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  『ブラジル戦後移民』 54年の記録
私たち、あるぜんちな丸第12次航(1962年5月11日サントス港下船)の同船者681名は、平成14年5月11日で40年を迎えました。当時のあるぜんちな丸第12次航の船内新聞「さくら」の編集責任者をしていた私と船内ニュース班の仲間として手伝って呉れた編集員が中心になり船内新聞の40年後の特別号、号外の形で戦後移民40年の移住史の一部を皆で書き残そうとの企画が持ち上がり、出来れば印刷、出版もと考えていましたが、時間的な問題、資金面の問題もありせめて寄稿して頂いた貴重な記録、原稿を大事にし、書き物にして後世に残して置きたいとの切なる願いから、当時のガリ版刷りの船内新聞の一部、黄色くなった名簿、懐かしい写真等を文明の利器PCを使い資料のDIGITAL化による保存を考えついた次第です。これらの無形に近い数多くの資料、写真等を我々同船者全員の資産として共有し、後世に残して行く事、民族の移動、移民、移住問題、個人の人生の選択等に関心を寄せる人達、特に海外に夢を馳せる若い人達に読んで頂ければとの気持ちでこのホームページを開設しました。 

平成14年5月にこのHPを正式公開し既に14年1ヶ月の歳月が過ぎました。この54年に及ぶ戦後移住者の定着の過程、移住者としての記録を書き残すという作業は、編集者の私の力不足、時間的制約等に起因して思うような成果が挙がっていませんが、2008年は、日本移民100周年を日本とブラジルの両国で盛大に祝い日伯、特にブラジル社会で日本移民の100年に渡る歴史を認識して頂き、マスコミにも大いに喧伝されました。これからのブラジルに置ける我々日本移民は、200年に向かいどのように生きて行けば良いか問い掛けられる立場にあります。特に2009年にはアマゾン移民の80周年の節目の年に当たり、トメアスー、べレン、マナウスに置いて9月に盛大な式典が行われ在伯県人会主催の『第32回移民のふるさと巡り』の慶祝団232名の一員として参加させて頂き北伯に入られた同船者の皆さんと共にお祝いできたことはブラジルに住む者として大変幸せに思いました。
また、2011は、南伯リオグランデドスール州の戦後移民55周年に当たり8月20日に初めてリオグランデ港に降り立った23人の内、州内に健在の9名の先駆者に州議会よりメダルを送られる式典を日本文化祭に実施しました。2013年7月19日には、戦後移住者の60周年記念式典がブラジル日本都道府県人会連合会主催の日本祭りの会場で盛大に開催されました。我々戦後移住者は、『有難うブラジル!!』の気持ちを持ち続けて行く事が大切と感じました。2015年8月15日、16日の両日ポルトアレグレ『第4回日本祭り』が開催され7万人近い入場者が集まり、2012年に始まった地元日系団体共催の日本祭りは、市議会が日本移民の日として8月18日を制定、州議会が日本祭りを州の年中行事の一つとして州議会で制定した事により毎年開催が義務付けられており、滋賀県との姉妹県提携、金沢市との姉妹都市提携を結んでいる日本の地方行政庁とも連絡を取り合い南伯に置ける日本文化の発信、発露の場として今後も大いに賑わって行く事でしょう。
又2015年は、日本ブラジル外交関係樹立120周年に当たりRS州でも4月7日に梅田邦夫駐伯日本大使、池田クリチ―バ総領事をお迎えしてIVO SARTORI州知事主催のオープニング セレモニーが州知事公邸のピラチニ宮で行われました。
今年の8月31日と9月1日の両日、FIERGS(RS州工業連盟)に置いて日伯経済協力合同員会が開催され日本より130名近い企業家がポルトアレグレを訪問され歴史始まって以来の日本人の訪問で賑わいました。RS州内でも日本ブラジル外交関係樹立120周年関係の行事で賑わいました。
今年2016年は、リオグランデドスール州に日本人移住者が初めてリオグランデの港に上陸して60年を迎えることからリオグランデの街で色々な行事が計画されています。
またドイツ人の開いた町IVOTIに日本人入植者が入って50年になるとの事でIVOTI市でも色々行事を考えているようです。

本日、420万回アクセスを記録したのに合わせこのTOP PAGEの一部を書き換える事にしました。同船者仲間、ブラジルの領域を大きく超えて現在では、世界190ヶ国以上の国々からのアクセスが記録されており、2013年、9月5日に突然変異が起き、実に1日に92422回のアクセスを記録、続く6日も8879回のアクセスを記録しています。これまでは、2007年10月11日(水)の一日に6575回のアクセスを記録したのが最高アクセス数でした。14年1ヶ月で420万回のアクセスを記録、ブラジル総合サイトとして育って来ており、その管理運営にも大袈裟に云えば社会的な責任も伴うのではないかと身が引締まる思いがしております。

