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日伯青年交流に付いてサンパウロ新聞の社説「灯台」で5回に渡り現状分析と問題点を鈴木雅夫編集長が論説しておられます。
日本ブラジル交流協会の25周年式典「感謝の集い」を契機にして日伯青年交流に付いての記事で賑わいましたがサンパウロ新聞の社説「灯台」で鈴木雅夫編集長が日伯青年交流に付いての現状分析と問題点を提起特に短期留学査証や研修査証制度の新設をルーラ大統領と小泉首相の間で取り決めた二〇〇八年のブラジル移民百周年に向けての合意事項の大きな柱としての人物交流の拡大策に乗せ、両国の有識者が組織している二処齔「紀協議会のテーブルで是非この問題を取り上げ年間500人から1000人の交流を実現させ、ともすれば枯渇しつつあるブラジルに於ける日系コロニアの活性化策に繋げて行くべきだとのご意見。是非実現させて貰いたいと思うのは私だけではないと思います。
写真は、サンパウロ新聞に掲載されていた「感謝の集い」の写真をお借りしました。


日伯青年交流@日本ブラジル交流協会
昨日(藷)、聖市内で(財)日本ブラジル交流協会が創立二曙ワ周年を記念した「感謝の集い」が開かれた。一九八一年から昨年までの間に送出した研修生は七百四諸ェ人にのぼる。大学生を中心に「働きながら学ぶ」をキャッチフレーズにブラジル各地で研修し帰国した若者たちは日本の各界でブラジルシンパとして活躍している。その一方で一部のOBは活躍の舞台をブラジルに求め、定住している。その数は約三署lにのぼるという▼「日本とブラジルの架け橋になる人材育成」を掲げた同事業は大きな成果をあげてきた。しかし、四半世紀の歳月は若者たちの意識を変えた。来伯する青年たちの目的が多様化した。しかし、送り出す協会がその変化に対応できない上、組織そのものが日本の経済国「転換で資金難に陥った。それらの影響で、この数年、来伯した研修生に対する批判が目立ってきた。同協会関係者によると、同協会の目的に沿う意識を持つ青年はわずか三〇%といい、この状態では受け入れ側から批判が出るのも当然といえるだろう▼今回の「感謝の集い」に同協会を代浮オて来伯した理事の堀坂浩太郎上智大学教授に「研修生の質が低下しているのではないか」と質問した。日常的に大学生と接している堀坂教授は、「研修生の質が低下したのではなく、日本の若者の意識の変化によるものだ。ブラジルに対する考え方も変化している」と「質の低下」を否定した。いつの時代も「今の若い者は」と枕詞が付く。同世代の息子を持つわが身を振り返っても、「オヤジ、時代が違うよ」で一蹴されると、二の句が継げない。齢を重ね、保守的になりつつある自分がそこに映し出される思いがする▼同協会は今年度、研修生のブラジル派遣を見送った。ブラジル側の受け入れ団体であるブラジル日本交流協会やOBが中心になって来年度からの派遣復活を模索しているという。この時、必要不可欠なのは、変わりゆく日本の若者を世話し続けてきた送り出し側の事務局長山口達朗事務局長が蓄積してきたノウハウだ。ブラジルに住む我々は、日々移り変わる日本の若者の要求を的確に把握できない。派遣を再開するのであれば、ブラジルを目指す若者たちの意識を的確に捉えている山口事務局長の言葉にブラジル側関係者は謙虚に耳を傾けるべきだろう。(編集局長 鈴木雅夫)

