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アマゾンのベテランガイド、高橋雄一さんにガイドに纏わるエピソードを纏めて頂きました。
1月にマナウスの週末ジャングル・ロッジツアーに参加した時に我々三人のために付いてくれたベテランガイドの高橋さんがアマゾンのガイドさんとして活動し始めた時からのエピソードを連載で送って呉れる事になりました。マナウスに行く機会が有れば彼の所属するアマゾン・トラベル・サービスに御願いすれば喜んでガイドをして呉れると思います。エピソードにあるような初期の高橋さんでなく彼の目指していたプロのガイドの粋に達した超ベテランの案内には感心さされました。
写真は、アマゾン河の朝焼けを背景にした高橋さんです。(左端が高橋さん)


アマゾンのガイド超ベテランの高橋雄一さんから下記コメントとガイドエピソードその1を送って頂きました。連載になると面白いですね。高橋さん宜しく御願いします。
和田様へ
貴殿が書かれた私のプロフィールを拝見しました。履歴的には他人様に自慢できるような事は何一つしていませんので自分のことを書かれるのにも苦労されたことと思います。         
しかしこうして興味のある方達がいれば文章にていろんな事が伝わっていくんだなと感心しました。メール交信にしても自分の意見や他人の思わくとが交錯して興味深い内容になって、ついひきずりこまれたりもします。どなたもそれなりに勉学に熱心な方たちで学歴もあって自分のような無学の者が投稿してよいものかどうか?随分と悩みましたが、意を決して自分の現在の職業である観光案内にまつわるエピメ[ドなどを書き、皆様に閲覧してもらえたらと思いました。
エピソードに関して、その背景にあるのはアマゾンです、自慢話や中傷ではありません。アマゾンを舞台に経験した事あるいは体験したことを書いていきたいと考えています。先ずはエピソードその一として始めますが、和田様どうか内容を吟味して下さいお願いします。とてもみんなに閲覧してもらえるような文章でないと判断された場合は構いませんので破棄して下さい。あるいは、その際どのように書けば良いのかご指導して頂ければ幸甚です。

「エピソードその一」
高橋雄一(58歳) 1962年渡伯 (ぶらじる丸)入植地アマゾナス州ベラビスタ植民地。今からちょうど32年前のことです(1974年この頃はすでに植民地ではなくマナウス市内に移っていました)やはりカーニバル直前の時でしたが、恥ずかしくもその頃は定職もなくブラブラしていました。(お笑い下さい)そんな時、近所に英語ガイドをしていた人がいて私に日本語を話せるか?と聞いてきました。日本語を話せる旨を伝えると、いきなり日本語ガイドをしてみないか、今、自分が働いている旅行社で(SELVATUR)カーニバルに来る日本からの団体があり日本語を喋るガイドを探している、OKであれば明日にでも一緒に旅行社に行って担当のマネージャーに紹介してやろうという話があっというまにまとまりました。そして翌日そのSELVATUR社に行き担当のビンダー氏と面接したわけです、すっごく緊張しましたよだって日本語は理解できますが、観光ガイドなんて未経験の分野ですから何をどうすればよいのか皆目分からず、おそらく雇ってもらえないだろうと思っていたら、あっけなく採用ということになり、ニ三度ばかり市内観光とアマゾン河観光に研修に行くだけで大丈夫だと言われました。
嬉しかったですね、これでなんとか働くところが見つかり、やっと人間らしいまともな生活ができると思うと 「それまではまともな暮らしをしていなかったのかな、すみません」しかし研修期間は短くガイドマニュアルのテキストも充分ではなく観光の説明などできる訳ないのに、のっけから交通公社グループのガイドをすることが決まりました。初めてのガイドの仕事になるんですがそのJTBのお客様にしたら不運だったでしょう、お気の毒です、ど素人の観光案内なものですから聞けるような話ではなかっただろうと今おもえば実に赤面のいたりです。実際、自分もなにを話したのか覚えてませんし上の空でしたから、しどろもどろの話し方になってしまい、けったいなガイドだなと思われたでしょう。ジャングルトレッキングの時に植物の名前などを聞かれたときです、一緒にいた現地の案内人が知っていれば通訳して答え、彼がわからないといえば私も知りませんので、分かりません知りませんの連発になり垂オ訳なく思い、二つ三つは、それらしいでまかせの現地名で名前を言ってしまう羽目になりました。結局、なんとか三日間の初めてのガイドの仕事を終えたわけですが、JTBの添乗員(名前は忘れました)が、ガイドを始めてまだ間がないでしょう?次回もガイドお願いしますけど、もっと勉強して上手な説明ができるようになっていて下さいと、もっともなことを言われました。まさか今回が初めてですとは言えないですしね「ハイツ」とふだんより元気よく返事をしニコッと笑って誤魔化しました?その時生まれて初めてチップ(80ドル)なるものを頂き有頂天になったものです (純粋だったんですね) それと、あるお客様の一人が私が話していた日本語がとても分かりやすく丁寧な日本語でしたと、お褒めのお礼を言われたときには(お世辞だったのかも知れませんが、きっとそうでしょう)まんざらでもない気分になったりもしました。仕事を終えた空港から戻る途中で雨季特有の激しいスコールがあり、乗り込んだ路線バスで乗客が持っていたトランジスターラジオから流れるカーニバルの喧騒たる音楽がこだまするなか、次回の時にはもっと上手に手際よくガイドをしよう、それにはいろんな知識を吸収し学習をして恥ずかしくない観光案内ができるよう頑張ろうという気持ちが高ぶっていったものです。 今回はこの辺で終わりにします。

