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中川トミさん大往生 笠戸丸移民最後の生存者 サンパウロ新聞、ニッケイ新聞、神戸新聞他
これまでにも何度も話題に挙がっていた笠戸丸移民の最後の生存者の中川トミさんが100歳の誕生日祝いを前に自宅で大往生された。数日前の息子さんの結婚65年記念日にも参加カラオケを4曲も歌ったとのこと。誰もが2008年の日本移民100周年のお祝いまでは元気に過ごして欲しいと願っていましたが天寿を全うされました。
NHKでも放送され、日本の各紙でも取り上げられる有名人ですが、神戸新聞の正平調にも取り上げられており神戸に住む弟、成弘からメールで送って呉れましたので纏めて掲載して置きます。
写真は、色々画像掲示板にも貼り付けて呉れていますが、生前使用していた歩行器等が移っている普段のトミさんが掲載されているサンパウロ新聞の写真をお借りしました。


中川トミさん大往生 笠戸丸移民最後の生存者 サンパウロ新聞
「笠戸丸移民」の最後の生存者中川トミ(なかがわ・とみ)さんが十一日午前六時半、老衰のためパラナ州ロンドリーナ市ノーボ・サバラ区の五女宅で死去した。九十九歳。熊本県出身。一歳八か月で家族と笠戸丸で移住した。パラナ州名誉州民、ロンドリーナ名誉市民。

 九月二十六日、体調を崩し市内の病院に入院、検査の結果異常がなく三十日に退院、医師の許可を得て、同日に催された弟の西村ミツオさんの結婚六十五周年のパーティに出席、歌を披露するなど元気だった。今月十五日に満百歳の誕生日を迎え、ACEL(ロンドリーナ文化体育協会)で日系社会あげての誕生祝賀会が開かれる予定だった。
 子供八人(うち、長女と四女は夭折)をもうけ、子孫は孫三十人、曾孫三十六人、玄孫三人。
 告別式は十二日午前九時からロンドリーナ西本願寺で、午前十時半出棺、ロンドリーナ・サンペドロ中央墓地に埋葬。
 なお、同告別式を読売テレビ、FDP記録映画製作所が取材する。
 〔写真:中川トミさん〕


中川トミさん逝く=百歳、最後の笠戸丸移民
       2006年10月12日(木) ニッケイ新聞
第一回笠戸丸移民の中で唯一の生存者だった中川トミさんが十一日早朝、老衰の
ためロンドリーナ市で亡くなった。享年百歳。今月六日に百歳の誕生日を迎えてい
た。通夜は同日夜、同市内の西本願寺で営まれた。十二日午前九時から同じ西本願
寺で告別式、十時に出棺し、市内の中央墓地(サン・ペードロ墓地)に埋葬される。
 亡くなったのは十一日の午前四時から六時ごろ。眠っているトミさんの様子がお
かしいのに気づいた家族が救急車を呼んだが、到着した時には亡くなっていたとい
う。
 今月十五日には百歳の誕生会を控えていた。ロンドリーナ文体協(ACEL)で
祝賀パーティーが予定されており、すでに招待状も発想していたという。「欲を言っ
たらきりがないけど、せめてあと一週間生きていてくれたら」と、長男の渡さん(7
5、ロ市在住)は声を落した。
 中川さんは一九〇六年十月六日、熊本県熊本市で出生。一九〇八年六月十八日、
第一回ブラジル日本移民船「笠戸丸」で両親、二人の姉とともに着伯した。当時一
歳八カ月だった。
 一家は聖州モジアナ線のズモント耕地、ソロカバ線の耕地などを経てサンパウロ
へ。一八年に同県出身の上塚周平氏とともに聖州プロミッソンへ移った。結婚後、
プロミッソンからマリリア、ノロエステ線ボンスセッソ植民地などを経て、五二年
からパラナ州ロンドリーナで暮らしていた。日本政府から勲六等瑞宝章を受章。二
〇〇四年にパラナ州名誉州民、今年六月にはかつて暮らしたプロミッソン市議会か
ら名誉市民証を受けている。
 晩年は、同市に住む二人の娘の家に滞在していた。十年ほど前に脳溢血を患い、
外出先では車いすを使っていたが、家の中では歩行器を使って歩いていたという。
 「おとといもタケノコを持っていって話をしたところです」と話す渡さん。プロ
ミッソンの名誉市民証を受けた折も同地を訪れたほか、先月三十日には、二男の光
雄、トメ夫妻の結婚六十五周年記念パーティーに出席して四曲の歌を歌うなど元気
な様子だったそうだ。
 笠戸丸移民の生存者は、一九九八年の移民九十周年の時点で、すでにトミさん一
人となっていた。最後の笠戸丸移民と呼ばれ続けたことについて、渡さんは「笠戸
丸で生きているのは自分だけだからと、本人も喜んでいましたよ」と、在りし日の
母親を偲んだ。
 ブラジル日本移民の歴史と重なり合いながら齢を刻んできたトミさん。享年百歳
の大往生だった。


注目集めたトミさんの訃報=日伯メディア大きく報道=3百人超が葬儀に出席
        ニッケイ新聞 2006年10月14日(土)

 第一回笠戸丸移民の唯一の生存者、中川トミさん(享年百歳)が十一日に亡くな
った件は、NHKなどの大手マスコミはじめ各地方紙、伯字紙など合わせて約二十
紙以上(グーグル検索)が扱うなど大きな反響を呼んだ。十二日にロンドリーナ市
の西本願寺で営まれた告別式には、ブラジル各地に暮らす親族をはじめ三百人以上
が出席してトミさんを見送った。在伯日本大使館からも弔意のメッセージが寄せら
れるなど、故人の存在の大きさをうかがわせた。

