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最果ての町ウシュアイアにお住まいのスーパーセニオラー上野 綾子さんにお会いしました。
年末年始にパタゴニア地方の最果ての町USHUAIAと氷河の町CALAFATEに妻と二人で旅を楽しみましたが、ビーグル海峡に面した最果ての町での新年と66歳の誕生日を向かえ、大自然に広がる氷河、雪渓を頂いたアンデス山脈、ペンギン、寒冷地に咲く綺麗な花、ポプラ並木の勇姿、紅鱒にパタゴニアの子羊の焼肉、橇を引く強犬、多くの出会いと盛り沢山の旅でしたがその秀逸ともいえる邂逅は、81歳でインタネットを始め上野山荘をお一人で守っておられるスーパーセニオラー上野綾子さんにお会い出来たことです。上野綾子さんの半生をご紹介し記録して置きたいと思います。
写真は、84歳の上野綾子さんのお正月に撮らせて頂いたものです。


上野綾子さんは、1963年2月2日横浜出航のサントス丸でご主人の上野信隆さん(当時43歳)、息子さん(当時15歳)、伊都子さん(当時8歳)の4人家族で岡山県からアルゼンチンのミッショネス州、グアルアペス移住地に入植されました。私たちより10ヶ月遅い移住ですが、1962年暮れのあるぜんちな丸に乗る嵐閧最後の正月を日本でとの気持ちで翌年のサントス丸に乗船したそうです。私たちの同船者も沢山入植したグアルアッペスの移住地で見よう見真似で農業らしい事をしたが全くの未経験者で3年半で逃げ出しブエノスアイレスに出てその後、港町のラプラタ河流域のマルデル・プラタに移りそこで見よう見真似で魚の干物やするめを作りアルゼンチン全土のみならず遠くブラジルのサンパウロまで販売網を広げ水産加工業として多くの日本人に重宝され盛業していたが好きな魚釣りをする時間がないとのことで信隆さんがウシュアイまで魚釣りに来てこの土地を非常に好み家族を説得、23年前に移り住んだとのことです。水産加工工場は、辞め信隆さんの晩年は上野山荘と言うペンショナットを経営しておられたそうです。その信隆さんが癌で3年半前に亡くなり綾子さんは、一人になってしまいましたが81歳でインタネットを始め5部屋、16ベッドあるペンショナットの蘭受付、管理を総てこなしておられ夏場のシーズンには日本語、スペイン語の電話がひっきりなしに入る忙しい毎日を過ごしておられます。冬場は雪に閉ざされ買い物に出るのも困難な厳しい時期を向かえますが、NHKのワールドプレミアム放送を見ながらお一人で越冬されるとのこと。
お嬢さんの伊都子さんは、アエロリニア・アルゼンチーナのスチュアデスをもう23年もしておられ主に国際線のパーサとして現在もスペイン、フランス等に飛んでおられます。スペイン系のご主人ルイスさんと18歳のお嬢さんのLUCIANAさんのご家族全員が綾子さんを支え毎月ブエノスからウシュアイアまで飛んで来ておられます。正月休みにも伊都子さんとLUCIANAさんが綾子さんを訪問しておられ誘われるままに1月2日の私の誕生日を綾子さんの上野山荘で祝って貰う光栄に預かりました。
上野さんご一家が引っ越して来られた23年前は、人口が僅か7000人だったウシュアイアの町も現在では6万人に増加しており、TIERRA del FUEGOの州都として観光、漁業を中心に豊かな町に育っている。スーパバーチャンが冬の間も一人で山荘を守って行けるのは気力、体力抜群で特に記憶力のしつかりしている事は勿論ですが治安の良さ、町の経済の安定が大きな要素と思います。ボケ防止にそろばんを毎日やっているとのことで慣れないキイボードの扱いも結濠yしいと笑っておられました。
元山荘にお世話になった方達が手伝って【上野大学】というHPも開設しており信隆さんのお元気そうな姿もHPで見られます。画像掲示版には、パタゴニアの釣りの魅力が一杯唐阨tけており思い思いの写真が見られます。私も誕生日の写真を唐阨tけさせて貰いました。HPは『私たちの40年!!』のリンク集に掲載して置きます。

綾子さんの居間の壁に次のような石井正弘岡山県知事からの感謝状が飾られていました。
感謝状
上野 綾子 殿
貴女はアルゼンチンに移住されて以来幾多の困難を克服し移住者及び日系人の繁栄に多大の貢献をされましたので在亜岡山県人会創立35周年記念式典にあたり御長寿をお祝いするとともに記念品を贈り深く感謝の意を浮オます。
平成14年8月1日
岡山県知事 石井 正弘

