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<気骨のある昔の企業人> 日本鉄塔元ブラジル会社、有田 哲哉社長の美挙に拍手を。。。 赤嶺 尚由さんよりの紹介文
サンパウロのブラジル日本商工会議所コンサルタント部会の皆さんによるメーリングリストBATEPAPOの健筆家赤嶺尚由さんが掲題の<気骨ある昔の企業人>と出してブラジルの奇跡と云われた70年代にブラジルに進出して来た日本鉄塔の当時の社長、有田 哲哉さんの美挙に拍手を送ろうとの書き込みをしておられます。
私自身もブラジルでトカンチンス州の牛飼いの農業から始まり、リオの石川島播磨造船所に1年、ポルトアレグレ総領事館に5年半、丸紅ブラジル会社に21年間お世話になったサラリーマン生活が長く多くの上司(総領事、社長)に仕えて来ただけに有田さんの美挙には、普通気持ちの上では遣りたくとも経済的に出来ないことから気持ちとそれを実現させれる経済力の両方をお持ちの有田さんは、ご立派だと思う。特に秘書、運転手それも1年程度の短い勤務社員も居るとのこと正に人生で宝籤に当たったような気持ちで招待されたご本人達が一番びっくりしているのではないかと思います。幸運を得た9人(9組?)の日本鉄塔元社員の皆さんと招待主の有田元社長に大声で<エスター デ パラベンス>とエールを送りたい。
写真は、適当なものが見つかるまで彼らが訪問する箱根の山の旧街道の写真を掲載して置きます。



<気骨のある昔の企業人>
Batepapoの皆さん  赤嶺です。

 前略 ご存知、ご記憶の方々もまだ大勢いらっしゃると存知ますが、70年代に日本から企業進出ラッシュの波に乗リ、日綿を窓口に当地へ出てきた企業に<日本鉄塔>という殆ど無名に近い、というよりは、余り目立たない地味な企業がありました。当時の軍事政権関連の開発計画で電力公社からの受注を主なる目的としていましたが、何か卵ェしなかった事態に直面したらしく、進出後、僅か数年で、慌しく撤退を余儀なくされてしまった模様でした。

 しかし、初代の社長の有田 哲哉さん(今年ちょうど82歳)ときたら、私のこの拙い文章の阜サ力では、とても立ち向かうことの出来ない位の、先ず器量の大きさ、常に絶やさぬ笑顔と人間としての温かな持ち味、会社を一家に喩えますと、ちょうど父親の優しさと厳しさを同時に合わせ持った上に、皆を纏めながら連帯感を醸しだす主柱みたいな存在でした。確か本社の副社長を兼任していたその当時の有田 哲哉さんを従業員全体が言葉の垣根を越えて慕い合い、ほのぼのとした交流を重ねていました。

 日本鉄塔が進出してきた当時、当社も発足して数年後のそれこそ頼りなくまだ歩き出したばかりで、試行錯誤の真っ最中でしたが、それでも、土木工学のエンジニアや秘書から運転手に至るまで、大量採用のチャンスを撤退が決まるまで迷うことなく与えてくれました。<人間は、疑う前に信じてやった方がお互いの為に良い>を地で行って、不安の欠片も見せずに、得意の時には泰然、失意の時にも平然としていました。こういうブラジルに進出した日本関係の気骨ある企業人としては、ブラジル倉紡のやはり初代所長を務めめられた富田 虎男さんしか思い起こせません。日本からの企業進出の足取りも振り返って見ますと、もう次第に往時茫々といった感じになりつつあるような気がします。

 その有田哲也さんが80歳を越した今、明暗いろいろな思い出の残るこのブラジル、いや、ブラジル人の元従業員たちに対して、一体、何をしてあげようとしているのか、それを皆さんにも、是非、知っていただきたいとの思いから、こんなに長ったらしい前置きを並べてしまいました。どうぞ、わが意を得たり、とお考えになられるBatepapoの皆さん方がいらっしゃいましたら、我々の先を歩いて行った偉大なる先輩が企業人の最終章にやろうとしている美挙に、<エスター デ パラベンス>を小さな声でも結高ナすので、口ずさんで地球の反対側まで是非届くように送ってやって下さい。

