさん もうすぐ第一回の放送が始まる直前に、一部のマスコミで、朝日・読売並びに毎日の評価に差があることに気が付きました。マスコミの取り上げ方の違いと私の感想を述べさせて頂きます。
@朝日新聞の試写室では、・・・「身の丈で生きることの確かさ、尊さ」。試写を
見た脚本の橋田寿賀子の言葉。(羽毛田弘志)
A読売新聞の試写室では、…戦中の北海道の貧農と、ブラジル移民の厳しい暮らしが、・・・こうした無名の人々の苦労があってこそ、今の日本があることを痛感する。(久)
B毎日新聞の視聴室では、・・・「おしん」を思わせる苦しい生活の中で、親は
「ブラジルに行けば楽になる」と移民に賭けた。その現実は、国による棄民政策でもあった。日本の移民史を知る上でも見る価値あり。(萩)

次に私見として二回分まで見た感想を述べさせて頂きます。私は昭和14年生れで、このドラマの主人公は戦前の昭和9-10年頃の庶民生活を再現したドラマであり、私が生れる前の戦前の生活習慣は、大家族制の貧乏子沢山の家族であった事をよく聞かされますが、戦後は連合国米国の民主化政策によって各地域の貧村を貧困から開放するために都会へ工場へと大移動して核家族化へ変貌していった事、戦前は何処の地方でも封建的身分制度の戸主を中心に家長の大家族制のもとに一族内の利害は貧乏子沢山の生活実態を示した物で、一緒にドラマを見た私の母親(89歳健在)から聞かされた故郷愛知でも、昔の生活実態は似たような苦労があった事を思い出したと言っていました。
日本の北海道で育った生活慣習は、ブラジルでも日本文化を引き継いで、名作「おしん」のドラマを再現するような醜いいざこざは成る程との感想を思ったしだいです。以上、私の健在である母親と一緒に纏め上げた感想です。

赤嶺:<ドラマの筋の説得力>という観点から一言発言させて頂きます。 
 NHKの開局80周年記念ドラマ<ハルとナツー届かなかった手紙ー>の第一回を見た。評判は、既に試写会に行った人たちや邦字紙等で知っていたが、まず強く印象付けられたのは、さすがあの日本中を泣かせた<おしん>の脚本を書いた橋田須賀子氏の原作だといういうことである。ブラジルもの(移民もの)と言うと、実際に大変な苦労を体験した人たちがまだ相当健在しているだけに、その人たちの目から観れば、「移民の生活は、そんな皮相的なものじゃなかった。もっと苦しかった」と、辛口の批評が大抵出てくるが、<ハルとナツ>の移民ドラマは、まだ1回目しか見ていないが、厳しい自らの体験を抱えているまだ現役の移住者たちをもほぼ納得させるのではないか。
 説得力の第一番目は、日本とブラジルに分かれて生活しなければならなくなった姉妹がマメに取り交わした筈の手紙が約70年間も届かなかった理由の説明にある。ブラジル側は、最初の入植地が着伯した途端、日常茶飯事の如く簡単に変えられてしまって届かない手紙になったこと、日本側は、トラホームで移住できなくて叔母の許に預けられた妹がブラジルに移住した家族を恨み続けて生活し、とうとう苦労に耐えかねられず、家出した挙句、努力して後に大手製菓会社の社長に出世するまで、ずっと目にしなかった手紙を姉がブラジルから日本へ里帰りしたのを契機に、ふとした切っ掛けでやはり70年ぶりに探り当てることができたという筋書きを最初に組み立てた橋田ドラマは、つい最近誰かが書いているのを読んだばかりだが、その時点で成功を納めたと言えそうな気がする。
 つい蛇足みたいになるが、ブラジル日本商工会議所のコンサルタント部会(桜井 悌次部会長)では、去る6月5日、このドラマの現場ロケが行われたカンピーナス郊外にある東山農場をバス3台(約130人)で集団見学した。その時は、もうこのドラマの撮影が終わって、一年以上も経っていた筈であるが、ドラマ用にわざわざ建てられていた奴隷小屋の一軒は、壊さずにそのまま残されていた。確か入り口に向かって4軒の奴隷小屋が建っていて、その内の3軒が往時の建物(?)ということであった。案内役のブラジル人の青年が余興に<撮影用に新しく建てられた奴隷小屋は、どれだと思うか>と、質問したが、一台のバスに乗り込んだ約30人の見物客の中から、<入り口に向かって右へ3軒目>と応えたのは、会議所の平田事務局長たった一人で、それが正解であった。それだけ撮影用の奴隷小屋も精巧に復元されているということであった。