 トミさんの訃報は、「最後の初代移民が死去」「笠戸丸でブラジルへ、第一回移民
の中川トミさん死去」など見出しで十二日付けの日本の各紙に踊った。

 インターネットのグーグル検索によれば、少なくとも全国メディアとしてはNH
K、読売新聞などが報道。さらに共同通信や時事通信の配信記事を掲載した地方紙
は北海道新聞、四国新聞、福島民友新聞、河北新報、熊本日日新聞、徳島新聞、静
岡新聞、神戸新聞、佐賀新聞、東京新聞、東奥日報、中国新聞、秋田魁新報、西日
本新聞、日刊県民福井と十五紙にのぼる。
 伯字紙も地元紙フォーリャ・デ・ロンドリーナ、全国紙エスタード紙も報じるな
ど、日伯両国でその訃報が流れた。
 エスタード紙の記事は総合面に、紙面の約四分の一を割いて写真付きで掲載され
た。その生涯を振り返り、日本へ帰国した親姉妹の話まで言及し、山崎千津薫監督
の映画『ガイジン2』のモデルとなったと紹介した。
    ▽   ▽
 トミさんの告別式は十二日午前九時からロンドリーナ市内の西本願寺で執り行わ
れた。
 長男の渡さん(75)によれば、記帳した人だけでも弔問客は三百人以上に上っ
たという。西森ルイス・パラナ州議や、ロンドリーナ市長の代理なども出席したほ
か、在ブラジル日本国大使館、在クリチーバ総領事館など在伯公館から弔意のメッ
セージが寄せられた。同日にはまた、潮谷義子・熊本県知事ほか、熊本市長、移住
家族会などからも弔電が届いた。
 告別式は仏式で執り行われ、西森州議や、ロンドリーナ文化体育協会(ACEL)
の平間靖旺評議員会長、汎ロンドリーナ熊本県人会の中川芳則会長などが弔辞を述
べた。
 七人の子どもを育てたトミさん。孫、ひ孫ともに三十人以上、玄孫は最近一人が
生まれ三人になっていた。告別式にはブラジル各地に暮らす親戚が多数出席してト
ミさんを送った。
 予想以上の弔問客が訪れたため、予定時刻に遅れて午前十時半に出棺。市内のサ
ン・ペードロ墓地に埋葬された。初七日のミサ等今後の予定については十三日時点
では決まっていない。
 トミさんは、先月の終わりに体調を崩し二日間入院したが、その時には心臓は弱
っているものの特別の異常は認められず、三十日に開かれた弟の光雄・トメさん夫
妻の結婚六十五周年パーティにも元気な姿を見せていた。
 亡くなる前日の夜にも孫と遊び、歩行器を使いながら一人で歩くなど、元気な様
子だったという。
      ◎
 トミさんの訃報に関する一部報道には「あと数日で百歳を迎えるところだった」
という記述があった。というのも、親族らは十月十五日と認識していたが、クリチ
ーバ総領事館への正式な在留届けでは十一日以前の日付になっていたため。
 一九六九年に刊行された『かさと丸より六十年』(在伯県人会連合会)の生存者名
簿でも十月十五日誕生となっているが、五八年発行の『かさと丸』(日本移民五十年
祭委員会)では同六日と記載されている。当時から両方の説があった。
 親族によれば、トミさん本人も十五日が誕生日だと話していたという。ちょうど
その狭間で亡くなったため、混乱が生じた模様。
 ニッケイ新聞では同総領事館への届け出を尊重し、百歳とした。


神戸に住む弟の成弘が神戸新聞10月15日の『正平調』に取り上げられている笠戸丸移民最後の一人中川トミさんの訃報に付いて取り上げている一文を送ってくれた。神戸新聞のHPからお借りして皆さんにもお伝えして置きます。
10月15日付け神戸新聞の正平調より。
神戸・メリケンパークの海に面した広場に、親子三人のブロンズ像がある。水平線の彼方(かなた)を指さす子どもを挟んで、右側に拳を握り締める背広姿の父、左には子どもの肩に手を置く母が立つ。「希望の船出」と台座に刻んである◆戦前、戦後を通じて約四十万人が神戸から海外移住地へ旅立ったのを記念して、五年前に建立された「移民船乗船記念碑」だ。先陣を切ったのは、一九〇八年四月二十八日に出港したブラジル移民第一船の「笠戸丸」である◆出港に先立ち、ある代議士が移住者を前甲板に集め、訓示した。「諸君一人一人が日本国を背負っていることを思え。成功せずんば帰らじの覚悟で行くべし」。はるかな海路をたどる五十一日の旅を思い重ねて、移住者たちは緊張したことだろう。きゅっと表情を引き締めたブロンズ像の父に重なる◆ブラジル移民第一陣は七百八十一人だった。その中に一歳八カ月の中川トミさんがいた。両親、姉二人と一緒だった。異郷での一家の暮らしは、どうだったろうか◆移民九十周年の八年前、パラナ州ロンドリナ市の自宅を訪ねた本紙記者に、こう語っている。「努力と苦労の毎日に尽きます」。農業で生きてきた手は節くれだっていた。日本の演歌を口ずさみ「すっかりブラジル人になっとるです」とも◆子ども七人、孫、ひ孫、玄孫(やしゃご)六十八人。移民第一陣の唯一の生存者の晩年が穏やかだったことがわかる。日系人のだれからも慕われた中川さんが亡くなった。深い眠りの中で、長い航海の船脚をゆったりと止めた。





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