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あるぜんちな丸乗組員広野信行次席事務員の寄稿文 (2)
あるぜんちな丸第12次航次席事務官広野信行さんの寄稿文の後編です。寄稿文にある船内の行事に付いて船内新聞の4月12日号にも「今夜待望の演芸会を開催!賞品は誰の手に?」等の記載が見られ4月21日号には特集で「船内運動会開かれる」同じ2ページ目には第五回映画会の案内「今晩の出し物は、三船敏郎主演の“七人の侍”を上演いたします。皆さんふるってご鑑賞下さい」とあります。「明夕、後部甲板において盆踊りの会を催します」とのお知らせも見られ船内での行事が盛り沢山あった事が伺えます。写真は、広野さんから送って戴いた船内盆踊りの様子を伝える一枚です。




1908年4月28日、第一回ブラジル移民793名が笠戸丸で神戸出港、長い航海の末サントス港第14埠頭に着いた。移住者たちが初めてブラジルの土を踏んだ港でもあり、又、コーヒーの輸出港としている貿易港であります。
  昭和37年5月11日、本船はサントス港第15埠頭に着岸、南米移住者682名の内、500余名の方々の入国検査が始まります。私も入港手続きに立ち会っていました。
一種の緊張感がただよい必要以外は皆様に声を掛ける事ができないでいました。
当港よりブラジル南部のサンパウロ、パラナ、リオグランデ・ド・スール州、遠くはボリビア国サンタクルスへと旅立たれる皆様方とのお別れです。
  サントス港停泊、私は当直で事務室に待機しています。今まで賑やかで活気に満ちていた船内も静かな夜を迎えています。500余名もの船客下船後の侘しさが漂っている状態です。残るブエノスアイレスでの下船客100余名の皆様もサントスの街に出かけられたようです。

  「あるぜんちな丸」第12次航の最終港ブエノスアイレス向け、船足も軽く航海を続けています。船内では船室のベッドの撤去作業が進められ、長い船内生活を送った船室も日本向け貨物を積み込む船倉へと早替わりするのです。ブエノスアイレスからアルゼンチン国内やパラグアイのイグアス地方の移住地に向かうため本船に残った皆様にも、45日間もの長い船旅の終わりが近付いております。

  ラ・プラタ河の河口、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス港に着岸、入国検査を終えて各入植地に向かう船客を見送ると、本船は約1週間の停泊となり私達乗組員もひと時の休息がとれます。南米のパリとも言われている美しい街並み、タンゴ発祥の地、レストランでのアサード、郊外への小旅行と時間を過ごし、日本への航海に備えるのです。

  南米大陸、この広大なる大地、ブラジル・アルゼンチン・パラグアイ・ボリビアの各国移住地に入植し活躍されんとする皆様を、その出発点となる各港へ無事に送り届けた安堵感に浸る中、「幸多かれ」と願ってやみません。 お元気で!!
Adios Pasajeros !!

昭和13年9月8日、兵庫県三田市で誕生した私は三田小学校卒業後、西宮市にある
関西学院で中学、高校、大学と10年間を過ごし、昭和36年大阪商船株式会社に入社、あるぜんちな丸に配乗されたのが船員生活の始まりです。本船下船後、東アフリカ、欧州航路を経て昭和39年の三井船舶との合併により大阪商船三井船舶株式会社と社名変更、その後、西廻り世界一周航路、東南アジア、ペルシャ湾、西アフリカ、西航南米、北米五大湖の各航路、さくら丸の見本市船、青年の船等に乗船勤務致しました。

  昭和38年船内事務合理化により下船。神戸市内にある子会社・商船商事に移籍し、
主として中国貿易に従事、中国広州市の春秋交易会にも毎回参加して居りました。
昭和55年、同商事の営業部解体という会社方針により退職、故郷で家業である建築資材(セメント・生コンクリート)の製造販売を営んでいた兄に拾われ、約20年間
東奔西走するも平成12年9月をもって引退し、現在は自宅待機中であります。

昭和37年以降南米移住者は、日本経済の急速な繁栄による国内労働力不足と受入国
の国内事情の変化により、急激な減少をみせている。このような背景の中、その後の
「あるぜんちな丸」は昭和40年夏に大改装を行い、3等船室(蚕棚)を廃止して、ツーリストクラス小部屋を新設後も南米定期航路に就航した。昭和46年10月最後の
南米定期航海に就きました。
昭和47年「にっぽん丸」に改名、以後クルーズ客船として活躍し、昭和51年12月
廃船・解体、美人薄命の例えどおり18年の短い生涯でありました。

本船がサントス港第15埠頭(アルマゼン・キンセ)に着岸した昭和37年5月11日
を「あるぜんちな丸」第12次航、南米移住乗船者の「集いの日」とし、物故者に対する慰霊祭も併せ行われる由、心より成功されんことを祈っております。

とりとめなく書き綴りましたが、少しでも当時の船内生活、寄港地の様子などを思い出して戴ければ幸いです。
  私も今年の誕生日で64歳、老齢の域に達しようとしております。元気で好かれる
老人にならんと、暇があれば近くの六甲山に出かけ足を鍛えております。新聞で目に留めた不老長寿十訓を紹介し、皆様のご健康と長生きされんことを祈り筆をおきます。

   少肉多菜   少塩多酢   少糖多果   少食多噛   少怒多笑
   少車多歩   少衣多浴   少吉多行   少煩多眠   少欲多施
         ―――――――(作者不明)―――――――
              それでは、一路平安





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