荒木:「ハルとナツ」を見ました。なんと言っても,あの父忠治の徹底した頑固一徹には頭が下がりました。またハルも父の血を引いての一途さが浮黷ト大変見応えがありました。
勝ち組負け組の争いは以前ブラジルの作家 FERNANDO MORAIS が書いていますが,それに依るとこの騒動で死者 23人,けが人 147人,取調べを受けた人 31,380人その内381人が拘束され,80人が国外追放の宣告を受けました。が1956年のクリスマスにJ・クビチェック大統領の恩赦で全員解放されたとの事でした。
以前こんな事が書いてあったのを読んだ覚えがあります。
ある勝ち組の一人がやはり日本の敗戦を信じなく田舎で暮らしていましたが,戦後15,6年ほど経って急に日本に行く機会がありました。日本に着いて驚いたのは,戦災の焼け跡どころか東京と近郊のあのビルの連立と商工業の発展を見て,やはり日本は戦争に負けてはいなかったと確信したそうです。
私がブラジルに移住したのも「サントス丸」で1964年(サントス丸はパナマ経由だけかと思っていたのですが,以前はアフリカ経由もあったようですね。)船内の生活などを良く思い出させてくれ,また妻の康子は10歳で移住して家族共に農場を移ったり,ハルと同じような経験が沢山あり涙の連続でした。

MASAYO:「ハルとナツ」5回全部見ました。感動しました。
海の向こうで日本に帰る日を夢見て一生懸命ご苦労された方が本当にたくさん、おられたこと。そして熱いまなざしで日本のことを見つめておられる私たちの同胞が海の向こうにたくさんおられることをひしひしと感じました。
日本は一番いい季節を迎えましたが、お天気がイマイチです。ブラジルは今からまた暑い夏がやってきますね!

ニッケイ新聞(南):NHK開局八庶年記念ドラマ『ハルとナツ〜届かなかった手紙〜』はなかなか好評だったようだ。『おしん』と似ているという人も大勢いたが、先ごろ公開された『ガイジン2』と比べると「幾分良い、満点!」という人がほとんど。
 しかし、ハルの孫役に対する批判は凄かった。「ポルトゲースがひどい。何いってるのかわからない」「あんなにかっこいい日系三世いないよ」など。確かに記者が接してきた日系人の若者とはどれにも当てはまらず違和感があった。また、「婆ちゃんになったハル、ナツが美しすぎる。こんな綺麗な移民おらんよ」と謙遜の声も。
 ストーリーは移民が経験してきたことばかりで共感を呼んだが、原作者の橋田壽賀子が実際に訪伯して移民と触れあう機会があれば、さらに味が出たのかも。

富田(眞):「ハルとナツ」は、好視聴率を獲得しているのですよね。先週(10/3〜9日)のテレビ番組視聴率が発浮ウれて、「ハルとナツ」が好視聴率を挙げていたことが分かった。
 第一回分が放映された先々週は、18.1%で、10位に入った。一位はフレンドパーク(TBS)の21.0%だった。
 先週、放映された二回以降もすべての番組が週間ランキング15位以内に入った。
視聴率と順位は下記の通り。
 第二回(月)17.4%   15位
 第三回(火)18.8%   7位
 第四回(水)19.1%   6位
 第五回(木)18.5%   9位
 先週の視聴率一位は、「ごくせん同窓会スペシャル(日テレ)」の25.1%だった。この番組の主役は、若い頃のナツを演じた仲間由紀恵が務めた。
  尚、9日(金)に放映されたTBS50周年記念ドラマ「涙そうそう」も「ハルとナツ」同様橋田寿賀子氏の脚本、黒木瞳、泉ピン子主演で関心を呼んだが、視聴率は、14.8%だった。

