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船にみるる日本人移民史 笠戸丸からクルーズ客船へ 山田廸生著
『私たちの40年!!』HPの寄稿集も340編を越え初めての方には何所から手を着ければ良いか?読みたい話題を見つけるのに苦労することから話題別目次を付けました。そんな項目の一つにブラジル関係書籍紹介と言う欄を設けましたが、それ程多くもないブラジル関係の書籍(特に移民に付いての本)を手元にあるものだけでも紹介して置こうと思い立ちました。手始めに1960年早稲大学文学部史学科卒日本海事史学界の山田廸生著の「船にみる日本人移民史」を紹介したいと思います。この本は、元船長さんの関 計比児さんが送って下さった本で笠戸丸移民から戦前、戦後のブラジル移民全盛の頃の話し、船内での生活、食事までに及び移住船でブラジルにやって来た我々には懐かしい生活描写に引き込まれます。特に第4章の蒼氓の船旅は、我々の神戸移民収容所での生活、南米移住船の洋上生活、南米移民船の食事と自分達の体験に照らし合わせて読むと興味深いものがこみ上げてくる。中公新書1441 1998年10月25日発行 写真は表紙です。

「おいやんのブラジル便り」真砂 睦さんの【黒潮タイムズ】掲載ブラジル便り(3)
佳境に入って来た感がある真砂 睦さんの「おいやんのブラジル便り」第16回目以後を掲載する欄を作りました。真砂さんは、早稲田の海外移住研究会に所属していた時に日本学生移住連盟の委員長として活躍した経験もあり長い長いブラジルとの付き合いに基き難しい歴史や社会問題にも立ち入り筆が冴えます。まだブラジル滞在期間は半分の1年近くが残っておりどれだけの話題を俎板に乗せてくれるか楽しみです。10月には、早稲田の海外移住研究会のメンバーが10数名来伯予定でNHK放送開始八〇周年記念の大作としてこの5月からブラジルロケが始まる『ハナとナツ・届かなかった手紙〜ブラジル移民物語』の早稲田版ともいえる40数年それぞれの人生を土俵をブラジルと日本に選び懸命に生きて来た仲間達のブラジルでの再会、どのようなドラマが語られるのか楽しみにしておりそのブラジル側受け入れを真砂さんが御手伝いする事になっています。
写真は、サンパウロで撮らして頂いた真砂さんの近影です。撮ったのは、青年ボランタリーで2年間ブラジルで活躍していた藤井 みどりさんで帰国後の忙しい中メールで送ってくれました。

続 海を渡ったサムライたち=日伯セレソン物語=田中マルクス闘莉王(上)(中)(下)
ニッケイ新聞では以前にも海を渡ったサムライたち=日伯セレソン物語=として何度か掲載しておりこの寄稿集でも第91番目にラモス瑠偉を取上げておりますが、今回日本に帰化しU23の日本選抜軍に選ばれサッカーアテネオリンピック予選で活躍、最終2試合を残して肉離れによる負傷で戦線離脱した話題の人、田中マルクス闘莉王を3回に分けて掲載しております。ニッケイ三世、日本人二世の父とイタリア系の母親を持つ闘莉王の今後の活躍が期待される。ブラジル生れの日系三世の闘莉王は、日系二世の父親とイタリア系の母親を両親として持つ三世で16歳で日本の渋谷幕張高校(千葉)に留学し卒業後プロとして廣島サンプレッチェ、水戸ホーリホックを経てこの新シーズンから浦和レッズに移籍、活躍が期待される。185センチ、82kg、センターバック。
写真は、水戸ホーリホックのHP選手紹介欄からお借りしました。

石井さん2度目の五輪=柔道63キロ級=30歳今も発展途上--------3月20日(土)ニッケイ新聞
早稲田の柔道部でその猛者振りを発揮していた石井千秋さんは、ブラジル相撲界でも何度か横綱を張り、移住国ブラジルに30歳の時に帰化ミューヘンオリンピックで見事銅メダルを獲得ブラジルの誇りと称えられた。時は移り今回のアテネオリンピックには、ご令嬢のVANIAさんが63キロ級で女子柔道ブラジル代表として参加する事が決定しているとの嬉しいニュースがニッケイ新聞に掲載されています。
「自分は三十歳で帰化したので世界選手権には二回しか出ていない。彼女は十五年も世界の一線で戦っている。完全に超えられたよ」と目を細めている千秋さんの笑顔が目に浮かびます。適当な写真が手元にないので少し小さいですがインタネットで見つけたVANIAさんの写真を使用しました。
尚、同日付でポルトアレグレ出身の女子体操代表としてアテネでメダルを期待されているダイアーネさんの記事もオリンピック関係記事として掲載して置きます。

初孫に贈る「メイアノイテの言葉」 サンパウロ 赤嶺 尚由
私の参加しているMLの一つにBOTEPAPOというブラジル日本商工会議所コンサルタント部門のメンバーを中心とした談論風発、ブラジル政治経済情報から始まりピアーダと言う小話まがいのものまで楽しく意見交換をしておりますが、今回BATEPAPOのメンバー間で物書きの専門家として何時も闊達、明朗、無類の評論家として一目置かれている赤嶺尚由さん【ソール・ナセンテ人材銀行社長=元新聞記者】より掲題のオリジナルの寄稿文を寄せて頂きました。写真は、何度かMLでも登場したご自慢の息子さんと初登場のお孫さんフィリップ君です。

