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苦しみに時効ない ドミニカ移民訴訟が結審 各紙報道より。
ドミニカに移住した人たちが現在もドミニカに住み日本政府を相手取って訴訟を起こしている。過去5年間と言う長い年月を掛けての訴訟が終結し裁判所の判決が下りる段階に来ているとの事。我々ブラジル移民に取っても関心事であり戦後移民、特にドミニカ移民が国策であったかどうかの裁判所の判決を見守りたい。最終意見陳述で原告団の嶽釜徹(67)さんは「国側は時効を主張しているが、消えてしまったのは政府の良心と罪の意識。入植以来49年間に受けた移住者の苦しみや心の傷に時効はありません」と述べた。
移住は人生の選択と積極的に受け止めたいと思っていますが、現実として与えられたドミニカの移住地に踏みとどまり49年間動かずに住み着いた方々がおられたということは驚きでもあり敬意に値すると思いますが皆さんはどう思われるでしょうか。
写真は、記者会見中の原告団の木村 庫人さん(前から二人目)です。


「棄民」として来年で50年=ドミニカ移民訴訟結審=国策だったかが争点=国側「斡旋しただけ」「時効」

ニッケイ新聞    2005年10月19日(水)
 【東京支社】五〇年代にカリブ海のドミニカ共和国に移住した178人が国を相手に31億8400百万円の損害賠償を求めているドミニカ訴訟。五年余りに及んだ裁判は庶オ日に東京地裁で開かれた口頭弁論を最後に結審した。約百席の傍聴席はドミニカや日本国内の原告、支援者、記者団で埋まった。最終意見陳述で原告団の嶽釜徹(67)さんは「国側は時効を主張しているが、消えてしまったのは政府の良心と罪の意識。入植以来四暑續N間に受けた移住者の苦しみや心の傷に時効はありません」と述べた。判決期日について、金井康雄裁判長は「追って指定する」と述べるに留まった。
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 七百万人もの引揚者や失業者で溢れかえっていた戦後日本。人口削減を喫緊の問題として国が移民政策を積極的に推し進めた。その一つにドミニカ移住があった。
 国が提示した条件は「肥沃で広大な農地の無料譲渡」。全国から応募した258家族千三百人うち、鹿児島県出身者が二百八署lと全体の二割を占めた。
 カリブ海の楽園=。ブラジルなど他国への移住に比べ、好条件の募集内容に渡航前の移住者たちは夢を膨らませた。
 しかし、与えられた土地は政府が約束した25ヘクタールに遠く及ばず、所有権も認められなかった。しかも、岩や石だらけの不毛の土地や塩で覆われた一面の砂漠。耕作不適地なうえ、水不足も追い討ちをかけた。千三百人の夢と希望は一瞬にして打ち砕かれ、数年後には半数以上が集団帰国か南米移住の形で〃約束の地〃を去った。
 政府の崩壊で日系コロニアは略奪の対象ともなった。移住者のなかには自殺する人も少なくなかったという。
 原告側は「国はドミニカの農業の状況や住環境などの調査義務を怠った」と主張、〇〇年に国を相手取り提訴。国側は「斡旋しただけで、募集要項の条件が満たされなかったのは、ドミニカ政府の問題。国の責任を問われるにしても時効が成立している」と真っ向から反論、平行線をたどった五年の間に曙ワ人の原告が亡くなっている。
 嶽釜さんは「来る二〇〇六年七月は、ドミニカ入植50年にあたります。われわれ移住者たちはこれを『棄民50年』として迎えなければならないのでしょうか。それとも、晴れて国策移住者として尊厳を取り戻し、心から『移住50年』を祝うことが出来るのでしょうか」と問いかけた。
 閉廷後の記者会見でドミニカ移民懇談会の尾辻秀久会長(自民党、厚生労働大臣)は「今日、結審の時を迎えることが出来、私も感無量の思いで傍聴席に座っておりました。嶽釜さんの最後の意見陳述を聞かせていただき思わず涙がこみあげました。あとは裁判長を信じて判決を待ちたいと思います」と語った。
 昨年三月、小泉純一郎首相は国会答弁で「外務省に反省すべき点はある。不手際を認め、移住者に対し、しかるべき対応を考えたい」と発言しているが、外務省は「首相発言は法的なものではなく、和解の意思はない」との見解を示している。
 裁判の最大の争点はドミニカへの移民が〃国策〃かどうか。移民政策そのものの是非を問う判決結果は今後、移民を原告とした裁判の判例になると見られる。