渡辺:先日のNHK「ハルとナツ」この年まで殆んど知らなかった移民の苦労
と日本人としてのidentityを生きるよすがとしての誇り。
今日は 日本テレビの杉原千畝物語を感激の涙で見終わりました。
**続けて感動もののドラマを見て・・・・少し感傷に浸っております。
日本の外務省にも本当の英雄は居たのですね。日本から生きているうちには業績を認められなかった、外国から評価されてからやっと認めた振りをする。
野口英世博士の功績を評価しなかった医学会
小柴昌俊博士の功績をノーベル賞で知った物理学会
田中耕一さんのノーベル賞受賞で大慌てになった化学学会
変な閥で固まった日本の(国会を含む)各分野と似ていますね。
もっと他人の良さを素直に認める事の出来る民族にはならんかね。

和田:『ハルとナツ』盗作疑惑解明を目指して岡村 淳さんの「六諸N目の東京物語 ブラジル移民女性の里帰り」の上映会が行われるとの事、上映後に日本からの特派員と一般を含めた質疑応答があるとのことでどのような反響があるのかその後の動向を見守って行きたいと思います。

サンパウロ新聞(10月10日):岡村さんの作品上映会開催。NHKドラマ「ハルとナツ」について質問状を送付しているサンパウロ市在住の記録映像作家・岡村淳さん(四序Z歳)。自ら告ャ・撮影・編集・選曲・報告を行い、NHKドラマの根幹部分が自身の酷似していると主張しているドキュメンタリー作品「六諸N目の東京物語 ブラジル移民女性の里帰り」(一九九六年東京メトロポリタンTV放送、四助ェ番組)が、処齠午後四時から同六時まで栃木県人会館(聖市ビラ・マリアナ区カピトン・カバルカンテ街五六番、地下鉄ビラ・マリアナ駅下車)で行われる。
 同作品の内容は、九五年当時満八渚ホだった移民女性が、日本政府の経費負担でブラジル移住後、六諸N目にして初めて日本への里帰りが実現。岡村さんは移民女性の旅に同行し、人間の絆のあり方を見つめていく、というもの。森下さんは祖国で(1)音信の途絶えていた姉と再会すること(2)日本に出稼ぎに行っている娘を訪ねること(3)そして生き別れとなってしまった義母のお墓参りをすること、の三つの願いがあり、岡村さんは森下さんが続けた東京、北陸、九州、東北の旅をまとめている。
 当日は、上映後に日本からの特派員と一般を含めた質疑応答が行われる嵐閨B入場無料。