日本鉄塔 元社長 有田 哲哉様

         サンパウロ 人材銀行メ[ル ナッセンテ人材銀行 赤嶺 尚由 拝


 尋常なご無沙汰の仕方ではなくて、あるいは、既にお忘れになられたかも存じませんが、御社で勤務された従業員の中のかなりの方々を紹介させていただいたメ[ル ナッセンテ人材銀行の赤嶺 尚由(あかみね ひさよし)と垂オます。あの当時から、足掛け35年近い月日が経ってしまいました。しかし、既に何年か前に還暦を迎えた小生も、お蔭様にて、健康にだけには、どうやら恵まれている模様であります。あの当時の弊社は、ちょうど創立後数年にしかならないそれこそヨチヨチ歩きの状態でしたが、そういう名もなく資金力もなかった生まれ立ての弊社に、大量に人材採用の切っ掛けを与えて下さったことに、35年後のひときわ熱い思いを一杯込めて感謝垂オ上げる次第であります。そして、今も尚、相変わらず細細とした厳しい経営内容を強いられ、かてて加えて、当地は、政治経済面でも、相変わらず困難な状況に置かれておりますが、こうして毎日、元気で働いていられることに感謝の念を捧げている毎日であります。

 さて、先週のこと(2月2日)でしたが、当地のニッケイ新聞(あの当時は、確かパウリスタ新聞と称しておりました。その少し前に、小生も記者として、約10年間、働いたことがあります)の第6面(第2社会面)に以下のような、小生にとっては涙が出る程、嬉しい、且つ、大変懐かしい以下のような記事が掲載されました。後で全文を抜粋致します。その記事が掲載された直後に、やはり、弊社からお世話させていただいた優秀な人材の中の一人、土木工学の岡崎エンジニア(63歳、1世でありながら、USPの工学部(ポリ)を優秀な成績で卒業して日伯両語に堪煤jが来社して、かつてブラジルに進出して事業活動を展開し、貴台によって経営されていた日本鉄塔という企業から、9人に上る元社員が日本に招かれることになったが、そのうち2人の行方がどうしても不明なので、何とか身元を探し出す手掛かりがないものか、という相談を受け、更に訪日する1行のビザ等の手配等に就きましても、未解決の部分がある様子でしたので、早速、小生が懇意にしており、日常の仕事面でも関係の深い在サンパウロ日本総領事館の担当係官と連絡を取ることを思い立ち、出来るだけご期待に沿いたいと考えているところであります。ここ一両日中にも岡崎さんを(あるいは、必要あれば、小生と二人で)その担当官に直接相談することに致します。弊社に取りましても、何とも思いがけない、且つ、大変ありがたく嬉しい有田哲哉様の所期の目的が是非達成されますことを、地球の反対側からお祈り垂オ上げる次第であります。例の新聞記事は、以下の通りでした。

 「ブラジル日本鉄塔」という会社が、70年代、ブラジルで事業展開していた。鉄塔の設計、製造、設備を担って業績を挙げていた。当時の社長、有田哲哉さん(東京青山在住 80歳)が、当時の社員、9人を日本に招きたい、とこのほどアルファインテル南米交流社を通じて、垂オ入れてきた。9人が妻か夫がいれば、夫婦を招待するという。招待状によれば、招待(案)は、8日間。旅券の取得、日本、米国のビザ費用、渡航運賃、ジャパンレイルパス、日本滞在中のホテル、食事、観光費用のすべてを有田さん側が負担するという。元社員の中には非日系人の秘書や運転手も含まれている。在社勤務1年の人もいる。長くて4年ほど。日本鉄塔が足掛け5年ほどで撤退を決めたからである。有田さんの在伯年数は4年であった。ブラジルの印象が濃縮されて極めて良かったようだ。帰国後、90年代の終わりに、1度来伯して、元社員たちと旧交を温めている。

 今回、アルファインテル社に伝えてきた意向によると、招待の動機はただ、「在伯4年間にお世話になった方々を日本に招待したい」。ブラジルに出かけてお礼をしたいが、80歳を越え、「長旅は無理なので、みなさまに来ていただきたい」。アルファ社は、意向を受けて、東京、熱海、箱根、京都の観光を取り入れた日程(案)を作成し、元社員たちに送付してきた。実現は、来る6月の嵐閧セ(新聞記事のほぼ原文のまま)。



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