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【お母さん”と言う名の有難さに感謝】 紀州熊野の梅仙人、永井 恒雄さんの書き込みです。
私が参加しているMLの一つHSLN(ハッピー・シニア・ライフ・ネツト=柿沼 實さん
主宰)のメンバーで和歌山の梅の里、熊野古道の近くに御住まいの紀州熊野の梅仙人
さんこと永井 恒夫さんのご母堂、ヌイさんが亡くなられたとの知らせをHSLNに書き
込まれたところ同じ様な経験をされた多くの皆さんの共感を呼び心温かい沢山の書き
込みが続きました。梅仙人さんのお人柄と母を思う気持ちとそれに呼応した仲間の交
信を書き残す事によりヌイさんの思い出を大事に記録して置きたいと思います。
永井さんの弟さんは、40年も前にブラジルに産業開発青年隊の一員として移住、仕事
場の事故で日本に帰国、僧侶、小学校の先生をしておられましたが、先年亡くなられ
ています。昨年4月、帰国時に永井さんを訪問しヌイさんにもお会いし永井さんの山
荘に泊めて頂きました。
写真は、昨年4月末に渡良瀬温泉の橋のたもとに残っていた桜の下で撮らせて頂いた
梅仙人、永井 恒夫さんです。



皆さん今晩は!
紀州熊野の梅仙人です。
久方にしてパャRンの前に座っています。
去年の暮れに89歳になる母が骨折し入院していまして、ようやく退院できると思い
しや肺炎を併発してしまい現代医学をもってしても回復に至らず静かに天上の世界に
と戻っていきました。
この間2ヶ月半に於ける病院に際し皆さまの暖かいお世話を受け感謝しつつ意識を失
うまで私の手をしっかり掴んでの往生は息子として安心納得の出来るものでした。
母が90歳近くまで生きてくれて、私が65歳になっていますから一般的に見て何の文
句の云い様が無いはずですが、理屈なしに言葉が詰まり涙が出てしまい回りの方々に
とても恥ずかしい所を見せてしまいました。
母子家庭だったという事で母との繋がりと想い出が人一倍強かったからでしょう〜〜
と家内がポャ鰍ニ喋っていたのを良く覚えています。
生前中にいろんな事が親と子の中にあっても何と言っても血の分けた中であるだけに
理屈なしに切ない想いが込み上げてきて感謝の念に耐えられないはずです。
お母さん!、お父さん!の持つ〜〜〜その響きは何度呼んでも気持ちが良いもので
す。今日も誰も無いのを見て向かいの山に向って「お母さん!〜〜」と大きく叫んで
みた。。幼少の頃、母の仕事している傍でいつも向いの山に「山彦」している私を見
てニコニコして見守ってくれていた姿が脳裏をかすめ65歳の初老の眼に涙が切れ目な
く流れて来るのをどうする事も出来ませんでした。
いつまでたっても母の名は有難いものだと感謝しています。
熊野の梅仙人

梅仙人 さま 和c@ブラジルです。
ご母堂【ヌイ】さん亡くなられましたか。昨年暮れに骨折、入院とのお知らせを受け
気になっておりましたが天寿をまっとうされたのですね。昨年4月にお会いした時は
お元気そうで陽だまりでのんびりされていた姿が今も目に浮かびます。
下記の『私達の40年!!』の梅仙人さん関係の寄稿集に本日のメールを追加掲載させ
て頂きます。お元気そうな【ヌイ】さんとの写真が晴れがましい気がします。
『紀州熊野の梅仙人 永井 恒夫さんの昨今!!』HSLNの交信から抜粋
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=824
上記URLをクリック頂ければ梅仙人の【ヌイ】さんの写真が見られます。
ご冥福をお祈りします。合掌

紀州熊野の梅仙人さま。   およし@東京です。
梅仙人さまの親孝行なこと、折々のお話からしみじみ嬉しく思っておりました。 そ
の大切なお母様がとうとうお亡くなりになられて、さぞかしお寂しくなられた事で
しょう。心からお母様のご冥福をお祈り致します。
私も母を亡くしました時、友人から、哀しみは畳の目一つずつ消えてゆくものよ、と
言われました。その方は大切なお嬢さまを亡くされた方でしたのでその言葉が胸に響
きました。
亡くなった私の母は「私が死んだら何時もあなたのまわりをフワフワ飛んでるから
ね」等と言った事があります。やだぁ、やめてよぉ〜と言ったような気がしますが、
何となく今もフワフワしているような気がします。きっとお母様もね。
優しい奥様、可愛いお孫さまに囲まれて、またお元気な梅仙人さまになって下さいま
せ。