和田:前述の通り『ハルとナツ』が岡村 淳さんの作品の盗作ではないかとNHKに2度に渡り質問状を出しておられる岡村作品の鑑賞会とその後の質疑応答等が行われたとのニッケイ新聞の報道が14日付け同紙WEB版に掲載されています。
ニッケイ新聞(10月14日):ハルナツ=盗作疑惑=冷静な意見が目立つ=聖市で「酷似」作品を上映。 コロニアのみんなに判断して欲しい=。NHKドラマ「ハルとナツ」の設定が自作品と酷似していると主張、NHKに質問状を送っているブラジル在住の記録映像作家、岡村淳さんが処齠午後四時から、ヴィラ・マリアーナ区の栃木県人会で上映会を行った。会場には報道関係者も含めた約八署lが来場、質疑応答を行った。
 上映されたのは岡村さんが九五年に撮影し、翌年に東京MXテレビで放送された「六諸N目の東京物語〜ブラジル移民女性の里帰り〜」。
 この作品は森下妙子さん(当時八渚ホ)が「海外日系人訪問団」の招待により、六諸Nぶりに日本に里帰りした際、岡村さんが密着取材したもの。
 実姉との再会や亡き養母の行方探しに奔走する森下さんを追い、〃往時の面影がなくなった〃東京で迷子になったり、コロニア語で道を聞くシーンには来場者から笑いも起きた。
 壇上に上がった岡村さんはNHKに出した質問状の内容や経緯を説明。
 「『重なる部分は全くない』といわれては黙っていられない」とし、その後の森下さんの消息や取材での裏話を語った。
 報道関係者からの「法的措置も辞さないのか」との質問に、「そういう労力は使いたくはない。二回目の質問状にNHKが答えるのか皆に見てもらいたいし、これからもおかしいと思ったことには、声を上げていきたい」と答えた。
 出席した男性の一人から「NHKと岡村さんにとっては大きな問題かも知れないが、ブラジル移民のイメージを壊さないためにも穏便に事を進めてもらいたい」との意見が出された。
 来場者のなかには、「ハルとナツ」を見た人、見てていない人がいるが、概して冷静な意見が多かった。
 「(姉妹が生き別れになるという話は)移民で来た人にはたくさんあると思う」(女性、四書縺A二世)
 「ドキュメンタリーとドラマは別物だけど、参考にしていないとは言えない」(男性、七書縺j
 「確かに似ている。資料として見たなら、NHK側の配慮が足りないのでは。おごりを感じる」(男性、七書縺j
 「古い人はコーヒーやって、戦争があって苦労してきた。真似とかじゃなくて、みんなそうだった」(男性、六書縺j
 「岡村さんが一人で何カ月もかけて作ったものをNHKも見たなら、一言いうべき」(女性、七書縺j
 「その人の見方、考えた方があるから結論は出せないのでは。盗作? させとけばいい。騒ぎ立てることでもない」(女性、六書縺j
 岡村さんは「自分がやるべきことはやっていきたいし、うやむやには出来ない。今日は見るべき人に見てもらったという感じがする。これからも敷居の低い形で作品を伝えていきたい」と手応えを話した。