「エピソードその2」
私が観光案内を始めるようになった頃の(1974年)マナウスは現在に比較すると小さな町で人口も35万程度の田舎町という感じでした。民間空港も今のエドアルド・ゴメス国際空港は建設中でありポンタ.ペラダ空港(現在は空軍専用の飛行場)で、これも小さな飛行場でしたからマナウスに到着された観光客は、逆におそらく未開の不便なアマゾンに来たのだという印象をうけたかも知れません。(現在はアマゾンのイメージとは不釣合いな?立派な国際空港があります)市内のホテルも高級ホテルの数が少なく、唯一アマゾナスホテルが海外からの観光客を受け入れることのできるホテルでした。そのアマゾナスホテルも今は雑居ビルになり、華やかなりし頃の面影はありません。しかしその当時はアマゾナスホテルに宿泊しSELVATUR旅行社の手配でアマゾン観光や市内の見学をしたりショッピングをする事がマナウスを訪れて来る人達 にとって一流だったんですね、アマゾナスホテル以外のホテルに宿泊する事は、それ自体が三流でみくびられたものです。ですから皆こぞってアマゾナスホテルを蘭確保をしようとしたわけで、再三にわたってオーバーブッキングになりホテルに着くと部屋が無いという事態がしょっちゅう発生していました。一度は交通公社の団体が蘭OKであったにも拘わらずホテルに着くと満室で部屋がありませんと云われ、あわてた事があります。とても落ち着いたベテラン添乗員でしたけど。ホテル支配人とSELVATURの担当者と話し合いをして解決策を模索した結果他の三流とみくびられていたホテルも空き部屋がないらしく今日は、とりあえずSELVATUR経営の水上ホテルに一泊することが決まり、翌日アマゾナスホテルに一泊という事に決定しました。しかしいくら落ち着いた冷静な添乗員といえども現地エージェントの対応が、なまぬるく、的確な応対に欠けていたので、担当者との話し合いの最中に、キレてしまい青筋がはしり大声を出して担当者をののしりはじめたのです、(やんぬるかなです)相手も負けていませんでした、添乗員と同じくらいの大声で弁解や状況を説明するんですが、(二人の会話はもちろん英語です) 激怒のあまり 会話が英語ではなくなりポ語が半分くらい混じってしまうようになったりして、ポーハ(ポ語では下卑た言葉です)を連発していました。ポルトガル語になるのでわたしがときおり通訳してましたが、添乗員も唾を飛ばしながら「日本人をなめるな」くらいのことは言っていたらしく、傍に居て二人のケンケンガクガクを聞いていると、これは大変なことになるなと心配はしましたけど、自分の出る幕ではなく大人しくしておりました。2時間ほどの 口論の結果、上述のような結末に落ち着いたわけです。温和な性格の添乗員だと思っていましたけど、しかしやはり添乗員の責務として大事なお客様のために最善をつくすという意識のもとにたやすくは譲歩せずに交渉にあたる姿勢は立派であると感心しました。交渉が終わってホテルロビーに待機させていたお客様達のところに戻りますと、さすがに長い時間待たせていたのでみんな疲れた面持ちでした、そこで添乗員のスピーチがあり状況説明をして、これより水上ホテルへ移動する事になり市内のホテルではなく対岸のジャナウアリー湖にあるホテルだから、アマゾンの自然に直接触れ合うことができるので多いに期待してもらいたいとか、その他にも注釈を加えて、やんわりと手際よく皆さんを納得させ全員拍手のもとに水上ホテルへ行くことになりました。
あんなに怒っていたので道中、添乗員から私にとばっちりの嫌味をいわれることを覚悟していたところ、そんなことはこれっぽちもなく、普段の温和な顔つきにもどり冷静そのもでした(さすがですね) それでも私が済みませんでしたと誤りますと、この件に関しては高橋さんに責任はありませんし貴方のせいでホテルの部屋がなかったわけでもないか ら心配は無用です、それより挽回といってはなんですが、ツアーのほうで、お客様達が満足して喜んでいただけるようなガイドをお願いしますと頼まれました。私はこの時に思いました、いろんなジャンルの道をきわめたプロがいますが、彼がそのプロなのだと、彼のお客様に対する真摯な姿勢や基本精神が筋金入りだから、どんな事態に遭遇しても、慌てず、騒がず適切に対応できる迫ヘが備わっている人であると考え、とてもいい勉強になりました。 (私はいまだに及びませんが)
その後は急遽ホテル変更になったにも拘わらず添乗員の理解と統率力でツアー全体としては結果的に、みなさんもいろんな体験ができ好評にて終了とあいなりました。万々歳です。そのプロの添乗さんとは又、お会いできるのを楽しみにしていましたけど、マナウスに来られたのは、その時が最初で最後になりました。 (もっと彼を参考に勉強したかったんですが残念です)
三十年も観光ガイドをしていますと、実にいろんな性格の添乗員の方と接触したことになりますね、それぞれの人格があって、さまざまですが自分としてはみなさんから教えていただくことの方が多く随分とお世話になりましたの感謝の一言です 。



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