紀州熊野の梅仙人様        バジル@東京です。
ご無沙汰しておりました、いつも紀州のお話を楽しみに読ませて頂いておりました
が、母上さまの骨折での入院のメールを拝見して心配しておりましたら、よもやの肺
炎の併発でお亡くなりなられたとの事心よりお悔やみ垂オ上げます。
一昨年私も母を亡くし、やっと今年になって3人姉妹が集まり、形見の整理をしなが
ら涙を新たにしている所です。
母の香りの残っている着物や細かく付けていた日記などを一つの箱に収めました。
私の大好きな詩に「千の風になって」と言うのが有ります、お母さまもきっと「千の
風になって」仙人さまを見守って下さっていると思います。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る・・・
              合掌

紀州熊野の梅仙人 さん
同じ境遇の者で同感しています。 お母さんは天寿を全うされ幸せと思いますが残念
でしょう・・・お気持ち解かります。ご苦労様でした。今後は自分の健康管理に留意
され人生をお楽しみ下さい。
こちらは昨年暮れから闘病生活の毎日で未だ存命しておりますが・・・・
母96歳で自分は70歳。姉77歳と老人世帯の自宅介護でしたが、1ケ月前から入
院中です。
点滴で回復に向かっていますが急変が心配で病院任せの毎日です。
肺炎等感染が要注意と言われています。まだ意識は通常です。
出来るだけ暖かい恩返しをと見舞い介護を家族で見守っています。
                         お江戸の紳士

紀州熊野の梅仙人さん皆さん     滋賀の垣見です
ご母堂が入院して居られ、介護の効無く亡くなられた事を知りお悔やみ垂オ上げま
す。
そのようなことを知らずに無理を言い、特別に梅を送っていただき、遅まきながら2
月16日に指示通り返信しました。
毎日熱い湯に入れて飲んでいます、御陰で今年は風を引きませんでした。
人生で一番悲しいことは母の死を迎えるときです、私の場合は母が早死にでしたの
で、去年50回忌を勤修しました。未だに葬儀で湯潅するときに兄弟4人で号泣したこ
とを覚えています、今でも泣けてきます。
話は古くなりますが、戦場で部下が被弾して死前の断末魔の痙攣を起こすときに絞る
ような声で叫んだ言葉・、手を握りながら聞いた言葉は皆 ”お母さん”でした。

梅仙人様      室田@明石です
お母様のご逝去、心よりお悔やみ垂オ上げます。
私の母が3年前に亡くなったとき、心のこもったお言葉をいただき、非常に嬉しかっ
たことが、思い出されます。
和田さまのメールにて、ヌイ様とお会いできました。
本当にいいお顔なさっておられますね。
さすが、梅仙人さまのお母様です。
私も毎朝、仏壇で、両親と会話しています。
毎日、写真の顔が変化します。
怒られたり、慰められたり、・・・不思議です。
もうすぐ、梅のシーズンです。多くの人が、待ってますよ〜。
いつか、お会いできる日を楽しみにしています。
くれぐれも、お身体をご自愛くださいませ。

梅仙人 さん hslnのみなさん T.Hatayama @京都市です
梅仙人さん〜
いつも関西オフ会への応援有難うございます。
お母様のご冥福をお祈りいたします。
梅仙人さんのメールを読みながら、今入院している義母と同じような状況なのに驚い
ています。
義母(カミさんの母親)の場合も丁度同じ頃でしょうか昨年11月の末にベッドから
落ちて大腿骨骨折で入院、手術いたしました。
手術は順調に終わり、何とかリハビリも終え骨折は癒えたのですが、今年の厳寒。
このまま退院しても風邪でも引けばということで、病院に隣接する療養型の施設を担
当医からすすめられ、そこへ転院しました。
3月末頃の暖かくなった頃に退院。そんな風に考えておりました。
所が、転院して5日後に肺炎に罹り、元の病院へ逆戻り、再入院。今度は危ないとい
う事で、病院が特別室(なぜか無料で)に入れてくれました。一応最後の覚悟をして
おいてほしいということだったので、それなりの準備をしていたのですが、治療の効
果があったのか峠を越せばそこから徐々に回復に向かいました。
危機を脱すれば一般の個室にかえられ(今度は差額分支払い)ましたが、何とか退院
できそうな目途が付く所まで回復。
この義母も8月で90才になります。
退院してきても殆んどベッドでの生活になることと思いますが、我家で暮らすのが一
番気が休まるようなので、戻ってきた命を大事にしたいと思っています。状況が同じ
だからと言って結果が同じとは限らないが、寿命は何か別なものに支配されているよ
うな感を受けました。