これは信隆さんが貰うべきものを後まで残った私が代理に貰ったもので長生きしただけだと笑っていました。
アルゼンチンでグアルアペス移住地時代から勉強だけはするようにと寄宿舎制の近くの町で勉強をさされ理科系の大学を出ておられる伊都子さんとそのお嬢さんのLUCIANAさんも哲学を学びたいとのことで大学受験準備の傍らおばちゃんに手作業を習っており日本語の会話が理解できるようで日本文化、日本に付いて大きな興味を示す可愛いお嬢さんで鶏肉の美味しそうな夕食を作っていました。

【1月1日の日誌より】
港の近くの博物館を見て帰ろうと思ったが、元JICAの青年ボランタリーの藤井みどりさんがウシュアイでお世話になった日本人のペンショナットを経営しておられるお年よりが居ると聞いていたので運転手さんに聞いて見たら何処か場所を知っているので案内して呉れるとの事でお願いする。町の北部の山際(MORRO地区)にある【世界最南端 上野山荘】との看板のある丘の上の見晴らしの良い家の前まで運んで呉れる。
家の前の庭の草取り作業をしておられたご夫人(上野伊都子さん)に御挨拶をした所、母上の上野綾子さん(84歳)を呼び出して下さり誘われるままに上がり込み日本茶を頂きながら話を聞かせて貰う機会があった。
上野さん関係の話題は、別個書くことにしてこのレポートでは触れない事にします。
タクシーを呼んでもらい帰り際にブエノスアイレスより正月休みを利用してウシュアイアに来ておられる上野さんのお嬢さんより明日の夕食に来るようにお誘いを受けて私の66歳の誕生日でもあり皆さんとご一緒に過ごしたとの気持ちより喜んで招待を受けることにしました。
上野綾子さんは、岡山県出身で平成14年にアルゼンチンの岡山県人会35周年記念にブエノスに来られた岡山県知事より長年の移住先国での苦労と長寿を祝い撫イされたとの事で撫イ状が飾ってありましたが、『長生きしただけですよ!』と謙遜されていましたが、3年半前にご主人の上野信隆さん(享年83歳)を亡くし81歳で必要性もありインターネットを始められたとのことで現在ではご主人が残された民宿〔ペンシオナット〕の管理をインターネットで処理しておられると言うスパーおばさんで健康その物、その記憶力も抜群恐るべき怪人?でした。人当たりの柔らかな老後を楽しんでおられると云った穏やかな顔つきで話して下さった海外の方が長くなった上野綾子さんのアルゼンチンでの43年を記録して置きたいと思います。

【1月2日の日誌より】
66歳の誕生日を【世界最南端の上野山荘】で上野綾子さん、8歳でアルゼンチンのミッショネス、グウアララペス移住地に入られた上野伊都子さん、お嬢さんのLUCIANAさんの上野家3代の女性にけい子とここでも女性4人に囲まれての誕生祝いとなる。
山のレストランで買い込んでいたワインと町の洋菓子屋さんで作って貰った誕生ケーキを持参、伊都子さんが町まで買いに行って呉れたという大きなタラバ蟹をご馳走になり、綾子さんが作って呉れたタラバ蟹の混ぜご飯にタラバ蟹のおすましの汁での夕食、LUCIANAさんが作って呉れた鶏肉の煮込みはとうとう手を付ける事が出来なかった。それでも誕生ケーキだけはローャNを立てハッピーバスデイを皆で歌って祝って呉れました。
ポルトアレグレを立つ時は、まさか最果ての町で女性4人に囲まれ忘れ難い誕生日を上野山荘で3代に渡る上野家の女性との楽しい語らいと食事を楽しめるとは想像もしていなかっただけに忘れ難い誕生日となりました。
何時もなら旅先での仕事上のお付き合い、押掛けに近い強引な訪問等に癖壁し旅先での地元の方への訪問を嫌う(遠慮する)けい子が上野さんのところには喜んで招待を受け楽しそうに話し込んでいたのは珍しい出来事。綾子さんには、3歳若い自分の母親、伊都子さんとは少し年が離れているとは言え移住者としての苦労話し、LUCIANAさんとはポルトアレグレに残して来た娘達と何れも自分の環境と重ね合わせた話が弾むことから初めて旅先での訪問が楽しい触れ合いとして喜んで呉れた。
上野さんに付いては、別途詳細を書き残す事にしたい。
午前2時(1時)近くまで長居をしてタクシーを呼んで頂きホテルに戻る。深夜料金?ガないのか上野山荘から町のホテルまでが僅か6ペメi2ドル)であった。



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