パンタナールを世界へ発信 やさしい自然を紹介 サンパウロ新聞WEB版より。
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同船者の園田 昭憲さんが何時も誇らしげに語るパンタナールのガイド、カメラマンに湯川 宣孝がサンパウロ新聞のWEB版に紹介されていた。パンタナールに行く多くの皆さんが彼の世話になる。何度かパンタナールには足を踏み入れているが一度湯川さんに案内して貰い本格的なパンタナール探索に出掛けたいものと願っている。何時の日か実現させたい。
写真もサンパウロ新聞のものを使わせて頂きました。
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パンタナールを世界へ発信 やさしい自然を紹介
《ガイドとして活躍する写真家・湯川宣孝さん》
パンタナールでネーチャーガイドとして活動し、写真家でもある湯川宣孝さん(三十六歳、栃木県出身)。一九九二年にJICAの開発青年制度七期生としてブラジルに渡り、観光ロッジの管理人に職を得てパンタナールに足を踏み入れてから「やさしいパンタナールの自然」に魅了され、以来その良さを伝えることに情熱を燃やしている。幼い頃から沢山のペットに囲まれて育った湯川さんは小学生の頃から「将来動物と関わりたい」というはっきりとした思いを持ち、卒業文集には「絶滅の危機にある動物を助けて暮らしたい」と綴ったそうだ。また、日本の社会に息苦しさを感じていたこともあって「二十歳になる頃に海外に出て、人の数より動物の数が多いところに住みたいと思っていた」と話す。
《動植物の危機警告 環境保護、子供への興味喚起を》
そして二十歳を目前に、自分の夢を叶えるにはどういう選択肢があるか調べていたところJICAの開発青年制度を知った。
高校卒業後、専門学校で環境生態学を学び、野生動物の追跡方法、データーの取り方などフィールド・ワークの知識を得た。
そして一九九二年、初めてブラジルの地を踏むことになったが、最初、湯川さんが務めたのはべレンにあるパパイヤやアセロラを栽培する熱帯果樹園だった。湯川さんは有機農耕に興味を持っており、果樹園の仕事に魅力を感じていたが「動物と関わりたい」という思いが強く、一九九三年、生薬研究家知られる中隅哲郎氏(故人)の紹介を経て、パンタナールの観光ロッジで働きだした。
パンタナールで暮らし初めた頃、湯川さんは雨季で見渡す限り水の世界となった光景を見て不安を覚えという。が、いつの頃からか、パンタナールの自然を「心地よい」と思い、次第にその魅力に取り付かれたという。
一九九四年、パンタナールを取材に来ていた日本のテレビ局のカメラマンとの出会いで湯川さんは写真家としての道を歩き出す。そのカメラマンは取材のアシスタントをしていた湯川さんに「こんな素敵なところはない。あなたにはこの自然を残す義務がある」といい、ムービー・カメラか一眼レフのカメラかどちらかやりたいものを今度来るときに立て替えて持ってくるとの提案をしたという。
そこで、鉛筆画や水彩画を描いていた湯川さんは「瞬間を切り取る」ことのできる写真を選んだ。しかし、湯川さんは「写真が好きというわけではない」と話す。「写真はパンタナールの良さを人に伝えるための手段」だという。今では「映像の方が伝えやすい」とムービー・カメラもはじめている。
湯川さんはパンタナールを「自然がものすごく身近で、常に動物が身近に感じられる場所」という。「スケールの大きいアマゾンの自然は恐怖感を覚えるが、パンタナールはやさしい自然」とその魅力を語る。
現在、湯川さんはネーチャー・ガイド、写真家、テレビ取材のコーディネーターをこなし、一年の大半は自宅を空ける生活だという。そんななか、湯川さんはパンタナールへの入り口となるポコネの町に現地の子供たちや海外からの子供たちが自然について学べる施設をつくることを計画している。「自然について子供たちが興味を持ち、自然を知ることから、環境保護に繋げることができると思う」と湯川さんは期待を語った。
〔写真:パンタナールをガイドする湯川さん〕
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