梅仙人さん、T.Hatayama さん、バジル@東京さん、みなさん、
                       ひめぼたる@大阪です。
お母様のご冥福をお祈りいたします。
この間2ヶ月半に於ける病院に際し皆さまの暖かいお世話を受け感謝しつつ意識を失
うまで私の手をしっかり掴んでの往生は息子として安心納得の出来るものでした。
こんな風に言える 梅仙人さんとお母様はお幸せだと感じました。
93歳になる私の母は自分の息子二人に先立たれ 夫にも先立たれ毎日泣いてくらし
ていました。その母の悲しさを和らげるためなのか少しずつ痴呆の症状がでるように
なりました。 それでも「おかあさん」という呼びかけには必ず答えてくれます。
梅仙人さんが 書いておられたことばで 私もいろいろ昔のことを思い出しました。
バジル@東京さんが紹介してくださった「千の風になって」という歌は私も好きで
す。作者不詳の英文の詩に新井満氏が訳したものだそうですが、曲も訳詩もとても心
に響きます。
T.Hatayama さん、いつもお世話になっています。お母さんがこんなにたいへんだっ
たということを知りませんでした。もうすぐおうちに帰ってこられるのでしょうか?
     
> T.Hatayama さんの
・・・・・寿命は何か別なものに支配されているような感を受けました。
・・・という言葉に同じ思いで頷きながら、私も母も生かされていることを改めて思
いました。 大事にしたいと思いました。

ひめぼたるさん バジルさん hslnのみなさん T.Hatayama @京都市です
ひめぼたるさん RES 有難うございます〜
ひめぼたるさんとこは93才ですか〜大変さは想像できます。
90才ではこの頃は珍しくもありませんね。このMLでも高齢の親御さんを介護され
ておられる方は多いと思います。
義母の場合は、バジルさんとこと同様女ばかりの三人姉妹。カミさんが長女というこ
とで同居しているのですが、今回が初めての入院。その内バジルさんと同じ思いを3
人がするのでしょうね〜
娘3人で交代しながら看病に当たったのが効果があったのかどうか?
今のままで変化がなければ今月下旬には退院できそうな感じです。
療養型の介護施設も垣間見る事が出来ました。綺麗な施設設備ではあるがここは病院
とは全く異なるものなんえすね。恥ずかしながらはじめて知りました。
自分の行く末を見るようで余りいい気はしませんが・・・
息子3人だったらどうだっただろうか?
我家は息子二人。一人は中年独身。一人は横浜住まい。
どちらも先行きは頼れそうもありません。ま、覚悟は出来ている積りなんですが〜

紀州熊野の梅仙人さん HSLNの皆さん こんばんは チコ@神戸です。
紀州熊野の梅仙人のメールを何時も読ませていただき、お母様のことネコちゃんへの
心遣いなど、微笑ましく読ませていただいていました。
又、昨年の関西オフ会には、梅干を送っていただき、美味しくいただきありがとうご
ざいました。
お母様のご逝去、心よりお悔やみ垂オ上げます。
梅仙人さんのメールで度々お母様のことは書かれていましたので、ほのぼのとした光
景を思い浮かべながら読ませていただいていましたのに・・・、本当に残念ですね。
母親が元気な時は、何時までも別れが無いように思いますが・・・
悲しいですが、間違いなく別れは来るものですね。
私の場合も、香川県と神戸に別れて住んでいますが、丁度帰宅したときに、仏壇の前
で亡くなっていました。
救急車で病院に行きましたが、30分前に亡くなったようです。
その日は、散歩をし一時間前までお隣の方と話をしていたようですが、本当に別れは
突然やってきました。
今は、まだまだ現実が嘘のようで実感が無いでしょうが、思い出し、懐かしむ
ことが、供養になると思っています。
お母様のご冥福を、心よりお祈り垂オ上げます。