しかしながらアクセス数がどんなに増えようが基本的には同船者681名の戦後移住者としての生き様を書き残して行くという大要は変わりませんが今後はあるぜんちな丸で着伯した多くの仲間(合計11,102人)、ひいては戦後移住者全員、移住と直接関係の無い日本企業短期派遣社員、留学生、研修生、旅行者と幾らかでもブラジルと繋がりの出来た多くの方にブラジルを語って頂きインタネットを通じて少しでもブラジルに関心を持ちブラジルを知りたいとのお気持ちを持たれた時には『私たちの40年!!』にアクセスすればその目的が果たせると云った総合『ブラジル学?』のサイトとして育って行けばと念願しております。更に私達の同船者が入ったボリビア、パラグアイ、アルゼンチンの仲間の様子、それらの国以外の移民の歴史(明治初期のメキシコ榎本移民、ハワイ移民、ペルー移民、戦後のドミニカ移民等)についても記録を集めて行きたいと思います。
私たちのあるぜんちな丸第12次航は、5月に着伯54年を迎えました。ホームページも『私たちの54年!!』あるいは着伯50周年記念式典を開催した時点で『私たちの50年!!』に変更すべきだったかも知れませんが、これからも親しみ深く『私たちの40年!!』 で続けて行く積りですので宜しくお願いします。


『私たちの40年!!』は、そのコンセプト、表現手段を日本語を基本としたホームページとして公開しましたが、私達の同船者681名の内、3分の1に当たる200数拾名が54年前にサントス港に着いた当時15歳未満でした。これらの仲間は、当然ポルトガル語又はスペイン語の方が日本語より使い易く、更に当地で生まれた二世、三世の我々の後継者は、当然現地の言葉が中心となります。従いこれらの仲間、私達の子供、孫達を対象にしたポルトガル語のHPの必要性を感じ『私たちの40年!!』HP公開1周年を記念してポルトガル語のHPを開設しました。日本語のHPから直接ポルトガル語ページに移れるしその反対にポルトガル語のページからも日本語ページに飛べるようにしております。ポルトガル語のHPは、日本語版の翻訳版ではなく同じ目的、主旨による兄弟HPではありますが、表現手段が変わる事により同じ寄稿文でも幾分そのニュアンスも違ってくるし、考え方、物の捉え方、解釈も変わってくる事から同じ文を取り上げても逐語訳等の方法を取らず意訳、説明的な文と成る事から日本語の資料を基にしたポルトガル語の文章となります。その編集、更新作業は当然こちら生まれの二世、三世の皆さんにお願いする事になりますが、先ず始めるに当たり身近な存在として私の長女、和田弥生エリーゼ(リオグランデドスール州連邦大学新聞学部新聞学科卒業後2年間日本のポルトガル語新聞社でポルトガル語新聞と雑誌の編集、記者として勤務2003年3月に帰国)に手伝って貰う事にしました。開設13年1ヶ月で71万2865回のアクセスを記録しております。管理運営を任せている弥生の趣向が強く出て来ていますが、時間の許す限り日本に住むブラジルからの出稼ぎ者の生活、日本でポルトガル語新聞の記者生活をしていた頃の経験等を積極的に取上げ紹介しております。2006年以来、最近の更新が見られず気になっていますが、その内、親父が遣りたかった仕事、遣り残した仕事として将来に又更新を始めて呉れるかも知れないと期待しており無理強いしないで見守っています。今後は、我々の後継者で手伝って呉れる仲間が現れれば、継続して行って貰えるかも知れないと願っています。

本来の『私たちの40年!!』HPは、戦後移住者としての我々の移住先の国々での定着の過程、生き様を我々の子孫に語り伝え自分達の祖先、ルーツを辿る資料として残して置きたいとの気持ちで始めたものでありそれを近い将来同船者の現地移住国で教育を受けた準2世の仲間、私たちの子供達が引き継ぎポルトガル語、スペイン語で私たちの歴史を書き継いで行って欲しいと念願しており、今回のポルトガル語版は、その気持のあらわれです。従い私たちが日本語で書き残す記録が何時の日か我々の子孫がそのルーツとしておじいちゃんたちが残してくれた財産として引き継いで呉れる事を期待しています。

