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園田昭憲さんと移住助監督の上園さんのお写真。昨年園田さんが訪日の際に上園さんのお宅を訪ねた時のツウショットです。
園田昭憲さんは、1947年生まれで当時14歳。移住には、賛成でなく一人ででも日本に残りたかったとのことで自分の選択ではない移住を強いられ家族9人で鹿児島からパラグアイのイタプア移住地に入植しました。家長の園田道夫さんは1930年生まれでご両親、奥様、お子様とともに男兄弟光雄、義人、昭憲、八郎の4人を連れての移住でした。


園田昭憲さんは、移住地で電気の無い生活にもめげず独学で勉強を続け18歳でアルゼンチンのブエノスアイレスに出て日系の花屋さんで働き20歳を越して念願の日本に帰国、大学を苦労して卒業後、日本企業のブラジル駐在員としてブラジルに派遣され、進出してきていた日本の会社が日本に引上げる時にその会社を継承し現在は、DEC社(ダイドウ・エンタプライズ・コーポレシオン)の社長として姫マッタケの栽培、輸出を手掛けておられる。是非その数奇に満ちた40年を綴って頂く予定ですが先ずは写真だけでも掲載して置きます。

北海道夕張郡長沼東4線南3にお住まいの藤岡和弘さんのお孫と撮った写真。
あるぜんちな丸第十二次航の単身移住者の中で最年少の18歳(1944年2月18日生まれ)だった藤岡和弘さんは、1964年4月に家庭の事情で帰国、その後1978年に3ヶ月、1988年に1ヶ月半それぞれ訪伯しておられ北海道出身の同船者との交流が現在まで続いて来ている。船内のニュース班では、腕まくりをして毎日ガリ刷りを手伝って呉れた仲間です。藤岡さんの最新ニュースとして青木さんが6月2日に藤岡さんのお宅に電話を入れて奥様と話をされた時にご主人の藤岡さんは札幌の病院で5月22日に肝臓移植の手術をされ、術後も良好で6月中には退院の予定で健康に成れば是非又ブラジルを訪問したいとの希望を表明されているとの事です。是非実現させて下さい。


藤岡和弘さんは、54歳で腎臓を悪くして療養、週に3度の人工透析をしているとのことで4度目のブラジル訪問を果たせないでいる。近い内に腎臓移植も検討するとのことでこれが成功すれば又ブラジルを訪ねて見たいとのご希望を棄てず現在はお孫さんに囲まれ悠々自適の生活をしておられるとのお便りを頂いております。何枚かの貴重な写真もお借りしており、「私の想い出は、2年半程で帰国した事もあり、40年前をかなり詳細に覚えております。時計が40年前に止まったままの様です。色々な写真を見ると移住時の想い出が走馬灯の様に私の頭の中を駆けめぐります。」と懐かしがっておられます。

トメアスー移住地に入植された佐藤さんご一家の日本出発前に撮った全員の貴重な写真。
佐藤正一郎さん1916年生まれを家長とする邦子さん1922 年生まれ長女昭子さん1942年生まれ長男正邦さん1947年生まれ次女薫さん1948年生まれ3女恵美子さん1951年生まれの6人家族で秋田市大平八田字木曾石45が渡航時の住所です。


トメアスーに入植されて現在も長女の三宅昭子さんのお宅でご両親の正一郎さん邦子さんはお元気で昨年11月にダイアモンド婚をお祝いされました。次女の薫さん、長男の正邦さんは若くしてアマゾンの土に還り、三女の田代恵美子さんはベレンの近郊カスタニャール市にご健在です。
三宅昭子さん、薫ちゃん、恵美子さん等の船内新聞等の原稿は、寄稿集に収めてあります。

赤道通過許可証
あるぜんちな丸第十二次航でも船内演芸会、運動会、フォオクダンスの会、青年男女の集い、船内学校等忘れられない数々の楽しい行事がありましたが、その中でも秀逸が赤道通過を祝う船を挙げての赤道祭でした。その赤道通過に際して皆さんに送られた(家長宛てで一家に1通)赤道通過許可証が残っていました。


