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ぶらじる丸最後のキャプテン川島裕氏の著書 『海流 最後の移民船 ぶらじる丸の航跡』
船大好きの沼田 雷介さんからぶらじる丸最後のキャプテン川島裕氏の著書 『海流 最後の移民船 ぶらじる丸の航跡』を紹介して頂きました。『私たちの40年!!』ホームページを時折訪問して下さっているとの事で今回お願いしてメーリングリストにも参加頂き今後移住船に付いて色々お話を聞かせて頂ける事になりました。これで戦後の南米航路に使用された移民船の歴史、逸話、航跡等を掲載して行けそうでわくわくしています。その第1回は、掲題の『海流 最後の移民船 ぶらじる丸の航跡』の紹介文です。川島船長に付いては既にHPにも【元船長『ぶらじる丸』を懐かしむ=旧神戸移住センター=移民船モデル展に】
として紹介していますが、その出版のニュースを知らせて呉れました。
写真は、同著の表紙を使用したいのですが間に合いませんので昭和44年4月29日に石田さんのご家族を乗せて神戸港を離れるブラジル丸をお借りしました。


和田様
はじめまして。沼田と申します。
あるぜんちな丸 私たちの40年 時折楽しく拝見させていただいています。
子供の頃より船が好きで、現在に至るまで34年間ずうっと余暇として船の物語を追いかけています。
ふとしたことから船が好きになった昭和46年当時は今振り返ると定期航路の客船が日本と外国を結んでいた末期の時代ではありましたが、当時から「ぶらじる丸」「あるぜんちな丸」は船の本で知っていて、憧れの船でした。
船が好きになって間もなく、昭和47年7月末、ぶらじる丸の南米航路出港を横浜大桟橋で見送った思い出は今でも鮮明に覚えています。
ぶらじる丸出港を横浜で見送ったときは、悲しげな白鳥の湖の一節が大桟橋のアナウンスメントで流れる中、船で遠い外国に行ける人たち、そして親に連れられて渡航した同世代の子供たちに強い憧憬を抱きながら、船影が見えなくなるまで見ていたものでした。
以来、ぶらじる丸で渡航した乗客の人たちがその後どういう人生を歩まれているのか関心を抱いています。
ところで、ぶらじる丸最後のキャプテン川島裕氏が最近著書を出されたのでご紹介します。
ぶらじる丸最後の航海の様子を描いた航海記です。
『海流 最後の移民船 ぶらじる丸の航跡』
川島裕著 海文堂 定価2400円+税
ISBN4-303-63490-5
蛇足になりますが、下記出版元 海文堂ホ−ムペ−ジに発注ペ−ジがありますのでご参照下さい。
  www.kaibundo.co.jp">http://www.kaibundo.co.jp

実は私がぶらじる丸を見送ったときブリッジで指揮を取っていたキャプテンも川島裕氏で、1996年1月、ぶらじる丸が鳥羽から解体に向かう直前、本船上で有志で開いた「ぶらじる丸を送る会」で初めてお会いしました。
また現在も、船旅と船の愛好家の集まり「航海クラブ」の会員で、時折懇親会等でお会いする機会もあります。
「航海クラブ」の会長は当時「あるぜんちな丸」「ぶらじる丸」の航海士をご経験された商船三井客船株式会社名誉船長 渡辺輝夫氏が務められています。
東京は爽やかな空気が漂う涼しい季節になってきました。
地球の裏側ブラジルは季節が異なるのでしょうが、ぜひお体をご自愛下さい。
沼田 雷介




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