和田:移民がみた『ハルとナツ』新聞社でないとできない企画、貴重な記録です。バーチャル座談会でも使用させて頂きここに収録して置きたいと思います。
ニッケイ新聞(10月12日):移民がみた『ハルとナツ』=現実はドラマ以上!?
 現実はドラマよりもっとドラマティック=。NHK開局80周年記念番組『ハルとナツ〜届かなかった手紙〜』が2日から6日の5日間にわたって放映された。2008年の移民百周年を目前に控えた現在、日本で初めて、ブラジル移民について大きく取り上げたドラマとして注目を集めている。取材した署柏lからは、「苦労したところばかり見せている気がする」「この話そっくりだった」「あんな綺麗な小屋なんてなかった」などいろいろな声が寄せられた。現実の移民たちもドラマ以上の困難を乗り越えたすえ、現実に「今はやっぱりブラジルがいい」との心境に達したものも多い。この大地に根をはった一般移住者が観たドラマの感想とは=B自身の経験と重ね合わせて、渡伯から入植、現在のブラジル生活までを振り返った。
 ハルナツ感想
◇平井博子さん
65歳、二世、バストス出身、聖市在住
「姉さんは三、四年で帰るゆうてたのに捨てられた」
 「このドラマそのまんまでびっくりしたよ」。二世の平井博子さん(65)は両親の体験をドラマのストーリーに重ねあわせて驚く。 
 父が一九三〇年に、母はその五年後にバストスに入植した。「母は妹を残してブラジルに来た。三、四年で帰るつもりだったけど子どももできて、お金が残らなくて帰れんかった」。
 母は女学校に通っていたため、田舎の生活にもなかなか適応できず、毎日「帰りたい」と泣いていたそう。諸N後、サンパウロに移り住み魚屋などをしていた。
 ドラマを見て、あらためて思った。「やっぱり母の言う通り、移民は苦労したんだね。夜逃げする人も多かったって。私は五歳でサンパウロに来たからあまり実感は無かったけど…」。
 何年か経ち、平井さんが日本にいる母の妹を訪れた時は「姉さんは三、四年で帰るゆうてたのに捨てられた、って言ってた。だから私が訪問するのもあまりいい気はしんかったみたいね」とドラマの設定と同じような当時を振り返り、「日本にいる日本人がどういう感想を持つかが気になる」と話した。
◇細樅良盛さん
ほそもみ・よしもり、83歳、1959年渡伯、鹿児島県出身、サンベルナルド・ド・カンポ市在住
「我々、苦労するために生まれてきたようなもんです」
 サン・ベルナルド・ド・カンポ市郊外の山奥にある家で熱心にドラマを鑑賞する細樅良盛さん(83)。一九五九年、あめりか丸で渡伯し、ブラガンサ・パウリスタに四人の子どもを連れて入植した。「ブラジルで一生暮らそう」という決意でバタタ(じゃがいも)の栽培をした。
 「自分の経験と重なるところがあって、どうもこれ観てたら涙が先に出る」。ハルの兄が亡くなる場面を観て「私もこっちへ来てたった三ヵ月で子どもを一人、欠水病で亡くしてしまった。このドラマと同じように医者がいないし言葉がわからないし困った」と当時を思い出す。
 「ブラジル国内で皆、最低初は移動してるよ」。バタタ栽培は思ったより上手くいかず、現在住んでいる市で二曙ワ年間トマト栽培をした。「これまたドラマと一緒で雹にやられたこともあった。五分間降り続いた後、これを腰が抜けたというのか、と実感するくらい呆然としたよ」と話し、「でもこんなの人並みだったさ。我々、苦労するために生まれてきたようなもんです」ときっぱり。
 また、ハルの父がしきりに「私は日本人だ、日本人の誇りを持っている」と主張する場面では、「ヨは日本人という誇りを持っている。今でも持っている」と語気を強め「今の日本は個を主張しすぎだよ。個人一人では生きていけない。個人の集合が国だ。世の中のためになるような人間にならないとだめだ」と一喝した。
 「このドラマは苦労したとこばかり見せている気がするけど、育てた作物が実った時とか、物事を成し遂げた喜びもたくさんあるんですよ。大きな木の根を掘る場面では開拓の嬉しさを思い出した。私もやったよ」と当時を振り返り、「こんな風に吉と凶の繰り返しで今の日系社会ができたんだよ」。
◇守屋保尾さん
80歳、1926年渡伯、長野県出身、聖市在住
「(母を)日本に残った兄に会わせてあげたかった」
 「母はいつも瞼に息子を描きながらブラジルで働いてた。病気でもどんな姿でも日本に残った兄に会わせてあげたかった。母さん、と言って抱きしめてあげて欲しかった」と涙ぐむ守屋保尾さん(80)は、一歳のとき、兄弟四人を日本に残し両親と姉とアリアンサ移住地に入植した。
 「母は何とかしなきゃいけないって、農業もやったことないのに苦労してた。カフェも採れるようになったと思ったら霜にやけて、採れたと思ったらカフェの値段下がって。いいことなんてなかったわよ」。働いても日本に帰れる状況ではなく、結局は聖市に出てきたという。