ひめぼたるさん、T.Hatayama @京都市さん、あすなろさん、皆様
                      バジル@東京です。

このMLでは親御さんがご高齢で介護の経験のお有りの方が多いですね。
母が最初に倒れて入院した時は医者から高齢なので、家族の人が絶えず話しかけてい
ないと認知症になると言われて3人姉妹と娘も入れて4人で変わりばんこ病院に詰め
ていました、4人で交代ですから比較的に楽でした。
その後退院しましたが、どうしても少しづつ認知症は進んで来て夜中に起き出してし
まうので、また4人で我が家に泊まり込みローテーションを組んで夜中も看ていまし
た。
こういう時姉妹の多いのは助かりますね。
それでも長期になりますとそれぞれの家庭も有りますし、そのご施設でお世話になる
様になりました。
施設に入ってからの方が母は落ち着き、返って元気になりました、やはり専門家の介
護の仕方は優れているとつくづく思いました。

紀州熊野の梅仙人さま       平床@熊本です
心よりお悔やみを垂オ上げます。
何かに付け、在りし日の母の姿を思い出されて、涙の為に幾度か車の運転が出来なく
なった事などありました。

hslnの皆様
紀州熊野の梅仙人です。
先般わたしの母が亡くなり年甲斐もなく傷心してしまって、その頼る所の懐として駆
け込んだのがメーリングでした。その際には多くの皆様から心温まるメールを頂き有
難うございました。早くお礼のお返事をと思いながらも今になってしまった事をお許
し下さい。
皆様方の母を失った時の経験を読まして頂いている内に随分と心が和んできて平静さ
が戻ってくるのを直に感じて「皆んなほんまにオオキニよ!〜〜」と地元弁丸出しで
パャRンの前で一人でに言葉となって出てきました。本当に有難うございました。
母を送ったその翌日からは昔から田舎に伝わる仏教儀式の手順に従い家内と二人で
やっています。又お世話になった式場関係者へのお礼やら、母親の長年使っていた隠
居部屋の整理何かでいつの間にか時間がたってしまったような訳です。
今日までだった所得確定錐吹hもようやくにして先日終わりました。お山の仙人だけ
に大きな所得もないのですが一様国民として義務は果たしホットしている所です。
この後は母の法要も兼ねたような簡単な施設みたいな物を作ろうと考えています。
それが亡き母と私の一番の語らいの世界になるのでは〜〜とも思っているからです。
父親の50回忌には誰でも無料で泊まれる小さな「山荘」をと思い付き造りました
が、今度は前々から少し考えていた街道筋の休憩所と農園を併設したものをこの機会
を捉え本当にやってやろうと考え先日工務店にお願いしました。
皆様方に頂いた温かい気持ちを「小栗街道筋の命の一里塚として休憩所」にと、末長
く吹き込んで行くつもりです。
熊野の梅仙人

紀州熊野の梅仙人さま  皆さま  和田@ブラジルです。

梅仙人さんの皆さんへのお礼のメールで『この後は母の法要も兼ねたような簡単な施
設みたいな物を作ろうと考えています。それが亡き母と私の一番の語らいの世界にな
るのでは〜〜とも思っているからです。
父親の50回忌には誰でも無料で泊まれる小さな「山荘」をと思い付き造りました
が、今度は前々から少し考えていた街道筋の休憩所と農園を併設したものをこの機会
を捉え本当にやってやろうと考え先日工務店にお願いしました。
皆様方に頂いた温かい気持ちを「小栗街道筋の命の一里塚として休憩所」にと、末長
く吹き込んで行くつもりです。』と述べられていますが、お父上の50回忌記念に建て
られた「山荘」には泊めて頂いたので次回訪日時には是非お母上記念に建てられる
「小栗街道筋の命の一里塚として休憩所」に立ち寄りヌイさんと語って見たいと願っ
てます。

hslnの皆さんから寄せられた暖かい書き込みを纏めて下記の通り『私たちの40
年!!』HPにUPさせて頂きたいと思いますが、書き込みをされた皆さんの個人的な感
情、思いも多くありUPするにあたりご異存がないかどうかお問い合わせさせて頂くこ
とにしました。
 
およしさん、バジルさん、お江戸の紳士(古館さん)、滋賀の垣見さん、宝田さん、
HATAYAMAさん、ひめぼたるさん、チコさん、平床さんの皆さんの書き込みが対象に
なっておりますので一応CHK下さい。不都合な点、UPを避けたい場合は3日以内にご
通知ください。連絡の無い場合は、ご同意頂いたと見なしてUPさせて頂きます。




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