ニッケイ新聞にドミニカ移民の国を相手取っての訴訟問題に付きブラジルに転住して来られた方の意見を披露している記事が掲載されていました。私もドミニカからアルゼンチンに再移住され(この方はドミニカからボリビア、ボリビアからアルゼンチンに転住された)お元気な老ご夫妻にお会いしました。ブエノスアイレスの近郊ラプラタのヴィジャ・エリーザと言われる日本人移住者の集団地の広場で皆さんとゲート・ボールを楽しんでおられました。同船者の一人福留さんが近くで花を栽培しておられ訪問した時にお会いしたのですが、大変な流転と苦労をされたのでしょうが、好きで日本から飛び出したのだから生活できる場所を見つける努力は自分で遣るべきでドミニカが駄目だったのでボリビア、アルゼンチンと渡り歩き現在はここで満足している。狭い日本を飛び出す機会を与えて呉れたことに感謝しておりこそすれ日本を相手取って訴訟を起こす積もりはないとのご意見を聞き私と同じ気持ちをお持ちの方にお会いでき嬉しくなりました。それにしても原告代浮フ『嶽釜徹(67)さんは「国側は時効を主張しているが、消えてしまったのは政府の良心と罪の意識。入植以来49年間に受けた移住者の苦しみや心の傷に時効はありません」と述べた。』との報道は重く受け止める必要があると思います。移住は人生の選択と積極的に受け止めたいと思っていますが、現実として与えられたドミニカの移住地に踏みとどまり49年間動かずに住み着いた方々がおられたということは驚きでもあり敬意に値すると思いますが皆さんはどう思われるでしょうか。

原告主張認めて/今さらね=在伯転住者の見方は
ニッケイ新聞   2005年10月19日(水)
 「原告の人達を認めてあげてほしい。可哀想ですよ」。現在、イタペチニンガ市で農業を営む、坂下義弘さん(57、石川出身)は話す。
 一九五八年に家族五人で国境から五キロのアグア・ネグラ移住地に入った。
 原始林のなかにまで石灰石の岩山があるような土地。機械が入らないため、全て手作業でカフェや豆を作った。
 当時渚ホだった坂下さんは、契約内容や移住のいきさつには詳しくない。
 「でも、よく考えたらあんなところで農業ができるわけがない。両親は(ドミニカに来たことを)後悔してましたよ」
 最初の二年間はドミニカ政府から生活費が支給されていたが、その後「食べるにも困る」ほど、生活苦にあえいだ。六三年、日本政府からブラジル転住を聞き、ドミニカを後にした。
 「全部の移住地が(ハイチとの)国境沿いにあった」。日本人が堡塁として利用されたのでは、との不信が今もある。
 八巻茂さん(84)タツさん(79)夫婦は福島県出身。一九五七年に子供二人を連れ、約百五初ニ族が入植したダハボンに入った。
 「水田地帯と聞いてきたけど、水がないからどうにもならんかった」と茂さんはいう。日本で聞いた諸ェ町歩は夢の話。与えられた土地は一町歩にも満たなかった。
 「僕の入ったところは地主がいる土地で地権はもらえかった。つまり、外務省や農林省は何も調べてないわけ」
 灌漑施設もなく、わずかな土地で米作りを六年余。収入もなく、「「何とか食べるだけ」の生活が続いた。
 そんな中、領事館の職員が八巻家を訪れ、転住を促した。
 「日本にはもう帰りたくなかったし、ドミニカではらちがあかんかった」。来伯後、移住地を転々とし、現在はイビウーナに住む。
 今回の結審について、タツさんは「残った人にも事情があるし、出た人も努力した。(裁判は)関心ない」と淡々とした口調でいう。
 「今さらね…」と苦笑を漏らす茂さん。「(ドミニカを)出るときにもう諦めましたよ。日本政府は何もしてくれんかったもんね」

ドミニカ移民訴訟結審 「政府、約束守らず」
2005年10月17日 (月) 10:55
 「大農地を無償で配分する」との日本政府の募集に応じ、1950年代にカリブ海のドミニカ共和国に移住したものの、実際は劣悪な環境での生活を強いられたなどとして、木村庫人さん(78)=山口県出身=ら日本人とその遺族計126人が、国に約31億8400万円の損害賠償を求めた訴訟の口頭弁論が17日、東京地裁(金井康雄裁判長)で開かれ、結審した。

訴状によると、募集要項では豊かで広大な農地が無償譲渡されるという約束だったが、実際は石だらけの土地や傾斜地など耕作に適さない土地で、土地の所有権も認められなかった。

原告側は「日本政府は事前に現地の実態調査をしないまま移民を募集した上、募集時の約束を守らず詐挙I行為を行った」と主張。

国側は「現地大使館を通じて情報を集め、その結果を募集要項に記載した。国はあくまで移住希望者を支援するだけで、それ以上の関与はできない」と反論、時効により賠償請求権が消滅しているなどとしていた。


苦しみに時効ない ドミニカ移民訴訟が結審
「大農地を無償で配分する」という日本政府の募集に応じ、1950年代にカリブ海のドミニカ共和国に移住したものの、実際は劣悪な環境での生活を強いられたなどとして、木村庫人さん(78)=山口県出身=ら日本人や遺族計177人が、国に約31億8400万円の損害賠償を求めた訴訟の口頭弁論が17日、東京地裁(金井康雄裁判長)で開かれ、結審した。
 最終意見陳述で、原告団事務局長の嶽釜徹さんは「裁判で国側は時効を主張しているが、消えてしまったのは日本政府の良心と罪の意識だ。入植以来今日までの49年間に受けた移住者の苦しみや心の傷に時効はありません」と述べた。
 訴状によると、募集要項では豊かで広大な農地が無償譲渡されるという約束だったが、実際は耕作に適さない土地で、土地の所有権も認められなかった。
(共同通信) - 10月17日12時26分更新




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