あるぜんちな丸第12次航の681名の同船者がブラジル、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチンの4ヶ国に入植しました。志し半ばで亡くなられた方、家庭の事情で帰国せざるを得なかった方、移住国に拠点を置きながらも現在も日本に働きに出かけている方、54年1ヶ月、最初の入植地に居座り営農に従事している方、国内移動、国外への転住者、それぞれの皆さんの54年1ヶ月の歴史があります。各個人、各家庭、各移住地の歴史を一人一人が書き残す事により戦後移民54年の歴史が浮き彫りになって来るのではないでしょうか。 同船者皆が語り、書き残していく『私たちの40年!!』も多くの同じあるぜんちな丸で移住して来られた人達、戦後色々な形態で移住して来られた人達、移住とは直接関係のない短期駐在員、留学生、研修生、旅行者、果てはまだブラジルの土を踏んだ事のない多くの人達からの寄稿、暖かい書込み、励ましを受けており、我々同船者だけでなく多くの日本の皆さんにブラジルと日本を繋ぐ絆としてまた祖国日本を遠く離れた地球の反対側に住む私達の戦後移民54年の歴史を通じての赤裸々な生き様を知って頂く手段としての『私達の40年!!』HPは貴重な存在となって来ております。

『私たちの40年!!』の映像化も、コロニアの著名な記録映像作家の岡村 淳さんの協力を得て2002年に『40年目のビデオレター』北伯編としてベレンで下船された三一名の同船者の皆さんを訪ね、ビデオレターを届けて頂いております。又その続編として『41年目のビデオレター グアタパラ編』が2003年11月末に完成し日本でその完成記念上映会が実施されました。この続編を見せて頂きましたが、私の関係した北伯編と比べて数段の向上、出来栄えでグアタパラ移住地に現在も住んでいる小島さん夫妻を軸にした時空を感じさせる力作で短期日の同船者訪問では描き切れないものを移住者の目線で撮っておられる岡村さんの技量に感心しました。
去る2012年5月11日には着伯50年を迎えましたが、残念ながら岡村さんは、訪日中で式典の様子を記録に残す事ができませんでした。
昨年2015年の7月には、ボリビアのサンタクルス市郊外のサンファン移住地に入植された同船者の皆さんを訪ね立派に成功された同船者仲間との交流を楽しむ事が出来ました。これからも皆さんが御元気なうちに訪ねて半世紀以上の生き様をお聞きして書き残す事が出来ればと願っています。

2002年、5月12日に開いた着伯40年後の同船者会とこの『私たちの40年!!』HPが私達のあるぜんちな丸第12次航の同船者681名の団結のシンボルとなっており大事に守って行きたいと願っておりますが、毎年櫛の歯が抜けて行くようにその数を減らして来ております。その現象を印象付ける出来事として私たちが46年前にサントス港に到着した2008年の5月11日に船内新聞編集を手伝ってくれていた龍川 いく子さん(藤間流の藤間芳嘉師匠)が亡くなられました。40年祭から14年1ヶ月、数多くの同船者が他界、私たちより先に逝ってしまいました。幸い681名の3分の1が当時15歳未満でしたが既に壮年期を過ぎる69歳に達しています。生きている我々が先に逝った皆さんを偲び慰霊して行く必要があると思います。
『私たちの40年!!』の公開10周年に当たる2012年の5月11日(金)には着伯50周年記念事業の第1日目としてボリビア、パラグアイ、アメリカ、日本初めブラジル各地から参集された同船者の皆さんと前夜祭をサンパウロの松原ホテルで祝いました。着伯50周年記念の式典は5月12日(土)の10時から同じく松原ホテルの地下大広間「東京」を会場にして盛大に挙行しました。多分この50周年が『私たちの40年!!』の最後の大きな集まりとなるのではないかと思います。5月13日(日)には同船者で旅行社を経営しておられる吉田栄一さんの企画でバスでサントスへの日帰り旅行を実施、あるぜんちな丸が到着したサントス港の埠頭を船から眺める50年の時の移りを皆さんと共有する事が出来ました。3日間の着伯50周年記念祭をブラジルのサンパウロで近隣国、パラグアイ、ボリビアに入られた方達、帰国された方、10年間に渡り直接、間接に『私たちの40年!!』HP、メーリングリスト、BLOGを通じてご支援頂いた皆さんにも御一緒に参列頂き3日間の参加者のべ150数名のお祝いを実施する事が出来ました。このHPを通じて御支援、参加頂いた皆さんにお礼を述べさせて頂きたいと思います。
この50年の集いは、10年間の月日を長い助走期間として準備して来た集大成とも位置付けてこの着伯50周年は移住史に残る立派な50年祭として皆さんと共に祝う事が出来た事を嬉しく思っています。諸事情で参加頂けなかった同船者の皆さんのご多幸をこの場を借りて祈りたいと思います。
『私たちの40年!!』は、5月の50年祭終了後も名称は、『私たちの50年!!』に変更することなく『私たちの40年!!』として継続して行くことにしましたので今後とも『私たちの40年!!』として御愛顧下さい。
『私達の40年!!』HP編集責任者としての私の人生観、趣味、好み、居住地等による編集趣向に個人的な偏り等も随所に見られると思いますが、今後も同船者の一人を通じての戦後移住者の記録を、一人一人にこの54年1ヶ月がどうであったのか聞き出し記録していく作業を地道に続けて行きたいと思います。このHPの根底に流れる私の気持ちは同じ船で移住してきた仲間が一人でも多く『移住という選択』が間違っていなかったとこの54年1ヶ月を肯定できる人生を過ごしてこられた事を願いその過程を知りたいというものであることは間違いなく、その基本的な考え方は頑なに守って行きたいと思います。