日伯青年交流A日本学生海外移住連盟
日本ブラジル交流協会が活動を開始したのと相前後して、消えたのが日本学生海外移住連盟だ。一九五五年、七大学の有志が集まり「我々学生が自らの足で新天地を克服し、また希望を失った若人の眼を海外へ向かわせるべく、一大キャンペーンを起こそうではないか」と創設した。五九年には、南米を訪問し帰国した岸信介首相の自宅前に土下座した学生服姿の大学生たちがいた。「ブラジルの話を学生にしていただきたい」。この陳情を快諾した岸首相は、講演会に出席したのをはじめ、第一回実習調査団の派遣費用を政府から支出するのに尽力してくれた▼学生の移住推進団体として活動を展開し、海外協会連合会(現JICA)から補助金を得て、毎年南米各国へ実習調査団を派遣し続けた。最盛期には北は北海道大学から南は琉球大学まで三署剥Zの大学の移住研究会や海外研究会、中南米研究会などのクラブが加盟し、南米への実習生派遣事業をはじめ国内での移住啓蒙活動などユニークな学生運動を展開した。「体験移住」の要素が多かった実習生は、農業や商業など様々な分野に広がっていた。しかし、移住者の激減と六〇年代後半の第二次安保闘争や学園紛争により、加盟校クラブの分裂、崩壊から、同連盟は南米への「移住」だけでなく、視野を世界に広げ、一九七〇年には派遣地域をカナダ、オーストラリア、アフリカ、イスラエルへと拡大した▼しかし、移住を看板に掲げ続けたことが日本の若者のニーズとあわなくなり、一九九〇年、三曙ワ年の幕を閉じた。学生、OBたちは、「時代に迎合することなく、移住を追い続けてきたことを誇りに思うし、先輩たちも理解してくれる」。一つの青年交流の終焉だった▼同連盟のOBはブラジルはじめ北中南米に数多く移住し、現在、ブラジルには約二百八署lが居住しているといわれている。「学士移住」と呼ばれ、独立精神が旺盛で夢を追い続ける彼らの多くは六書繧越え、最近日系コロニアの活動に参加する人たちが増えつつある。日本に残るOBたちとの交流も続け、移民百周年には日本のOBが大挙して慶祝に訪れるという計画も進んでいると聞く。消えたはずの学移連はブラジルで脈々と生き続けている。(編集局長 鈴木雅夫)

日伯青年交流B行政主導の各種交流
日本政府が行っている国費留学制度、都道府県が中心になり受け入れている県費留学生、研修員制度、JICAの研修制度など期間は、中期、長期でばらつきはあるものの、両国の架け橋となる人材育成の大きな柱となっている。ただ、県費留学、研修員制度は、全体的に縮小傾向にある。地方自治体の落Zが厳しくなっているためだが、各県人会、県連が中心になり、継続を求めている。今後、こうした制度による交流事業は、両国交流の深化には欠かせない。日本政府が、「海外に在住する日系人は日本の財産」と意義付けている以上、日系人支援という立場で拡大する必要があるだろう▼県連の調査によると、県レベルで高校生や青年の相互交流を実施しているのは群馬、新潟、宮崎、佐賀、島根、鳥取、山形などが実施している。また、日本からブラジルへ派遣している県は、兵庫、北海道。さらに、ブラジルから日本へ短期間の研修生を送出しているのは、福島、広島、茨城、石川、沖縄、栃木、鳥取となっている▼しかし、日本の社会背景や落Z縮小が来伯する研修制度にも影響している。北海道が今年一月に送り出した北海道産業教育振興派遣実習生は、今回が最後となった。同制度は、五年前まで農業実習制度として諸N間継続してきたが、農業に限らず、商業、工業などの専門高校も含めた制度に衣替えしたもの。来年以降、新たな枠組みで継続が検討されているとはいうものの、縮小は免れそうもない。二年前、県人会を巻き込んで中止になった福岡の農業実習生制度も二諸N以上続いてきたものだが、落Z縮小が中止の引き金となったのは否めない▼「金の切れ目が縁の切れ目」。交流事業は成果が現れるまでに時間がかかるため、行政は、「費用対効果」の評価を算定しにくいという面がある。これまでも、学生や研修生OBの追跡調査を行った県や県人会はあるものの、その結果がどう評価されたかについては定かでない。関係者は、時代の変化を先取りし、交流事業に取り入れる企画力と先見性が必要となっている。(編集局長 鈴木雅夫)