『私には、今月、ちょうど満一歳になるシリア系の女性(臨床心理医)と愚息との間に生まれた目の大きさだけが特に目立つ男の初孫がいる。とりわけ初孫は、猫可愛がりに無闇に可愛いい感じで、確かにその実感もない訳ではないが、私の場合、本当のところ、混血のこの孫の初めての誕生日にまだ多少戸惑いながら、「一人息子だったキミの親父は、17、8歳の頃から、空手や柔道やカッポエイラで体だけは充分に鍛え、リュック一つ背中に、何度も、ヨーロッパ、北米大陸、アジア、中東など殆ど世界中を一人でほっつき歩いて来たよ。また、ほんの駆け出しの弁護士で、両親と同居していた頃のキミの親父には、こんな隠された話もあったので、今の内に聞いて置いてくれないか。そして、キミも大きくなったら、社会的により弱い立場にある者に、まず優しい眼差しを向けることの出来る人間になって欲しいな」と願い、次のような「メイアノイテの言葉」を何とか書き残したいといった気持ちも併せて強い今日この頃である。』

【私物化される世界】 ジャン・ジグレール著 渡辺 一男 訳
『私たちの40年!!』HPの掲示板を通じて日本の渡辺 一男さんからの簡単な問合せを受けお答えしたりすることからお知り合いになった渡辺さんから掲題の『私物化される世界』という訳書を送って頂きました。『ネオリベラリズムイデオロギーに基づくグローバリゼーションを具体的に徹底批判し、新しい世界のヴィジョンを描こうとする。』という難しい著作ですが昨年『私たちの40年!!』HPの画像掲示板、バーチャル座談会でも取り上げて話題となったポルトアレグレで開催された世界社会フォーラムについても言及しており興味深い。著者の日本語版への序文には、『世界社会フォーラムが、2004年1月にはじめてアジアの地で開催される。そこには、世界の五大陸で世界規模のジャングル資本主義に抵抗する数千の労働組合、社会運動、農業者連盟、学生運動団体、その他が集結する。過去三回のフォーラムはいずれもブラジル南部のポルト・アレグレで開かれて、中心的な役割を担ったのは、南米、USA、ヨーロッパからの抵抗運動の諸団体だった。ボンベイ(訳注:ムンバイ)で開催される世界社会フォーラム(2004年1月16日−22日)には、日本、インド、マレーシア、フィリピン、タイ、韓国からの活動家たちが集い、農民、学生、労働組合の抵抗運動の分析と組織形態がテーマになる。ボンベイは南アジアおよび極東の人民の新しい地球規模の市民社会の抵抗戦線への参入を意味する。』との記載がある。2005年には再度ポルトアレグレに戻って来る第5回世界社会フォーラムの重要性を理論付ける書として紹介して置きたい。

新井 範明 学移連創生期の先輩(上智大学)第2トメアスーBUREU区で健在。
アマゾンの胡椒の里トメアスーに私達より3ヶ月近く前の1962年2月に入植され今も尚同地に定住しておられる上智大学の海外移住研究会の創設者で学移連の創生期に活躍された新井 範明さんが書かれた手記がトメアスー移住地のHPに掲載されているのを見つけました。
2002年1月に40年振りにトメアスー移住地を訪問し新井さんご夫妻とも再会しましたが学生の頃に書き込んだ下手な字に遭遇?し時の流れを感じましたが、奥さんが1963年のトメアスー移住地の新年会で大きな声でがなりたてた事を覚えておられ汗顔の思いをしました。
トメアスー文化協会の終年会長及びトメアスー入植70周年祭典実行委員長を最後に公職を退任。現在は、所有地の一角、原生林の保護及び環境問題の重要性を感じアマゾン熱帯雨林の持続的森林農業を目指し、森林の保護と森林公園の造成に力を注いでおられる。
写真は、訪問時に撮らせて頂いたものを使おうかと思いましたが、トメアスー移住地のHPに掲載されている写真がとても良いのでそのまま使わせて頂きました。

画像掲示板の書込み一部永久保存開始。(2)
画像掲示板には、出きるだけ長く多く保存して置くようにSETしておりますが、最大1000件までとなっておりそれを越すと自動的に古い方から消えて行く事になっており、写真は別にして書込み部分だけでも永久保存して行きたいと思いこの欄を設け消えてしまう前にこの欄に移しております。書込みをされた方も時々この欄を見るとその当時の様子を思い出し懐かしくなる?かも知れませんね。これも『私たちの40年!!』HPの歴史でしょうか。
書込みを移植しながら目を通していると7777回アクセスに記念品を贈呈するとのキャンペンを展開しアクセスUPの努力が見られる。桐井さんからはアクセス達成の日は、一日で100回に近いアクセスがあったと知らされお祝いの言葉を頂いている。神戸じいじさんが7777回目をGETされたとの記録もあります。今月は、一日平均141件を記録しておりあれから4万回近いアクセスがあった事になる。本当に多くの皆さんよりのご支援を得ており感謝の気持で一杯です。
写真は、初期の頃の神戸じいじさんの明石海峡をお借りしました。

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