 戦後、日本にいる兄弟から届いた葉書に、「悪夢から覚めた日本は」という記述があったことに驚いたと言う守屋さん。敗戦の知らせを聞いた日は父と一緒に泣いた。「父は軍人だったからショックで仕事ができないほどでした。このドラマに出てくるハルの父の気持ちもよーくわかりますよ。負けてるってわかってても口に出すのが辛かった。日本人の意地で負けたと子供には言いたくなかったのでしょう」。
 その後、父は帰国し、五諸Nぶりに息子たちに会えた。「兄弟はブラジルまで自分らを捨てていかんでも東京で頑張ってたら、家族が離ればなれにならんかった、って両親を恨んでた。でも、ブラジルでどんな苦労したかわからん」と当時を思い出す。
 父が息子たちと再会したときは、「母を連れてこれんで垂オ訳ない」と詫びていたという。「私が母を会わせてあげたかった。何とかして日本に帰してあげたかった」。
◇猪野ミツエさん
80歳、和歌山県出身、1953年渡伯、聖市在住
「日本にずっと帰りたかったけど、家族のあったかさはブラジルにある」
 「苦労もいっぱいしたけど、今が一番幸せ。孫にかこまれて、日本よりブラジルがいいって思う」。ドラマの結末はハルが「今はやっぱりブラジルがいい」という心境になり、ナツもブラジルへ来て一緒に住むというところで終わる。
 猪野ミツエさん(80)は一九五三年、諸N経ったら帰国するつもりで二人の子どもを連れて来た。マット・グロッメEド・スール州のドウラードスに入植し、カフェ栽培をしていた。「もう子どもいたし泣いてる暇なかった。自分はどうでもいいから何としても子どもは学校へ行かせてあげたかった」と話し、「ナツも一人で強く、日本人という誇りを持って生きていったんだということをブラジルにいたからこそひしひしと伝わってきた」と言う。
 二暑續Nぶりに帰国した際には「日本にいる日本人より、私らの方が日本への愛着を感じた。愛国心って言うんでしょうか」。
 また、「ハルとナツが神戸港で引き裂かれる場面、あんな手が触れられるまで近くにいけるわけないよ、ありえない」と笑い、「私らは着るものもろくになかった。言葉にも苦労した。このドラマみたいに綺麗な小屋なんてなかったよ。ドラマだから仕方ないけど」と自身の入植当時との違いを話した。
 「今は日本へ遊びに行くのはいいけど住むのは…。日本にずっと帰りたかったけど、家族のあったかさはブラジルにある。孫ができてからは報われたと思った」と考えの変化を話した。
◇玉井須美子さん
79歳、愛知県出身、1933年渡伯、聖市在住
「とうとう日本にいる兄弟に会わずに亡くなったよ」
 「このドラマはハルとナツが出会えるだけ幸せなんです。最後にはナツがブラジルに来るし。兄弟が会えずに亡くなる人も多いんですよ」。一九三三年に両親と兄、姉と渡伯した玉井須美子さん(79)は思いを話す。
 両親は、日本で絹織物を製造していたが店が破産して渡伯することを決意したという。「農業なんてやってなかったから苦労したのよ。でも両親の苦労のおかげで幸せなんですよ、今はこんなにいい生活ができるとは思わんかった。感謝しています」と笑う。
 両親を日本へ帰してあげようとしたが、「みんな大きな夢持ってきてるからね。錦を飾って帰国するという誇りを持ってたから帰らなかった。とうとう日本にいる兄弟に会わずに亡くなったよ」。
 終戦の時、玉井さんは二渚ホだった。「正直、ほっとした。父はアメリカに勝てるわけないって言ってた認識派だった」。四諸Nぶりに同船者が父を訪ねてきた時は、「その人は勝ち組だったから父とは話が合わずに、気まずかったよ。四諸Nぶりに会ったのにねぇ」。

大束:「ハルとナツ」盗作関連では、サンパウロ新聞、ニッケイ新聞ともに、冷静に扱っていること とても喜ばしいことですが、今日のサンパウロ新聞での世論の取材には感心しました。
私はうっかり見逃しましたが、"当時はまだ菊は栽培されていなかった筈"、"当時はあんなに大きいいトマトは無かった" 等は、私たちでも知っていること。
もしこの企画が、在伯記録映像の専門家、岡村さんの協力の下でなされていたら、もっとすばらしい内容になったのではないでしょうか。残念無念。岡村さん、こんなことにめげず頑張ってください。

和田:多くの皆さんの発言を頂きました。バーチャル座談会の形で皆さんの発言を記録に残して置ける事を嬉しく思います。今を生きる私たちの些細な記録が一つの歴史としてデジタル化され活字で残って行く事は意義あることだと思います。今後とも宜しくご協力下さい。



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