日伯青年交流C増加する個人での来伯
様々な青年交流がブラジルと日本の間で行われているが、最近増えているのが個人で来伯するケースだ。「ポルトガル語を勉強したい」「サンバを踊りたい」「ブラジル音楽を習得したい」などそれぞれの目的を達成するためにブラジルに飛び込んでくる。組織を使わない理由は様々だが、「拘束されず、自由に生活したい」という気持ちが強いためだ。サンパウロに限らない。各地の大学の外国人向けポルトガル語講座に籍を置く人も多い▼日本ブラジル交流協会理事で上智大学教授の堀坂浩太郎氏の説明によると、上智大学のようにブラジル各地の大学と交換留学生制度を設けているところでさえ、その制度を利用せず、個人ベースでブラジルにやってくる学生が増えているという。堀坂氏は、「大学も学生のニーズをつかみかねている」と学生の志向の多様化に困惑を隠さない▼日本人が海外旅行するとき、かつては団体旅行が主流だったものが、個人旅行にとって代わったようにブラジルを目指す若者たちも個人で行動するようになった。その彼らの情報交換の場が幾つかある。旅行者を中心とした人たちの交流の場は、サンパウロのリベルダーデにある荒木ペンャ刀B昔から貧乏学生の定宿として親しまれている。古くはヒッピー族の全盛時代の一九七〇年代から口コミで広がり、その後、日本の旅行ガイドブックに紹介されたこともあり、いつも大盛況だ。もう一つは、日伯文化連盟(アリアンサ)のポルトガル語教室に通う人たちが集まっている。それぞれ短期滞在、中長期滞在という特徴はあるが、現地情報の取得という意味では役に立っている▼日系コロニアと隔絶された社会だが、中には日系コロニアに興味を持つ人も少ないがいる。我々日系コロニアは、こうした日本から来る若者たちを引き入れる努力が必要だ。米国、カナダなどの日系コロニアは、これらの人たちを「新来者」として距離を置いたため、分離した社会が出来上がっている。ブラジルの日系コロニアが世界最大の日系コロニアというなら、彼らを巻き込む包容力が欲しいと思う。(編集局長 鈴木雅夫)

日伯青年交流D研修・留学査証の簡素化必要
日本とブラジルの青年交流促進を阻害している大きな原因の一つに査証取得の難しさがある。これまで見てきたように日本ブラジル交流協会、日本学生海外移住連盟のようにブラジルに一年近く滞在しようとすると留学査証や研修査証が必要となるのだが、このビザの取得が容易ではない。前出の二つの団体の場合、ブラジル日本文化協会が引受人となり一年間の研修ビザを取得してきた。しかし、この数年来、出発直前になって査証取得が難航するという事態が起こっている▼個人ベースで来伯する人たちの最大の悩みも査証だ。「一年以上滞在したいのですが、査証が取れない」「もう少し滞在を延ばしたいが、何か方法はないのでしょうか」と挨拶代わりにこうした言葉が飛び交う。滞在身分が不安定では、若者たちの相互交流が増えるわけがない。ルーラ大統領と小泉首相の間で取り決めた二〇〇八年のブラジル移民百周年に向けての合意事項の大きな柱は、人物交流の拡大だ。具体的な国zは明らかになっていないが、短期間の交流だけではなく、中長期間の交流も視野に入れるとすれば、両国で査証問題を討議してもらう必要がある。現在、両国の有識者が組織している二処齔「紀協議会のテーブルに是非あげていただきたい▼日本はすでに、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、フランス、ドイツ、イギリスとの間でワーキング・ホリデー制度を実施しており、この制度が見本となるだろう。国によって事情が異なるが、年間の査証発給件数を制限し、滞在期間中に正規の形で就労可狽ネビザを発給している▼ブラジルの場合は、査証有効期間を一年間とし、最大二年間まで延長可狽ノする。そして、送出団体、受け入れ団体を指定し、送り出した青年の責任を持たせる。年間、五百人から一千人が同制度を利用すれば、両国の交流促進に役立つだけではなく、日系社会の活性化につながるだろう。そうすれば、一世社会が消滅するのではなく、維持拡大できる。一世が少なくなった今の日系コロニアが活力をよみがえらせる一つの方法ではないだろうか。

(編集局長 鈴木雅夫)



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