『私たちの40年!!』HP開設当初は、どうすれば皆さんにアクセスして頂けるかに心を配り、各種MLに参加したり、多くの日本の皆さんのHPの掲示板等にも書き込み、『バーチャル座談会』の企画を実施したりそれなりのPR、努力をして来ましたがYAHOOのブラジル関係欄にも紹介して貰ったり、2004年7月から始めた『私たちの40年!!』MLも大いに寄与しているようです。このMLは、YAHOOのMLサービス廃止に伴い10年以上続き4万通近い書き込みがあったMLが1昨年5月で終了してしまいました。愛着のあったYAHOOのメーリングリストの廃止は一つの歴史のページが消えてしまったようで大変寂しく感じています。新しくFREEMLのサービスを導入し現在292名のメンバー間で活発な意見交換が交わされています。既に19555通の交信が記録されておりYAHOOからFREEMLへの移行は上手く行ったと喜んでいます。また2009年に公開された国立国会図書館の電子展示会「ブラジル移民の100年」にもリンク集に掲載頂いております。

2002年の11月に設置した画像掲示板も写真の貼り付けも可能な事から皆さんに喜んで使って頂いておりましたが、最近は、迷惑書き込みが増発、使用不能状態になっておりキャンセルせざるを得ない状態に陥っており正常化させるかキャンセルにするか決める必要が出て来ていますがもう少し様子を見たいと思っています。寄稿集のPR等にも利用しており古い貴重な写真の保存にも役立っており正常化を目指す積りです。通常の掲示板は、最近使用頻度が落ちていますがそれでも捨て難い魅力があります。膨大な寄稿集、画像掲示板、掲示板、写真集、リンク集ですがお時間の許す時に少しずつでも読み継いで頂ければ幸いです。寄稿集は、読みやすくする意味で活字サイズを大きくしたり、更に話題別目次欄を設けました。項目別に好きな話題、読みたい話題を纏めて見て頂けるようにしました。新しく2008年のブラジル日本移民100周年関係のニュース欄を新設しましたがこの欄にアマゾン移民80周年を追加、アマゾン移民80周年祭関係の記事もこの欄に掲載しております。更に今回、【あるぜんちな丸第12次航着伯50周年記念の集い】という新しい欄を設け関係記事を纏めています。

2006年10月に始めたYAHOOの 『私たちの40年!!』関連BLOGは、大きな写真(2メガまで)が何枚も一度に貼り付けられることから写真集として重宝しており、MLが文章で表現するのと一味違う写真を中心とした簡単な説明だけの報告書的な性格が気に入っておりほぼ毎日更新(写真の貼り付け)を実施しており既に9年8ヶ月過ぎました。アクセス数は、7月3日付で17万5千回のアクセスを記録しています。2009年10月2日にこの愛すべき『私たちの40年!!』関連BLOGが写真掲載許容量2ギガに達し写真掲載が不可能になり10月2日付けで『私たちの40年!!』関連BLOG2を新設して同じ様式で継続しています。BLOG2も6年8ヶ月を経過、軌道に乗っており特徴としてコメント数がアクセス数の10件に1度前後を記録しており皆さんの参加が目立ちます。新設したこの『私たちの40年!!』関連BLOG2も現在23万1千回のアクセスを記録しております。つい最近になりYahooのBLOGサービスが画像貼り付け許容量が3ギガに増大している事が判明し昨年の2月から再度BLOG1とBLOG2を並行して使用可能となり新しくBLOG3を開設しなくてよいように既存BLOGの残量を使用して行くことにしました。今後はBLOG1と2を並行してどうぞ宜しくお願いします。『あるぜんちな丸と同船者』、『我が街ポルトアレグレ』、『ブラジルに咲く花』等共に『尋ね人』の欄を新設し『南伯日本商工会議所』の連絡的掲示板としても利用しています。また新しく『あるぜんちな丸着伯50年への道』『日本祭り』『海外旅行2015年』と云うフォーダーを開設していますので是非ご覧下さい。ブラジルの国花イペ―の花を日本で咲かそうと耐寒性克服に挑戦している『花咲爺の会』関係BLOGは、貴重な専門的資料等の記録場所として重宝されています。

平成28年7月3日 『私たちの40年!!』HP公開14年1ヶ月、420万回アクセス記録の日に書換え更新。                      
『私たちの40年!!』HP編集管理責任者
     和田 好司
 


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