赤道通過許可証を提供して下さったのは、単身移住者として東京都から移住して来た杉島さんです。杉島さんは、今回の『私たちの40年!!』の編集委員の一人として何度も会合に参加されて面白い当時の思い出話から、弓場農場での苦楽に満ちた生活とその後出稼ぎの走りとも言える80年代前半に日本に戻り日本で技術習得後その会社のブラジル会社に技術者として戻って来られ、現在はご家族と共に寿司ロボットを使ったブラジル一の太巻き、細巻きを毎日作ってサンパウロ市内に卸しておられる。是非杉島さんの辛口の人生観を綴って貰いたいと思ってます。ご期待ください。写真は、赤道許可書に船内郵便局で10円の切手を購入赤道通過日の消印のある切手を貼った貴重な赤道通過許可書です。

Hunters(アマゾンの狩人)
この写真は、今年始めにアマゾンの同船者を訪問した時に直接お会いできなかったお二人の写真として田中常幸さんからお借りしたものです。


写真に出ている如何にもブラジルを思わせる狩人二人は、アマゾン中流のサンタレンに農場を持っておられる篠崎清人(1944年生まれで現在は、日本にお仕事に行っておられる)と田中さんの構成家族の一員として移住された大平徳光さん(1945年生まれでアマゾン生まれの日系二世の方と結婚後家族全員で日本に帰国、現在岐阜県の美濃加茂市に住んでおられる)のお二人です。取れた獲物は、コチアかパッカでしょうか?

あるぜんちな丸 第12次航 62年4月2日神戸出向風景。
私たちのあるぜんちな丸第12次航は、62年3月30日横浜港出航、4月2日神戸港を出航しました。同船者数681名(ブラジル473名、ボリビア100名、アルゼンチン40名、パラグアイ68名)を乗せたあるぜんちな丸の勇姿です。神戸出航時の写真を下船前に記念として全員に手渡された写真ですが、今も手元に残しておられるか多いかと思いますが、これは極め付きの写真として写真集第1号に持って来ました。この写真を大きなパネルした物が用意されております。



1962年{昭和37年}4月2日あるぜんちな丸第12次航は、神戸港を出港。
あるぜんちな丸第12次航の神戸出港風景は、大阪商船より乗船記念として皆さんに贈られましたが、この公式社員の数十秒後に撮られたと思われる写真が次席事務員の広野信行さんより送られて来ましたので掲載して置きます。



1962年{昭和37年}4月2日神戸港出港、5月11日サントス入港のあるぜんちな丸
1962年{昭和37年}4月2日神戸港を出港したあるぜんちな丸第12次航は、同年5月11日にサントスに入港しました。大阪商船より乗船記念として各家庭に配布された記念の写真を今回の着伯40年祭の案内状に使用する事にしました。2002年5月12日にサンパウロ市の静岡県人会館で40年祭を実施します。


『私達の40年!!』を記念する40年祭が5月12日(日)サンパウロ市の静岡県人会館に置いて開催されます。志半ばでブラジルの土に帰った多くの同船者への献花、懐かしい写真のパネル展示、見つかった当時の船内新聞の展示、コロニアで著名な陶芸家鈴木章子さんの作品の展示、藤間流の藤間芳乃丞師匠(龍川いく子さん)の艶やかな踊り、岡村淳さんが撮られた同船者のヴィデオ・レターの上演、サンパウロ人文科学研究所の森幸一博士の講演果てはカラオケまで盛り沢山の催しを予定しており午前10時から午後3時頃迄昼食を挟んで同船者とその関係者による楽しい一時を予定しております。参加費は昼食題を含めて30レアイスとなっております。お誘い合わせの上一人でも多くの参加をお待ちしております。

同船者の皆様の思い出写真集です。ご気軽に掲載してください
5月の40年祭には、同船者の皆さんの取って置きの1枚えを焼き伸ばしてパネルにて会場に飾り使用後は、家の応接間または移民資料館等に飾って貰えればと企画しております。ご自慢の1枚、思い出の一枚、移民船あるぜんちな丸の船内生活、その後の節々の思い出の写真を提供下さい。



提供者、掲載者のお名前と返却の必要性(返却の必要が無ければサンパウロ、べレン等の移民博物館、資料館等に寄贈、保存して頂く予定です)、写真説明等を着けてお貸し下さい。掲載させて頂きます。編集委員会でも皆さんの現在の写真等も撮らせて頂いて折、順次掲載させて頂きますが、気に入らない写真があれば申し出て頂ければ直ぐに抹消させて頂きます。



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